EVER...
side story
番外編 レインの世界 後編
 

 

「ねえ、レイン。あなたはオーリエイトに会ったんですか?」
 丁寧な口調で尋ねた少年の声が微かに震えているのが聞いて取れた。レインは顔を上げた。声の主は左右色違いの瞳でレインを見つめている。
 レインは結局あの後、自分の意志で城に戻った。それからひと月、数回オーリエイトの所に行っている。少し人をはねつけない方法も身につけて、目の前の少年とも、知り合いになって一年経って初めてまともな会話をし始めた。
「会ったよ」
 レインはそれだけ答えた。いつもならそれで会話を終わりにするのだが、今回は話題が話題なのでレインは会話を続けた。
「ウィルもオーリエイトを知ってるんだ?」
「知っています。城下に住む赤い髪の女の子でしょう?」
「なんで?」
「え?」
「なんで君が彼女を知っているの?」
 ウィリアムは目を瞬いた。レインが珍しく話題に食いついてきているので驚いているのかもしれない。
「彼女の方から話しかけてきたんです。聖者でしょう、お城のことを教えてくれないか、って」
「ふうん……」
 レインは呟いた。
「彼女とはよく会ってるの?」
「いいえ。……女神様が出してくれませんし」
 それはそうか、と思ってレインは笑った。彼は彼女にそんなに会っていない。自分は何回も会った。嬉しかった。その笑みが無邪気だった分、ウィリアムは不快に感じたようで、ウィリアムはわずかに眉をひそめる。
「……彼女だったんですね」
「何が?」
 声に含まれる震えが増したので、さすがにレインもおや、と思って、初めてきちんとウィリアムの様子を目に留めた。
「あなたが変わった理由です」
「そうだけど」
「どうして……あなたのほうが先に」
 そこまで言ってウィリアムは唇を引き結んだ。レインがどうしたんだろう、と思っている間に、彼はきびすを返して立ち去った。怒りで震えているようにも見えたが、今にも倒れそうにも見えた。何を考えているのか全然分からない、とレインは首をかしげる。分かりたくもないけれど。

 ウィリアムが暴れた、そして女神の怒りを買って恐ろしいお仕置きをされた、という話を聞いたのは翌日のことだった。特に同情や心配は浮かばなかったが、レインにとって意外ではあった。レインはウィリアムを従順な少年だと思っていた。控えめでおとなしく、従順な少年が暴れた事が意外だった。
 とばっちりはレインのところにも来た。女神が笑顔でレインの元をたずねたのだ。
「あなたは偉いわね、最近は逃げることもなくなったものね」
 彼女に逆らうと、酷い目にあうということをレインは学習していたが、酷い目にあっても失くすものがなかったので怖くなかった。今は怖かった。かくまってくれた赤い髪の少女に咎が及ぶ事が。彼女が傷つけられる事が。できれば女神を怒らせたくない。女神に彼女のことを知られたくない。それには――猫をかぶることだ。演じればいい。それがレインの「従順」の正体である。
「ありがとうございます」
 レインは笑みを貼り付けていった。
「落ち着いてみてみれば、居心地のいいところですね」
「そうでしょう? わたくしの傍は気分が良いでしょう?」
「ええ」
 女神は完全にはレインの言葉を信じていないようで、微笑みながらもレインの豹変ぶりに警戒しているようだったが、褒められることに悪い気はしないようだった。
「もう逃げたりしない?」
「しません」
「約束よ?」
「はい」
「……あなたは変わったわね」
 レインは微笑んだ。従順で可愛い子供を演じる。彼女はそういう子供が好きなはずだ。
「女神様のおかげです」
「そう、ありがとう」
 女神は嬉しそうに笑う。笑みの下の本音は分からない。レインは人が嘘つきだと知っていた。どうせなら表情なんて捨てれば良いのに。必要なときだけ本当の表情を浮かべるオーリエイトを、レインは思い浮かべた。
「本当に、もう逃げてはだめよ?」
「逃げませんよ」
「逃げたらお仕置きよ?」
 彼女の表情が冷たくなる。レインは怖くなかった。自分が傷つく分にはかまわない。
「逃げませんよ」
 笑って答えると、女神はやっと引き下がる気になったようだった。

