リオたちはその後、数日間ウィリアムの館で過ごした。
あの夜のウィリアムの言動は、リオにとっては少なからぬ衝撃で、その後リオは、気がつくと自分のことではなくウィリアムのことを考えていた。
何が彼を縛っているのだろう。
自分を狙うクローゼラと、彼はどんな関係なのだろう。
あんなに自分のことで悩んでいたのに、他人のことで悩むなんて、
もしかしたら自分は、かなりのお人好しなのではないかとリオは思った。
花園での一件のあと、ウィリアムはリオの姿を捉えるたびに
気恥ずかしそうに笑っていたが、少なくともあれで出したいものは全部出したらしく、前より溌剌として見えた。
まあ、元気になってくれたなら、自分のことを放り出して悩んだかいはあったかな、とリオは思った。
みんなそれぞれに自分の問題を抱えてしまったらしく、廊下を歩けば考え事をしている誰かに出会う。
リディアが一番悩んでいるようで、ノアが心配してずっとリディアを見上げていたくらいだ。
その悩みの種が自分であることを、ノアが知っているのかどうかは疑わしいが。
その後のアーウィンの報告で、オーリエイトがはっきりと、アーウィンは守護者だと言ったことがわかった。
「でも、肝心のその守護者が何なのかを詳しく説明してくれないんだよな」
アーウィンは不満そうにそう漏らした。
ライリスはというと、唯一この滞在で、ほとんど何の悩みも持っていないようだった。
普通に花園を探検しては綺麗な花を持ち帰ってプレゼントしてくれ、(こういうところがまた男の子っぽいなと思う)庭の木によじ登って、珍しい果物を取って戻ってみんなに振舞ったりした。
ウィリアムはライリスにだけ微妙な反応を見せた。
ライリスは何事もないように、ちょっと身分がお高い相手に対する感じでウィリアムに接していたが、ウィリアムはそれに恐縮しているようで、他の者より明らかに、ライリスに対して少々敬意を払っていた。
リオは全員の観察に努めた。
特にオーリエイトとウィリアムには気を配った。
直接聞いても答えが得られなそうなので、二人の行動から自分なりに推理するしかなかったのである。
結果、わかったことは、二人とも自分の呪いの正体を知らないということだった。
ただ、クローゼラとやらが自分を狙っていることから、
自分をとても特別視していることはわかる。
今までの会話からだけでも、
クローゼラとやらが只人ではないということはわかった。
ウィリアムよりも上の人のようだった。
ウィリアムはその人から今離れているのが、とても嬉しいらしい。
誰なんだろう、と思う。
聖者より上の者など、ごくごく限られている。
王族か、あるいは教会の最高権力者の「女神」か。
リオがいた教会は地方過ぎて、中央からの統制は届いていなかった。
そのせいで、リオは教会の上の方がどうなっているかは知らない。
それでも、母が亡くなった後にずっと世話をしてくれていた神父が、世間には知られていない、「女神」と呼ばれる裏の最高権力者がいるということを教えてくれたことがあったのだ。
せいぜい今の状況に役立つ情報はそれくらいだった。
「女神って、本当にいるの?」
オーリエイトよりは簡単に質問に答えてくれそうなウィリアムに聞くと、彼は至極複雑で驚いた表情になった。
「女神を、知ってるんですか?」
「いるってことだね」
リオが言うと、ウィリアムは黙って床を見つめた。
「……います。いることはいますが、なぜ急に?」
「あなたが怖がりそうな相手を探っているの」
単刀直入に言うと、ウィリアムは驚いた。
「リオ……あなたは……」
「あたし、わけもわからずに追いかけられて、殺されるのは真っ平ごめんなのよ」
「……ですから、私がちゃんと……」
「あなたとオーリエイトのいうことから考えるとね、親玉はあなたより偉いのよ」
ウィリアムは困惑を隠しきれずに、視線をそらした。
「それで、そのクローゼラとやらの正体の選択肢を絞ったわけ」
ウィリアムは、観念したようにため息をついて肩を落とした。
「1、王様。ううん、クローゼラって女名だから女王様。2、ほかの王族。3、女神。さあ、どれ?」
きっぱり言い切ると、ウィリアムは黙り込んだ。
「ってことは、この中に正解があるんだね」
リオが言うと、ウィリアムははっと顔を上げた。
「……あなたって人は」
「これでも結構賢いって、小さいころから言われてたんだよ」
真顔で言った、まだ幼さの残る少女に、ウィリアムは閉口した。
「あたし、絶対許さないから。大切な故郷を奪って、あたしの生活を奪って、助けてくれた人にまで迷惑をかけて、あたしの何もかもを滅茶苦茶にして、あなたにそんなにつらい思いをさせてるそのクローゼラってやつを」
「言っておきますが、生易しい相手ではありませんよ。
私が逆らえないような相手なのですから」
「でも、あたしを殺したいくらいに邪魔だって思うなら、そう思わせる何かがあたしにはあるってことでしょ?じゃあ、あたしが持ってるその何かをつきとめれば、そのクローゼラって人に勝てるってことじゃない?」
ウィリアムは口をあんぐりとあけた。
「いつまでも秘密主義はやめてよ。あたし、もう巻き込まれてるし、巻き込んでる。お互いのためにならないじゃない」
ウィリアムは迷うように目を泳がせた。
そして、何か言おうとして口をあけた。
「ウィル」
静かな声がした。
オーリエイトだった。本当にたまたま通りかかったようで、リオを見つけて不思議そうに首をかしげている。
「どうしたの?もうすぐ礼拝の時間じゃない?リオ、真剣そうな顔だけど何か?」
