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庭園を散歩するのは、既にリオの習慣だった。
特に怯えなければいけない相手もなく、皆それぞれにやりたいことがあるらしいので相手をしてくれる人もなく、やることがない時はここに来るに限る。
花を眺めているだけで、時間は勝手に進んでくれるのでありがたい。
「リオ」
声がかかって振り返ると、ライリスだった。
相変わらず我を忘れて見つめてしまいたくなるような笑顔を綺麗な顔中に広げて、ひらひらと手を振っている。
ここしばらくまともに話をしていなかった気がして、リオは彼女に微笑みかけた。
「ライリス」
「君、花が好きなの?」
「嫌いな人なんていないでしょう」
まあね、とライリスは笑った。
「あ、クレニアが咲いてる。珍しいな、こんな山の中で。
さすがは聖者の庭ってところかな」
クレニアがどういう花かは知らなかったが、彼女の口調は愛しげだった。
「ライリスってもしかして、花に詳しい?」
「ん?そうだね、詳しいほうだろうね」
少し皮肉な笑みが、ライリスの横顔に一瞬ちらついた。
「薬草の勉強は随分したから。させられた、って言うほうが正しいけど」
「・・・もしかして、ライリスって家出中?」
リオがぽつんと聞くと、ライリスはじっとリオを見つめた。
思わず顔がほてる。
「だってどう見ても良い家の御令息・・・じゃなかった、令嬢だもの」
令息という言葉が令嬢以上に似合う令嬢も珍しいが。
ライリスはくすくすと笑って首を振った。
「ここまでとは思わなかったよ、リオ。まあ、当たりと言っておこうか」
「貴族?」
「そんなところ」
うまくはぐらかしている。
ふと急に、彼女を天才と評したアーウィンの言葉が蘇った。
うかつに探りを入れると逆に揚げ足を取られそうだ。ここは切り込もう。
「それなら、守護者って何かも知ってる?」
「まあね」
明瞭であっさりした答えに、リオは面食らった。
「・・・えぇと、アーウィンがそれらしいのよ」
「うん、聞いたよ。まあ、薄々感づいてたし」
食らいついていけないことが分かって、リオは諦めた。
「君はどうして」
ライリスが言った、
「ぼくに探りを入れようとしてるの?単なる好奇心のふりをして」
さすがにぎくりとしてリオはライリスを凝視した。
何食わぬ顔で、彼女は丈の高い赤い花を、観察するようにいじくっている。
「・・・他のみんなは引っ掛かってくれたのに」
「甘い」
言って、くすり、とライリスは軽やかな笑いを漏らした。
「大方、自分の呪いとお母さんの死因が、オーリエイトのやろうとしてることやウィリアムに繋がってると思ってるんだろう?」
リオは開いた口がふさがらなかった。
「良い推理だよ。ぼくもそう思うし」
「ライリスには負けたよ」
リオは溜め息をついた。
「どうも。君は一人で何でも背負ってしまうタイプなんだろうね。
でも、無茶すぎるよ。教会の力の強さは計り知れない」
「王家よりも?」
ライリスは一瞬表情を揺らした。
「場合によっては」
リオは沈黙した。
自分のいた教会には、権力のけの字も感じられなかったのに。
「とにかく、ぼくに探りを入れるのは的外れだよ。
何も出て来やしないよ。ぼく自身のこと以外は」
「・・・じゃ、ライリスもとりあえずは部外者?」
「部内者の線を跨いだ自覚はない」
そう、とリオは言って顔を伏せた。
何だか気落ちしてしまった。
あまりに彼女が非凡に見えたから、何か知ってると思っていたのに。
「聞くなら、全部知ってそうな人にしなよ。
ほら、ウィリアムさんがだめならオーリエイトとか」
自分で言って、ライリスは口をつぐみ、眉をひそめて首を傾げた。
その動作がまた一部の隙もなく洗練されている。
「あの子、不思議な子だよね。同い年には見えないよ」
「・・・ライリスはいくつ?」
「16。オーリエイトも16だって言ってた」
あたしより3つ上ね、とリオは思った。
「そうだね。世話もよくしてくれるし、お母さんみたい」
ぷ、とライリスが笑った。
「お母さん、ねぇ・・・まあ、確かにあの世間離れした冷静さは、
なんだか突出して見えるだろうけど」
確かに、年齢に似合わぬほど冷静で、世間慣れしていて。
それに、年齢に似合わぬ魔法技術の高さ。
いくら魔力が強くても、杖を扱えるほどになるには、20年はかかると言われている、とライリスは教えてくれた。
「ところで、君は本当に魔力がないの?」
唐突に問われて、リオは目を瞬いた。
「ええ・・・うん」
ライリスは首を傾げた。
「じゃあ、君の呪いはよっぽど特殊なんだね」
ライリスもどうやら、リオの呪いに興味があるらしかった。
「ライリスは何か分かる?この呪い」
ライリスは肩をすくめる。
