EVER...
chapter:1-story:10
花園で
 

 


 リオは庭にいた。混乱していて、リディアもオーリエイトも連れずに一人で庭にいた。庭は広くて、噴水も東屋《あずまや》もあった。その東屋に座って、リオは両手の中に顔をうずめていた。
「何なの……」
 わからなくなっていく。
「あたし、何者なの……」
 本当に、普通の十三歳の少女でしかなかった。突然、愛していた故郷を襲われ、一人で放浪し、大陸の中央付近までやってきて。
 呪い。全てがそれに繋がっている気がする。呪いがそもそも発端で、呪いがかけられているから追いかけられて。そういうことなら筋が通る。けれど、どうして呪いにかけられているからといって追われなければならないのだろうか。
 考え詰めて、それでも答えは出なくて、あまり喉を通らない夕飯を食べた後、またこうして外に出てきた。

「よぉ」
 声をかけられて振り向くと、そこにはアーウィンがいた。
「リオも考え事?」
 リオは首を傾げた。アーウィンらしくない。お気楽で元気いっぱいな悪戯っ子という感じだったのに、今は何か物思いにふけっている様子だった。リオのいぶかしげな表情を見て取ったのか、アーウィンは肩をすくめた。
「なんかさあ、オレの人生、一変しそうな予感なんだよな」
 アーウィンはそういって、なんの断りもなしにリオの隣に座った。
「あたしも……なんか全部変わっちゃいそう」
 しばし、沈黙が訪れた。噴水から流れる水の音だけが響く。
「今までのお気楽人生ともおさらばかなぁ……」
 アーウィンは言って、空を見上げた。墨を流したような空に、銀の粉を撒いたように星が光っている。
「オレ、ガーディアンとかいう人種らしいんだ」
 何の脈絡もなしにそう言われて、リオは目をぱちくりさせた。
「ガーディアン? 守護者?」
「たぶん。はっきりとは言われなかったけどさ、聖者がそんなようなことを言ってた」
「それって、教会の重役の役職名だよね?」
「知るか。オーリィとウィルだけで分かったような顔しちゃってさ」
 アーウィンはふて腐れたように頬を膨らませる。リオはそれに苦笑した。知り合ったばかりの少女と聖者を、早速愛称で呼ぶなんて、彼らしい。
「リオも呼ばれたんだ? 何、君も守護者?」
 ううん、とリオは首を横に振った。
「そんなわけないよ。守護者は魔力の強い人じゃないとなれないんだから。……あたしもそんなに詳しいわけじゃないし、守護者といっても何を守ってるのかとかは知らないけど」
 リオは少し迷ったが、彼になら話しても大丈夫だろうと思って口を開いた。
「あたしには何か呪いがかけられてるんだって」
「呪い?」
 アーウィンはびっくりしたように目をぱちぱち瞬いた。
「何だよ、皆わけありかよ」
 リオは肩をすくめる。
「そうみたい。ライリスも只者じゃなさそうだし」
 探りを入れるつもりで言ったのに、アーウィンは伸びをして「そーかぁ?」と言っただけだった。
「確かに普通じゃないとこあるけどさ。あいつ、超人だよ。天才なんだ」
「天才?」
 これは、納得できるようで意外な話だった。
「何でもすぐに習得しちゃうんだよ。努力しないでも何でもできるんだ。めちゃくちゃ頭いいんだぜ」
 へえ、とリオは呟いた。
「ねえ、あなた達って、どうやって知り合ったの?」
「なに? オレとライリス? 狩りをしてたら偶然会ったんだ。オレの方から一緒に組もうって誘って、ライリスもOKした。それだけ」
 何ともあっさりした出会いだ。
「リオは? どうやってオーリィ達と出会ったの?」
 リオは言うのを少し躊躇《ちゅうちょ》した。
「……行き倒れになったのを助けてもらったの」
 それだけ言った。
「へえ。よく分かんないけど、大変だったんだ」
 深く追及しようとしないので、リオはほっとした。
「それにしても、オーリィって何者なんだろ。聖者なんかと二人っきりで会議するなんてさ。聖者と相談しあうようなお偉いさんには見えなかったけど」
 リオは黙っていた。とにかく、皆只者ではないというだけだ。

「アーウィン」
 柔らかな声がした。ウィリアムが東屋に向かって歩いてくるところだった。
「あ、ウィル」
 アーウィンが呼び掛ける。愛称で呼ばれて、ウィリアムは一瞬驚いたような表情をした。しかし、すぐに照れたように笑う。
「ライリスが呼んでいましたよ」
「おう。ありがと!」
 アーウィンは陽気に返事して立ち上がった。
「んじゃ、またね、リオ」
 ヒラヒラと手を振ったかと思うと、東屋《あずまや》の柵を軽々と飛び越えて走り去っていった。ウィリアムはしげしげとその後ろ姿を眺めて言った。
「身軽ですねえ」
 リオはそれには返事をせず、彼から目を逸らす。ウィリアムはそれに気付いて、少し笑みを引っ込めた。
「お悩みですか」
 リオは尚も答えない。
「仕方無かったんですよ」
 ウィリアムは静かに言った。弁解というより、単に事実を告げているような口調だった。
「本当は、ああやって呼び出さなくてもよかったんです。気付かれないように調べることだってできました。でも、結果をあなたに教えずにオーリエイトにだけ教えたら、彼女は絶対にあなたには教えません」
 リオは顔をあげた。色違いの視線が自分に注がれていた。
「それとも、知りたくなかったですか? でしたら謝ります」
 ううん、とリオは首を横に振った。
「いいの。あたし、ただどうしたら良いのか分からなくなって」
 ウィリアムは少し笑って、リオの隣を指差した。
「座っても?」
「いいよ」
 ウィリアムは上品な動きでリオの隣に座った。音も立たないくらい静かな動きだった。
「安心してください。必ず呪いの正体は突き止めます」
「なぜ? あなたのことじゃないのに」
「私のことでもあるんですよ。今は言えませんが」
 この人、秘密だらけじゃないの。その割には得体の知れなさを感じさせないところが、オーリエイトとの違いではあるが。

