そもそも、聖者祭を敢行するかどうかで話は揉めていた。宮廷は近頃、明らかに教会に対して冷たい。というか、主に女神に冷たい。そしてクローゼラもそれに気づいていて、パレードを例年どおりにやるのは危険かしら、と言っていた。
「巷に創世記の噂が流れているものね……グロリアでしょうけど。信じている人も多いみたいだし、やめとこうかしら?」
聖者祭に契約書奪還計画を決行、と聞いていた守護者たちは気が気では無かった。祭が取りやめになるのは避けなければならない。一歩間違えると死活問題なのだ。
頼む、とアーウィンとエルトが手を合わせ、ウィルが説得し、レインに女神にいろいろ吹き込んでもらうことになった。彼は守護者の中で一番女神に信用されている。多少似たような性格をしているので気が合うのかもしれない。
「やらないと返って不信感をあおりそうですね」だの「王家よりも立場が下だととられますよ」などと彼は女神を煽り、結局パレードは予定通りに行われる手筈になった。
「リオたちが来たら、きっともう契約書は解いた後だから、僕たちは好き勝手暴れて大丈夫なんだよね?」
エルトが聞くと、ウィルが首を傾げた。
「制約があるかないか、という意味ではそうでしょうけど、女神の他にも悪魔たちが同行していますからね? 多勢に無勢を考慮してください」
「えっ。悪魔もいるの? 目とか翼でばれない?」
「目の色は魔法をかければ変えられます。相当近付かないと瞳孔の形までは見えないでしょうし、翼はマントで、耳はフードや髪の毛で隠せるでしょう」
「……うわぁ、嫌だな、悪魔つきじゃ、大変そうじゃないか」
エルトが頭を抱えた。
「全員でちょこっと魔源郷解放して、出せる力を増やしゃーいいんじゃねぇの」
アーウィンが提案する。
「こういうときに魔源郷使わねぇで、何のための『守護者』だよ」
「……道具じゃないんですから」
ウィルが苦笑して言った。
「でも、そうですね、私達が逃げ切ることが最優先ですから、そうしましょう。レイン、異存はないですか」
レインは他の三人を順番に瞳で追って、口を開いた。
「それが良いと思うよ。けれどウィル、君の契約書だけ、場所が分からなかったらどうする気だい?」
「……どうしましょうね」
さすがに、それにはウィルも困ったような笑みを見せた。
「一人聖者城に残っても良いのですが、クローゼラにどう利用されるか分かりませんし。それなら皆さんと一緒に逃げた方が得策かと」
「そうだね。じゃあ、君は戦力から除外して良いのかい?」
あ、とエルトとアーウィンが呟いた。契約が解かれないということは、ウィルは戦えないということだ。
「それしかないでしょう」
ウィルは少し諦めたような笑みを浮かべた。
「この私の戦力が教会に残るよりは良いですよ?」
「まあ、確かにね」
レインも頷く。
「君が戦えないのは痛いけど、まあ頑張るよ」
彼は「その分、代わりに僕たちが頑張るよ」とは言わなかった。やはり仲間扱いはしてくれないようだった。
当日の天気は曇りだった。馬車に乗って、守護者たちはわずかに緊張した眼差しを交わし合う。女神は彼らの車の後ろにいた。立場を考えれば前にいるのが自然なのだが、後ろにいた方が彼らの行動を監視できるということなのだろう。
「……女神が顔出していいのか?」
アーウィンの問いにはエルトが答えた。
「どうせ一般人には誰なのか分からないよ」
朝早くグラティアを出た列は樹海を通り抜けて、王都アーカデルフィアの大通りに出た。四人は群衆の歓声に迎えられた。教会の役職としての守護者について知っていることなどほとんど無いだろうに、ただ教会のトップというだけでありがたがるらしい。
かなり隊列が進んでアーウィンが退屈を訴え始めた頃、空に異変があった。二つの影。翼を持つ獣。
「ケムエルとレミエルだ!」
アーウィンがいち早く気づいて空を指さした。ウィルとレインが身を乗り出す。
「オーリエイト……」
「リオ……」
二人とも、会いたくてたまらないだろう相手の名前を呟いた。獣の上の影の一つが手を振る。ウィルが振り返した。あれはリオらしい。
やがて影が大きくなると、パレードを護衛する教会の護衛の者たちが気づいて動揺し始めた。
「なんだあれは」
「ペガサス?」
「なぜペガサスが」
「王家か?」
「まさか」
口々に声を上げている。念のために、と思ったのだろうか、攻撃の魔法が繰り出された。隊列に交じる悪魔達が、敵だと判断したのだろう。魔法はことごとく、打ち消されたり逸らされたりしていた。それを見て更に動揺が広がった。
「……いまのは」
「いや、まさか」
「しかし……」
