EVER...
chapter:2-story:36
嫉妬と竜
 

 


「オーリエイト」
 レインがひどく不機嫌な声で言った。
「何であんなやつなんかと、仲良くする必要があるんだい?」
 オーリエイトはレインの険悪な雰囲気を感じて溜め息をついた。
「よしなさい。ただの古い友人よ。……アメリアだったときの」
「だからもっと嫌だ。僕より古い付き合いだってことじゃないか」
「クローゼラなんて千年の付き合いよ」
「クローゼラは女だ」
 もう、とオーリエイトはレインを睨んだ。どうやらいいかげん我慢の限界らしい。
「いちいちやきもちを焼かないで。あなた行き過ぎだわ」
「そんなことはないよ。知っているくせに。僕がやることすべては何のためかってことを」
 オーリエイトがぴくりと肩を震わせた。大きく一歩レインから離れて、彼女は言った。
「やめて、レイン。私のために生きないで。あなたは私じゃないのよ」
 レインはその言葉を聞いて、酷く悲しそうな、苦しそうな顔をした。ゆっくりオーリエイトに近づくと、彼女を抱きしめ、額に唇が触れるだけのキスをした。
「……ごめん。でも、僕は他の生き方を知らないんだ。別に知りたいとも思っていない。本当に、君だけでいいと思っているんだよ」
 オーリエイトはレインから身を引いた。断固たる口調で、レインを毅然と見上げて、告げた。
「レイン。今の私はオーリエイトである前に、グロリアなのよ」
 途端、レインの瞳が息を呑むほどに冷たくなった。何も信じない、温度のない、そして冷酷な目だった。
「……そう」
 そう呟いた声はしかし、冷たいというよりも、何の感情もない響きをしていて、壊れるのではないかとこちらが心配になるような声で。
 レインは一同に背を向けると、真っ直ぐ部屋を出て行った。誰も止めようとはせず、行かせるままにした。止められるような雰囲気ではなかった。オーリエイトは一瞬声をかけようか迷ったようだったが、結局口を閉ざしたまま何も言わなかった。

 扉が閉まった後、エルトが心配そうに呟いた。
「オーリエイト……あれは重症だよ。まずいよ。あいつ、本当に君のほかには何も見てない。完全に危険分子だよ」
「今に始まったことではないですが……戦争が始まったと聞いてから悪化し始めましたね。切羽詰っているんでしょう、オーリエイトが自ら危険に飛び込もうとしているから」
 ウィルも言い、オーリエイトはこめかみを押さえて、ぽつりと呟いた。
「あの人が分からない。いつもああやって好きだといってるくせに時々距離をとるし、そうかと思えばああやって、怖いくらいにしがみついてくるのよ」
 エルトが溜め息をついて、言った。
「オーリエイトだけが、自分の世界のすべてになってるんだね。あいつの世界に、あいつ自身がいないみたいだ。自分がイコール、オーリエイトみたい。全部オーリエイト基準だ」
 アーウィンがぶるっと身震いした。
「怖ぇ。オレ、そんなふうにしがみつかれたら逃げるぞ」
「逃げたって無駄だよ。レインはもうその程度で自分を取り戻せるほど、自分自身すら見ていないし」
 ライリスの冷静な分析を聞き、オーリエイトは頭を抱えた。
「一番の問題は、それをあの人自身が問題だと自覚しているのに直さないことよ」
 少し黙って、それから。
「手を差し伸べなければ良かった」
 今にも消え入りそうな声で、そう言った。
「アリスの時も、そう思ったのに――」
 アリス、と全員が首を傾げる。名前に思い当たったのか、ライリスがはっとしたが、何も言わなかった。

「レインはどうしましょう。これからどう扱いますか」
 ウィルがぽつんといい、ライリスは肩をすくめた。
「ぼくたちが扱えるほど安全なやつじゃないからなぁ。ウィル、君が一番付き合い長いんでしょう? なんかいい案ある?」
 ウィルは苦笑する。
「無理ですよ。他人の扱い方に気をつけるほど、私は余裕のある生活をしてきませんでしたから」
「……それもそうか。エルトは……聞くだけ無駄だろうな」
「何だよそれっ」
 むっとしたエルトがライリスを睨んだ。ライリスはふんと鼻を鳴らして言う。
「だって君はレインが素を出しても絶対あたふたして何もできなそうじゃないか。あるいはレインに情に訴えられて、いいように利用されそう」
「ひっどい!」
「あはは、お人好しだもんなぁ、エルトは」
 アーウィンにまで言われてエルトは唇を尖らせた。

