EVER...
chapter:2-story:34
遠い
 

 


「お疲れさま」
 オーリエイトは淡々と声をかけた。常は着ないような質素な服を着た青年は、深く息を吐いてソファに崩れ落ちるようにして座る。オーリエイトは少しだけ眉を動かした。
「相当ね」
「ええ、相当骨が折れましたよ。今回はちょっとてこずりました。なにせ女神は国外ですからね」
 目を伏せて、ウィルは言った。疲れたような笑みを見せて、報告する。
「でも、彼女がカートラルトで何をやらかすつもりなのか、少しはつかめました。ひとつは、逃げ出した難民の中からあのクライド氏を捜し出すこと、もうひとつはカートラルト軍を引き入れることです。――カートラルトの南東部には竜が多くいますから、その捕獲、あるいは退治も視野に入れているでしょうね」
 それからウィルは顔を上げ、苦笑した。
「労いの言葉もないのですか、レイン?」
「労いたいところだけどね」
 黙っていたレインは薄く笑った。
「君が自分のことを考えずに動くのには賛成できないね。光の聖者は、魔源郷の最後の砦なのに」
 ウィルはふ、と笑った。
「その程度の価値ですか」
「これでも僕の中では最重要の駒だと思ってるよ」
 レインはさらりと言い、オーリエイトが眉をひそめてレインを睨んだ。しかし当のウィルはあっさり、当たり前のように受け止めた。
「ええ、わかっていますよ。まあ、私は少なくともあなたより先に教会に入っていた訳ですし、長い付き合いですからあなたの性格は熟知しています」
 レインが微笑んだ。
「おかげで猫を被る必要がなくてありがたいよ」
「……それはつまり、いつもは猫を被っているのですか? その割には冷たい空気がだだ漏れで、しっかり皆さんにも性格を把握されていますが」
「適度な威圧も必要だから」
 オーリエイトはこの会話にため息をついた。
「レインったら。本当に守護者なのか、疑いたくなるわ」
「だって、なりたくてなった訳じゃない」
「エルトやウィルはちゃんとしているわ」
 レインは首を傾げて苦笑した。整った形の唇が綻ぶ。
「……そんなに、らしくない?」
「能力は申し分ないけれど、人間性はちょっと」
 なかなか酷いことをさらっと言う。それに対し、レインも
「それを隠さずに、ありのままに君に見せている誠意も評価してほしいな。僕が動くのは、いつだって君のためなのに」
 さらりと口説いた。だが、これでぐらつくようなオーリエイトではない。キッとレインを見上げ、きっぱり言った。
「私のためにやっているというのなら、それはあなたのしたことをすべて私のせいにしているということよ」
 レインはふわりと笑う。哀しさと激しさを混ぜた淡い紫の瞳でオーリエイトを見つめ、違うよ、と言った。言って、オーリエイトの顔に自分の顔を近付ける。
「違うよ。違うということを、君も知っているくせに――」
 掠めるような素早い口付け。オーリエイトに突き飛ばされる前に、レインはさっと彼女から離れた。見ていたウィルは呆れたような声を出す。
「……そのうち嫌われますよ、レイン」
「それじゃあ、ごめんなさい、オーリエイト」
 オーリエイトは唇を拭いて、思い切りレインを睨んだ。
「心にもないことを。どこが誠意を評価よ」
 レインは楽しそうに笑っただけだった。ウィルはやれやれと首を振って立ち上がった。
「あなたは変ですよ、レイン。私の目の前で自分の好きな人を口説くなんて、当てつけですか。それでは私に早くリオを見つけろと言っているように見えますよ。リオにいて欲しいのか、いて欲しくないのか、どっちなのです」
 レインは肩をすくめる。
「微妙なところだね。闇は他のどの守護者とも違う。欲しくない駒ではないけれど、弊害も大きいからなぁ……」
 ついにオーリエイトの平手打ちが飛んだ。パン、と小気味の良い音が響いたが、レインは痛がりも驚きもしない。ただ、笑みは消えていて、オーリエイトを静かに見つめていた。ウィルも表情を変えずに見守っている。
 朱色の唇を引き結んで、オーリエイトはただ、金色の瞳を怒りに染めていた。
「人を何だと思っているの。信じられない。まるで全てのものに何の価値もないみたいに……」
 それは拒絶の響きだった。
「私だけで良いなんて、そんな言葉で私が喜ぶなんて思わないことね」
 低く言って、オーリエイトはきびすを返し、部屋を出て行った。

