テストが終わって、塾もない週末。私は再び朔良のモーニングコールーで起きた。というか、早起きだな。年寄りか朔良は。
「……まだ7時だけど」
迎えに来るのは九時とか言ってなかったか? 寝惚けた声で言ったら、朔良からは元気な声が返ってきた。
「涼乃はまた着ていく服であれこれ悩むだろうからさ。それに出かける前にちょっと涼乃んちでまったりしたいから」
「こっちの都合はお構いなし?」
「都合悪いの? もうちょっと寝ていたかった? 夕べ夜更かしでもした?」
「いや、そういうわけじゃ」
確かに別に困ってるわけじゃないけど。
「じゃあ、いい?」
「いいよ」
他に言いようもないのでそう答えて電話を切った。
着替えて歯磨きをしに洗面所に行ったら、先客がいた。
「あれ、透子も早いね」
「うん。デート」
透子は顔をタオルで拭きながら言った。私も蛇口を捻って、ぽつりと言った。
「デート好きだねぇ、透子。そんなに楽しい?」
「まあね。涼乃ちゃんはおこちゃまだからまだ分かんないかな?」
「……うわそれすっごいカチンとくる」
ふふふ、と透子は笑っていった。
「色々買ってもらったりべたべたしてみたりするだけがデートじゃないんだよ」
「それにしても、こんな早い時間から?」
「先生が、午後じゃ都合悪いんだって」
ふと、私は気になって透子に聞いてみた。
「透子」
「ん?」
「壱原さんと出かけるの、そんなに楽しいの?」
きょとん、と透子が表情を止めた。
「どうしたの、急に」
「いやあ、壱原さんの都合に合わせるほど、壱原さんの事気に入ってるのかと思って」
男遊びが全てじゃないのかな、と思っただけだ。ちょっと見直しかけたのに、透子はうーんとうなって小首を傾げて、自分で自分の姉としての威厳を台無しにした。
「別にぃ。今までと大して違わないよ」
「……壱原さんに失礼にもほどがある」
「涼乃ちゃんってよく先生の肩を持つねぇ」
上目遣いに見上げられた。まあ、いろいろ話を聞いてもらってますから。
「だって透子って、わがまま言って自分の都合に合わせてもらうタイプじゃない」
「でも、わがまま言ったら一緒に遊んでもらえないんじゃ、意味ないもん」
一理あるけれど、それでも上手く甘えてわがままを通してしまうのが透子なのだ。壱原さんにはそれが通じないって事なのかね。ちょっと、二人の間でどういうやり取りをしているのか興味が出てきた。今度朔良に言って、ダブルデートでもしてみようかな。
「涼乃ちゃんは朔良くんとおでかけだよね。九時に出るって言ってなかった?」
「朔良に起こされた。出かける前にうちでまったりしていきたいんだって」
「ふうん」
そういえば朔良ってちょっと透子に似てる。うまく自分の要求を通してしまえる、私にとってはうらやましい性質。
「涼乃ちゃんもたまには甘えなよー」
透子が髪をカールしながら言った。私は苦笑する。
「割と甘えてると思うけど」
自分の要求も通すけど、朔良は私の要求も受け入れてくれるからね。
「そうじゃなくて。もっと甘えらしい甘えのこと」
「甘えらしい甘え? なにそれ?」
「だから、重い荷物持ってーとか、おごってーとか、そういう類の」
「わがまま?」
「それは悪い言い方」
なるほど、ものは言いようなのね。私はうーんと唸って、言った。
「考えとく」
あからさまに甘えるのは苦手だ。甘えていないようで実は甘えている、というのは得意だけど。そう考えると私も透子並に小悪魔っぽく聞こえるな。
トースターでパン焼いて、透子はジャム、私はバターを塗っていたら玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。朔良だった。あまりのタイミングのよさに驚きつつ、朔良も朝食に交ざる。ていうか、食べてなかったんだね。タダ飯食いめ、と叱ってやりたい気もしたが、よく考えれば私も透子もしょっちゅう朔良の家で飲み物やお菓子をいただいているのでやめておいた。
朝ごはんは、透子の方がひと足先に食べ終わった。元々透子は朝はあまりものがお腹に入らない方なのだ。両親が留守なのをいいことに、隙あらば抜こうとするので妹の私が首根っこをつかまえて朝食の席に座らせている。
私達も食事を終わらせて、カバンを持つと一緒に出掛けた。
「透子はどこへいくの?」
私は聞いてみた。壱原さんと普段どんなところに出かけているのか、ちょっと気になる。
「うーん、今日はショッピングかなぁ。新しい水着を買いたいんだ」
私はぎょっとした。
「透子……水着を壱原さんに見立ててもらうつもり?」
「いけない?」
「それ、壱原さんは知ってるの?」
「水着のことは言ってないよ」
さぞかし驚くことだろうね、それは。
「せめて普通の服を」
「なに言ってるの。水着を着たところを想像してもらえれば、ちょっとは透子のこと、イイなって思ってもらえるかもしれないじゃない」
