EVER...
chapter:1-story:12
リリス

 

 資料庫はリオが想像したより大きかった。元から本が好きなリオは、オーリエイトが鍵を開けるなり、彼女よりも先に資料庫に入った。木製の本棚と本特有の匂いが混じって、リオは何とも言えない落ち着いた気持ちになった。
「図書館みたい」
 リオは、本を収納するためだけに造られた建物の中で、こんなに大きなものは初めてだった。
「気に入った?」
「うん、すごいよ」
 リオは手近にあった本を手に取って見てみた。リオには縁のない、奇妙な魔法文字が連なっている。頭が痛くなってもとの場所に戻し、隣の棚に映った。これは読める文字だ。
 「降魔戦争の歴史」、「上級の天使と悪魔一覧」「悪魔氾濫の歴史」……悪魔関連の本が多い。棚にかかっている表札を読むと、ウィリアム個人の本だった。
「……ウィルは、悪魔のことを調べてるんだ」
 オーリエイトも悪魔の動向を気にしている。降魔戦争、という単語が気にかかった。千年の昔、髪と人の連合軍と、悪魔の間で起きた戦い。活発化し始めた悪魔たちの動向は何を意味しているのだろう。

 その時、資料庫の奥で、本が雪崩る凄まじい音がした。驚いてリオが駆け付けると、オーリエイトが本の山の中に座り込んで呆然としていた。頭にも一冊、本が乗っている。
「だ、大丈夫?」
 リオが聞くと、オーリエイトは頷いた。
「怪我はないから」
 そう言って立ち上がろうとしたが、オーリエイトは本につまづいて倒れそうになり、リオが慌てて支えた。やっと本の山から救いだすと、リオはこらえきれなくなってくすくす笑い始めた。
「オーリエイトでもこんなドジをするんだね」
 オーリエイトは頬を赤らめてそっぽを向いた。

 彼女が服についた埃を払っている間に、リオは何気なく落ちている本を一瞥した。突然に、「リリス」という題名が目に飛び込んできた。薄っぺらくてノート のような冊子だったが、その題名を見てリオは打たれたようになった。一瞬固まって、その後我に返って弾かれたように素早くその本を懐に入れる。タイミング よく、オーリエイトが「そういえば、役に立ちそうな本はあった?」と聞いてきた。
「うん。ちょっと始めの目的とは違うものになっちゃったけど」
 オーリエイトが首を傾げている間に、床に散らばったままの他の本には目もくれず、リオは資料庫を出た。



「よっ、リディア」
 アーウィンに声を掛けられ、リディアは振り向いた。
「アーウィン。ちょうどよかったわ、オーリィを見なかった?」
 アーウィンは花園の向こう側を指差した。
「さっき、あっちの方でリオと一緒にどこかに行こうとしてるのを見たよ」
「そう……ありがとう」
「あれ、探しに行かないの?」
 リディアは微笑んだ。
「リオに用がありそうだから、邪魔しないわ」
 ふーん、とアーウィンは呟いてリディアを見つめた。
「んね、リオってリディアやオーリィと仲が良くないの?」
 質問の意図をはかりかねてリディアがきょとんとしていると、アーウィンが付け足した。
「ほら、リオって時々輪に入ってこないじゃん。距離を置いてるって言うか……」
 リディアは少し悲しそうに俯いた。
「まだ人と関わるのが怖いんだと思うわ」
「そういや、行き倒れになってたのを拾ったとかなんとか」
 リディアは頷いた。
「初めはちっとも口をきいてくれなかったわ」
「へぇ。それなら今のリオと比べたらすごい進歩じゃん。君達が助けてあげたおかげなんだな」
 リディアは苦笑した。
「救ったとは思ってないわ。人は人と関り合わないと壊れてしまうのに、リオは関わりたくても関われない状況だったの。私たちは、リオを人と人の関わり合いの中に連れ戻しただけ。でも、リオはまだ怖がってるみたい……どうにか、したいんだけれどね」
 そっか、と言ってアーウィンは足下を見つめた。
「オレと会ったばかりの時のライリスも、そんな感じだった」
「そうなの……?」
「ま、誰にだって辛い過去はあるだろ」
 その口調はいつもの気楽な調子に戻っていた。リディアは笑った。
「あら、あなたは?」
「オレ? オレは珍しい例外」
 にっと笑ったアーウィンにつられて、リディアも思わず微笑んだ。



 リオは早足に自分の部屋に戻った。懐に隠した本が気になってしょうがなかった。リリス、というのはリオの母の名だった。ある日突然、奇妙な死を遂げた母の。
 リオは父のことは一切覚えていないが、母のことはいろいろと覚えている。優しかった母、誰よりも深い愛情を注いでくれた母。その母はリオが6歳の時に突 然姿を消して、一週間経って遠く離れた町で、変死体で見つかった。リオはずっと、それがひっかかっていた。思わずこの本を手に取ってしまったのは、そうい うわけなのだ。
 少なくともこの母の名は、教会の人達も太鼓判を押す珍しい名だった。母自身はあまりこの名が好きではないようだったのをリオは覚えている。緊張の面持ちで、リオは本を開こうと表紙に手をかけた。