 ウィリアムはそれきり黙った。リオも何も言わず、ただ庭園を眺めていた。
 夜になると一層神秘的な庭だ。ぼんやりと霞んだ薄明かりが、幻想的な雰囲気を際立たせている。暗い中で、昼間の色とりどりの花たちはすっかり鮮やかさを失っていたが、その淡い色がまたこの上なく神秘的だった。芳香は東屋の側の月下美人から漂ってくる。昨日、屋敷内を探検したときに、リディアが月下美人は美容薬に使われるのだと教えてくれた。噴水の音はあくまでも優しくて、飛び散った飛沫《しぶき》が花や葉に乗っているとなおのこと美しい。
「……綺麗な庭だね」
 リオは思わず呟いた。
「ほんと、綺麗。いいな、こんなに広くて綺麗な庭を持ってて」
 ウィリアムはちらりとリオを見た。
「……広い、ですか」
「広いよ。こんな庭が欲しいなって、思ってた」
 ウィリアムは少し笑った。今までの優しい笑みと違い、嘲笑のようだった。
「広いですか。あなたにとってはそうなんですね」
 意味をはかりかねて、リオは困惑して視線を泳がせた。気に障ったのだろうか。
「広く見えるだけです」
 言ったウィリアムの表情に、もう笑みはなかった。
「広く見せかけて、狭いのを隠そうとしているだけです。実際はただの檻ですよ。あなた達には抜け出せても、私だけには抜け出せない」
 リオは驚いて口を開けた。どうしたんだ、急に。
「あの、ウィリアムさん?」
「ウィルでいいです」
 ウィリアムはぽつんと言った。
「せめて今だけは、皆さんに敬語を使われる身分だと言うことを、忘れさせてください」
 切実なものが含まれていて、リオは焦った。
「わかったよ、ウィル。どうしたの? 辛いの? 逃げたいの?」
 ウィリアムは顔を上げてリオを見つめた。いろいろな想いがよぎるその目は、聖者の証のオッド・アイ。ウィリアムは迷うように口をあけた。
「私はもとより、教会に入る気はなかったんです。ただ……」
 すべての感情を抑えようと努力したらしいが、その声は震えていた。ただ、といったあとはどうしても続けられなかったらしく、それきりウィルは黙ってしまった。リオはそれを見てますます驚いてウィリアムを見つめた。
 皆わけありだ。でも、この人が一番、たくさんのものを背負っている気がした。少しでも下ろしてあげないといけない。
「ただ?」
「いいえ、なんでもないんです」
「あなた、囚われの身なの?」
 今までの話からそう推測して、おずおずと聞くと、ウィルは少し目を見開いて、穴が開くほどリオを見つめた。見つめられたリオの頬が、自然と熱を持ち始める。
「あ、あの……?」
 声をかけると、ウィルは目を逸らした。
「すみません。変な話をして」
 ウィルはおもむろに立ち上がると、足早に立ち去ろうとした。リオは思わずその袖をつかんで引き止めた。
「ねえ、待って。聖者って聖なる者でしょ? 守られるべき存在のあなたが、どうしてそんなに悲しそうな目をするの?」
「……放してください」
「質問に答えて」
「放してください!」
 もうその声は、感情を抑えていなかった。ただがむしゃらに逃げるようなその抵抗が、あまりに痛々しい。なんだか手を離したとたんに、ひびが入って崩れてしまうのではないかと思うくらいだった。
 どうして、どうして、どうして。無限の理不尽が彼の中で軋《きし》みをあげている。リオには、どうしてだかそれを感じ取ることができた。リオは彼の袖をつかむ手に力を入れた。
「……話してよ、ウィル」
「…………」
「ウィル?」
「……これ以上は、巻き込めませんから。ひとつだけ教えてあげられるのは、教会には近づくなということだけです」
 リオは彼がようやく口を聞いた機会を、すかさずつかんだ。
「なぜ? 教会は人々を守るためのものでしょ?」
「……表向きは、です」
「それじゃ、あなたは、その裏の教会の犠牲者なのね」
 ウィルは何も言わなかった。手で触れられそうな程に、孤独と恐怖と哀しみを発している。リオは痛いほどにそれを感じた。故郷を失くし、愛するものを亡くした自分の痛みと共鳴するものを感じた。
「ねえ、ウィル」
「……はい」
「あなた、たくさん我慢してきたのね。たくさん諦めてきたのね」
「…………」
 ウィリアムは答えなかった。月下美人の香りが、鼻腔を心地好くくすぐっている。
「そのままだと壊れちゃうよ。ねえ、あたしでよければ、あなたにひびを入れてるもの、あたしにも分けて。あたしはもう部外者じゃないの。あなたのお世話にならなきゃいけない。あたしの呪いが解けたら、絶対にあなたの事もたくさん知って、あなたのことも解決する。だから、その気になったら何でも教えてよ」
 ウィルが震えた。聖者と崇められる青年は、大きすぎる闇を纏《まと》っている。ウィルは隠すように目をとじて顔をそむけたが、まぶたの間から涙が流れた。リオは彼の手を取る。
「泣かないで。あたしがいるから、あたしが傍にいてあげるから。ねえ、泣かないで」
 はい、とウィリアムは消えそうな声で呟いた。

 庭園は、やはり美しかった。




最終改訂 2005.11.09