EVER...
chapter:1-story:16
星空
 

 

 星が空に輝いていた。もちろん、その数に限りはあるのだろうが、あまりに多すぎて「無数」としか形容できない。
 リオは飽きる事なく花園に出て来ていた。ここはすっかり気に入っていた。人の手が加わっているのではなく、自然の花園ならもっと良かったのに、と多少残念ではあったが。

 ずっと昔、まだ母が生きていた頃に、星は消えるんだ、と教えてもらったことがあったな、とぼんやり思い出す。ならどうして北極星は消えないんだろう、と不思議に思ったものだ。
「リオ」
 優しい声がして振り返ると、ウィリアムがいた。リオは笑った。
「こんばんは。良い夜ね。……あなたとは、大抵ここで会うね」
「私もそう思いました」
 ウィルは屈託なく笑った。
「でも、偶然でもないんですよ。私もここで考えごとをするのが好きなんです」
「え」
 リオはバツが悪そうな顔をした。
「ごめんね。あたし、横取りしたことになるよね」
「いえ、そんな」
 ウィルは少しびっくりした顔をした。
「誰かと共有するほうが、嬉しいですよ」
 全く純粋にそう言っているのが分かって、リオは毎度のごとく驚嘆した。リオから見れば、彼は十分大人と呼ぶに足る年齢だった。その彼がこんなに真っ白い物言いをするなんて、新鮮だった。その金と青の色違いの瞳をしげしげと眺めていると、別の声がかかった。
「リオ」
 リディアの声だった。リオは嬉しくなって手を振り、ウィルは丁寧にお辞儀をした。リディアは彼の姿を見て少し首を傾げたが、気にせずノアの手を引いて側まで来た。
「あなたも出て来ていたのね、ウィル」
「はい」
 リディアはリオの隣りに座って、ノアを膝に乗せた。ノアは遠慮なくその指定席に収まると、嬉しそうに空を指差した。つられるようにして皆が天を仰ぐ。
「綺麗な星ですね」
 ウィルが言った。リディアとリオは同時に頷いた。
「ねぇ知ってる? 星って消えるんだって」
 リオが言うと、皆が一斉に振り向いたので、リオは面食らった。ウィルが初めて鋭さを交えてリオを見た。
「どこでそれを?」
「お母さんが教えてくれたの」
 リオはびっくりして、ありのまま正直に言った。柔らかくて優しいウィルしか知らなかったので、かなり驚いた。
「私も聞いたことあるわ。星って、今世界にいる人の数を表してるんですって。だから、死んだ人の分星は減って、生まれた人の分増えるって」
 リディアも言う。ウィルは目を細め、二人の少女を見やった。
「正しい、と言っておきましょう。神話の創世記の一節です」
 いつもより少し低い声で、彼は言った。
「リオ、あなたは神話に詳しいのですか?」
「え?」
「もしそうなら、クローゼラがあなたを狙うのはそのせいかと。知り過ぎた者の抹殺です」
 リオは仰天してうろたえた。
「そんな、たかが星で」
「創世方法に関する情報は、漏洩が最大の禁忌ですよ。星が空にあるのはなぜだと思いますか?」
 答えたのはリオではなくリディアだった。
「天界に近いから」
 ウィルは今度はリオを見つめた。
「私、天使のハーフだから、ほら、天界の事情には少し知識があるのよ」
 リディアはウィルの色違いの視線に射竦められ、肩を縮めて言った。
 ウィルの瞳は不思議だ。優しく和ませれば温かな柔らかさを持つが、彼がその気になればゾッとするほどの鋭利な冷たさを放つ。
 姉の緊張を敏感に感じ取って、ノアは果敢にもウィルを睨んだ。ウィルはそれを見て呆れたように言った。
「無謀ですよ、ノア君」
 聖者を相手にとるとしたら、もっとも過ぎる忠告だ。
「まあ、とにかく、あなた方が只者ではないと身に染みて分かりました」
「そんな、あのね、ウィル」
 言いかけて、リオはまた口を閉じた。
 ウィルは空を見上げて悲しそうな顔をしていた。諦めとも安堵とも、絶望ともつかない表情。とても目が離せず、強烈な印象が脳裏に焼き付いた。

「世界を守りたいと、あなた達は思えますか」

 リオもリディアも、ノアでさえ、神聖視される青年をなすすべなく見つめていた。
「もし、思うなら」
 ウィルはそこで言葉を切り、ひとつ息を吸った。その唇が紡ぎ出したのは歌だった。