「なんでもないんです、オーリエイト」
ウィルはさっと笑顔を被ってそう言った。
この人、意外にポーカーフェイスがうまい、と思った。
何でも感情が顔に出そうな顔をしているくせに。
「この屋敷についていろいろ教えていたんですよ。花園が気に入ったみたいなので」
花園が気に入ったのは事実だが、さらっと嘘に変えられるところがすごい。
「……そう。あとで資料庫を貸してもらえない?」
「資料庫、ですか……」
ウィリアムは難しい顔をした。
「変な呪符が埋めてあるかもしれないですよ。
クローゼラ様に、部外者を入れたことが知れてしまうかもしれません」
オーリエイトはそれを聞いて、一瞬迷うような顔をした。
「かまわないわ。それくらいの危険、いつだって冒してきたもの」
「そうですか……」
ウィリアムはなお心配そうな顔をしながら、ポケットから一枚の呪符を取り出した。
「これが鍵を開ける呪符です。呪文は符に書いてあるとおりです」
「ありがとう」
オーリエイトはそういうと、リオをチラッと見て「来る?」と聞いた。
リオは少し驚いた。
「え……資料庫に一緒に?」
オーリエイトは頷く。
「いいの?あたし、一応部外者だよ」
オーリエイトは首を傾げた。
「あなたも調べたいことがいろいろあるんじゃないの?」
図星だったので、リオは言うべき言葉を失って口をつぐんだ。
「いく。いきたい」
ウィリアムはさらに心配そうな表情になった。
「気を付けてくださいね。あの人がどこまで、あなたのやろうとしていることを知っているのか、わかりませんから」
オーリエイトは「わかってるわ」というような視線をウィリアムに送り、ぱっと背を向けて歩き出した。
「オーリエイト」
「なに」
「オーリエイトは、女神がいるってこと、知ってるの?」
単刀直入な質問に、オーリエイトは一瞬足を止めて、リオを振り返った。
「……ウィルに聞いたの?」
「じゃ、知ってるんだね」
一瞬、二人の間の空気が張り詰めた。
「知ってるも何も、旧知の仲よ」
リオは必死にオーリエイトの表情を探った。
今、彼女が与えてくれたのは、きっと大きなヒントだ。
だが、どうして与えてくれた?
「じゃあ、友達?それともライバル?」
「……ライバル、のほうが近いわね」
その口調からは何も読めない。
「あなたは、どうして?」
オーリエイトが唐突に聞いた。
リオはその質問の主旨がわからず、首を傾げる。
頼むから、主語だけは省かないでほしい。
「どうして、そんなに私たちのことを知りたがるの?」
リオが答えないので、オーリエイトはやっと主語を足した。
リオは少しうつむいた。
「自分でもわからないよ」
正直な言葉だった。オーリエイトは少し意外そうに、リオを見つめる。
「自分のためっていうのもあるよ。狙われる理由がわかれば、どうしたら自分を守ることができるか、わかるかもしれない。もし、あげてもいいものを狙われてるならさっさとあげるし、捨てられるなら、見つからないようなところに捨てる」
「でも、それだけのようには見えないわ」
「うん」
リオは分かってる、と言うように頷いた。
「みんながあんまりわけありすぎるんだもん。あたし一人のことなんて比べ物にならないくらい、たくさんのことが絡んでる気がするの。その一部に、あたしは巻き込まれてる。だったら全体像を引き出して、解決したいの」
オーリエイトは何も言わなかった。
金の瞳に、さまざまな思いが過ぎっている。
「……あなた、私の昔の友人に似ているわ」
ぽつりと、そう言った。
「いろいろなことによく気がついて、鋭くて、みょうに真っ直ぐで人の好い子がいたの」
「は……あ……」
金の瞳はリオの予想外に優しくなっていて、リオは少し驚いた。
「安心して。私はあなたを除け者にするつもりはないわ」
「え……」
「それが心配だったんでしょう?」
オーリエイトは微笑む。
身内にしか見せない、情愛のこもった優しい微笑だった。
リオは頬を染めてうつむいた。
「ごめんね、リオ。あなたを巻き込むわ」
リオは首を横に振った。
「いいの。あたしも巻き込むんだから」
「……あなたも?」
「あたし、自分の事情にあなたたちを巻き込んだでしょ?」
オーリエイトは少し目を瞬いた後、少し笑った。
「……そうね」
それから急に表情を引き締めて、リオの目の前に魔法の杖を突きつけた。
急激な変化に、リオは驚いてびくっと体を震わせる。
「ただしね、急にいろいろなことは教えられないわ。
あなたはまだ私たちと知り合って日が浅過ぎる。
アーウィンと一緒に、少しずつ事情を教えていくわ」
「アーウィンと……」
リオは反芻した。
……なによ、やっぱりあたしもガーディアンなのかしら。
「あの子は守護者の一人なの。だから、グラティアに連れて帰るわ」
「グラティア?」
「私の……私やリディアやノアが住んでいるところよ」
「それってもしかして……」
リオは目を見開いた。
「聖地グラティア?」
今度はオーリエイトが少し目を見開いた。
「……詳しいのね」
「だってほら、あたし、教会に住んでたから」
「……そうだったわね」
言って、彼女はくるりと背を向けた。
この話題はこれで終わり、とその背中が語っていた。
「いきましょ。資料庫、勝手に好きな本を見てていいから」
リオはオーリエイトの深紅の髪を追いかけた。
そして、今日得た情報を頭の中で整理していた。
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