 ウィルは同情も非難もしない目でレインを見る。そして、ポツリと言った。
「オーリエイトに先を越されましたから、私からの仕返しは後日で。リオが絡んでいては黙っていられませんからね」
「……どうぞ」
 感情のない声で、レインは言った。
 おや、とウィルは彼を見つめた。
「珍しいですね。後悔しているんですか?」
「そうかもしれない。……妙な喪失感」
 ウィルは興味深そうな顔をしたが、外套を腕にかけて出口へ向かった。
「たまには後悔ぐらいするべきです。特にあなたは」
 レインは顔を上げた。
「……どこか行くのかい?」
 一瞬その言い草が捨てられた子犬のようで、ウィルは少し歩みを止めた。誰もが、何かを求めてあがいているのだ。ウィルはそれを知っていて、そして光の笑みを向ける。
「また情報集めですよ。こういうのは光が最も得意とするんです。全てを明るみに照らすという役目もあるので。……夕方には戻ります」
 パタン、とドアが閉まる。
 レインは誰もいなくなった部屋で寂しげな笑みを浮かべた。
「……光、か。遠いな」


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 怪奇現象の発生が二十回を過ぎた頃、リオたちはようやく、目的地らしいところに着いた。正確には、目的地への中継地点らしいのだが、とりあえず一度ここで少しの間滞在するらしい。
 歩く旅ばかりをしてきたのでそっちの方がリオには心地よく、一日中乗り物に乗っている旅にリオは少々辟易していた。
 フェンリルを降り、カインと一緒に天幕の準備をしていると、ベリアルとメフィストフェレスに呼ばれた。ベリアルは興味無さそうに天幕の隅でリオを観察していた。リオの瞳を覗き込んで、メフィストフェレスが呟く。
「やはりこの色ではな……」
 手を伸ばしてきたメフィストフェレスに、リオは大きくビクッとした。メフィストフェレスが冷たく言う。
「仮にもサタン様の唯一の血縁者だ、殺しはせん」
 どうだか、と思いながらもリオは逃げずに、されるままになった。リオの目の上に手をかざし、リオは自分の目の表面に魔法が絡み付くのを感じた。あまり気持ちが良いものではないのでとっさに拒絶しそうになったが、耐えた。
「上出来だ」
 出来を見たベリアルが言った。
「まあ、騙すことになるかも知れぬが、これで宣伝効果は上がろう」
 リオは目を細めて魔法の波長を見てみた。色を構成する魔法が絡み付いている。種類は対有機生命体用、色は赤。
「……あたしの目の色を変えたの?」
「そうだ。よくわかったな」
 ベリアルは言って、リオの腕を掴んだ。
「さあ、こっちだ」
 リオは前につんのめりそうになりながら聞いた。
「ま、待って。どこへ行こうとしているの?」
「出陣式さ。皆にお披露目をするのだよ」
「出陣式? ……ここ、戦場なの?」
「そうなる予定地だ。人間共は我々がいることに気付いておらぬ。奇襲なのだよ」
 リオは足を踏ん張って抵抗した。
「待って。いや、行きたくない。何をするの? 殺すの? だったらあたしは見たくない」
「お前の意志は聞かない」
 メフェストフェレスが冷たく言った。
「何を今さら、甘えたことを言う。魔王の姪として、責務ぐらい果たせ」
 これが悪魔の理屈なのだ、とリオは知った。個人的な感情で「全体」を乱すことは許されないのだろう。リオは始めから宣伝材料としてここにいるのであって、それを果たせなければここにいる意味がないのだ。たとえ、心の準備ができていなくても。
 リオはメフィストフェレスに引っ立てられながら歩いた。雪を踏みしめて木々の間を抜けると開けた場所に出て、そこにたくさんの悪魔たちがいた。それぞれ武装していて、手には得物を持っている。剣や槍や弓のような、人が使う道具ではなく、見たことのない道具だった。きっと魔法関連の武器なのだろう。それを横目に、リオはメフィストメレスとベリアルに連れられて、大きなやぐらに登った。こちらです、と招かれて歩み出た露台の向こうの光景に、リオはぎょっとした。
 遠くの方に、カートラルトの軍隊らしい人々が張った陣が見えた。こちらの姿は向こうには見えないのだろうか、と思う。魔法で相手から隠すとか、悪魔たちならできるのかもしれない。いまから、あれを襲いに行くと言うことか。
 胸に迫るものがあった。あの人たちは何も知らない。無理やり故郷から招集された人々もいるだろう。実際に戦いに巻き込まれることなく、無事に帰れることを願っている人たちのはずだ。故郷で待つ、愛する人たちがいるはずなのだ。
 ――リオ。可愛い子。
 頭に響く声に、リオはつばを飲み込んだ。……魔王の姪の責務? これが? 彼らの“世界”を引き裂くことが、責任を全うすることになるなんて。
「前に出なさい、レオリア」
 メフィストフェレスに背中を押され、リオは一歩前に出た。眼下には、こちらを見上げる“仲間たち”がいた。ベリアルが声を張り上げた。
「皆の者!! ここにおられるのは我らがサタンさまの姪御だ! サタン様の血縁が帰ってきたぞ!」
 怒号のような歓声が上がった。たとえこの怒号が聞こえても、人間たちが慌てて支度をしたところで間に合わないだろうとリオは思った。
「サタン様ご本人の復活も近い! 今こそ出陣の時! 我々の悲願、理想の新世界に向かって進もうぞ!」
 リオは再び上がった怒号のような鬨の声に、すっかり気圧されてしまった。なんてエネルギーだろう。これが、劣った人と優位たる悪魔の違いなのだろうか。
「レオリア」
 リオがひたすら黙って下を見下ろしていたら、メフィストメレスが声をかけてきた。
「お前、魔物を従わせる力はあるだろう。こいつらを手伝うよう、お前が命じろ。サタンの姪の力はそれくらいだろうからな、それくらい示しておけ」
 リオは目を見開いて、首を横に振った。
「あたしはできない」
「フェンリルの反応を見てきただろう。あれは元々サタン様のものでな、従わせることのできる悪魔は少ないのだ。できる。やれ」
「いやです」
「なぜだ」
「人を、殺したくない」
「殺さないのは戦争ではない」
「あたしは戦争そのものが嫌いなの!」
 メフィストフェレスの紅の瞳が燃え上がったようだった。
「とことんいうことを聞かない娘だな。今までなんのためにここにいたんだ。ここにおいてやっている恩を少しは返さないか」
 頑固なリオの様子を見ていたベリアルが、口を開いた。今度は親切なことは言わなかった。
「あんまり反抗するようなら、お前の“下男”共々追い出してやってもいいのだよ?」
 リオは口を噤んだ。カインまで巻き込んでしまうのは、嫌だ。けれど、追い出されるのと人の命とでは、秤にかけた場合に重さがあまりに違う。
 ……あたしに、できることは。
 これはリオに任されているのだ。リオに選択の余地があるのだ。何かをするなら、今なのだ。考えなければ。

