EVER...
chapter:1-story:26
グラティア
 

 

樹海、だった。
しかも、樹齢が推定できないほどの巨木の。
千年や二千年ではきかない。優に万単位に見える。
幹の太さは、人が数十人手をつないで、囲めるかどうか。
切り株があったら、その上にどれだけ大きな館が建てられるか分からない。
目の前の木は根元から曲がっていて、その曲がった場所の幹からは、シダか何かが氷柱のように垂れ下がっていた。
巨木の上にはさらに杉の木が生えていたりするのだから、驚く。
しかも、なかなか大きいその杉の木が、幹にへばりついたリスのような大きさに見えるくらいなのだ。
初体験の移動呪符の感動はどこかへ吹っ飛んだ。
あまりに壮観だった。

あたりには碧い靄が漂っていて、それが遠くの木々を霞ませ、森の香りを運んでいた。
頬を撫でていく靄はひんやりとしていた。
リオは空を見上げた。
鬱蒼と茂る木の葉の間にも碧い靄が漂っていて、陽の光はあまり届いてこなかった。
その代わりだろうか、あちこちに点されたランプの光が見えた。
遠くの灯は碧い靄と混じって赤紫色に揺れていて、それがさらにこの風景の神秘さを強めている。
ほとんどが、木の幹にへばり付くようにして建てられている小屋から漏れている灯だった。
木造でどこか異国風の建物に続く階段が、木の幹に巻き付いている。
まるで異世界にきてしまったような気がして、リオは立ちつくしてしまった。
あまりにも幻想的で厳かだった。
「すっご……」
アーウィンも気圧されたように呟く。
もとからグラティアに住んでいるオーリエイトやリディア、ノア、エルトは大して感動していないようだった。
オーリエイトは景色には見向きもせず、長い呪文詠唱で喉がからからになってしまったらしいエリオットに「お疲れ様」と声をかけている。
しかし、リオは見たことのない壮観に寒気がするほどだった。
「……ここが、グラティア?」
声もなんとなくひそめてしまう。
「そうね。村はまだ先だけど」
「村?」
「畑や店がある所よ」
樹海にはあまりに似合わない単語にリオは目を丸くした。
「畑や店なんてあるの?」
オーリエイトは不思議そうな顔をした。
「なければ暮らせないじゃない」
いや、確かにそうだけど。
「オレ、聖地ってのは都市で、人がいっぱいいる所だと思ってた」
アーウィンが呟いた。
「ここは確かに聖地だよ」
グラティアが初めての人の中では一番先に落ち着いたライリスが言った。
彼女はもうきょろきょろしていない。
「ここは神様が陸で最初に創った場所なんだって」
へえ、とアーウィンは呟いた。
「この森、随分年寄りなんだ」
リオは思わずぷっと吹き出し、その表現はどうかと、と思っていると、苔で滑る巨木の根を身軽に下りてくる、青い神官服を着た少年が見えた。
「誰だろ、あれ」
不思議そうに呟いたアーウィンだったが、リオはその顔に見覚えがあって、思わず相手を睨んだ。
エルトは相手を見て手を上げた。
「レイン!」
キス魔こと、レイン・オースティンだった。

彼は相変わらずの油断できない微笑みを浮かべてやってきた。
「お帰り、エルト。やあ、オーリエイト、リディア、ノア。結局大所帯で来たんだね」
リオの方にはちらりとしか視線を送らなかった。
リオはますます腹を立てた。
「ウィルから話は聞いてる。火の守護者というのは君?」
アーウィンは明るくうん、と返事をした。
エルトの知り合いだと知って安心したらしい。
「オレはアーウィン・カウベル。君は?」
「レイン・オースティン。水の守護者だよ」
へえ、とアーウィンは目を丸くした。
「道案内をするよ。入口はすぐそこだから」
「あ、待って」
ライリスがいった。
「ぼくは行かないほうがよくないかな。完全な部外者だし」
リオも部外者といえば部外者だが、オーリエイトが直々に引き取ると言ったので、少し事情が違う。
「ぼくはここでお別れって事になるかな」
皆の間に痛い沈黙が流れた。
リオは思わず口を開いた。
「遊びに来てよね」
アーウィンも身を乗り出した。
「そうだよ。絶対な。お前なら、聖地にも入ってこれるだろ?」
いくら聖地でも王族を締め出したりはしないだろう。
「もちろん」
ライリスは言って笑った。
傾国の微笑みは、荘厳な樹海の中でも見劣りせずによく映えた。
そういえばライリスの目の色は、樹海の木々の葉の色とよく似ている、とリオは思った。
「王都アーカデルフィアはあっちよ。道を辿れば一時間で出れるわ。迷わないようにね」
オーリエイトが簡潔かつ的確なアドバイスをした。
ライリスは別れの挨拶のように手を上げた。
「ありがと。じゃ、皆またね」
言うと、彼女は勢いよく木の根を滑り降り、もう一度皆に手を振ると、颯爽と姿を消した。
その姿を見送り、一行は歩きだした。

