花散リユク夜




手毬歌が聞こえる。

加茂の河原の土手近くだった。
夜に人がいるなど、異様なことだ。

声は桜の木の下から。
はらはらと零れ落ちる花びらは美しく、
対照的に辺りには異臭が漂っている。

子供が一人、毬をつきながら歌っていた。
女の子だ。
着ている着物を見ると、京の貴族の子だろうか。

「―――」

声は澄んでいて、手毬歌は望月夜に良く響いた。
また、風が吹いた。
桜吹雪が舞い乱れる。
はらはら、はらはらと、河原に転がる屍の上へ。骨の上へ。

「―――」

女の子は歌っている。
楽しそうに歌っている。

すぐ傍にも屍があった。
半ば腐りかけ、こびりついた肉片に虫がたかっている。
辺りには異臭が漂っていた。
桜の花びらが舞う、舞う。
ごろごろ転がっている、生き物の成れの果てを隠すように。

「―――」

それらに囲まれ、木の下で女の子は楽しそうに、
そしてどこか哀しげに歌っていた。
歌を聞いた傍の屍の眼窩から、涙が流れたように見えた。


夜は静かだった。




その時、音もなく現れた者がいた。
まだ十かそこらの少年。
歳に似合わず超然とした雰囲気があり、桜の木の下を見て目を細める。

「―――」

風が、少年の結った角髪を揺らした。
裾の広い狩衣がぱたぱたと翻る。

少年は木に向かって歩き出した。
足下の小枝がポキリと音を立てて折れた。

女の子がぴくりとして、歌うのをやめた。
少年は至極静かに姿を現した。
女の子は少年をしばし見つめると、
急に獰猛な目をして獣のような唸り声を立てた。

少年はぽつりと呟く。
「……鬼か」
「陰陽師か」
女の子が、似合わぬ野太い声で唸った。

二人の間に吹雪が舞う。
花びらが、翻る袖を打った。

少年は焦りもみせず、静かに尋ねる。
「……喰わないのか」
女の子はニヤリと笑い、尖った鬼の牙を見せた。
「お前はどうして欲しい?
まあ、どちらにしろあまり美味そうには見えぬがな」
また、先程の歌声からは想像のつかない野太い声で言う。
「そうか」
少年は言うと、素早く印を結んだ。
女の子の足下に五芒星が浮かぶ。
気が付いた女の子は甲高い悲鳴をあげた。
「結界……!」
少年は冷たい表情のままで言う。
「見習いだと思って見くびっていただろう」
「…………」
「残念ながら、わたしはもう鬼の斬り方まで習っている」
少年は提げていた刀を抜いた。鬼斬りの刀だ。

女の子は少年をぎらぎらとした目で睨んでいた。
が、突然その場に膝をついてぽろぽろと涙を零し始めた。
「あたし……あたし、親に、捨てられた。
父様(もうさま)の手で殺されたの」
震える声、か弱く儚げな幼い女の子がそこいた。
振り分け髪は黒々と美しく、頬を伝う涙は真珠の一粒のようだ。
「恨めしいの。憎らしいの。
あの人達を殺して。あたしは鬼だけれど、小さくて力はないの。
あの人達を殺して。
そうすればあたしは成仏できる―――あの人達を殺して、
あたしは一夜の夢だったと思って」
涙を零しながら、女の子は哀願する。

二人の間に桜吹雪が舞った。
桜の枝がざわめく。

少年は鬼斬りの刀を手に持ったまま思案していた。
刀身は望月の光を弾いて、青白くきらめいている。

「……両親の名は?」

女の子は目を輝かせ、六条筋に住む下級貴族の名を挙げた。
「やって、くれるの?」
見上げてくる視線を少年は見下ろす。
「……お前の、名は?」
女の子はすぐに答えた。

「虚夢(こゆめ)」

少年は微笑んだ。
初めて笑んだ。
超然としていて、冷酷で、そして哀れむような笑みだった。
「虚ろなる夢、か。よかろう、お前のことは一夜の夢だったと思おう」

微笑もうとした虚夢は、
少年が刀を振りかざしたのを見て表情が固まった。

薄紅色の花びらに、赤の飛沫がどっぷりとかかる。
毬が赤いものの中を転がって、
美しく刺繍された模様が染まっていった。


女の子は倒れていた。
着物は赤く染まり、髪も血溜まりの中だった。
虫のような息の下、
鬼の女の子は陰陽師の少年を、虚ろな目で見上げる。

五芒星は薄れて消え、少年は刀の血を払って鞘に収めていた。

「鬼はそう簡単に、人には戻れない」

少年は囁くように言った。
「六条の両親のことは考えておこう。だがお前を野放しにはできない」
女の子は黙って、微笑んだ。

桜吹雪が散り乱れ、女の子の上に降り積もる。
辺りには異臭がしていた。

少年は河原をざっと眺め、堆い屍の山に目を細めた。
腐敗臭が鼻をつく。

そして、場違いなほど、桜は美しく散っていく。
はらはら、はらはら。

少年は踵を返してその場を離れた。
木立ちの闇が少年を包む。

ふと、歌声がした。
手毬歌が、桜の木の下から聞こえていた。

風に吹雪く桜に埋もれながら、
倒れたままの女の子はか細い声で歌っていた。
楽しそうに、そしてどこか哀しげに。

手毬歌は、望月夜に優しく響き渡る。
ざわざわと風が夜を渡る。

桜吹雪が舞っていた。
はらはら、はらはら。

手毬歌が聞こえる。

そしてそれは小さくなっていき、やがて何も聞こえなくなった。




――― 月だけが、散りゆく桜を照らしていた――― 。





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