 それでも、何度も逃げようとした不信は簡単に取り払えるものではないらしい。ウィリアムが暴れた事件からほとんど一月がたった頃、ようやく彼が起き上がれるようになったというので、女神はレインを連れて見舞いに行った。気は進まなかったが女神の命令なので、レインは聞くことにした。
「調子はどう、ウィリアム?」
 脅すような優しい声と朗らかさで、女神は彼に言った。顔を上げた彼は最初無表情だった。レインの目にも憔悴しているのが分かった。どんなお仕置きをされたんだろう、と疑問に思うほどの憔悴振りだ。しかし、瞳だけが強かった。レインは驚いた。他人に強い関心を抱いたのはオーリエイトが初めてだったけれど、強い関心などなくても目を奪われるほど、ウィリアムは変わっていた。
 彼は、微笑んだ。レインは目を瞬いた。お仕置きされたのではなかったのか。二度と反抗できないようにされたのではなかったのか。お仕置きの効果を見せるために、女神はレインを彼のところにつれてきたはずだ。けれど彼は屈していない。
「上々です。ありがとうございます、女神さま」
 女神も一瞬言葉を失っていた。レインは女神を見上げて、その表情の変化を見ていた。動揺、戸惑い、不安、焦り、不信。そして取り繕おうと笑みを貼り付ける。
「よかったわ。レインと一緒にお見舞いに来たのよ。何かいるものはある?」
「何も」
 ウィリアムははっきりといい、さらに笑みを深くした。ますますこの少年の考えている事が分からなくなった、とレインは思った。そう、と女神はいう。
「歩けるの?」
「いいえ。でも、あと一週間もすれば、また勉強にも戻れると思います。ご心配おかけしてすみません、女神様」
 お仕置きされたことには触れようともせず、まるで忘れたかのように振舞っている。頬にはまだ傷が残っているし、包帯もまだ取れていないのに、どれだけ表情を取り繕っているのだろう。
「わたくしのことはいいのよ。体を治すことだけに専念なさい?」
 女神は優しく言うと、内心やはり相当に動揺していたのだろう、レインを置いて部屋を出て行ってしまった。レインはウィリアムを見た。女神が外に出た瞬間に、張っていた気が緩んだのか枕にもたれかかって、やはりまだ痛いのだろう、表情を歪めていた。
「どうして」
 レインは思わず聞いた。ウィリアムは色違いの目でレインをちらりと見やる。
「あなたのようには見つけられないから、自分で作ることにしたんです」
「なにを」
「希望を」
 希望、という言葉をウィリアムはレオリア、と発音した。魔法言語だ。普通に希望というよりも、ウィリアムの思いが強く込められているように思った。
「絶対に屈しない、抗い続ける、それを希望にしようと思って」
「それだけで、そんなに変われるの」
「僕の世界には、今それしかないんです。……抗うことで持ち続ける希望しか」
 ウィリアムは言って目を閉じた。
「何もなかったのは、あなたも同じだと思っていた。でも、あなたは見つけた。だからです」
 わけがわからない、とレインは思ったが、自分の世界か、と初めてそのことを思った。確かに自分の世界は空虚だった。何もない世界だった。今はそこに何かがある。目を射るような色鮮やかさをもっている。レインは自覚した。世界を自覚した。彼女がいる。
「……その決心、僕に話してしまって良いのかい?」
 レインがウィリアムに尋ねると、彼は微笑んだ。
「あなたは僕のことをどうでもいいと思っているでしょう。だからいいんです」
 良く分からない理屈だが、レインは微笑んだ。
「どうでもいいとは思ってないよ。少し、興味が出てきた」
 意外だというようにウィリアムはレインを見上げた。
「そうなんですか?」
「君は聖者だしね。それに、今の君は強そうだ」
 ウィリアムもレインの言っている事が理解できなかっただろう。強い人間に、レインは興味があった。自分の望む方向に事を運ぶ力があることを知っていたから。そしてそれは今、レインにとって必要なものとなりつつあったのだ。守りたいものを、見つけたから。

 オーリエイトに会いに行った。ウィリアムの事を聞くと、彼女は会ったことを認めた。
「いずれ話さなければと思っていたけれど」
 彼女は言う。
「誰よりも先に、あなたに話すことになりそうね。座って」
 誰よりも先に。レインの気持ちは高揚した。
 彼女の話は、降魔戦争に関するものだった。にわかには信じられない話だったが、レインは全て事実だと思った。いまや彼は、目の前の少女に絶大な信頼を置いていた。彼女は自分の世界なのだ。信じる以外にどうしろというのだろう。
「協力してくれないかしら。……ウィリアムにも、そう言ったのよ。理由はまだ言っていないけれど」
 レインは微笑み、頷いた。

「オーリエイト」
「なに?」
 レインは唐突に言った。
「僕は君が好きみたいだ」
 オーリエイトは顔を上げた。金の瞳に浮かんだものが何だったのか、レインには分からない。さすがの彼女も少し動揺しているようだった。
「それは告白?」
「うん」
「そう……」
 彼女は再びうつむく。沈黙が流れた。
「私は、誰も好きにならないわよ。そういう意味では」
 彼女の返事は明確で、やけに強い決意がにじんでいた。それなら仕方ない、とレインは首をすくめる。
「じゃあいいよ。好きにならなくても」
「それならどうして告白するの」
「知っていて欲しかったんだもの」
 レインは笑った。嘘偽りのない笑みを、レインは取り戻していた。
「君に、知っていて欲しかった」
 存在を認めて欲しかった。気持ちを認めて欲しかった。それだけだ。
「ねえ、戦争って危ないんでしょう?」
 レインが聞けばオーリエイトは頷く。
「当然じゃない」
「じゃあ、僕が守るよ。僕は守護者だからね。力は強いんだ」
 彼女は笑わなかったけれど、言った。
「ありがとう」
 レインはそれを、承諾と受け取った。守ろう。彼女を守ろう。レインの世界を守ろう。この身が砕け散ってもかまうまい。世界は自分じゃない、彼女なのだ。

「オーリエイト、愛してるよ」

 十歳の少年が言うにはあまりにも不似合いな言葉だっただろうけれど、決意と想いはとてつもなく強いものだった。




最終改訂 2009/08/20