EVER...
chapter:2-story:33
宣伝と世論
 

 


「大衆扇動か……よくやるよ」
 街へ視察に行って来たエルトが、戻ってくるなり言った。
「人間は集まると怖いな」
「だからこそ、力は大きいんだよ」
 ライリスが晴れやかに言う。そしてエルトに尋ねた。
「神話の方はどう?」
「オーリエイトの狙い通り、よく広まってる。もともと神話の方は、女神が禁忌にした後も民間に根強く残っていたからね。西が怪しいって噂も前から流れてたし。ああ、カートラルトとの国境に難民が何十人か集まってるって噂もあったよ」
「本当? それは初耳だな……」
 ライリスは呟いて少し考え、よし、と言った。
「確かめる価値は有りそうだね。これで派兵賛成派が増やせそうだな」
「順調だなっ!」
 嬉しそうに言ったアーウィンに、ライリスも笑みを返す。以前と変わらない態度に、やっぱり彼が自分を見捨てることはないだろうと確信した。
 しかしそのアーウィンの表情が、ライリスの後ろのものを捉えて色を失う。
 クライドがいたのだ。ライリスも振り返り、驚いたように目を見開いて後退りした。
「……なっ」
「巷の妙な噂の出所はここだったのか」
 言った彼はしかし、ひどく楽しそうだ。
「人と国ってものをよく分かってるじゃないか、王女様。宣伝と世論は大きな力を持つことを」
 ライリスは硬い表情のまま父を見上げている。捨てると宣言されたのだから当然だ。しかしクライドはこう続けた。
「挑発してやった甲斐があったな。お前、やっぱり4歳の頃と同じだ。挑発された時に一番やる気を出す」
 ライリスはぽかんと口を開けた。
「……まさか、そのためにわざとあんなことを」
「本気で捨てるとでも思ったか?」
 クライドは大真面目な顔で言い、それからふと笑った。
「そういえばお前、覚えてるか? 昔、乗馬を教えようとしたらお前が馬は大きくて怖いなんて言うから、それならお前は馬以下の存在なんだなって言ってやったんだ。案の定、挑発に腹を立てたお前は一晩中徹夜で乗馬を練習して、俺が朝起きたら玄関でロデオを見事にこなしてた」
「うわー、すげぇ」
 アーウィンが呟く。一方のライリスは憮然として呟いた。
「おかげで母さんにこっぴどく叱られたんだ。あなたが危ないと思ってぼくを馬から引きずり下ろそうとして、馬の足蹴を食らったりなんかするから、ぼくも気が動転して馬から転がり落ちたんだ。そうじゃなきゃ二人でそろってケガなんかしなかった」
「なんだ、覚えてるじゃないか」
 クライドは嬉しそうに叫び、それから急に泣き笑いのような顔になった。そして、自分でも遠い昔のことを覚えていたことに動揺している風の娘を抱き締めた。ライリスは、これにこそ見事に動転した。
「え!? あ、え!?」
「……立派になったな、ライリス。いや、レアフィリス」
 呟き、クライドは娘を放した。にっこり父親の顔で笑って、ライリスの頭をいとおしむようにクシャクシャと撫でると、そのまま部屋から立ち去った。
 ライリス、エルト、アーウィンの三人はぽかんと立ち尽くして、その後ろ姿を見送る。ライリスはとことん奇妙な気分だという顔をしながら、クライドに撫でられた所を触っていた。
「なんだったんだ、あの人……」
 アーウィンはすぐに立ち直り、ライリスに向かってニヤリと笑った。
「よかったじゃねぇか。親父さん、お前のことちゃんと愛してるみたいだぜ」
 ライリスはむすっとした。
「ぼくと母さんはあの人のせいで――」
「おいこら、いつまでも意地張ってんじゃねぇぞ。親父さんにもいろいろあんだろ。お前の親父だ、きっと頭は良いさ。そんな人が家族を捨てることに軽々しい判断なんかしてるはずないと思うぞ?」
 アーウィンはそうライリスの言葉を遮り、すっとライリスの瞳を真っすぐに見つめた。
「ずっと会いたかったんだろ?」
「…………」
「小さい頃のことだって、あんなにしっかり覚えてたじゃんか」
「……たまたま思い出したんだよ」
「うわ、ほんと強情なやつ。オレより年上のくせに」
 アーウィンは苦笑と共にそう言い、ライリスはそれ以上の言い訳をせずにつんとそっぽを向いた。

 それから黙って窓の外を見つめ、ポツンと呟いた。
「今頃、リオはどうしてるんだろうね」
「まあ、一年間教会に追われて無事だったくらいの子だ、きっと大丈夫だよ」
 エルトが肩をすくめて言う。
「それより僕はウィルが心配。あいつ、何だかんだ言って、親切に見えて他人と深く関わらないからね。何でもかんでも一人でやろうとするんだよ。今も、単身神殿に行って、また危険を冒して情報収集してるんだろうな」
「ウィルが他人と深く関わらない? そうか?」
 アーウィンが首を傾げた。エルトはため息をついて言った。
「そうだよ。どこか距離を置いた親切さなんだよ。他人行儀っていうか。誰との間にも、壁を作ってる感じ」
「そうかなぁ」
「ぼくもそう思う」
 ライリスがエルトに賛同した。
「面倒見が良いし、柔らかな感じの人だけど、どうも孤高ってイメージがあるよね。リオがいる時だけ、本当に孤独じゃないように見えた」
 そしてくすっと笑った。
「危険を冒してまで必死に情報を集めるのも、リオが好きだからなんだろうね」
「え?」
 少年二人はびっくりしたような顔になり、顔を合わせ、ああ、と呟いた。
「本当だ」
「そういえばそうかも」
「……鈍いよ、二人とも」
 呆れたように言うライリスに対して、アーウィンは感心したように頷いた。
「うーん、やっぱりお前、女の子なんだな。オレたちよりかは恋愛に敏感だ」
「そんなにぼくが女だって信じられない?」
 すねたような顔をしたライリスを見て、エルトは少し噴き出した。