「えーと、ってことはつまり、レインをどうにかできるのはオーリエイトしかいないってことか?」
「……私は、積極的にあの人と関わるつもりはないわよ」
 アーウィンの言葉にオーリエイトが言った。
「あの人は私を離れた方がいいの」
「それで、壊れてしまったとしても?」
 ウィルの鋭い問いに、一瞬オーリエイトの肩が揺れる。
「……私といる方が、壊れるかもしれないわ」
「いっそ受け止めてしまったらどうです? レインのことが嫌いなわけではないのでしょう?」
「嫌いじゃないわよ」
 オーリエイトは小さく言った。
「でも、だめ。あの人は私の最優先事項にはならないもの。だって」
 何かを、誓うように。
「私が愛するのは、世界のみなの」
 沈黙が部屋を支配した。ライリスは同情するように、アーウィンはただオーリエイトの言葉を咀嚼するように、エルトは心配そうに、そしてウィルは考え込んだようにオーリエイトを見つめている。

 そして、その沈黙の中、ライリスが突然顔を上げた。
「何だろう」
「ん?」
「外が騒がしい」
「え?」
 皆も耳をすませてみる。確かに、王宮の外から何かが聞こえる。怒鳴り声か、あるいは歓声のような。全員が窓に駆け寄り、遠くの王宮の門の方を見てみた。
 衛兵たちが慌てたように門の方へ駆けて行くのが見える。中には逆に門の方から慌てて駆けてくる者もいた。異変を知らせるためだろう。
 門の向こうには、数十人の民間人と思しき人たちが、プラカードのようなものを手に、王宮に向かって何かを抗議していた。
「何が書いてあるか見えますか?」
「僕、見える」
 エルトが言った。
「カートラルト派兵に賛成、とか世界を滅ぼすな、とか……あ、ローズ女王、レアフィリス王女万歳だって」
 皆がライリスを振り返った。彼女は窓枠に手を付いて身を乗り出し、外の光景に、ほとばしる笑みを隠せない様子だった。
「順調だね。派兵の件はもうすぐカタがつきそうだ」
 なんだか複雑なことになってきたようだ。


*****************************


 リオはよく夢を見るようになった。夢は夢でも特別な夢で、以前母の日記を見た時のような夢だった。どういう超能力か、いつも降魔戦争の夢。絶対に実際にあったことだとリオは信じていた。夢の中で、リオは前と同じでいつもエレインだったから。
 おかげで色々と知識は増えた。夢の中でベリアルの姿を何度か見たし、カインの父のベルセブブも見た。そして、グロリアや裏切ったというアリス・ラーナーも。前回の降魔戦争では大して活躍していないというメフィストフェレスの姿さえ垣間見たのに、肝心のサタンの姿は一度も見れなかった。母が彼を避けていたせいもあるだろうが、どうやら大将だから指揮を執るのが仕事であって、最前線には出てこないようだ。
 困るのは、見る夢の時系列がバラバラなことだ。エレインは悪魔陣にいたり地上陣にいたりしたし、地上陣にアリスがいたりいなかったりした。手元に「鎌」とやらがあったりなかったりもした。大きな鎌で、死に神が持つもののような印象があった。これが、夢の中の母の話によるとものすごく大事なものらしい。サタンの死の鎌だ。

「カインって、サタンの鎌について何か知ってる?」
「死の鎌だろ。知ってるよ、当たり前じゃないか」
 カインは言うと、一瞬黙り、再び口を開いた。
「別の部隊が捜索中だよ。クローゼラも探してたな。降魔戦争でリリスに盗まれてから行方不明なんだって」
「そうなの」
 では母が持っていたのだろうか。リオは昔の家の様子を思い出そうとしてみたが、覚えていなかった。少なくとも、巨大鎌なんて置いてなかったとは思う。リオも小さかったことだし、そんな物騒な物を置いておいては危ない。きっと母が壊すなり隠すなりしたのだろう。
 リオはそう結論してほっと一息をつき、ふとカインが物憂げな顔をしているのに気づいた。
「何よ、どうしたの、カイン」
「別に」
 カインは無気力に言う。
「姉ちゃんの生き方について考えてただけ。……なんでもいいからできることをやろうとすると、姉ちゃんみたいな生き方になるのかなって」
 リオは少し意外だった。前回リオが言ったことが、カインの心を揺さぶったらしい。ちょっと嬉しかった。

