EVER...
chapter:1-story:17
神話
 

 

 翌日の出発は、午後になってからだった。だったら昨日あれほど慌てて準備をせずともよかったのではないか、と皆は一様に不満そうだった。

 少なくとも昨日一日、レインを見かけることはなかった。ウィルも客を放り出して花園散策になどは行かないだろうから、昨日、レインはあれからすぐに出発したのだろう。

 それぞれの荷物を持って、全員が門を出た。ウィルでなければ正門を開け閉めできないらしく、最後に出てきたのはウィルだった。
「皆さん、もう閉めていいですか?」
 最後にウィルが尋ねると、皆揃って頷いた。リオは結局リリスのノートは無断で持ち出してきてしまったが、もう後には引けない。
 ウィルは呪符を門にあてて呪文を唱えた。すると、屋敷の姿がかき消えた。驚いたように息を呑む彼らに、ウィルは笑って説明した。
「目くらましですよ。迷い人に見つからぬよう」
 そして、彼は皆の顔を見渡した。
「皆さん、用が済んだらグラティアに来るんですか?」
 答えたのはオーリエイトだった。
「それはこの子達の決めることよ、ウィル」
 ウィルは少し寂しそうに笑った。
「そうですね。……グラティアに限らず、是非またどこかで会いましょう」
 その場で、ウィルは呪符を一枚取り出し、呪文を唱えると、彼の姿もかき消えた。リオは目を見張り、オーリエイトをつついた。
「あれって移動の呪符じゃない?」
「そうよ」
「あたしたちは使えないのに?」
「グラティアにはれっきとした住所があるもの」
「じゃ、帰るときには使える?」
 オーリエイトは首を傾げた。
「リディアのお兄さんが持ってれば。数が少ない呪符だし、呪符の主人でないと使えないのよ」
 なんて制約の多い呪符なんだ、とリオは内心がっかりした。

 旅にはもう疲れ始めていた。村を追われて放浪を始めてから、という勘定をすると、軽く一年以上、どこかに落ち着いたためしがないことになるのだ。
 再びオーリエイトが先導し始め、歩き出した。ライリスが、来た時と方向が逆なことに気付いて、「道が違うんじゃない?」と言ったが、この山を越えた向こうに近道があるらしい。
 今度の山道は野宿するほど長くはなかった。日が暮れると同時に雲行きが怪しくなり始めたが、足下がよく見えなくなるくらい暗くなって雨が降り始める前には、ちゃんと麓に辿り着いて宿まで見つけていた。数日長い距離を歩いていなかっただけで、半日の歩きでさえ足にこたえた。