 その時、ノックもなしにガチャンと音を立ててドアが開いたのでリオは文字通り飛び上がった。見ると、ノアがてててと駆けてくるところだった。
「ノ、ノア」
 リオはなるべく不自然に見えないように本、もといノートを閉じてノアの方を向く。
「どうしたの? リディアは?」
 ノアはふるふると首を横に振って、綺麗な色の瞳を困惑に染めてリオを見上げた。
「なに、はぐれちゃったの?」
 ノアはこくんと頷いた。しゃべれないのに、意外と意思疎通できるものなんだな、と少し感心する。
「おいで」
 呼び掛けると、ノアはいつもリディアにそうするように、リオの手にしがみついて、とことこついてきた。……可愛すぎる。もう母親になったような気分で目を細めてリディアを探しながら歩いていると、玄関ホールを出たところでリディアが外から駆け込んできた。
「ノア!!」
 長くて真っ直ぐな黒髪を乱して、リディアはノアに抱き付いた。
「よかった!」
 リオはその姿を見て苦笑を漏らす。過保護だなあ、ほんと。ノアがお姉ちゃん大好きなら、リディアも弟が何より大切なのだ。
 それからようやくリディアはリオに気付いたように、「ありがとう」と言った。
「珍しいね、二人がはぐれるなんて」
 リディアは少し赤くなった。
「花園でアーウィンと話し込んでたら、いつの間にかいなくなってて」
「そうなんだ。……珍しいね、ノアが自分からリディアを離れるなんて」
 リディアは少し苦笑いした。
「時々、動物を見ると追いかけていってしまうのよ。ノアは動物が大好きだから」
「そうなんだ。……ところで、ノアの呪いの正体は分かったの?」
 リディアは急に表情を堅くした。
「……まだ」
「ウィルは何とも?」
 リディアは肩を落として頷いた。
「あれから何回か会って、その度にノアをじっと見てたけど、何も言わなかったわ」
 そう、とリオも俯く。リディアははっとしたように顔をあげた。
「リオは? リオの呪いは何なのか、わかった?」
 リオは一瞬返事に詰まった。
「今調べてるとこ……」
 実を言うと、すっかり忘れていた。
「不思議。ウィルは魔法に関わることなら、なんでも解決していたのに」
 リディアはそう呟いて首を傾げた。
「なんでもよ。なのに、なぜノアとあなたのことではこんなに手惑うのかしら」
「猿も木からなんとかってヤツじゃない?」
 あまりウィリアムの手腕をこの目で見たことがないリオは、適当に返した。
「ウィルに限って、そんなことありえねぇよ」
 いつの間に話を聞いていたのか、アーウィンがあくびを噛み殺しながら二人に歩み寄ってきた。
「オレ、あいつの力の凄さ、この身で体験してきたばっか。反則だぜ、呪文も呪符も要らないなんて」
「一体何をしてきたのよ」
 リオはその呑気そうな顔に聞いた。
「魔法の訓練。オレ、何かやらされるみたい」
 なんだろーなー、とまるで人事のように言う。リディアは複雑そうな顔になった。
「もし守護者になれと言われたなら、よく考えてから返事をしてね」
 アーウィンは「へっ?」と言って目を丸くした。
「私のお兄ちゃんも守護者なのよ。会う度に、教会に入らなければ良かった、って言ってるわ」
 初耳だ、と思ってリオもアーウィンも驚いた。
「たぶん、私とノアがいなかったら、お兄ちゃんは絶対断ってたと思う」
 リディアは苦しそうに言って目を伏せた。
「教会なんて名ばかりなのよ。ウィルもお兄ちゃんも、縛られてるのよ。囚われるんだわ、教会に携わる全ての人が」
 リオはこの天使の血を引く少女が、嫌悪を露わにしたのを初めて目にした。
「オーリィがどんなに心を砕いて擁護してくれても、お兄ちゃんが囚われであることに変わりないわ。アーウィン、よく考えてね」
 アーウィンは驚きのあまり、棒を呑んだように立ち尽くしていたが、すぐに屈託なく笑った。
「オレなら大丈夫だよ。オレが何より大事なのは自由だし。これで人生変わるみたいだし、簡単に決めはしない。ま、オレは独り身で家族もないから、守るべき人もいないからね。責任とかを考えなくて済むから、自由に決めるよ」
 リディアはそれでも不安そうな表情をしていた。囚われになるのを知っていて、オーリエイトがアーウィンを守護者に迎えようとしているのだろう、とリオは思い当たった。しばらく姿を潜めていた猜疑心が、またリオの中で頭をもたげた。

 何を、彼女はしようとしているのだろう。



最終改訂 2005.11.16