そこかい。
がっくりと肩を落とすと、今度は透子が聞いてきた。
「涼乃ちゃんたちはどこへ行くの?」
「……どこだろう」
言いながら私は朔良を見る。そういえばどこに行くのか、全然聞いてない。朔良が何も言わないので行き先は決まっているのだと思い込んでいたのだ。
朔良はうーん、と言って首をかしげた。
「決めてない」
「え?」
私は驚いた。
「決めてないの?」
「涼乃はどこに行きたい?」
「……急に聞かれても。そういうのは、前もって聞いておくものでしょ」
「いいじゃん、気が変わることもあるんだから、今日行きたいところで。俺が全部決めていいなら決めちゃうけど、なんかいつも俺ばっかり主張してるんだもん」
確かに、いつも朔良ばかり主張してる、って私も思っていたけれど、突然私が決めていいよ、と言われると戸惑ってしまった。朔良に決めてほしい。
「……じゃあ、透子と同じ駅で降りる」
「……涼乃」
「分かってるよ。透子たちと同じ行動はしない。朔良と二人きり。これなら、いいでしょ?」
朔良は苦笑した。
「決められないから他の人についていくの?」
今のはぐさっと来たぞ、朔良。
「だったら朔良はどこに行きたいの」
「涼乃が行きたい場所に」
それだって他人についていくってことでしょ、と思ったけれど、多分違うので私は黙っておいた。私は興味のある場所を思いつけなかったけれど、朔良は多分、私の行きたい場所、が興味のある場所なのだ。私は肩をすくめて言った。
「まあ、いっか、それで。……なんか、全然デートらしくないけど」
「いいじゃん、二人だけで遊びに行けるのが大事なんだもん」
というわけで、そういうことになった。透子は別に異論はないようだ。 駅前で壱原さんに会ったら不思議な顔をされたけど、事情を説明したら納得してくれた。デートかぁ、いいねぇ、なんて市原さんは言って、「それじゃあ透子たちのはなんなの」と透子に膨れっ面をされていた。わがままな妹に振り回される兄の図に見えると私が言ったら余計に膨れた。ごめん、壱原さん、ご機嫌取りよろしく。
同じ駅で降りてみたら、全然知らない場所だった。透子たちは北口だというので私たちは南口から出ることにした。知らない街でデート。なんかすごい。
「あんまり駅前から離れると帰れないね」
私が後ろを振り返りつつ言うと、朔良はだいじょーぶ、と呑気なことを言った。
「人に聞けばいいじゃん。それに、そんなこと気にしてたら楽しめないよ」
ごもっともなんだけど、一応万が一のことを想定して動くのがオトナですから? って、十三の私が言うのもなんだけど。
「……なんか今日の朔良、ちょっといつもと違う気がする」
「そう?」
私が頷くと、朔良はちょっと意味ありげににこりと笑った。
「二人きりで遊びに来てるからだからだよ、たぶん」
私にはちょっと意味が分からなかった。
朔良は宣言どおり、細かいことは気にせずに知らない街を楽しんだ。商店街を見つけて入り込み、名物らしいコロッケを買ったり、近くに公園を見つけて、一緒にそこでのんびりしたり。ゲームセンターを見つけて一緒に入ったりした。ぬいぐるみを取ってくれるなんてカッコつけたことを朔良は言っていたけど、肝心な所ですべって結局取れなかった。ちょっと落ち込んでいたので、私もあまりからかわないでおいてあげた。
お昼ごはんは、お互いお腹が空いたと思った後最初に見つけた料理店に入った。朔良は、小学生が入るにはちょっとお値段が高めの店に少し緊張しているみたいだった。やっぱり子供だな。
まあ、結局貧乏学生、お互い懐と相談して注文した品だったけれど、なかなかおいしかった。
「透子たちは今頃なにしてるんだろうね」
私が親子丼をつつきながら言うと、朔良はカツ丼のカツをお箸で切ろうと四苦八苦しながら答えた。
「お昼食べてるんじゃないの。透子お姉ちゃんがきっとおしゃれな喫茶店に先生を引っ張り込んでるよ」
その通りだろう。
「涼乃ってさ、透子お姉ちゃんのこと呼び捨てだよね」
朔良がカツをほおばりながら言った。私は苦笑する。
「私よりも年下みたいなお姉ちゃんだもん」
「兄貴も時々、俺より年下みたいなことするよ」
「嘘ぉ!?」
「ほんとだよ。うっかりやだからさ、兄貴の忘れた上履きを俺が届けたことあるんだから」
「あー……」
うっかりなのは否定しない。
「というかさ」
朔良はおはしを口の端に挟んで、私を上目遣いに見上げた。
「年齢って、そんなに大事? 透子お姉ちゃんは涼乃より子供っぽくて、うちの兄貴も時々子供なら、俺が小学生で何の問題があるの」
……久しぶりにつっついてきたな。
「……だって朔良、三十歳の人と付き合えないでしょ」
「それは開きすぎだもん。涼乃って早生まれだから、俺とほとんど一個しか違わないだろ」
