翌朝、セイリアはベッドから転げ落ちて目が覚めた。別に寝相が悪かった訳でも、誰かと同じ布団で寝たせいで蹴落とされた訳でも無い。
「にゃにごと?」
寝ぼけたまま呟いたら、既に起きていたシェーンが気分の悪そうな顔で言った。
「聞こえないの?」
「……聞こえました」
轟々唸る風の音、慌てているらしい人々の声、そしてぎぎぎ、と船の軋む音。
嵐だった。おかげで船が激しく揺れているのだ。結果、セイリアは転げ降り、シェーンは船酔いしてしまっている、と。
「なんか、やばくない?」
とりあえずはい上がって、一緒に引きずり下ろしてしまった布団をベッドに戻して聞くと、シェーンは口元を押さえながら答えた。
「いろいろな意味でね」
「……シェーン、大丈夫?」
「あんまり」
正直だ。まあ、確かに酔うのも無理のないほど、すごい揺れ方をしている。外でピカッと稲妻が走り、ほとんど間をおかずに地崩れのような轟音が響いた。すごく近い所に落ちたようだ。
シェーンの船酔いが酷いので、セイリアはローダさんたちからもらった薬草を調合して、酔い止めを作った。手順をいろいろ間違えた気がするが、まあ材料と量はあっているはずなのでいいことにしておいた。ちょっとは効いたみたいで、少なくともシェーンは気持ち悪くてご飯が食べられない、ということはなかった。
シェーンが寝ていると言うので、セイリアはルウェリンと一緒に甲板に上がってみることにした。帆は当たり前だが畳まれていて、マストが危なっかしく揺れている。船員が数人、大きな声で何かを叫び合いながら必死に船の調整に走り回っていた。
「アース殿、すごい風ですよ。戻りましょう」
ルウェリンが言ったが、セイリアはちょっとだけ空を眺めた。灰色の空。嵐。シェーンには悪いが、ちょっとわくわくしていた。
シェーンと同じく船酔いで船室にこもっている人は多いようで、食堂にも人は少なかった。ゴーチェの姿を見つけてセイリアは話しかけてみた。
「嵐に捕まったね」
「そうだな。銀髪の方の坊主はどうした」
「船酔いです」
ゴーチェは笑った。
「海は慣れてないんだな」
「そりゃあ、海賊ほど海の上にいる訳じゃないし」
「お前たちは平気そうだな」
ルウェリンがぽつりと呟いた。
「いえ、僕はちょっと酔ってるんですけど」
「そうなの?」
セイリアが振り返ると、ルウェリンは少し恥ずかしそうに頷いた。
「少しですから、平気です」
「無理しないでね」
「はい」
ゴーチェは二人をみて呟いた。
「なあ、お前ら、本当は何者だ」
「……そういうのは、訳有りの人間が明かしてはいけないことなんじゃなかったの?」
言い返すとゴーチェが苦笑する。
「気になるんだよ。銀髪の方の坊主、この前、最後まで俺らを煙に撒いて帰っただろ」
やっぱり気付いたようだ。
「まあただ者じゃあないけど」
セイリアは一応肯定しておいた。
「それ以上教えるつもりはないからね。うちの主人と違って私は口達者な訳じゃないから、沈黙は金なの」
「ちんもくはきん?」
「あー……黙っといた方がいいって意味です」
そうかこういう慣用句ってこの人たちは使わないのか、とセイリアは妙な所で自分が貴族だということを自覚した。ゴーチェは笑う。
「それは賢いことだ」
「昨日シェ……あー、彼が言ってたこと、みなさんで考えた?」
名乗るな、と言われていたことを思い出してセイリアはシェーンの名前を飲み込んだ。
「考えた」
「結果は?」
「俺に言う権利はねぇよ。お頭の言葉を待ってくれ」
「……海賊も上下関係が結構厳しいんだ」
「ま、育ちは違っても人間の集まりってとこは同じだからな、俺達も、陸の人間たちも」
そこでセイリアはやっと、疑問に思った。
「ねえゴーチェ。海賊も、食堂でご飯を食べるの?」