 移動はどんどん進み、リオたちは着々とパトキア山脈に向かっていき、やがて道は急な上り坂になり、山に登り始めたことが分かった。
 さすが元・天界の住人というか、悪魔たちは疲れにくいようで、魔物たちの活躍もあって、さほど山登りは辛くなかった。リオはフェンリルの背の上でカインに聞いた。
「こんなところに何しにいくの?」
「さあな。最近よくメフィストフェレスとベリアルが、竜がどうのって言ってたから、それじゃないか。パトキアは竜の棲息地で有名だ」
「竜……」
 そういえば、ノアにクローゼラからの召集令が出た時も、竜がどうのこうのという理由だった。一騎当千の武器、と言っていなかったか。これはまずいぞ、とリオは気付いた。明らかに戦局に大きな違いが出そうだ。
「……どうしよう」
 なんとか妨害したいが、残念ながらリオの魔物を従わせる力は竜には役に立たないだろうし、魔法を消したり操ったりする力も交渉に役立つとは思えない。
 難しい顔で考え込んでいるリオのことは気にせず、カインは言った。
「でもなぁ、竜ってもう地上の生き物になり下がってるだろ。新神に従うとは思えないんだよな。絶対にあいつら、苦労するぜ」
 仲間が苦労することが嬉しそうな言い方だった。
「本当に?」
「うん。だからベリアルとメフィストフェレスは、仲が良いわけでもないくせに、毎晩額をくっつけてどうすべきか話し合ってるんじゃないか。自信家のメフィストフェレスがああなんだ、竜ってのは手強いんだろうよ」」
 リオは少しだけ胸をなでおろした。

「竜ってどんなところに住んでいるの?」
 聞いてみたらカインは肩をすくめた。
「知らない。火山の火口がどうのってあの二人が話してたけど」
 どうひいき目に見ても安全とは言い難い場所のようだ。
 リオは自分の手のひらを見つめた。この手でできることなんてたかが知れている。それでも、持っている力は発揮するつもりだ。最近は練習のおかげで随分力のコントロールもできるようになってきているし、危ない場所でもなんでもついて行って、できるだけ妨害してやろうとリオは決めた。

 単調なほど順調に、旅は続いていた。地面に積もった雪がなぜか薄くなってきている。地面が温かいのだ。きっと活火山の近くなのだろう。足場もだんだん悪くなってきていたし、硫黄の臭いも漂い始めた。そのあたりでようやく悪魔たちは陣を張った。既に山を登り始めてから一週間以上経っていた。
 リオは勝手に竜捜索隊について行った。カインも一緒に来て、とりあえずベリアルの後ろをついて行った。止められもしなかったが、ベリアルは二人を物の見事に無視してくれた。
 成果はまずまずだった。一日目で早速足跡が見つかった。リオも現場に行って見たのだが、とてつもなく大きな足跡だった。
「本物の竜ってどれくらい大きいの?」
 リオが聞いたらカインも知らないらしく、肩をすくめた。
「足跡から察するに、俺達全員を飲み込んでもお腹一杯にはならないくらいの大きさはありそうじゃないか」
 なんとも嬉しくない例示で推測をしてくれた。

 翌日は捜索範囲が足跡を拠点に狭められた。地熱のお陰で温かく、リオは過ごし易かったが、悪魔たちはなんだか暑そうだった。
 そして次の日、ついに一頭の竜が見つかったという知らせが入った。だが、そこで捜索は終わらなかった。竜というのは群れを作る種族であり、群れにはそれぞれ長がいる。その上にはさらに、いくつかの群れを束ねる、絶大な権を持った竜の王がいるのだ。悪魔たちが接触をはかろうとしているのはその竜の王だ。かといって、どれか一頭の竜を捕まえて「王に会わせてくれ」と頼むのも無謀なのである。そもそも、下っ端の竜にそんな権限はないだろう。一番確実なのは、ほかの竜を介さずに直接竜の王に会うことだった。
 そういうわけで、見つけた竜を数日ひたすら悪魔たちは尾行した。さらに群の長をまた2,3日尾行し、長はふらふらして一行を振り回した。しかし、やがてやっと動いてくれ、竜の王の住処へと足を運んでくれた。

 こうして、リオたちは地上最大の生き物の王と向き合うことになった。





最終改訂 2008/04/11