![]() 胡蝶舞 * 参 「届くん、竹の葉があるから気をつけて」 「分かった」 私が声を掛け、届くんが返事をする。届くんはお客さんを手に乗せたまま、私の肩につかまりながら歩く。 現場はちょっと、というか、なかなかに遠かった。さやさやと音を立てる林の中を歩いて10分ぐらいして、届くんは足を止めた。 「何か抵抗を感じる」 「え? 抵抗?」 私は聞き返した。試しに届くんが足を踏み入れると、ぶわ、と風が吹いて私たちを押し戻す。届くんが突然言った。 「癒子、下がって!」 「え? どうしたの?」 「早く! 花洛、癒子を!」 ケンが急に、姿を現して実体化した。紅い目の、三本尾の妖狐が私に飛び掛かって、脇に押しやる。すぐ脇を、鋭い風が通っていった。通った後の竹の葉が、鋭利な刃物で切ったみたいに切れていた。私はぞっとして、ケンが庇ってくれでよかったと思った。ケンはすぐに届くんを振り返り、私には見えない襲撃者を見て、ちっと舌打ちしながら言った。 『こんなこったろうと思った。霊だ!』 私にも聞こえた。何かが唸り声を上げている。届くんが指を唇に当てて、呪を唱えていた。私は焦ってケンにしがみついた。 「ケン、霊って何? 届くんは大丈夫なの?」 『花洛だっつの! 分かんねぇよ! いろんなのが合わさったややこしいやつだ。あいつに羽化を止められたやつらとか、例の男の子の念とか……ユコ、危ねぇ!』 またケンに押しやられて私は転がった。届くんはごうごうと吹き荒れる風の中、何かを避けるようにひらりひらりと飛び回っていた。五芒星を作って結界を張るつもりらしい。でも届くんは目が見えない。霊は躱せても竹や木は無理だ。 「届くん、左前に竹!」 危なっかしくて、私は叫んだ。 『くそっ、イタルだけじゃむりだ! そこで待ってろ、ユコ!』 ケンは叫んで届くんの元に走り込んだ。届くんの傍に立って、必死に障害物のある場所を教えている。 私は風で髪が視界を遮るから一生懸命押さえ付けながら、何かできないかと考えていた。どうして私には見えないんだろう、って悔しくてしょうがない。届くんを助けたいのに。持っていた届くんの仕事道具鞄をあさって何かないか探した。札、札、軽石、筆と朱、藁人形……。とりあえず藁人形を掴んだ。 その時、ケンが叫んだ。 『ユコ! そっちへ行くぞ!』 ハッと顔を上げたら、風で舞い上げられた葉っぱが襲いかかってくるところだった。私は思わず悲鳴を上げて両腕で顔を覆った。ざっと土を踏み締める音がして、届くんの声が叫んだ。 「鎮まれ! 俺たちは敵ではない!」 そして呪を完成させる最後の言葉を唱えた。さあっと風は通り抜けていって、やがてさやさやという静かな風が戻ってきた。 届くんが手探りで私に触れて、顔を両手で包んだ。 「大丈夫か、癒子?」 「大丈夫」 私は至近距離に少しドキドキしながら言った。 「閉じ込めたの?」 「うん」 『おいこら、いちゃついてる場合じゃないぞ』 ケンが駆け寄ってきた。 『あのサナギは?』 届くんは私から手を離して、懐から何かを取り出すようなしぐさをした。 「ここだよ」 その目はしっかりとケンを見ていたので、私はちょっと悲しくなった。ケンは届くんには見えるのに、私は届くんには見えないんだ。 『ああ、終わったんですか。よかった』 お客さんの声がした。 『……すみません、私のせいですね』 お客さんが申し訳なさそうに言った。 『他のサナギたちが、二度と私を入れまいとしたのでしょう』 「……みたいですね」 届くんは溜め息をついた。 「あなたの強い思いが他のサナギにもあのような力を与えていたとは。びっくりした。ここから先があなたの力の及んでいた範囲になるのですか?」 『はい。……私は外で待っていた方が良いでしょうか。また襲ってくるかもしれませんし』 「いや、他のサナギたちの念を清めておきますから大丈夫です」 私は藁人形を差し出した。 「届くん……あの、清めをするならこれが形代に使えるかなって思ったんだけど」 届くんは私から藁人形を受け取って、よく触ってみた。 「藁人形か。……持ち堪えられるかな」 『やってみて損はないぜ。このままこいつをほっとくわけにもいかねぇだろ』 ケンも賛同した。お客さんが困惑したような声を出した。 『あの、何をなさるのですか』 「結界の中のやつを藁人形に閉じ込めるんです」 届くんは言って、私に向かって手を差し出した。 「癒子、紙と朱を」 「はい」 私は硯を出して朱を注ぎ、筆をそれに浸して届くんに渡した。届くんは受け取ると、さらさらと手慣れた様子で奇妙な記号を描いた。それを米糊で藁人形に張り付けると、呪を唱えながら五芒星の中に投げ込んだ。 ぱぁんと音がして、光が閃いた。私は身を乗り出して聞いた。 「成功?」 「うん。藁人形の中に吸い込まれるのが見えたから大丈夫」 私はそれを聞いてまた俯いてしまった。 『どうした、ユコ』 ケンが聞いてくる。 「なんで私には“そういうの”が見えないんだろうなぁって。私、こういう場面だとすっかり役立たずだよね」 届くんはくすりと笑った。家族の中でも滅多に見せない優しい笑い方だった。 「見えなくても良いよ」 「本当にそう思う?」 「うん。俺が癒子の代わりに見てあげてるんだから。そして癒子は俺の代わりに人の世を見てくれてる」 「……二人で一人?」 「そう」 私は嬉しくなった。 「じゃ、一心同体だね」 『それじゃ完璧に同じだから、補完し合ってねぇじゃねぇか』 ケンに突っ込まれたけど気にしなかった。 届くんは藁人形を拾いに行き、言った。 「お客さん、あなた自身も清めさせていただきますよ。その積もった恨みを祓わないと」 『はい、お願いします』 届くんは念入りに、藁人形とお客さんに清めの呪を施すと、また私の肩につかまって、ケンの先導について歩き出した。 Copyright © 2007 Kaduki Ujoh all right reserved. |