翌日はさらに、森の奥深くまで入っていった。こんな山奥に、本当に人が住んでいるのだろうか。ウィリアムとやらは本当に安全な人物なんだろうか。一緒に来ると決めて、本当に正解だったのだろうか。
歩き続けて疑問は膨らむ一方で、ついに道が消えた時には不安は頂点に達した。しかし、先導役のオーリエイトはよどみない足取りで進み続ける。
前日からの疲労が溜まり、ずっと元気だったライリスとアーウィンにまで疲れが見え始めた頃になって、ようやくオーリエイトは遠くを指差した。
「あそこよ」
うわ、とアーウィンが声を漏らした。緑に覆われた大きな屋敷だった。柵で囲いがしてあって、入口から館の玄関まではレンガ畳が敷かれている。その小道の脇には、花がありとあらゆる彩りを添えていた。
遠目にも、派手に飾らないとはいえ豪華であることは分かった。
「似合わないなー、こんな山奥に……」
ライリスが呆れたような声を出す。
「なんだか、少し教会の造りと似てるね」
リオが呟くと、オーリエイトとリディアがちらっとリオの方を見た。やはり、この二人は「教会」の言葉に反応する。
足場の悪い道を歩いてやっと門についたら、門は閉まっていた。
「鍵の呪文がかけてあるわね」
オーリエイトが少し門を調べ、そう言った。
「ええっ、じゃあどうやって入るつもりなんだよ!」
アーウィンが叫んだとき、柔らかい声がした。
「ご心配は要りませんよ」
一人の青年が、門に向かって歩いてきていた。彼が手を一振りすると、門はガチャンと音を立てて開いた。
青年は顔を挙げて微笑んだ。漆黒の髪を無造作に束ねて、眼鏡をかけている。年は二十歳にはまだ届かないだろう。十八、九辺りだろうか。優しそうな笑顔は、人に光を届けるような印象がある。そして、皆は一様に、その瞳を見て息を呑んだ。
「お久しぶりです、オーリエイト。ゴーレムが知らせてくれましたよ」
青年は言った。
「しかし、今回はまた大人数ですね」
「二人は護衛よ」
オーリエイトが答えた。
「そうですか。あなたがリディアさんですね。こちらが例の弟さんですか?」
「は、はい」
リディアが緊張気味に答えた。初対面らしい。
「兄がお世話になってます」
リディアは言ってぺこりと頭を下げた。
「いいえ、私のほうこそ」
青年は丁寧に答える。そして、全員を見渡した。
「オーリエイト以外の皆さんとは初対面と言うことでしょうか」
皆の視線は彼の瞳に釘付けになる。その目は、あまりに奇異すぎた。左目が深い水底の青色、右目は太陽の金色。
神聖視されているオッド・アイ、だった。
彼は笑った。フワリと微笑む笑い方は優しい。
「はじめまして。ウィリアム・チェスターと申します」
落ち着かない。ものすごく落ち着かない。こんなリッチなところ、庶民のあたしには似合わない。リオはそわそわと部屋の中を歩き回った。みんなで必死に「一つの部屋で雑魚寝しますから!」と言ったのに、ウィリアムはそれではお客様に失礼ですから、と迎賓部屋を一人に一部屋ずつ割り当てたのだ。アーウィンなどはわーいわーいと言いながら、ふかふかのベッドの上で飛び跳ねていたが、豪華なものに慣れてない自分には、なんだか窮屈に思えた。
その時、誰かが戸を叩いた。
「リオ?」
リディアの声がして戸が開く。
「こっちに来てもいい? ノアと二人きりであんな豪華な部屋にいると、私落ち着かなくて」
リオは苦笑した。
「あたしも。入って」
リディアはほっとしたように笑って入ってきた。その後にノアが続き、リディアが戸を閉めている間にリオに抱き付いていた。きゅう、と抱き締めてくるのが可愛くて、思わず頭を撫でてしまう。
「いいなあ、兄弟がいて」
リオが言うと、リディアはふふ、と笑った。
「そういえばオーリエイトは?」
「ウィルの所。聞きたいことがたくさんあるみたい」
リオは首を傾げた。
「ウィリアムさんって、何をしてる人なの? こんな所に住んでるし、リディアのお兄さんの上司みたいに言ってたし、悪い人ではなさそうだけど悪魔に様付けで呼ばれてたし、偉い人みたいだけどあんなに謙虚だし」
リディアは少し笑った。
「ウィルが謙虚なのは性格よ」
「そうなんだ」
「リオは教会で育ったんだから、あのオッド・アイでウィルが誰だかは分かるでしょ?」
リオは首を傾げた。
「ええと……」
記憶を手繰る。オッド・アイ、オッド・アイ……。
「あ」
リオは息を呑んだ。
「まさか……聖者?」
リディアは頷いた。聖者と言えば、この国で絶大な権力を誇る教会で、トップに立つ人物のはずだ。他の者より遥かに強力な魔力の持ち主で、その魔力のせいで変異が起こり、聖者はオッド・アイになるのだ。リオは仰天した。
「だって、聖者ってめったに人前に姿を現さないんでしょ? それに、なんでこんな山奥に……」
「ここは聖者の、そうね、別荘とでも言えばいいのかしら。外に出ることが許されない聖者のために作られた、心の避難場所よ」
リオは絶句した。
「あ、あたしっ……聖者に会えるようなご身分じゃないわ!」
「あら、私だってそうよ。オーリィだって。皆本来なら門に近付いただけで文字通り即門前払いの人達ばかりよ」
「じゃ、なんであたしたちこにいるの!?」
「オーリィが連れてきたからでしょ?」
ああダメだ、とリオは頭を抱えた。ずっとオーリエイトと一緒にいたから、ついにオーリエイトの言葉省き癖がリディアにも移ったのだろうか。