そう言われちゃうとなぁ。見た目の問題……かもしれないけど。朔良はまだ声変わりもしてないし、ぐんと背が伸びて私を驚かすようなこともしてない。見た目、そのまんま、子供なのだ。って言ったら、朔良怒るだろうなぁ。
「じゃあ朔良、年齢に関係なく無理だって言ったら諦めてくれるの?」
「諦めはしないよ」
即答ですか。
「俺、しつこいもん」
「……自覚あったんだ」
「なんか傷つく、それ」
朔良は苦笑した。私もちょっと苦笑を返す。
ご飯を食べ終わって、私たちは店を出て、そこらへんをぷらぷら散歩した。普通に歩いていたら、朔良は私を道の端に押しやった。
「涼乃はこっち」
「なんで? そっち歩くのが好きなの?」
「いいからいいから」
わけが分からなかったけれど、その後車が通って気付いた。そっか、車道側を歩いてくれてるんだ。……人間ができすぎじゃないの、朔良。
歩きながら、私はさっきの話しの続きをした。
「朔良は、私に告白を受け入れてもらってどうしたいの?」
「そりゃ、付き合うんでしょ」
「付き合ってどうするの」
「えー……」
朔良はちょっと困ったような顔をした。
「変な質問するね」
「だって、好きでいるだけなら付き合う必要なないでしょ。付き合う、っていう形式を欲しがる理由が分からない」
彰のことが好きだった。多分、まだ今も好き。でも、私はあまり付き合いたいとは思っていなかった気がする。両思いであったらいいなとは思ってたけど。
すると、朔良は少し考えた後で言った。
「付き合うってさ、色々特権があるじゃん」
「特権?」
「そう。なんていうのかなー、独占できる、って感じがする。他の誰も涼乃にちょっかいだせないようにできて、俺だけのものにできるって感じ」
「…………」
なるほど、と思った。
「……マセた考え方するんだね」
「大人っぽいって言ってよ」
大人っぽい、か、と考える。ものは言いようだ。透子の「甘え」と「わがまま」みたいなものだ。私、朔良を過小評価してるのかなぁ。
その後も朔良と一緒に、見つけた雑貨屋さんに入ってみたり古本屋に入ってみたり、神社を見つけて、そのうらの林の中にちょっと進んでみたり、探検のようなことをした。変わったデートだけど、新鮮だしお金もかからなくていいかもしれない。
それに、久々に、朔良と一対一で面と向かった気がした。多分、デートってそういうことなんだ。一緒に歩いたり、面と向かったり。
「楽しかった?」
だから、帰りの電車で朔良にそういわれたとき、私は素直に頷けた。
「まったりしたデートだったね」
「涼乃はこういうほうが好きでしょ」
「うん。……朔良は? 私ばっかりに合わせなくていいのに。券使ってまでデートしたのに、味気なくなかった?」
「合わせたかったんだもん。それに、俺も楽しかったよ」
「そう? ならいいけど」
私は窓の外を通り過ぎる景色を見ながら言った。
「今日の朔良がいつもと違って見えた理由、多分朔良が自然体だったからかな」
「俺はいつも自然体だよ」
「そうじゃなくて。だって、朔良、彰も透子もいないからだ、って言ったじゃない」
「ああ……うん」
朔良は頷く。
「涼乃とはいつも家の周りばっかりで会うんだもん。どうしてもちらちらあの二人の影が、ね」
「そうそう、今日はそれがなかったから。あ、それに」
「うん?」
私はちょっと意地悪く言った。
「いつもよりぺたぺたくっついてこなかったというか、好き好きコールがなかったっていうか。こっちの方が好きだよ、私」
「えーっ」
朔良は不満そうに言った。
「頑張って我慢してたんだよ!」
「でもこっちの方が好き」
「それって恋愛抜きの方がいいってことじゃん!」
「だから、そう言ってるんだよ」
「涼乃、やっぱり俺には意地悪!」
むーっとしている朔良を笑いながら、私たちは電車を降りた。そのままのノリで軽く言い合いをしながら家へ向かう。
家の前について、いざバイバイ、となった時に、朔良が私を呼び止めた。
「あ、待って、涼乃」
「なに?」
朔良は私に駆け寄って、頬にキスをした。頬とは言っても、限りなく唇に近かった。
不意打ちだったから対応できなかったし、はっきりとそれを認識する前に朔良は笑顔でまたね、と言って家に駆け込んでいた。私は呆然とその場に突っ立って、口をぽかんと開けていた。……唇じゃなくてよかった。ってか、え? 何今の?
頭の中に、ぽんと透子の言葉がよみがえってきた。
「キスしたからその気になるって事もあるんだよ?」
……実行しやがった。
私はかっと熱くなった頬を押さえながら家に駆け込んだ。透子はまだ帰ってなかった。
っていうか、うわあ。うわああぁ。キザだ! 小学生のくせにキザすぎる! 今日一日我慢した分を全部詰め込んだみたいな感じだった。くそう、まんまとやられた。
と、ひとしきりパニックになった後に、ふと気付いた。
それで、今のキスの効力のほどは?
透子が帰ってくるまで自分に問いかけていたけれど、結局分からなかった。