「暁の空に星ひとつ 海に落ちて波ひとつ
 赤い花は地に落ちて 青い花は天を舞う」

 リディアのそれとはまた違い、透明な印象を与えるその歌声は、不思議な旋律に乗って星空に渡る。

「摘んで刈って 摘んで刈って
 最後の星は溶けて消えた
 あなたの星はどこにある?
 星の鍵のありかには
 ひとつふたつと花が咲く」

 ウィルは歌い終わるとリオ達を見つめた。リオは首を傾げて、真っ正直な感想を述べた。
「変な歌ね」
 旋律も奇妙なら歌詞も奇妙極まりない。ウィルはそれを聞いて一瞬目を白黒させたが、やがて苦笑した。
「そんな単純な言葉で片付けばいいのですけれどね」
「え?」
 ウィルは目を閉じて息を吐いた。
「今の歌は、私が、生まれた時から頭の隅で覚えていたものです」
 リオとリディアは目を見合わせた。どうやらただの歌ではないらしい。
「誰かに歌ってもらった覚えもなく、私の他にこの歌を知っている人も聞いたことがありません。なのに、どうしてか、ずっと知っていたんです」
 この話も歌に負けず劣らず奇妙だ。
 ウィルはふっと視線を上げる。金と青が、宝石のようにきらりと光った。
「世界を守りたいと、思えますか」
 歌と世界とがどう関係があるのだろうと首を傾げたリオだったが、ハッと気付いてウィルを見つめ返した。ウィルもリオが気付いたことを知って微かに笑った。リオは力強く頷いた。
「守りたい」
 ウィルは悲しげに笑って、静かに頭を下げた。痛々しい感じさえするその動作に、リオは胸が一杯になった。リディアは困惑気味にリオとウィルを見つめている。
 ウィルは顔を上げると、「明日は早いのではありませんか。早くおやすみください」と言ってそのまま去ってしまった。

 リディアは堪り兼ねてリオの腕を引いた。
「ねえ、どういうこと?」
「あの歌、創世に関係あるみたいだよ」
 リオは言った。
「ウィルはね、世界が危ないって前に忠告をくれたことがあったの。あの歌、謎々なんだわ」
「謎々?」
 リオは頷いた。
「ウィルしかこの歌を知らない理由があるんだろうけど、そこまではわかんない。それに、この謎々を解くにはもっといろいろ知らなきゃいけないと思う。ウィルはあたし達にこの謎解きを託したんだよ」
 リディアはなお困惑した顔をしていた。
「なら、どうしてあんな悲しそうに笑うの?」
「本当はあたし達を巻き込みたくないんだと思う。オーリエイトと同じで」
 リディアは目を見開いた。
「なのに、囚われの身である以上、ウィルは何もできないんだよ。それに、きっと今のような最高機密は直接的には教えられないんじゃないかな。だから、あんな遠回しな言い方をしたのよ」
 リオはウィルが消えた方を見つめ、溜息を吐いた。
「歌と世界とがどう関係してるのか、変だと思ったけど、それ自体が答えなんだよ。関係あるんだ、っていう」
 リディアは目を丸くした。
「……初めて会って十日も経ってないのに、あなたとウィルったら以心伝心ね」
 リオは苦笑した。
「そうかなぁ」
「そうよ」
「だったら、ちょっと嬉しいかも」
 リディアはちょっぴり微笑んで、それから目を伏せた。
「……可哀想な人よね」
「へ?」
「可哀想な人よね、ウィルって」
 リオは何も言えず、ただ黙っていた。
「でも、少しだけクローゼラの気持ちが分かるような気がするわ。あの人、閉じ込めておかないと、どのくらい多くの人を惹きつけてしまうか分からないもの」
 リオは思わず同意した。彼の表情の一つ一つが鮮やかに脳裏に焼き付いている。リディアはほうっと息をついて続けた。
「でも彼は孤独なのね。絶対的に」
 リオは頷き、足下に視線を落とした。
 白く揺れている可憐な花々。それを「あなたに」と言って渡してくれたウィル。体を震わせて、泣かないでと言ったリオに、それでも涙を零しながら、はい、 と返事をした。それでいて、さっきのような、油断のならない顔もする。さっと表情を取り繕った、あの素早さもすごかった。
「明日、さよならなんだね、ウィルと」
 リオが言うと、リディアはリオを見つめ返した。
「あたし、もう少しここにいたかった」
 リオの本心だった。
「リオ、あなた……」
 言いかけてリディアは思いとどまってやめた。リオがそんなリディアにきょとんとしていると、彼女はふるふると頭を振ってリオに抱き付いてきた。体の小柄なリオは少しよろめいた。
「どうしたの、リディア」
 リオが困惑して言うと、リディアはリオに囁いた。
「なんでもないわ。ただ、色々なことが悲しいの」
「…………?」
「何もかもが悲しいの。それでいて、とても綺麗だわ」
 それから、リディアは腕をリオの肩にかけたまま、リオの目を覗き込んでふんわりと笑った。
「ウィルは大丈夫よ、きっと。見た目よりずっと強い人だって、オーリィからの折り紙付きだもの」
 リオはリディアに微笑み返して、頷いた。
「知ってる」

 それからリオは、呟いた。
「最後の星は溶けて消えた あなたの星はどこにある?
星の鍵のありかには ひとつふたつと花が咲く」
 少しそれを吟味して、リオは振り切るようにいった。
「覚えておいて損はないよね。いつか謎解きするのに必要な材料が揃ったら、一緒に考えよう」
 リディアは頷いた。

 二人はノアと片手ずつ手を繋いで、満天の星空を眺めながら屋敷に戻った。別れの前夜はこうして過ぎていった。




最終改訂 2005.11.30