「で、ライリス、これからの予定は?」
 うん、とライリスは王族の顔で言った。
「非公式に難民を保護しに行く。さて、肩書きを守護者から王女の従者に変更したい人はいる?」
 二人とも、即座に手を上げた。


********************


「怪奇現象、七件目。神力でつけたはずの明かりが消えたんだって」
 カインはせっせと律義に報告してくれた。他に話すこともなくて退屈なのだろう。リオはなるべく興味を持ったように見える表情を作って言った。カインに嘘をつくのは心苦しいが、しょうがない。
「へえ、また?」
「うん。……魔源郷に異常でもあったんじゃないかって噂だ」
 カインはむしろ少し嬉しそうだ。退屈がまぎれる、という言い方だった。
 怪奇現象の発生元はもちろん、魔源郷の異常などではなく、リオである。魔法を解くという才能を見つけたからには、その力を確実に使えるようにしようと訓練しているのだ。
 本当に自分にその力があるということが信じられなくて、確かめたかったということもある。そして今のところ実験はすべて成功していて、自分が特殊な能力を持っているのは確かだという結論に達した。
「ねえカイン、魔源郷ってあなたたちの魔――神力にも影響するの? 魔源郷って地上の魔法の源でしょう? あなたたちはそんなところから魔力の供給なんて受けなくても済むはずじゃない」
「多少は影響するさ、地上にいる以上は。俺達は地上に長く居過ぎたしね」
 リオは首を傾げ、常々気になっていたことを聞いてみた。
「カインって結構おしゃべりよね。そういうこと、あたしに話しても良いことなの?」
 カインは少し考え、さらりと言った。
「知らない。だめかも」
「……あんたって」
 変な子だ。大人びていると思えば、何でこんな所で間が抜けているのだろうか。
 カインはリオを見上げて言った。
「でも姉ちゃん、どうせ逃げないだろ。それに姉ちゃんは魔王の唯一の血縁だし、知ってても良いんじゃないの?」
「……あとでベリアルかメフィストフェレスに知れて、お尻叩かれないようにね」
「そこまで抜けてないよ」
「どうだか」
 だがリオは、ベリアルもメフィストフェレスも、他の悪魔も、カインがリオにベッタリであるという事実を快く思っていないということははっきりと分かっていた。カインへの軽蔑によるのか、リオへの軽蔑によるのか、両方なのかは分からなかったが。だが、リオも何だかんだ言って、この少年が自分を慕ってくれるのは嬉しいので、何も言わずに放って置いていた。

「ねえカイン、後どれくらいで着くの?」
「さあね。一週間ぐらいじゃないの」
「あたし、本当に何もしなくていいの?」
 決して彼らの役に立ちたい訳ではないが、こうもなにもさせてもらえないと、逆に動きづらいのである。
「またそれかよ」
 カインは呆れ顔で言った。
「何かしてないと気が済まないのか? よっぽど仕事をするのが好きなんだな」
 リオは唇をとがらせた。
「何もさせないつもりなら、どうしてあたしを連れていくのよ」
「だから、宣伝だってば。本物のサタンの代わりに俺達の神座に据えておくんだ」
 相変わらず、こういう失礼なことを平気で口にする少年だ。
「……つまり、あたしは座ってることが仕事なの?」
「そう」
「……宣伝のためだけに?」
「姉ちゃん、甘いぜ」
 カインは冷ややかに知ったかぶった顔をして、深紅の瞳を細めた。
「世の中は宣伝で成り立ってるようなものだぞ。サタンは新神における大主神だ。その唯一の血縁が軍の先頭にいると聞いたら、兵たちの士気も上がるってものさ」
「……十一歳とは思えない言葉ね」
「そりゃどーも」
 誉めてるのに。可愛くない。

 リオは目を細め、暖炉を見つめた。赤い、魔法の糸が炎に合わせて揺らめいている。最近では、糸のつながり方でどういう魔法なのかが分かるようにまでなってきていた。ここを切ると……。
 念じるとその通りに糸が切れ、炎が赤から急に不気味な青色に変わった。
 カインが驚いたように言った。
「うわ、怪奇現象八件目だ」
 そして暖炉に向かって手を一振りした。炎の色が元通りになった。
「本当に魔源郷がどうにかなっちゃったのかな。俺達にはありがたい話だけど」
「その割には不安そうな言い方だけど?」
「源が違うからさ、力と力がぶつかり合うと、変な歪みができるんだ。あんまり変な動き方をされると俺達の神力まで言うことをきかなくなるから、それはあまり嬉しくない」
「ふーん……」
 世界って複雑だ。
「まあ、姉ちゃんはとりあえず、何も知らないで私は魔王の姪ですって顔をしてりゃいいんだ。ついでに何か、宣伝になるようなことを二言三言言っておけば、新神たちはそれで満足する」
 カインは淡々と言った。リオは首を傾げる。
「……カインって何か、何もかもがどうでも良さそうにしゃべるね」
「どうだっていいもん。俺がちょっと動いただけじゃ何も変わりっこないんだし」
 その口調には、諦めというより虚無の響きがあった。
 違う、とリオは思った。違う。違う。誰にだって、変えるためにできることはあるのだ、と――。





最終改訂 2008/02/05