今まで何も聞かなかったレインが初めて質問した。
「あの美人さんは誰?男装してたみたいだけど」
皆驚いてレインを見上げた。
「女だって分かったの!?」
エルトが声を上げると、レインは苦笑した。
「線が細すぎるよ」
「あの子のことも、このリオのことも、後で話すわ、レイン」
オーリエイトが話題を打ち切った。
レインは嬉しそうな顔をした。
「それは家に誘ってくれてるのかな?珍しいね」
「拒んだって来るでしょう、あなたは」
オーリエイトが溜め息をつきながら言うと、レインはくすくすと笑って、「まあね」と言った。
「食えない奴」
リオが呟くと、レインはニコリと笑って言った。
「どうとでもどうぞ」
本当に食えない奴。

そろそろリオたちが歩いている木の根が終わりだった。
一行は木の根に彫られた階段を下りた。
そのまま歩き続けていると、小屋に上る階段に人がいた。
ちゃんと人が生活していたんだ、とリオはほっと胸をなで下ろした。
相手は中年の人が良さそうなおばさんで、一行の姿を見ると、明るく手を振って「お帰りなさい」と声をかけてきた。
今見ると、頭上の小屋はかなりの高みにある。
「ねぇ、オーリィ、あたしたち、あの小屋に住むの?」
「そうよ。ここは聖者の城で働く人達の住居よ」
オーリエイトが説明した。
表情を強張らせたリオを安心させるように続ける。
「大丈夫よ。ここは下っ端の使用人たちの住む場所だから。あの魔法使いはいないわよ」
「じゃ、オレはどこに住むの?」
アーウィンが聞くと、レインが答えた。
「君は僕たちと同じく、聖城に住む。部屋はクローゼラが決めるからわからないけど」
「なあ、そのクローゼラってやつに会って、何すんの?」
レインはちらりと笑みを見せた。
この少年の笑顔も綺麗だ。
だが、闇があまりに濃すぎる。
「大丈夫。変なことはされないよ」
「でも、血の契約がどうとか……」
不安そうなアーウィンを、レインは慰めた。
「大丈夫、ただ単に忠誠を誓わさせられるだけ」
アーウィンはそれでも不安そうだった。

ついにオーリエイトたちの暮らす小屋の下までくると、リオ達は男の子達とお別れをした。
「んじゃね。遊びに来るからさ」
アーウィンは笑って手を振る。
エルトは妹弟達にまるで保護者のように、あれに気をつけなさいこれに気をつけなさいと口煩く言っていた。
リディアは根気強くはいはいと返事をしてしる。
レインはオーリエイトに言った。
「少し用を済ませてから、すぐ来るよ」
オーリエイトは頷いただけだった。


アーウィンはエルトとレインに連れられてクローゼラのもとに向かったが、リオはオーリエイトたちの家に案内された。
木造の階段は案外丈夫で、おっかなびっくりだったリオは一安心した。
階段を上った先にあった家は、小さく簡素だったが品がよかった。
オーリエイトは早速ドアの前のランプに火を灯した。
リオは階段を上がりきって、玄関前の露台にでた。

上から見ると、遠くに一部、巨木が生えていなくて光が届いている場所が見えた。
陽光に照らされて、わずかに薄く靄を纏った城が見えた。
あれが聖者の城だろう。
ウィルはあそこにいるのだろうか、とぼんやり考えた。
「ねえ、オーリィ。こんなに聖城の目と鼻の先で、あたしみたいな部外者が暮らしてるなんて、クローゼラに見つかったりしないかな」
オーリエイトはリオの肩に手を置いた。
「大丈夫よ。あの人はここへは来ないわ。それに、灯台下暗しよ」
リオは振り返ってオーリエイトに笑いかけ、促されるままに小屋に入った。

中もこじんまりとしていて居心地が良い。
木の香りが気持ち良かった。
入ってきたノアはリディアの手を離れ、わーいと言いながら小屋の中を駆け回った。
リディアは嬉しそうに言った。
「ああ、帰ってきたのね」
リオは嬉しくなった。
「あたしたち、ここで一緒に暮らすんだね。一緒にいられるのね」
「そうよ」
リディアは笑ってリオの手を取った。
「あなたの、第二の故郷だと思ってね」

第二の、故郷。

リオは抱き付いてきたノアを抱き上げた。
そうだ、まだ始まったばかりなのだ。
自分の秘密も探らなくてはいけない。
いずれ、第二の降魔戦争も起きる可能性は大きいだろう。

世界の存在を揺るがす大事件だなんて大きすぎるもの、リオには実感がわかないが、やっと出会えた仲間も、思い出の詰まったこの大地も消したくないという思いは強かった。

戦いが、始まる。
波乱の時代が、やってくる。

腹は括った。
受けて立つ、とリオは誓った。





ここから、始まるのだ。





「EVER...」第一章 終わり




最終改訂 2006.02.01