「何も」
天才でも掴めないほどの事情とはなんなのだろう。
部屋に戻る途中、リオはみかけない人物に出会った。
白が目に眩しい回廊を、庭を眺めながら帰りかけていたリオは、
ライトブラウンの髪をした少年がオーリエイトと話しているのを見つけた。
「本当にそれだけなの?」
オーリエイトが聞いている。
いつもより格段に刺のある声だった。
「本当だってば。つれないなぁ、もう。
予期せぬところ出会えたんだから、もう少し喜んでくれてもいいのに」
「あなたが何かで動くと、必ず企みがあるような気がしてならない」
少年はくすくすと笑った。
「ひどいよ、オーリエイト。
クローゼラのおつかいだってば。ウィル以外には用はないよ」
「・・・今回のこと、報告するの?」
「したら、君が困るんだろう?」
オーリエイトは黙った。
遠目にも、睨んでいることが分かる。
「だったら、僕に選択肢はない」
少年が笑ったのを感じた。
朗々とした声で、落ち着いた口調はどこか得体の知れないものを感じる。
「そんなに力まないでくれよ。他の客には顔を見せない。
君だけに会いたかったんだから」
オーリエイトはふい、と顔をそらした。
「それとね」
オーリエイトが顔を上げた。
少年は素早く、その唇にキスをした。
こっそり見ていたリオはそのまま固まって動けなくなり、
オーリエイトも顔を真っ赤にして、小さな声で怒鳴った。
「わざと狙っていたわね」
「まあね。ごちそうさま」
にっこり笑った少年は、全く悪びれずに言った。
「ところで、今ウィルはどこ?」
「神殿」
オーリエイトは吐き捨てると、足早に立ち去った。
残された少年は、笑みを頬に残したまま振り返り、
顔だけ出して覗いていたリオに気付いた。
少年は目を瞬いた。
「こらこら、鼠の真似はやめなさい」
至極落ち着いた様子で言い、苦笑しながらリオのそばに歩いてきた。
怒っているふうはないので、リオは逃げもせずに彼を迎えた。
彼はまだ笑っていた。
その瞳が淡い紫色をしているのに気付いた。
また、魔法使いということになる。
「さっき見たことも、僕を見て話しをしたことも、他の人には内緒だからね」
’カッコいい’より’綺麗’の形容が似合う少年は、リオにそう囁いた。
リオは少し後退って相手を見上げる。
「どうして?」
「あまり表沙汰にはしたくない用事で来たからだよ。
それとも、口止め料が欲しい?」
にっと笑った笑顔は、油断ならなかった。
首を傾けた拍子に揺れた彼のライトブラウンの髪は、
陽光をはじいて金の色を見せる。
少し目を瞬いて、リオは口を開いた。
「・・・そうだね、クローゼラって誰なのかを教えてくれれば」
答えた少女を、少年はじっと見つめた。
すっと目を細めて、リオを検分するように。
「只者じゃないね、君。だれ?」
「あなたこそ」
リオはひるまずに聞き返した。
少年は面白そうに笑う。
「へえ・・・やっぱり只者じゃないね。オーリエイトの知り合い?」
オーリエイトの名が出て先程の頬へのキスを思い出し、
リオは少し怯んでしまった。
「ええ・・・そう。そうだよ。あなたはオーリエイトの何なの?」
「それを気にしてどうするの?」
リオは少しムッとした。
「気にするよ!だって、あたしの大事な人・・・命の恩人だもん」
いつも無愛想で、でも、心配してくれてることも、
優しくしてくれてることも感じていた。
少年は命の恩人と聞いて、何かピンときたらしかった。
「ああ、じゃあ君がウィルの言ってた不思議な女の子か」
何を話したの、ウィル。
「そんなに警戒しなくてもいいってば。僕はウィルと仕事で一緒なんだ」
それを聞いて、リオは直感した。
「あなた、ガーディアン?」
少年は初めて驚いた顔をした。
「誰に聞いた?」
急に表情を険しくして詰め寄ってきた。
驚いて下がったリオは、壁に退路を塞がれて壁に張り付く。
「オ、オーリエイトに・・・正確にはウィルとオーリエイトに」
少年はしばらくリオを見つめていたが、やがてリオから離れた。
「・・・なら、信用するよ。とにかく、ここでのことは誰にも内緒だからね」
「あたし、そんな約束した覚えない」
リオか噛み付くと、
少年はオーリエイトにした時と変わらぬ素早さでリオの額に口付けをした。
仰天して声も出ないリオに、彼は不敵な笑みを向ける。
「約束の印。祝福というより呪いだと思って受け取って」
笑って人差し指を唇に当てて。
キザに見えないのは見事としか言い様がない。
「秘密は守るんだよ」
リオは慌ててごしごしと額を拭いた。
なす術もなく呆然と彼の後ろ姿を見送る。
名前すら聞かなかったことに、後々になって気がついた。
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