EVER...
chapter:2-story:4
衝突
 

 

「母さん」
ライリスが声を掛けると、ショルセン女王は振り向いた。
娘に遺伝した、国を傾けられそうな程の美貌は、娘のそれに勝るとも劣らない。
女王は微笑んで、ライリスを抱き寄せた。
「こっちにいらっしゃい」
ライリスはされるままになった。
女王は娘の顔を少し見つめ、にっこり笑うとライリスを抱き締めた。
その抱き締め方は、娘を可愛く思って、というより
彼女のほうが娘に甘えているようだった。
ライリスはそれに気付き、はっとして母を引き離す。
女王は少し不思議そうな顔をした。
「ライリス?」
「母さん……母さんが今、抱き締めてたのは誰?」
女王は戸惑った表情をする。
「誰って……あなたよ、ライリス。わたくしの娘」
ライリスは哀しそうな目で女王を見つめ、溜め息をついた。
「母さんはぼくを通して、他の人を見てる」
女王は目を見開き、娘を見つめた。
やはり娘に遺伝した、目許のとおった緑色の瞳。
「何を言って……」
「いいよ、いいよ。そのことを話しに来たんじゃないんだ」
ライリスは一方的に会話を打ち切った。
女王がまだ呆然としている中、ライリスは言った。
「国中の貴族名簿が見たいんだけど」



その日はいつものように靄が出ていた。
リオもだいぶ樹海での生活に慣れてきた。
リディアはノアを連れて、少し散歩してくると言って小屋にいなかった。
リオは汲んだ水を小屋まで運んでいた。
体の小柄なリオにはバケツは少々重すぎて、リオは少しふらついていた。
息を乱しつつバランスをとって、ゆっくり階段を上っていたら、急に肩を叩かれた。
びっくりした拍子に手元が揺れて、
リオは自分の膝にとっぷりと水をこぼしてしまった。
「あっ……ごめん」
目をパチパチさせてリオの背後でそう言ったのはレインだった。
「び、びっくりした……。驚かせないでよ、もう!」
レインは心外だという顔をした。
「ひどいなあ、せっかく君に会いに来たのに」
「あなたが会いに来たのはオーリィでしょ」
「あれ、妬いてるの?」
「誰が、誰にっ!」
レインは声をあげて笑った。
「やっぱり面白いなあ、君は」
言うと、レインは手を延ばし、
濡れてしまったリオのスカートに手をかざし、短く呪文を唱えた。
すると、すぅっと水は蒸発していった。
「さ、これで許してくれないかな」
リオはレインを見上げ、なんと言ったらいいのか分からなくて視線を泳がせた。
レインは更に言った。
「わかった、じゃ水も運んであげるから」
リオは慌ててレインを遮った。
「いいよ、いいよ、そこまでしなくて!」
「君には重すぎるんじゃないか?」
「大丈夫よ」
とは言ったものの、やはり重かった。
相変わらずふらつくリオを見て、レインは呪符を取り出した。
「ほら、これがあるから僕に貸して」
あ、とリオはやっと思い出した。
「そ、そう言えばレインって魔法使いなんだよね」
バカだな自分、と思いながらリオはバケツを預けた。

小屋まで楽々とバケツを浮かしていったレインを見て、リオは心底いいなと思った。
「あたしも魔法使いだったらなあ……」
「しょうがないよ、生まれで決まってしまうんだから」
それからレインは小屋の中を見回した。
「オーリエイトは?」
「洗濯にでもいったんじゃない?」
「ここで待っててもいいかな?」
「いいよ」
リオが頷くのとほぼ同時に、戸が叩かれた。
勝手に入ってこないところを見ると、少なくともこの小屋に住んでいる者ではない。
訝って返事をせずに黙っていると、もう一度トントンと音がした。
「誰か、いないの?」
その声を聞いて、リオは咄嗟にレインを見た。
見たその一瞬、彼の顔が強張ったのを見つけた。
リオは少しの間迷った。
二人を、リオの他には誰もいない所で会わせるのは危ないかもしれないけど。
リオは敢えて戸を開けにいった。
「待って、ライリス」
戸の向こうに立っていた彼女は、今回は一目で位の高い人と分かるような、
良い服を着ていた。
着替える間もなく出てきたらしい。
「入って」
リオが言うと、ライリスは小屋に入り、レインの姿を見て一瞬固まった。
レインは何事もなかったような愛想の良い笑顔を浮かべて「やあ」と言った。
ライリスは笑顔を返さなかった。
「無理に笑顔を作らなくて結構。ぼくにごまかしは効かないよ」
すると、レインは「そう」と言ってあっさり仮面をはがした。
今や完全に、闇があふれ出していた。
「じゃ、王女様は分かったんだね、僕が誰なのか」
ライリスは頷いた。
「この前の態度が変だったから調べたんだよ」
あの小さな表情の変化を、ライリスは見逃さなかったのだ。
「それで?」
レインは冷たく言った。
「謝罪しにきたのかい?」
「謝罪が何にもならないことを、君ならわかるはずだよ。君が求めてるのはそんなものじゃない」
レインは黙った。
リオは居心地の悪さを痛いほど感じたが、
同時に二人を二人きりにしてはいけないことも直感していた。
レインはライリスを見つめたあと、言った。
「どうしてそう思う?」
ライリスは答えた。
「気付いてるでしょう。ぼくたちには、共通するものがあるって」
レインがまた黙ったところを見ると、間違った指摘ではなかったとみえる。
「それじゃあ、何をしに来たんだい?」
レインが問うと、ライリスはきっぱり答えた。
「説明をしに」
「説明?」
レインは冷笑した。
「いいよ、してごらん」
「君の家が襲われた時、王宮は大混乱の中だったんだ」
ライリスは嘲りに動じずに続けた。
「王宮を出奔した母さんが、私生児のぼくと一緒に発見されたばかりだった。母さんは信用を失っていて、どう動くにしても王宮中が反対しかしなかった頃だよ。当時起きた内乱すら伝えてくれなかった官吏たちが、地方の小貴族の異変なんて、知らせてくれると思う?」
レインは目を細めた。
「何も知らなかった、と?知りもしなかったって言うのか?」
ライリスは言葉に詰まった。
レインは少し顔を歪めた。悲痛なものが溢れ出る。
「あの後僕がどうなったか、知ってるかい?まさかやつらが僕だけ殺さない魂胆だったとは知らなくてね。一番幼かった僕を庇って、皆倒れた!一人残らずね!」
とくん、とリオの心臓が鳴った。
耳元で悲鳴が聞こえる。

