EVER...
chapter:2-story:37
ふたつの会見
 

 


 リディアは気が気ではなかった。ちょうどリディアは難民の子供たちにお祈りを教えているとこなのだが、今頃王宮では会議が開かれているはずなのだ。
 あの日以来王宮の門の前のデモ隊の人数は日に日に膨れ上がって、王宮の奥にいるリディアたちにも、時折その声が聞こえるほどになった。王宮に参じてくる貴族たちは途方に暮れ、また、女王の私生児のことが漏れているのに驚き、パニックになった。しかもいつのまにかその私生児の王女が勝手に難民を保護していたとは。しかも、それは慈善事業なのでやめさせるわけにもいかないのだった。
 保守的で変化を嫌い、災難があれば関わりたくないからと言って放っておくような貴族たちに、民は既にうんざりしていたことも、デモを勢いづける種になった。戦争まで放っておくようでは黙っていられなくなったのである。その上、レアフィリス王女がデモ隊に応えて民衆たちに対しての声明を出したのだ。それは、自分への応援への感謝と、今世界に降りかかっている危機の実情を訴え、そして派兵への協力を呼びかけるものだった。
 これで民衆は完全に勢いづいたことは言うまでもない。デモは暴動一歩手前まで成長してしまい、ついに貴族たちや重臣たちが折れた。女王と王女を交えた会議が実現したのだ。臣下たちは女王だけとの会議を望んだのだが、王女が直々に参加したいと名乗りを上げたのだ。悲劇のヒロインと化している王女を含めないと民衆がどう暴れだすか分かったものではないので、しぶしぶ同意したというわけである。
 そしてその来るべき会議の日が今日というわけなのだ。難民の大人たちはみんな、無言の圧力をかけるのを目的に王宮の前に詰めている。戦争が始まっていることの証人である彼らは民衆からも大事にされ、デモでは最前線に配置された。今も一番前で王宮の門前に居座っているだろう。
 リディアは子供達と一緒に留守を任された。アーウィンも一緒だった。アーウィンは子供の扱いが上手く、あっという間に子供たちと打ち解けて一緒に遊んでいる。リディアは絵本を読んであげたりと、動かない方面で子守をしていた。もう会議が始まっているころだと思って、窓の向こうに見える王宮に視線を向ける。
 どうか、上手くいきますように――。
 そう祈りを捧げたが、果たして神に届いただろうかと、天使のハーフでも分からないことを思った。