既にペガサスたちは隊列の進行を阻むように、前に降り立つ所だった。
人影は三つ。太陽の金色と目を射貫く深紅色、そして控えめな銀色。一際小さな、その銀色の髪の少女が駆け出したその時、守護者たちの前に女神が立ち塞がった。
「動かないで」
鈴を振ったような声に、リオたちは車を見上げた。クローゼラがドレスをはためかせて立っていた。明らかに酷く怒っている。
「わたくしの領域を好き勝手に荒らさないで」
「なら、皆を返して!」
「嫌よ」
リオの叫びをクローゼラはバッサリと切り捨てる。ふふ、と女神が笑ったのを守護者たちは聞いた。
「……こんなことかと思ったわ。あなたはわたくしの期待を裏切らないわね、子鼠ちゃん」
す、と守護者たちのとなりに影が立つ。何とか飛びのいたのはアーウィンだけで、残りの者は一瞬の反応の遅れで口をふさがれ、目隠しをされた。逃れたアーウィンも、結局多勢に無勢で魔法を使うより先に拘束される。
「魔法の弱点を知ってる?」
女神が笑む。
「これはあなたの能力にも言える事ね。呪文も呟けず、対象物も見えない時はどうしたらいいのかしらね?」
言った女神はリオに向かって何かの魔法を放った。リオは身構えたが、それはリオ自身を対象にした魔法ではなくて、煙霧の魔法だった。白い靄が辺りを包む。視界が遮られたのだ。
視界が明るい灰色一色になってリオは焦った。見えない。見たいときに見えない。
「ウィル!」
叫んでみたが、声すら靄に吸い込まれたような気がした。そもそもウィルのほうから返事ができる状況にないのが事実だ。今はどうするべきか。ほんの一瞬迷って、リオは駆け出した。今見えないからといって、さっきは見えていたのだ。守護者たちのいた車のほうへ駆ける。時々近くを魔法が掠めていくのを感じた。向こうから攻撃を受けているらしい。反応の遅れが命取りになりそうで、リオは避けるのに悪戦苦闘しながら進んだ。そのとき、近くに赤い影を見つけた。
「オーリィ?」
「リオ、よかったわ。見つけた」
彼女は今しがたかすめた魔法を避けて、リオの腕を掴んだ。
「うろちょろしないで。あなたが頼りなんだから」
「で、でも……」
「あなたが先導してちょうだい。貴女一人で突っ込んだところで勝ち目はないわ」
お互いに、お互いの能力を必要としているのだ。リオは頷いた。
靄は敵も味方も関係のない人も巻き込む結果になっていた。パニックに陥って割り込んできた一般人とぶつかったり、踏みつけてしまったり、つまづいたりしながらなんとか車に近付く。もう手遅れなのではないかとひやひやしていると、早速悪魔らしき相手に遭遇して、オーリエイトに助けられた。
その時、風が駆け抜けた。靄を吹き飛ばして、視界が大きく晴れる。よく通る声が響いた。
「女神の靄はわたしに任せろ!」
クライドだった。女神の靄も風の守護者である彼になら吹き飛ばせるらしい。リオとオーリエイトは真っすぐ車に向かった。
守護者たちは目隠しをされて取り押さえられていたが、抵抗はしていた。魔法を使うことをためらっているようだったので、リオは気付いて声を張り上げた。
「みんな! 契約書の魔法はもう解いたよ!」
声は届いたようで、アーウィンが一瞬リオの声のした方に顔を向けると、指先に火を灯した。アーウィンの腕を押さえていた悪魔らしき人にそれはちょうど良く当たる。突然で反応できなかったのだろう。アーウィンは戦い慣れしているせいか、その一瞬を逃さずに拘束を振りほどき、火で手を縛っていた紐を焼き、自分で目隠しも外した。しかしそこまでの動作の間に取り囲まれ、他の三人を助けに行くところまでは手が回らない。
ウィルに至っては抵抗をしていなかった。自分の契約書も解かれたのかどうか不安なのか、待っていた方が得策だと判断したのだろう。拘束する悪魔も拘束以上のことはためらっているようで、様子を伺いつつウィルには手出しをしていない。
リオたちが車に乗り込む前に、クライドが車にたどり着いた。悪魔には見向きもせず、守護者たちさえ素通りした。彼が真っ直ぐ向かったのはクローゼラの元だった。クローゼラが目を丸くしている間に彼は杖を槍のように扱って、彼女の杖を弾き飛ばし、素早く険を抜くとクローゼラの喉に突き付けた。
「動くな!」
クライドの張り上げた声に多くが振り向き、敵は戸惑いを見せた。
「闇の聖者、援護を頼む」
彼の言葉に、やっと車にたどり着いたリオは慌ててはい、と答えた。闇の存在を知らしめることで、魔法を使った攻撃に対して、改めて牽制をかけるつもりらしい。
クローゼラは予期しなかった事態に目を白黒させていた。まだ迷う風の周囲に目を走らせたクライドは、僅かに剣先を動かす。つた、と細く血の赤い筋がクローゼラの白い首に走った。クローゼラはちくりとした痛みを感じたのだろう、ひっ、と息を呑むような悲鳴を上げる。