「だから、そのオーリエイトはなんでそんなお偉いさんと知り合いなの?」
ああ、とリディアはようやく納得した顔をした。ダメだ、本当にオーリエイトの癖が移ってる。
「私がオーリィと知り合う前から二人は知り合いだったの。そもそも今オーリィと一緒に暮らしてるのだって、お兄ちゃんづてにウィルが紹介してくれたからなのよ」
「そういえば、あなたのお兄さんて、ウィリアムさんの部下みたいなものなのよね? 教会の人?」
リディアは頷いた。
「そういうことになると思うわ」
「オーリエイトは何のお仕事をしてるの? オーリエイトとも仕事での知り合い?」
聞くと、リディアは首を傾げた。
「よく、わからない。オーリィはいつも踊り子とか歌を歌って稼いでるわ。教会の人じゃないと思う。ウィルとどうやって知り合ったのかは知らないわ。初めから御互い何か暗黙の了解みたいなのがあって、御互い干渉しないけど信頼しあってる……そんな感じ」
「……じゃあ、リディアは何も知らないの?」
リディアは微笑んだ。
「知らなくて、いいと思うの。オーリィってたくさん秘密を抱えてるみたいだから……。いつも、たくさん情報を集めてる。悪魔たちに関する情報、それにウィルやお兄ちゃんたちの情報……。何か大きなことをやろうとしてるのは分かるけど、私が事情を聞いたところで何の力にもなれないし。オーリィが話したくないなら、いいと思うの。私、本当に心底オーリィを信じてるから」
リオは何も言えなかった。
「あたしは、知りたいと思うけどな……」
リオは呟く。
「オーリエイトを見てるとね、何でも一人で抱えてるように見えるの。いつも自分一人で納得した顔をしてる……」
「それって、私たちを寄せ付けたくないってこと?」
リディアは疑い深げに聞いた。リオは首を横に振る。
「あたしたちを寄せ付けたくないと言うより……必死に守ろうとし過ぎてる感じ」
リディアは目を丸くした。
「一人でずんずん進んでいって、そのまま消えてしまいそうな感じだよ」
リオはぽつりと言った。リディアは言葉をなくして、じっとリオの顔を見つめていた。
ライリスは、庭で散策していた。アーウィンなら一人でも楽しんでいるだろうから、何も心配せずに出てきた。
「……よく造られた庭だね」
咲き誇る花は、それぞれ数株ずつが同じ種類で、どれもこれもみな薬草だったり魔法薬の材料になるものだった。おまけに、館の裏には、小さなものとは言え神殿すらある。ここまできても、自分が聖者であることを、聖者に忘れさせないために作ったように見えてならない。
「難儀だなぁ……聖者さんも」
呟いてしゃがむと、本人から返事が来た。
「それはどうもありがとうございます」
ライリスは振り返りもせず、ただくすくすと笑った。
「じきじきのお出ましですか、ウィリアム・チェスターさん」
「…………」
返事はないが、いつもの微笑が彼の顔から消えているのがライリスには分かった。
「どういうおつもりですか」
困惑と、不満の入り混じった声。
「気まぐれですよ、ぼくのいつもの」
「『ぼく』、ですか……」
困惑気味に言うウィリアムに、ライリスは苦笑した。
「構わないじゃないですか。女と知れないほうが、彼らにも都合がいいはずです」
「いつあなたを知っている人に出会わないとも限りません」
「そういう時は演技で乗り切ります。ポーカーフェイスは得意ですから」
ウィリアムはため息をついた。
「また、家を出てきたんですね」
ライリスはひとつ息をついて、空を見上げた。
「どうせ、あそこにぼくを気にする輩はいませんから」
「……レアフィリスさま!」
愛称ではなく本名を呼ばれ、ライリスは笑みを顔から消した。
「その名で呼ぶな」
冷たく凍るようなその声に、ウィリアムは一瞬固まった。
「ご自分の名がお嫌いですか」
「嫌いですよ。その名はぼくを縛る鎖でしかない」
「ライリス、というのだって愛称でしかないではないですか」
「かまわない。少なくとも、本名をくだいたというところが気に入っていますから」
背後の気配で、ウィリアムの顔が苦渋に満ちるのを感じた。
「……あなたは、逃げているだけです」
「それでも構いませんよ。あなたと違って、逃げられるだけましです」
ウィリアムの顔が歪んだ。
「みせつけですか」
「お好きなように」
さらりと返されて、ウィリアムはうつむいた。
「あなたには敵いません。私だって、正直逃げたいです」
呟いた声には、切実な響きがあった。
「あがいているのは私も同じなのに。天才のあなたがうらやましいです」
「……天才?」
「どんなことでも、一度やれば、こなせるようになると聞いています」
ライリスは歪んだ笑みを漏らした。目の前の花は、愛らしいピンク色。清楚で透明感のある、小さく可憐な花だが、ライリスはこの花の根が強力な眠り薬になることを知っていた。
どんなものにだって、必ず裏がある。
「もしそうなら、ぜひとも鎖を完全に断ち切る方法を知りたいね」
ウィリアムは返事をしなかった。
「聖者さん。以後ぼくを呼ぶときはライリスと。家でもないのに、本名で呼ばれるのは我慢がなりません。ぼくは今、レアフィリスではないんです」
レアフィリス、と言った彼女の頬が、その時だけ強張った。
「……今は、ライリス・ヘイヴンですから」
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