「……いや、俺だけだ」
まあ、それは見れば分かる。彼は一人で、仲間も一緒に来ている様子はなかった。
「じゃあ僕達に会うために、ここで待ちぶせを?」
今度はルウェリンが尋ねる。ゴーチェは首を横に振った。
「いや」
「じゃあ、誰か見張ってる相手でもいるんですか」
「そんなとこだな」
「…………」
これ以上突っ込んでも情報は得られそうにない。海賊の割に落ち着いている印象があるゴーチェだが、海賊は海賊だ。逆鱗に触れたらこっちの身が危ない。セイリアは退散することにした。
戻るとシェーンはまだ寝ていた。こんなにまじまじと寝顔を見るのは、いつかシェーンが風邪を引いた時以来だ。粗末なベッドなのに、よく寝ている。そういえば前の生活より随分ひもじいだろうに、全然弱音を吐かないなぁ、とセイリアは思う。王子様なのに。
ルウェリンは、座っていると酔いそうだから、と言って部屋を出た。セイリアは部屋に残ってシェーンのとなりでぼんやり窓の外を眺めていた。船室にちゃんと窓があって、しかもガラスまで嵌まっているのだから結構高級な船だな、と今更気付く。嵐を眺めているのは退屈しなかった。
夜になると嵐は収まり、強風が少々残るものの雨は止んだ。真っ暗で見えないが、海はまだ荒れているようで、船も相変わらず揺れていた。
シェーンはやっと船酔いがおさまってきたようだが、潮のにおいを嗅ぐと気持ち悪くなりそう、と言って外には出なかった。でも、人脈作りは怠れない、と言って回復早々人の集まる所へ出て行った。
セイリアは退屈し始めていたので、また甲板に出て見た。曇っているので、海が全然見えない。波の音だけが聞こえた。帆は畳まれたままだ。セイリアは少し不安になって、近くにいた船員に聞いた。
「帆、広げないんですか」
「今広げたら引っ繰り返りますよ」
「せめて変な方向に流されないように、方向は調節した方がいいんじゃないですか?」
「……夜明けにならないと、方向が分かりません」
まあ、そうか、とセイリアは諦めた。方位磁石で方向は分かっても、現在位置が分からなければ意味がない。セイリアは船内を歩き回ることにした。途中でルウェリンを見つけて一緒に歩き回る。シェーンもすぐに見つかった。いかにも金持ちそうな、恰幅のいい商人らしき男と話しをしている。シェーンは愛想よく相手の話に相槌を打っていた。
相手は随分とシェーンを気に入っているようだ。セイリアとルウェリンがシェーンと一緒に旅をしていると知ると、親しげに肩を叩いて頑張れ、と言ってくれた。シェーンによると、彼はヌーヴェルバーグでも有数の商家で、特に武器を扱っている家で、軍や将軍にも顔が利くのだと言う。
「あの人だよ、僕が知り合いたかったの」
シェーンはそう明かした。
「彼のコネなら、最初から国の中心部に近づける」
「……そんな知り合ったばかりで、簡単にお偉いさんに紹介してくれるの?」
「気に入られたらね」
それなら最初の難関は越えたようだ。シェーンが何を話したのかは分からないが、彼はしきりにシェーンに、部下にならないか管理職につかないかと誘いをかけていた。本当に手際のいいことだ。
その後セイリアはルウェリンを連れて、もう一度甲板に出てみた。相変わらず海は真っ黒で、マストは危なっかしく揺れている。でもだいぶ落ち着いたようで、船員たちはもう走り回ってはいなかった。
海の方に目をやったセイリアは、一瞬視線の先に何か走ったような気がした。
「ルー?」
「はい」
「ちょっと、あっちの方見ててくれる?」
「は……い?」
何だろう、という顔をしつつ、ルウェリンはセイリアの指さした方を見やった。何も起きない。あの気配は消えた。
「どうかしたんですか?」
「とにかく見てて」
こういう直感は働くのだ、セイリアは。すると、また何かがちらりと見えた。