 アーウィンが見たら何と言っただろう、とエルトは思った。自分を同じく呆然とするだろうか、いや、もしかしたら気にしないかもしれない。ライリスとの付き合いが長い彼のことだから、今までにも見たことはあるのかもしれないし。大臣や貴族たちも唖然としていた。多分ライリスの狙いはそれなのだろうが。お見事だ。インパクトも注目度も抜群だ。
 彼女は――簡素で飾り気がなく、体にぴったりしたタイプのものとは言え――ドレスを着ていたのだ。男装の時とは随分と印象が違って見えた。どこからどうみても絶世の美少女以外の形容詞が思いつかない。
 女王も相当面食らっていたが、初めて少女らしい格好をした王女を見た者たちは天地が引っ繰り返った思いだろう。女であることを否応無しに見せつける美しさだ。……邪険にしたり冷たくすることがとんでもなく罪に思えてしまうくらいの。ライリス自身は自分の美醜について疎いところがあるが、少なくとも少女の姿になることにインパクトがあることを知っていて、効果的にこの少女の姿を利用するつもりなのだろう。
 しかし、ライリス本人の表情はどこか硬く、険しく、怯えているようにさえ見える。そんなに女の格好をすることに怯えていたのだろうかとエルトは首を傾げた。一応今日、彼は守護者代表で席についているのだが(ウィルはオーリエイトと大事な用事があるとのことだった)そんなライリスを見て少し不安になった。
 席につくと、ライリスは小さく息をついた。やっぱり少し緊張しているらしい。みんなが食い入るような視線で彼女を見つめているから当然だ。しかし彼女はすぐに、凛と顔をあげた。そこに王者の覇気を見て、エルトは少しはっとした。
「お集まりいただき、礼を言う。今日は母……女王陛下に代わり、私が発言をさせていただく」
 慣れない一人称まで使って、なんとも涙ぐましい努力だ。ちょっと舌を噛みそうになっていたようだが。それにしても、「ぼく」でない一人称を初めて聞いた。
「議題は、当然、カートラルトへの派兵について。噂は皆もお聞き及びと思うが、状況を把握していない者がいたら名乗りをあげてもらいたい」
 ライリスにすっかり見とれていた数人が、夢から覚めたようにはっとし、目の前にいるのがあの王女だということを思い出したように唸った。
「民衆は片寄った情報と意見しか知らないのです」
 冷ややかな反論を述べたのは、いつだかの侯爵だった。魔法で引っ繰り返して、そのまま床に転がして来た経験のあるエルトは気まずくて視線を逸らした。
「しかもそれは、あなたが意図的に流したものだ」
 ライリスは冷静に言った。
「根拠は?」
「状況ではあなたになる。他の者はそもそも情報をもっていないし、噂を流す気も起きない」
「それはそれは」
 ライリスは余裕の態度だった。
「濡れ衣だと抗議させていただくしかありませんね。噂を広めたのは私ではなく、吟遊詩人たちと難民たちですよ。片寄りがあるのかどうかは知りませんが、彼らが嘘をついているとでも?」
 侯爵がむう、と呻いて黙った。ライリスは優位に立てたことに自信を持ったのか、ふわりと微笑を見せた。普段見慣れているはずのエルトでさえ、女の格好をしているせいもあるだろうが、目を奪われるくらいの傾国の笑みだ。数人が赤くなってライリスから目を逸らしている。すごい破壊力だ。
「皆さんが噂をご存じなのなら、今の状況がどれ程に危機的か、よくお分かりのはず。狙われたのは隣国なのです。国境が強力な魔法で封じられていることもご存じでしょう。それはどう説明なさるつもりですか。……悪魔は確実に、このショルセンのとなりで世界を一歩ずつ壊滅に導いているのです」
 こんなに雄弁だったんだなぁ、とエルトは感心のあまりポカンとするくらいだった。いやでもカリスマ性が伝わってくる。正真正銘、ライリスは人の上に立つ人間だった。
「今すぐ、動くべきです。他国にも働きかけをしましょう。世界の危機なのですから、我が大国ショルセンが真っ先に率先して動くべきです。一番後ろに控えて隠れていたのでは、臆病者として国の威信を傷つけることになってしまう」
 むぐ、と数人が言葉を詰まらせた。自分たちが掲げる「国の威信」という理由を逆手に取られて反論を封じられたので、すっかり黙り込んでしまった。ライリスの思い通りである。無駄にドレスを着なくてよかったね、とエルトは安堵の息をついた。上手くいきそうだ。
「以上を踏まえた上で、決を採ります。カートラルト派兵に賛成の方」
 おずおずと、しかしぱらぱらと多くの手が上がった。エルトは目でささっと数を数えてみた。どうやら過半数は超えているようだ。ライリスは今度は、嬉しさで抑えきれないかのような、ほとばしるような笑みを見せた。
「では、決まりですね。早速準備を始めましょう」
 むすっとした侯爵が、最後の足掻きのように口を挟んだ。
「しかし……軍を整えるのには時間がかかりましょう」
「将軍の能力を信じる。伊達にこの大国の将軍を任されている訳ではなかろう」
「……で、では、総司令部の組織はいかがなさるのです? 人選にも時間が……」
「ご心配なく」
 ライリスはふわりと笑んだ。今度も破壊力抜群だった傾国の笑みに、侯爵ですら言葉に詰まっていた。ライリスはそれを見ながら、当たり前のように言ってのけた。
「総司令官なら、私がなります」
 ほっとして水を飲んでいたエルトは、水を噴き出しそうになって、喉に詰まらせて咳き込んだ。


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 最初の交渉の際にはリオは奥に引っ込んでいたのだが、話はカインづてに聞いた。ベリアルはリオが思っていたよりも更に位の高い悪魔らしく、彼女が交渉役を買って出たので、入り口の番をしていた竜との交渉は上手くいき、翌日には竜王との会見が実現する事になってしまった。
「全然苦労してないじゃない。思いっきり順調だよ」
 リオが言うとカインはつんとした。
「俺が知るかよ。門前払いが回避されただけだろ。明日は追っ払われるんじゃないの」
「メフィストフェレスは喜んでたよ?」
「あいつは単純なだけだよ。現に、慎重なベリアルは浮かれてないだろ」
 カインが反抗的に言う。リオも睨み返したが、怒るのがばかばかしくなったのでやめた。八つ当たりだという自覚はありすぎるほどにある。自分は焦っているのだ。