 リオは少し黙った後、顔を上げた。
「分かったわ」
 そして露台の中央まで進み、両腕を広げた。
「森の魔物たち、ここに集まれ」
 本当にできるのかどうか半信半疑だったが、メフィストフェレスの分析は合っていた。ほんの短い間で、魔物たちがぞくぞくと集まってきたのだ。応じる声が無数に聞こえる。黒い影が森のあちこちでうごめいている。
 リオの見せたものに、兵たちも士気が上がったようで、歓声は続いていた。
「よし」
 ベリアルは満足そうに言い、歓声に負けぬようリオに言った。
「号令はお前がかけろ、レオリア」
 リオは目を閉じ、しばし心を落ち着けた。念じるなら今だ。
(お願い、誰も殺さないで。襲う振りだけして。怪我させるくらいなら構わないから、殺さないで)
 この命令が、リオのできることだ。伝わるかどうか、不安だけれど、本当にこの体に流れる魔王の血が力を持つなら、できるはずだ。従うけれど、反抗する。これはウィルがいつもやってきたことだ。リオも、見習うつもりだった。
 目を開いて、リオは声を張り上げた。

「出陣!」

 悪魔たちが陣をきった。雪崩のように、目指す場所へと向かっていく。できることだけはしたけれど、それでもたくさん、死ぬのだろう。炎と惨劇を否応なしに思い出したリオは、体が震えだすのを止められなかった。
 ――お前のせいだ。
「……ごめんなさい」
 呟いて、リオはその場にへなへなと座り込んだ。

「ごめん、なさい」
 でも、これがあたしの精一杯。
「でも、あたし、少しは頑張ったよ、みんな……」
 だから、自分を責めるのは最小限にする。それより、できることをしていくべきだと思うから。

 リオは顔を上げ、再び立ち上がった。





最終改訂 2008/03/08