「あっ」
ルウェリンも声を上げる。
「今、何かが」
「うん。良かった、私の気のせいじゃないんだね」
セイリアは頷き、ルウェリンに聞いた。
「なんだと思う?」
「ちょっと……僕には」
「船みたいに見えなかった?」
「あ、そういえばそんな気も。イルカとかじゃありませんもんね」
「そうそう」
セイリアは少し緊張した。シェーンは、と振り返って、彼がこっちへくるのを見つける。
「どうしたの?」
二人の様子に気づいてシェーンが聞いた。セイリアは海を指さす。
「さっき、船みたいなのがよぎった」
「明かりなんて見えないけど」
「つけてないんでしょ」
「夜の海で?」
そういえば変だ。引っ掛かりを覚えたのはそれだ、とセイリアは気づいた。
「じゃあ、夜の海で明かりを全部消して走行するような船と言ったら……」
「奇襲を実行中の軍船とか」
ルウェリンが答える。シェーンも頷いた。
「有り得るね。でも、それだとしたらヌーヴェルバーグとクロイツェルを結ぶ航路の間にいるはずだから、随分東に流されていることになるな。嵐の風は西向きだったように思ったけど……」
「日も出ていなかったのに、方向が分かったの?」
「方位磁石ぐらい持ってるよ」
「ああ、そっか。じゃあ……」
セイリアは、言ってみた。
「この船を狙ってる海賊、とか?」
言ってみただけ……のはずだったのだが、シェーンが押し黙ったのでセイリアは目を瞬いて絶句した。
「……うっそー」
「一番可能性があるだろう。商船だし、嵐で遭難中とくれば格好の獲物だ」
「……いやあ、でも、まあゴーチェさんたちも海賊だし、大丈夫じゃないの?」
「本気でそう思う?」
そう言われると自信がなくなる。海賊に派閥争いとか、海賊団同士の争いとかあるのだろうか。ありそうだが、もし襲ってくるのが、ゴーチェたちの海賊団の馴染みだとしたら、彼らは仕事を放棄するかもしれない。
「アース、君、勝てる自信はある?」
シェーンに言われ、セイリアはふるふると首を横に振った。
「無茶なことをおっしゃいますな、王子様。いくらなんでも多勢に無勢」
「じゃあ勝てなくてもいい。相手に“こいつと戦うのは避けたい”っと思わせるのは可能?」
「……私に何をしろと?」
「そのまんま」
「ルーを入れても二人だけど」
「じゃあ僕が海賊たちを説得してくる」
セイリアはシェーンを見つめた。
「……何を企んでるの?」
「さっきの人の目に留まること」
「はあ……それが海賊と何の関係が」
「まあ、逃げ切れるかどうか試してみるのがまず先だよ。どっちにしろ、こんな夜に明かりもつけないで航行してる船なんて、怪しすぎるんだから、海賊じゃなくても招かれざる客であることには変わりない」
「……まあ、それもそうか」
そういうわけで、セイリアたちは三人で近くの船員に駆け寄った。海の方を指差して、影の存在を伝える。船員はセイリアたちを一目見て、子供だと思ったのか、取り合ってくれなかった。
「気のせいだろう」
「そんなわけないでしょ」
セイリアも負けじと言い返す。
「私、武芸をやっていたし、護衛をしているんだから、ああいう気配には敏感なんだよ」
「だからってなぁ」
「とりあえず、あっちに逃げてください。多分、もうすぐそこに来てると思うから」
「でも、真っ暗じゃないか」
「こっちがこんなに明かりをともしてたら、かえって周りの闇が濃くなって当然でしょう。相手からはこっちの明かりが丸見えなのに」
「だが」
「アース殿、来ました!!」
ルウェリンが突如叫んだ。セイリアは海に目を向ける。この船は豪華なだけあってそれなりに大きな商船だ。それなのに、相手の船はそれよりも大きかった。船首に緻密に掘られた彫刻が鎮座している。突然明かりの中にぬっと現れた船に気付いて、船員はやっと、慌てて「舵を切れ!速度を上げろ!」と叫んだ。
