EVER...
chapter:1-story:2
故郷をなくした者
 

 



 話によると、彼女達は旅の途中らしかった。旅費が足りなくなったので、オーリエイトが数日ここで踊り子をして稼いでいるらしい。

 二人ともリオの事情を知りたそうだったが、リオは何も言わなかった。教えられるほど信用していないし、気持ちの整理もついていないし、余裕もない。
 しかし、この旅のご一行、二十歳にも届かない女の子二人と小さな男の子。……なんつー変な一行だろう。危なくないのだろうか?

 買い出しに行くと言ってリディアとノアは出かけて、オーリエイトもまた仕事に行き、リオは一人で部屋にいた。気がつくとお守りを握ってしまうのは、やはり不安だからだろう。一緒にいた時間は少しだったが、瞳の色が同じなのと、ノアがいつもリディアにくっついていることで、二人は姉弟なのだろうなと分かった。

 食事をする時間以外は部屋から出ようともせず、警戒心丸出しでちっともオーリエイトたちに関わろうとしないリオを、リディアは心配そうに、オーリエイトは無関心そうに見ていた。しかし、ついに翌日の夕方になって、オーリエイトがリオに言った。
「部屋に閉じこもってて退屈じゃないの? リディアとノアと一緒に外へ行ってきたら?」
 リオが断る前に、リディアがリオの手を取っていた。
「ね、一緒に行きましょう? 夕日が綺麗に見える所を見つけたの。丁度良い時間だし、ね?」
……ね、とまで言われれば断る手段もないだろうに。リオは付いていくことになってしまった。

 リディアはいつも、おっとり、フワリと笑う。清楚で端整な白い服を着ているせいで、尚のこと天使のようで、そしておとなしく控え目なので、どうしても儚なげな印象があった。そのリディアが、息を弾ませて坂を登っている。どこにそんな体力を隠していたのかと不思議になった。しかも、時折ノアに手を貸してもいる。
 ノアはというと、息は切らしていたが、相変わらず声は出さなかった。丘の頂上まで来て、ようやく息をつくと、丁度太陽が地平線の向こうに落ちかけているところだった。

 赤い光に包まれて、遠くの森も、町も、まるで燃えているよう。街にはぽつぽつと灯が点り始めていた。その灯と、家々のガラスに反射する陽光がとても美しい。我が家への帰り道を急ぐ人々の表情には、安堵が溢れていた。全てが静かに賑やかに美しかった。
「綺麗でしょう?」
 リディアぽつんと言う。リオは反射的に頷いた。

 森の向こうに海が見えないことに、いささか心細いものを感じた。故郷の夕日は、もっと美しかった気がする。大陸の東端の故郷を離れて、幾日が過ぎたのだろう。気がつくと、リディアが自分をじっと見つめていた。零れそうになっていた涙を大急ぎで拭き取って、リオはなんでもない風を装ったが、遅すぎることが分かった。
「……あなたが見ていたの、ふるさと?」
 聞かれて、リオは俯く。
「とても、愛していたのね」
 リオは、また答えなかった。
「私とノアもね、故郷を追われた身なのよ」
 リオは顔をあげて、リディアをみつめた。彼女は微笑んでいた。悲しそうなその微笑みが、今までより一層儚い。
「私たちね、両親を亡くして、兄と一緒に、今住んでいる所に引き取られたの」
 兄がいたのか、とリオは少し驚いた。やはり二人と同じ目の色をしているのだろうか、と思う。
「お母さんはいるはずなんだけど、私たちを迎えに来られないの。今はオーリィと一緒に暮らしてるわ。お兄ちゃんは仕事にいってるから。もう一度でいい、故郷を見てみたいわ」
 リディアの話を聞いて、リオは思わず言った。
「あたしの故郷は滅んだの」
 リディアが口を噤んで、まじまじとリオを見つめた。
「滅んだの。もう一度見たくても、存在すらしてないんだよ」
 リディアは慌てた。
「ごめんなさい。何も知らないのに、喋り過ぎだわ、私」
 リオは首を横に振った。
「あたし、行くあてなんか無い。ただ、ずっと大陸の真ん中を目指してた」
「そうなの……」
 リオは呟く。
「それと、あたしといない方が良いと思うよ」
 え、とリディアは声を漏らす。
「あたし、疫病神だから」
 沈黙が降りた。
 すると、それまで存在しないかのように振る舞っていたノアが、リディアを離れてリオにしがみついた。少なくとも、ノアがリディアから離れたのを、リオは初めて見た。ぎゅう、とリオの胸に抱き付いて、しばらくそうした後、不意に顔を上げて、リオの目を覗き込む。ノアの目は、本当に真っ直ぐで綺麗だった。リオは突然のことに驚いて、ただ、されるがままになった。
 リディアが言う。
「その子はね、人を見分ける能力があるの」
 何を言い出すのかと、リオはリディアを見つめた。
「何があったのかは知らないけど、あなたは悪くないわ。ノアがそうやって甘えるのは、良い人だけだから」
 リオは言葉を無くして、今やリオの手をしっかりと握っている少年に目を向けた。何があったのかを聞いてこなかったのはリディアが初めてだ。そういえばオーリエイトも聞いてこなかった。ただ、静かに見守っていた。
「何も、聞かないんだね」
 ぽつんと言うと、リディアは不思議そうに首を傾げる。
「だって、聞かれたくないんでしょう?」
 リオは頷いた。
「だったら聞かないわ」
 言って、リディアは笑った。警戒心が解けていくのが分かった。
「あたしのこと、得体が知れないと思わないの?」
「思うわよ」
 真っ直ぐに正直な言葉に、リオの心が動く。
「でも、辛いことがあったんだなって、それは分かるから」
 リオはリディアに振り向いた。
「そんなに辛そう?」
 くすり、とリディアが笑った。
「リオって、結構感情が顔に出るタイプでしょ」
 初めて、リディアがリオの名を呼んだ。名前を呼ばれるのでさえ久しぶりで、長いこと聞かなかった響きに、リオの肩が震えた。と同時に、頬が赤く染まる。夕日がその色を隠してくれることを祈ったが、リディアは気付いているだろうと思った。
 ……この人達は、信じて良いのかもしれない。

「そういえば、あなたと、オーリエイトの関係は?」
 自分のことは何も話さないくせに、他人には聞くのか、と咎められるかと思ったが、リディアはそんなことも無く、あっさり答えた。
「友達かしら。ううん、家族ね。オーリィって冷たそうに見えるけど、すごく優しいのよ。とてもしっかりしてて、頼り甲斐があるし」
 熱心に話す様子に、リオは思わず笑った。強張った笑い方になったが、それでも自然に漏れた笑みだった。

「あなたって、警戒心のかけらもないみたい」
 言うと、リディアは溜め息をついて頬を押さえた。
「そうらしいのよね。よくオーリィに叱られるわ」

 そして、彼女はリオを見つめ、笑った。リオも笑い返した。うむ、さっきよりはだいぶマシな笑い方だ。



 ねえ、神様。
 今ならきっと引き返せるから。
 だから、もうすこしだけ

 ――この温もりに、触れていてもいいでしょう?


 夕日は、もう地平線の向こうに消えようとしていた。





最終改訂 2005.10.05