 持ち出してきたはいいものの、リオはリリスのノートを見る機会を得ることができなかった。部屋も、リディアとノアと同室なので、今も見るわけにはいかない。
 ノアは雨の降る外を、窓枠に頬をついて眺めていた。ノアは年に似合わず、おとなしい子供だ。両親ともいないのが、この子にそれだけの聞き分けの良さを与えたのだろうか。ふと、リオは自分が彼らにすっかりなじんでいながら彼らのことをほとんど知らず、そのせいで、彼らと打ち解けてはいるが完全には信頼していないことに気がついた。そう思うと、突如寂しくなった。自分は結局、どこへ行っても一人なのだろうか。故郷をなくしてから、居場所もろとも信じることができる人を失って。
「リオ?」
 リディアが声を掛けてきた。
「どうしたの、ぼうっとして」
「ちょっと考えごと」
 リオは答えて、リディアを見上げた。不思議な色合いの青の瞳を見ると、気持ちが和らいだ。リディアだけは心底信用できる気がした。彼女は包み隠さず、自分のことを教えてくれた。それが天使の特質なのだろうか、と考える。
「リディアは、自分も故郷をなくしたって言ってたよね」
 リディアは突然話題をふられて少し戸惑った。
「ええ」
「それってつまり、天界?」
「そうよ」
「じゃあ、神様って本当にいるの?」
 リディアは少し首を傾げた。
「たぶん。私は直接見たことがないから、はっきりとは言えないけど」
「会ったこと、ないの? 天使なのに?」
 リディアは悲しそうな顔をした。
「半分人間が混じっていると言うのはね、それだけで大きな汚れなの。お母さんは、降魔戦争で悪魔が地上に足をつけて以来、この地上は汚れてしまったから、そこで暮らす人間も汚れているのだと言っていたわ。だから、お母様は私たちを隠して育てたのよ。他の天使に会ったこともはないし、神様なんてもってのほかだわ」
 リオは胸をつかれた。では、この姉弟は異端として天界にいたのだ。どれだけ異分子と見なされた存在か、想像に有り余る。
 そして、もう一つ気になる話があった。
「ライリスが言ってた降魔戦争って、伝説じゃなかったんだね。本当にあったのね」
 リディアは確信なさげに頷いた。
「お母様はあったって言っていたわ。オーリィも時々、あったように話すし」
「じゃあ、やっぱり神様も本当にいるんだね。神話は本当だったんだ」
 リディアは少し目を輝かせた。
「そういえば、あなたも神話を知ってるのよね」
 リオは頷いた。そういえば、リディアも知っているというようなことを、昨日ウィルと花園で話していた時に言っていた。
「小さい頃に、よくお母さんや神父さまから聞いたよ」
 とても好きな話だった。この世をどんな神が創ったのか、どんな神がいるのか。
「始めに、神様は遠く高い天から舞い降りて、地上近くまできたのよね」
 リディアが息を弾ませて言った。彼女も好きらしい。ノアも神話と言う単語を聞いて、いそいそと窓辺を離れて、ベッドに腰掛けたリディアの膝に陣取った。彼の指定席だ。
「そう、そう。そして、大主神さまが地上をお作りになって、全ての元となる光と闇と、四大元素をお与えになった」
 リディアは笑った。
「そして、一つ一つ、命をお作りになったのよ。それからは、神様がずっと、私たちを秩序で守ってくれているんだわ」
「魔法が存在するのは神様が自分の力を世界に分けたからで、神様が地上に降りてこれないから、天使が神々の言葉を伝えるようになった」
 リオとリディアは顔を見合わせて、嬉しくてくすくすと笑った。母によく教えてもらった神話。母は神話にとても詳しかった。後で神父様と神話の話をしていた時に、神父様でさえ知らなかったことまで知っていた。
「リディアは天使のハーフでしょ? 神様と話ができる?」
 リディアは驚いたように目を瞬いた。
「……やってみようと思ったこともなかったわ」
「じゃあ、できるかもよ」
 リオが目を輝かせた一方で、リディアは無理よ、と言って悲しげに首を振った。
「半分の天使の血じゃ、とても足りないわ。本当の天使だって、神様と話ができるのは少ないのに」
 リオはわずかに肩を落とした。
「そうなんだ……」
「リオは神様に興味があるの?」
 リオはうーんと唸った。
「興味があるとかじゃなくて、ただ、何でも知ってそうだから、聞きたいことがいっぱいあるの。自分で答えを調べるよりそっちのほうが明らかに楽でしょ」
 まあそうだけと、とリディアは呟いた。

「リオは孤児なのよね?」
 リディアに問われ、リオは頷いた。同時に、少し怖かった。次に問われる質問は予想がついていたからだ。
「ご両親については、何も覚えてないの?」
 リオはためらったが、結局言うことにした。リディアがこんなに赤裸々に語ってくれているのに、自分が黙っていては申し訳ない。
「6歳の時に、お母さんが死んだの。お父さんのことは何も知らないけど、お母さんのことは結構覚えてるわ」
 今度は、リオがリディアに聞いた。
「リディアは? いつまで天界にいたの?」
「私も6歳まで。ノアが生まれてすぐ、私たちのことがバレそうになって、お母様がお父様のところへ逃がしてくれたわ」
「そう……」
 彼女も、いろいろ苦労してきているのだ。
「それから、お父様はお母様のことを諦めて再婚したの。天使が天界を離れるのは許されないから……。新しいお母様が連れていたのが、今のお兄ちゃんなのよ」
 リオはびっくりしてリディアの微笑んだ顔を見つめた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんって、血のつながってないお兄さんだったの?」
「ええ。でも、本当のお兄ちゃんみたいによくしてくれてるの。今じゃ、本当の兄弟よ」
 まあまあ、とリオは目を瞬いた。随分と複雑な家庭事情だ。
「天界を追われてお母様と離れ離れになってしまったけど、私、とても幸せなんだと思うわ。ノアもお兄ちゃんもいるし、オーリィもリオも、ライリスやアーウィンもいるんだもの。それに、半分でも天使の血が入ってる。神話と接点が持てるなんて、素敵じゃない?」
 言って、リディアは微笑んだ。
 なんて健気なんだろう、とリオは思う。

 ひょっとしたらこの少女は、本物の天使より天使らしいのではないかと、リオはそんなことを考えた。




最終改訂 2005/12/07