燃え盛る炎の中は灼熱だった。
揺れる風景の中、近付いてくる相手の人影から隠すように、庇ってくれた神父。
――― 可愛い子。

レインの声すら、遠ざかっていく。
「行くあてもない。殺されるかも知れないと思って、怖かった。生きるために、何だってした。山賊に拾われて、人から物を奪って生きてきたんだ。教会に拾われるまで、四年も!」
開いた戸口に、帰ってきたオーリエイトがぽかんと立っていたが、
レインは気付かないようだった。
「何も知らなかったって、それで済むのか?王族は民を守るのが仕事だろう。自分達のことにうつつを抜かして、国を統べる者だと名乗っているなんてお笑い種だ!」
ライリスの緑の瞳が揺れた。
「こっちだって、王族に生まれたくて生まれたわけじゃない!」
リオはその叫び声で、ようやく過去から舞い戻った。
とくん、と心臓はまだ鳴っている。
ライリスは頬を染め、顔を歪めて、とても傷付き易そうな顔をしていた。
そうだ、自分の過去に囚われてある場合じゃなくて。
「この痣にどれだけ苦しんできたか、君こそ分からないでしょう!どうしたってぼくは不義の子だよ!でも、王標印を持ってしまった!存在を認められることも、認められないこともできない、ぼくの居場所はどうなるんだよ!」
レインは押されるように半歩下がった。
ライリスの叫びは続く。
「誰も、誰も!ぼく自身を見てくれる人はいなかった!痣だけ!痣だけだっ!!母さんですら、ぼくを見てはくれない……ぼくを通して、父さんを見てる!それならぼくは何?どうしてここに存在してるんだ!!」
ひびが、入る―――
「王族だって人間だ!一人の人間なんだ!痣なんかに縛られる謂れはないんだよっ!!神から王に封じられた証しだとか何とか言って!この蝶は神からの祝福でも何でもない!呪いだ!呪い以外の何物でもないんだよ!」
神に選ばれたゆえの悲しみ。
「王族、王女、王位継承者!全部呪いだ!」
亀裂は広がる。
「ぼくは、ぼくは!ぼく自身はどこに行けばいいんだ!王女じゃなくて、生身のライリス・ヘイヴンはどこに行けばいいんだよ!?」

誰も動かない。

今にも崩れて消えてしまいそうなライリスを見て、リオは思わず近寄った。
「ライリス……」
肩に触れた途端、ものすごい勢いでライリスはリオの手を払い除けた。
「触るな!」
リオは驚いて固まった。
ライリスは壁まで下がって自分を抱き締めた。
「触るな触るな触るなぁっ!!」
目は見開かれたまま、顔も蒼白で。

「わ、私に、触らないで……」

――― 蝶の痣だけじゃない。
リオは咄嗟に感じた。
闇はひずんで、ライリスの奥に沈んでいるのだ。
もっともっと、たくさん―――


誰も動かない中で、リオはゆっくりライリスの側に歩いていった。
そして、ただ手を差し出した。

何も言わず。何の表情も作らず。

ライリスはその手に怯えてピクリと震えたが、
しばしその手を見つめた後、おそるおそる手を取った。
人の体温に触れて、ライリスは力が抜けたようにすとんと座り込んだ。
リオは微笑み、ライリスの頭を腕の中に抱き込んだ。
ライリスは震えた。
声もなく泣いているようだ。

その頬を流れた涙が、木の床をパタリと濡らした。




最終改訂 2006/03/01