EVER...
chapter:1-story:24
わがまま

 

「申し訳ないが、時間がないから用件を簡潔に説明する」
オーリエイトが口を開いたが、“誰か”に遮られた。
「来年は千年目だ。降魔戦争終結から千年になる」
寝ぼけている者は、もう誰もいなかった。
「のちの魔王サタンが神々の創世方針に不満を表し、
反逆して天界を追われたのは太古の昔だった。
彼は一度この世界を滅ぼして、自分の理想の世界が創りたかったんだろう」
昔、神は自ら世界を管理していたという。
遥か太古の出来事が、今に繋がっている。
降魔戦争のことを知る者は少ない。
リオも神父から名前だけ聞いたことはあったが、
具体的に語られるのを聞いたのは初めてだった。
「もちろんサタンのこの方針は、
消される方の世界に住む我々にはたまったものじゃない。
当然神々の側につく。
そうして、太古の人々はサタンを封印したのだ――― 千年の期限付で」
息を呑んだ者は少なくなかった。
千年。
来年は千年目。
――― 魔王が、復活する?
そこで、その“誰か”はオーリエイトの方を向いた。
「戦争以来、神々の力は急速に衰えた。地上の天使の子たちの声ですら、彼らを呼べるかどうか怪しい。
今度は神の助力は得られないぞ。
頼れるのは己と、神の力を引き継ぐ守護者たちだけだ」
オーリエイトは杖を握り締めたまま呆然として、掠れた声で呟いた。
――― あなたは・・・」
「あの子を見つけろ。サタンの力を封じるんだ。
今、私の跡を継げるのは君だけなんだ、グロリア―――
オーリエイトは息を呑み、杖を放り出した。
「マーリン殿、マーリン殿!」
しかし、“誰か”はそのままふっと消えてしまった。
老人はむぅーと言って伸びをし、皆の視線に気付いて目を瞬いた。
「おや、どうしたんじゃ」
床に手をついて崩れ落ちたオーリエイトの肩に、ライリスがそっと手を添えた。
「オーリエイト?大丈夫?」
彼女は微動だにしなかった。





小屋を飛び出していったオーリエイトを、リオは追いかけた。
ずっと弱さを見せなかった彼女が、感情的になっていた。
そのことにリオは動揺していた。
降魔戦争のことも、悪魔のことも気になる。
だけど、今は目の前にあるものを見失いたくなかったのだ。

オーリエイトは小さな池のほとりにいた。
桟橋に腰掛けて、美しい月夜だというのに下を向いて俯いていた。
月明りの下でも、その真紅の髪は鮮やかで、しかしどこか儚くて。
リオが近付くと、オーリエイトが呟いた。
「……ごめんなさい、取り乱して」
消え入りそうな声だ。
「分かっていたのに……情けないわ」
肯定も否定もせずに、リオは彼女の隣に座った。
こういう時の慰めは何にもならないとリオは知っていた。
「大丈夫?」
ただ、それだけを言って。
「戻りたくないなら、何か着るものを持ってくるよ?」
オーリエイトは痛々しい笑顔を浮かべた。
「何も、聞かないのね」
「あたしの時も、オーリエイトは何も聞かなかったじゃない」
「…………」
しばし、沈黙が降りた。
大陸のどこかでサタンの封印が解けかけているとは思えないほど、
静で穏やかな夜だ。

リオが月を眺めていると、オーリエイトは、マーリン殿はね、と言った。
「マーリン殿はね、私の魔法の師匠だった人なの」
うん、とリオは頷いた。
「降魔戦争を終わらせるために、この世界を守るために、必死に頑張っていたわ」
オーリエイトは顔を上げた。
「サタンを止めたいのは――― 私がこうして戦争に備えて情報を集めているのは、世界のためなんかじゃないの」
ふふ、とオーリエイトは奇妙な笑い方をした。
「あの人が守ろうとしたものを守りたい。私が私の手で、継ぎたい。それだけよ。
大切な人がいたこの世界を・・・。綺麗な理由なんかじゃない。私のわがままよ」
守ろうとし過ぎて、一人で進んで、そのまま消えてしまいそうな感じで。
「オーリエイト……」
たまらずにリオは呼び掛けた。
オーリエイトはその呼び掛けを拒否するように首を振った。
「巻き込んでるのは皆私よ。あなたを、アーウィンを。
責めていいわよ、その方が楽だわ」
リオはそれ以上の自傷行為を止めるかのように言った。
「それでハイそうですか、って頷くと思う?」
オーリエイトは黙った。
「あたしたちがこの世界に滅んでほしいと思ってると思う?
世界中の人達がそう思ってると思う?」
俯く横顔も、頬にかかる真紅の髪も、確かに綺麗だ。
そして、疑いようもなく脆かった。
「違うでしょ。それだけで、大儀名分は成り立つものだよ。
オーリエイトのわがままは、人のためになるわがままだもん」
リオは手をのばして、池の水に指を浸した。
冷たさが指先に染み透る。