「人のいうことは聞くものですよ」
セイリアが皮肉ると、船員は申し訳なさそうに頭を下げた。なんとか船は方向を変え、急いで帆を降ろして速度を上げた。こういうときにはものすごくチームワークが取れていて仕事の速い船員たちだった。
「明かりを落として!あの船はこの船を狙っている!」
しかし帆を降ろしたせいで、先ほどの船員が言ったとおり、船は揺れた。強風に船ごと持っていかれそうな勢いで進んでいく。追ってくる船は果たして帆で進んでるんだろうか、とセイリアは思った。ひっくり返ったりしないのだろうか。
それより、気になったことがあったので、セイリアはシェーンに駆け寄った。
「ねえ、今見えた船首なんだけど」
「うん」
シェーンも眉をひそめる。
「軍艦だったね。……あれは、クロイツェルのかな」
「じゃあやっぱり奇襲中?」
「いや、航路的におかしい」
「嵐でこの辺まで迷って来たとか」
「それでも商船と軍艦を間違えたりしないよ。わざわざ狙って来てるんじゃない? ……参ったな、海賊よりやっかいだよ」
「え」
セイリアはきょとんとした。
「軍艦が商船を襲うの?」
「言っただろう、武器を扱ってる商人が乗ってるって。この船の積み荷はほとんどが武器だよ。だから、クロイツェル軍はそれがヌーヴェルバーグには運ばれて欲しくない。対立している相手がいる国の海軍なんて、海賊と大差ないことは多いよ」
「な、なるほど……」
ルウェリンがセイリアのとなりで不安そうな顔をした。
「まずくないですか? 相手は軍艦ですよね? 絶対こっちより速いんじゃ」
「……速くないことを祈ろう」
シェーンは険しい顔で船の背後を見つめた。
「……とはいっても、そのうち大砲を撃って来るだろうな」
「え!?」
「荷を奪えなければ沈めようとしてくるはずだから」
「や、やめてよー!! 積み荷は!? 商品は武器なんでしょ! 大砲とか乗せてないの!?」
「無いと思う。この船に乗っている商家が扱うのは小型の武器ばかりだ」
そこで、シェーンはふと眉を動かした。
「……使えるかも」
「え?」
「武器商人、船に乗っているのは最新型の武器、ここが武器の輸送航路だってクロイツェルもヌーヴェルバーグも知っているなら……それに海賊が護衛として乗ってる」
「意味が分からない」
シェーンはむくれたセイリアを見て、にやりと笑った。
「臨機応変に対応していくしかないけど、まず最初の行動としては間違ってないはずだ。そもそも、僕はあのクロイツェル軍艦の型を知ってる」
「え、ほんとうに?」
「一番一般的な軍艦だよ。内部構造の情報も頭に入ってる。海軍の組織も知ってるしね。これなら海賊よりやりやすい」
シェーンはセイリアを振り向いた。
「僕が指揮を執る。アース、君は海賊達のところへ。ルウェリン、船員たちに伝言を」
「待って」
セイリアが割って入った。
「指揮って、この船全体を仕切るつもり?」
「そうですよぅ」
ルウェリンも声を上げた。
「王子様だって事は明かせませんし。いくらなんでも話を聞いてもらえないんじゃないですか?」
「それは大丈夫。今は緊急事態だ。この船だって自分の身を守るのが第一だろう。ようは僕が表に立たないで、船長の面目を守ればいいって事だ」
「そう?」
それなら、セイリアの言うべきことはひとつだ。
「じゃあ信じるよ?」
「うん。手短に説明するから、すぐに伝言を頼む。追いつかれるのは時間の問題だ」
「ラジャ!」
「はい、わかりました!」
セイリアはルウェリンと声を合わせて大きく返事をした。
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