「……カイン、あたし、明日ついていってもいいと思う?」
「こないだ大丈夫だったんだから大丈夫なんじゃないのか。……姉ちゃん、もしかして妨害する気?」
「ことがどう運ぶかにもよるけど」
 もともと新神派に対する忠誠心などないカインは肩をすくめただけだった。
「好きにすれば」
 そうさせてもらう、とリオは答えた。

 実際、翌日ついていってみたが、誰にも咎められることはなかった。険しい山の火口近くまで登り、何度か転落の危機に遭遇した後、ようやくリオは竜王の姿を拝むことができた。竜はとてつもなく大きかった。リオたちと竜の距離はまだかなり遠かったが、首を上に向けないとその頭が見えない。足の爪ひとつの大きさでさえ、大人が一人余裕で寝転べそうな大きさで、見下ろしてくる眼はさまざまな色が踊っているかのような、変わった黄色をしていた。竜王のうろこは真っ黒で、小山のように鎮座している姿には世界の王者のような覇気があった。うろこが火口の溶岩の赤色を鈍く反射して、こちらが震え上がるような威厳をたたえている。ベリアルですら、一瞬足がためらったようだ。
 彼女は丁寧にお辞儀をして、竜王に礼儀を示した。
「竜王殿」
「遠路御苦労」
 竜は言った。口は動かしていない。直接空気を震わせて話しているようだとリオは思った。その声は地響きのように大地を震わせた。
「竜がほかの種族と交わるのをよしとせぬことを知りながら、何用でここへ来たのか、理由を問おう」
 これは確かに、お世辞にも友好的とはいえない態度だ。リオは怖気ついて肩をすくめたが、ベリアルは怯まなかった。目的のためだから、頭を下げることも厭わないらしい。さすがというべきか。彼女は下手に出た。
「この地上で最も強い種族が竜であることは、我々も認めざるを得ないのです。ですから」
「だから、神々の戦いに協力せよというのか」
 遮るようにして問われたベリアルは少し目を細めた。
「旧き神々の力はすでに衰えています。今度の戦いは、我々と人間の戦いです」
 竜王の口の端が、嘲るようにめくれ上がる。周りで見守る竜たちもほくそえむような表情をした。
「ならば、我々の手助けは必要あるまい。お前たちも神々の端くれではないか。人間など一ひねりであろう?」
 ベリアルはちらりと不快そうな顔をした。リオはすでについてきたことを後悔し始めていた。巨大な竜たちに囲まれて、こんなに自分がちっぽけで居心地悪く感じたことはない。
 ベリアルは不愉快な声色を極力抑えて言った。
「旧き神々はこの世界に多くの力を残した。魔源郷の存在が我々の志を邪魔するのです。たかが人間、されど人間。侮ってよいものではないと我々は認識していますし、数では圧倒的に人間のほうが多い」
 竜王は目を細め、ベリアルを見つめた。ベリアルはたたみかける。
「竜も太古は我々と共に天におられた種族。この世界の荒廃ぶりをご存知のはず。この荒廃を正すべきだとは思いませぬか」
 竜王はふっと、諭すような目をした。
「いや」
 口元がさらに笑う。
「地上は地上で、よいものよ」
 ベリアルはその答えに面食らったようで、驚いたように眼を見開いた。
「よい……? この地上が?」
 竜たちの価値観が理解できないのだろう。リオは逆に、嬉しい意味で驚いた。思わぬところで味方が見つかった。これは本当に、なんとかなるかもしれない。
 そう思った矢先、一向に進展しない話し合いに痺れを切らしたのだろう、メフィストフェレスが我慢の限界だというようにしゃしゃり出てきた。
「竜王、我々についているのはサタン様だ。それをよもやお忘れではないな?」
 竜王の目の色が変わった。
「何を申す」
「メフィスト、やめろ」
 ベリアルがとめようとしたが、無駄だった。メフィストフェレスは言いたいことを全部ぶちまけていた。
「竜とて昔は神々の庇護の下だったのをお忘れか。サタン様への恩をお忘れか。我々を拒むは神への反逆ですぞ」
 彼らしい高飛車な物言いだったが、相手が悪かった。ここでの王は竜なのだ。彼はその威厳を傷つけてしまった。
 竜たちの目が、一瞬にして赤に変わった。耳をつんざくような鳴き声と、地を震わす魔法の波動に、リオたちは悲鳴を上げて地面に膝をついた。大気を歪めるほどの憤怒。
 ――竜の怒りをかってしまったのだ。





最終改訂 2008/04/25