「悪いがわたしは躊躇いも容赦もしないぞ。……お前たちと一緒でね」
クライドは周りに聞こえるように、よく通る声で言った。
リオはその時やっと、ウィルのところに駆けつけた。彼はゆっくり拘束を解いて立ち上がり、腕を広げて、飛び込んできたリオを抱きとめた。リオが顔を上げると、彼は問うような目でじっと見つめてくる。リオは罪悪感が胸の奥から腹にかけてずしりと沈み込むのを感じながら、首を横に振るしか無かった。ウィルのだけ、見つからなかった。
ウィルは責めなかった。そうですか、というようなかすかな笑みを浮かべて、ほんの少し強くリオを抱きしめた。リオが振り返ると、クローゼラが突き刺すような瞳でリオを見ていた。リオはびくりと肩を震わせたが、負けじと睨み返した。負けない。ウィルはあげない。
ほかの守護者たちも拘束を振りほどいていた。皆でオーリエイトの周りに集まる。彼女はずっと、呪符を手に呪文を唱えていた。移動の魔法だ。
クライドは呪文が発動するぎりぎりまでクローゼラに剣を突きつけたままでいた。そしていざ魔法が発動するときになって、身を翻すとオーリエイトにつかまった。
既に悔しさと殺意で凄絶な表情をしていたクローゼラは、ほんの僅かな隙でも突こうとしたようだったが、彼女が何か魔法を使う前に、リオたちは旋風に包まれていた。景色が掻き消える一瞬、クライドが勝ち誇ったように、別れの挨拶に手を上げるのが見えた。
旋風が収まると、カートラルト王城の前だった。待っていたリディアとライリスたちが息を呑み、わっと駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん!」
「リディア、ノア! 怪我はしてない? もう一戦あったって聞いたけど」
「お兄ちゃん……無事? クローゼラに何かされなかった?」
「アーウィン! 大丈夫?」
「ライリス! よかった、久しぶり! 聞いたぜ、武勇伝」
「ウィルとレインも大丈夫そうだね。冷や冷やしたよ!」
「オーリィ、リオ! よかった、上手くいったのね」
再会を喜ぶ声があふれて、ほんの少しの間、皆は喜びで混乱していた。
「契約書は?」
ライリスがまずリオに聞き、全員がはしゃぐのをやめてリオを見つめた。リオはごくりとつばを飲み込んだ。答えるのが辛かった。
「ウィルの以外は、解いたよ」
「そっかぁ……」
ライリスはリオの頭に手をのせると、ポンポンと軽く叩いた。
「じゃあ火と地と水は、戦力に入れてオッケーってことだね。よし、これで説得が楽になる」
「説得……?」
「他の国にも出向いて、現状の説明をして協力を仰ぐつもりなんだ。……まあ、王城を落としたからってまだ全国を制覇した訳じゃないから、カートラルトの完全解放が先なんだろうけど。もう一戦交えて、勝てたら、説得にも有利になるし。守護者の完全協力があるって分かれば、負け戦じゃないって言う証拠になる」
ライリスはにこりと笑った。
「ありがとう、リオ」
「うん……」
リオは頷きながら、微笑んだ。微笑むことができた。説得力のある慰め方をしてもらえて嬉しかった。リディアもがばっとリオに抱きついて、言った。
「私からも、ありがとう、リオ。これでお兄ちゃんは、私やノアのために、教会に縛られなくてよくなったんだわ……やっと、家族が本当に揃うことができた。リオのおかげよ。ありがとう」
どこかで、契約を解くことを義務のように感じていた。期待されているのを知っていたから、応えるのが義務のように思っていた。だから、果たせなかったと思うと罪悪感に溺れそうになっていたのに。みんなもリオがそう感じていることを知っているんだろう。だからこうやって言葉をくれる。けれど、ただ慰めのためだけに紡がれた言葉ではないと、感じることのできる言葉だった。嬉しかった。
「うん、よかった」
リオはそう言うことができた。
「よかった。三人の分、上手く言ってよかった。……ウィルのも、諦めるつもりなんてないから。少し遅くなるかもしれないけれど、待っていて」
言ってウィルを見上げれば、彼は安心したような顔で、ふわりと笑った。
「はい。いつまでも待ちますよ。元々一生解放されないはずだったものですしね。あなたのおかげで持てた希望です、レオリア」
彼がリオの希望、の名に込めたものを受け止めて、リオは静かに頷いた。
とにもかくにも、これで一歩進んだのだ。
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