神々、自らの力を光、闇と四大元素、
すなわち火、水、風、地に分かちて六人の人間に封じ、
もって守護者となす。
かくして魔源郷を守らせしむ。
「創世記」第一巻より
夕焼けでもないのに、世界が赤い。夏でもないのに、汗が吹き出すほど暑い。
「お前のせいだ」
「おまえのせいで、街は焼かれたんだ」
灰色の瞳は、目に吹き付けられる前髪を通して赤い炎の色に染まっていた。
――知ってる。
「お前のせいだ、何もかも」
知ってる、と頭の中で答えた。そんなこと、知ってる。
「お前なんか」
――呪われてしまえ、異端の子。
呪う言葉は闇となって、燻りながら自分の中に沈んだ。ぐつぐつと歪んで、ピキ、とひびが入る。ただただ呪いを受け入れて、踵を返して森に入った。
暗闇がこんなに心地好く、そしてたまらなく悲しい。――もう、あたしは温もりには触れられない。触れたそばから、シャボン玉のようにぱちんと壊れていくから。
雨が頬を打った。
もう動く気力もなくて、銀色の髪が雨で頬に張り付くのも気にならなかった。仰向けに倒れ、灰色の空を見上げていた。土と草の香りが、ひどく胸に染みた。
――死にたい。けど、生きたい。
神の創ったという世界は、こんなにも矛盾しているのだ。
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「まあ」
誰かの声がした。
「ねえ、大丈夫? 意識はある?」
リオは夢うつつに頷いた。
「生きてる……! ねえ、オーリィ! お願い、来て!」
ぱたぱた、と足音がする。話し声がして、リオの体を揺さぶった。
「大丈夫?」
さっきとは、別の声。リオはもう一度頷いた。
「……た……けて」
呟いた声は、果たして音になったかどうか。それきり、リオの意識は絶えた――。
目を開けた。意識はしなかった。ただ、自分が目を開けられることに気付いた。見覚えのない天井が、視界を占めていた。
「…………」
リオは数回瞬いて、むくりと起き上がった。力がうまく入らないので、自分がひどく衰弱しているのが分かる。
助かったんだ。リオはぼんやりと思った。そっか。助かったんだ。まあ、いいや、と思った。助かったなら助かったで、その命を大切にしてあげよう。
と、隣に小さな男の子がいた。きょとんとした顔で、リオを見つめている。くるくるした黄土色の巻き毛に、青い目をしていた。不思議な青だった。青紫から青、青緑へとグラデーションのようになっている。まだ7、8歳ぐらいのその少年は、透けるように白い肌をしていて、くりくりした目で、抱き締めたくなるほどにこの上なく可愛らしかった。
天使みたい、と、天使の容姿など知らないのに思った。
「あ……えっと……」
じっと見つめてくる男の子に、リオはどうしたらいいか分からなくなった。彼は一言も喋らない。
「……あなたが、あたしを助けてくれたの?」
すると、少年はふるふると首を横に振って、
ぱっと部屋から駆け出していってしまった。
「あ……」
どうしようもなくて、リオは溜め息をつき、ベッドから降りた。
自分の荷物が部屋に一つだけある机の上に置いてあって、リオは自分が倒れたことを思い出した。途端にギクリとする。――まさが、ここ、敵方のところじゃないよね?