オーリエイトはリオの動作を眺めながらぽつんと聞いた。
「あなたは、誰かを死なせたことある?」
リオは一瞬黙った。
「どうして?」
「私は死なせたわ。大切な人たちを」
その口調から、彼女の根底にはその人達がいることを感じた。
「マーリン殿もその一人。私の、せい……」
闇を呑んだ者には、ひびが入る。
「……ごめんなさい。マーリン殿があんなふうに現れるとは思ってなかったから、
会って、昔を思い出したわ」
言ってオーリエイトは目を閉じた。
謝罪の言葉に対して、リオは許しの言葉を言わなかった。
彼女が望まないと知っていた。

リオはオーリエイトの肩に寄りかかった。
「あたしも、誰かのために戦えるかな」
割れそうなひびを埋めるように。
「その人のために、わがままになれるかな。オーリエイトみたいに」
オーリエイトは目を見開いてリオを見つめた。

どこかで夜鳴鳥がさえずっている。
風が吹いて木の葉を揺らした。
池の水が波を立てた。

「リオは優しいのね」
オーリエイトはそう呟いて微笑んだ。
リオの問いに答えが不要であることを、彼女は知っているのだろう。
ねえ、とリオはその微笑みに呼びかけた。
「オーリィって呼んでいい?」
にこりと笑ったオーリエイトは静かに言った。

「好きになさい」

リオは嬉しくなって立上がり、「行こう」と言ってオーリエイトに手を差し出した。
オーリエイトは、強くその手を握り返してくれた。





リディアは戸のほうにばかり目を走らせていた。
オーリエイトが飛び出していってから小半時経っているのだから、無理はない。
エリオットもアーウィンも、それぞれ思うことは多いらしく、
かつてない程、彼らは静かだった。
降魔戦争の話しも、オーリエイトの態度も、皆には十分に刺激が強かったのだ。
千年の封印、悪魔たちの活動、
オーリエイトを「グロリア」と呼んだマーリンという人物。
疑問は際限がなかったが、聞いてよい時分ではないと誰もが心得ていた。

見るに見かねたライリスは、ついにリディアに声をかけた。
「追いかけたかったんじゃなかったの?そんな辛そうな顔して」
リディアは少しだけライリスを見返し、俯いた。
「ええ、もちろんよ。でも、私じゃ駄目なの」
「なんで?」
アーウィンが脇から聞いてきた。
いつもと違って、静かな聞き方だ。
「私だと、どうしても慰めてばかりになるわ。
オーリィはそんなの欲しがらないもの」
お互いをよく知っているからこそ、追えない時がある。
「私にできることは、”何もしない”こと。待っていることだけなのよ」
返事ができずに、ライリスは黙った。

できることは、「何もしない」こと。
待っているだけ。
可憐な花のようだ。
咲いても人が、虫が、鳥が来るのを何もせずに待つしかない。
健気で儚くて。

ライリスが見つめていると、オーリエイトとリオが帰ってきた気配がした。
戸が開くと、ノアがいち早く駆けていき、二人まとめて抱き付いた。
抱き付かれた二人は顔を見合わせ、微笑むとリオがノアを脇に引き寄せた。
リディアも弾けたように立上がり、オーリエイトに駆け寄った。
いつもの微笑みをリディアは浮かべて。
「おかえり、オーリィ」

それで十分だった。

ライリスは一人そっと笑った。
リディアは何もしてないわけではない。
相手が躓いた時、ふらついた時、支えてはあげられなくても、
また相手が立上がった時に無言で手を差し延べているのだ。
また、リディアにそれができるように、
さりげなく退いたリオにライリスは気付いた。
リオはすごいな、とライリスは思った。

エリオットは無理に笑わなかった。
いつもの顔で「外は寒かったんじゃないか?火にあたりなよ」と言った。
アーウィンも笑いながら、「暖まったら、もう遅いから寝た方がいいよー」と言った。

皆、自分なりにオーリエイトを気遣っているのだ。
オーリエイトも何もなかったように振る舞っていた。
そこにあるのは、確実な……、絆。
相手を思いやり合って。

――― 人は、こんなにも美しい。

なのに、とライリスは己の手を見る。
それに引き換え、自分はどうだろう。
自分は何をした?
――― 何もしないで、待っているだけ。
彼らはちゃんと自分にできることをしているのに。

ずっと、逃げられるだけマシだと思っていた。
事実ではある。
闇を呑んだあの時、壊れなかったほうが奇跡だった。
でも。

ライリスは顔を上げて、いつの間にかこんなに増えていた仲間を見つめた。
彼らが気付かせてくれた。
逃げるほかにもできることがあると、今分かった。

――― 向かい合うことが、できる。

ぼくはわがままだったんだ、とライリスは思った。
いろいろと、わがままだったんだ。
ふと顔を上げると、金の瞳に出会った。
ライリスは微笑んだ。
「お疲れ」
そう、言えた。
彼女の心に、この言葉が響いたことが分かった。

金の瞳が、細められた―――




最終改訂 2006.01.18