あわてて窓辺に駆け寄って、外を確認した。何の変哲もない、小さな町のようだ。高さからしてここは二階らしい。夕暮れ時で、人の姿はまばらで、それ以上でもそれ以下でもない。
ほっと胸をなでおろす。どう考えても、狙った相手を閉じ込めておくには不適切な場所だ。
リオは安心して、机の上の、自分の荷物を確認した。全部揃ってる。そのことに更に安心して、リオは、母の形見であるお守りを首から提げ、部屋を出た。
階段を下りると、すぐに喧騒が聞こえてきた。バイオリンと笛の音、それに男達の笑い声。足を踏み鳴らし、音楽に合わせて机を叩く音。階段を降りてみると、そこは酒屋だった。
ほとんどの席が埋まっていて、大した賑わいだった。リオは男達の視線の先を見た。カウンターの横の壇上で、少女が踊っている。リオより年上で、17ぐらいの少女で、胸の下あたりまである、くるくるした真紅の髪が、彼女の着ている漆黒のドレスによく映えた。リズムに合わせて軽やかにステップを踏む一方で、顔は無表情なのが印象に残った。
その時、誰かがリオの肩をぽんと叩いた。思わず敏感に反応して、リオは勢いよく身を引いた。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまって」
すこし驚いたように言ったのは、リオと同じ年頃、十四か十五ぐらいの少女だった。真っ黒い髪は腰にも届くほど長く、彼女はおっとりと微笑んだ。その腕に、さっきの男の子がしがみついている。少女も男の子と同じく、透けるように白い肌と、グラデーション色の瞳を有していた。
「あ、すみません。あの、あなたがあたしを助けてくれたの?」
リオが聞くと、少女ははにかんだように笑う。
「何もしてあげられなくて、ごめんなさいね」
肯定の言葉だった。
「オーリィの仕事が終わるのは、もうちょっと経ってからなの。それまで上で待ちましょう?」
オーリィ、とリオは反芻した。意識を失う間際、誰かがその名を口にしていた気がする。リオの反応がないのを見て、少女はもう一度言う。
「ね、とにかく、二階に行きましょ? こんなにうるさくっちや、病み上がりの体に障るわ」
少女はそう言うと、リオの手を引いて階段を上がった。
もとの部屋に戻って、リオはベッドに腰掛けた。
「荷物は平気? 欠けた物はない?」
「……大丈夫です」
何故こんなに親切にしてくれるのだろう、と少し不思議に思った。猫ババしたければ、するチャンスは幾らでもあったのに。
「痛いところはない?」
「あの、いえ……」
「無理はしないで。私たち、明日には発つ予定なの。ここに残るなら、治せる傷を今のうちに治したほうがいいわ」
心配そうに聞いてくるので、リオは少し警戒を解いて、傷口を見せた。すると、少女は素早く自分の手のひらを当てる。傷口がぽうっと光って、次の瞬間にはかさぶたができていた。
リオは驚いて目を見開く。少女の目の色を見てまさかとは思ったが、やはりそうなのだと思った。
「あの、魔法使いなの?」
聞くと、少女は首を傾げる。
「ちょっと違うけど……そう思っていいと思うわ。やっぱり、すぐ分かってしまうわね」
「不思議な目の色をしているから……」
魔力を有するものは、そのほとんどが、目や髪の毛が異色に変じる。魔力を持っていても普通の色になることがあるが、その逆はないのだ。
その時、部屋の扉が開いた。先程下で踊っていた踊り子だ。
「オーリィ!」
少女が彼女に呼び掛ける。
「リディア、あまりむやみに力を使わないでって言ったでしょう」
「だってオーリィ、怪我してたのよ」
怪我を治してくれた少女はリディアという名らしい。オーリィと呼ばれた少女はリオを見つめた。金色の瞳がキラリと光る。この子も魔法使いね、とリオは思った。十七か十八ぐらいに見えたが、年に見合わず、冷静で静かな瞳だった。
「気がついたのね」
「あ、はい。……助けてくれて、ありがとう」
オーリィはわずかに頷いた。
「私はオーリエイト・カーマイン。あなたは?」
「リオです」
オーリィというのは愛称か、とリオは考えた。
「リオ……? 異国風ね」
「大陸の東の果てから来たので」
オーリエイトはそれを聞いて納得したようだった。
「あの」
「何?」
リオはためらいがちに、相変わらず一言も喋らず、じっとしている男の子を見た。
「この子の、名前は?」
ああ、とリディアが笑う。
「ノアよ」
その笑顔は温かくて、リオの心は疼いた。
こんな温かいものに、あたしが触れちゃいけない――。
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