EVER...
chapter:2 Interval
幕間:聖者の回想
 

 


 孤高、と誰かに言われたことがあった。人当たりは柔らかいと言われるし、面倒見も良い方だと自分でも思うのだが、やはり壁を相手は感じ取るらしい。
 聖者となった時から、孤高であるという運命には逆らえないのだろうと諦めていた。諦めていながら、ありもしない希望にすがるようにして、もがき続けていたのだ。

 そして、孤高だと思っていたから、いつか必ず会いにくるだろうと女神が言っていた少女が、心の片隅に引っ掛かっていた。

“特に何も。ウィルに会いに来ただけ”

 彼女だと分かったのは、その時だった。まさか魔王の姪だとは思わなかったが。そして最近になって、ウィルは血の契約の際に女神が教えてくれた、もっと重要なことを思い出していた。彼女の存在が世界に対して持つ意味を。そして、自分に対して持つ意味を。彼女が、両天の子だということを。

 なんとなく覚えていた女神の言葉だが、正直あまり期待はしていなかったと思う。一人で闘うのには慣れていた。ウィルのすぐ後に入ってきた水の守護者の少年は、周りの全てを拒絶し続けていた。ウィルは「根気よく接していれば、いつか仲良くなれるかもしれない、初めて分かり合える人ができるかもしれない」とわずかな希望を抱いていたのだが、それすら諦めてしまうほどの激しい拒絶だった。話しかけても殺気交じりの視線で睨むだけ、触れようとすれば魔法を使ってでも攻撃してくる。やはり自分は孤独なのだと思い知った瞬間だった。時折会う赤い髪の少女も、どうしても利害関係を感じた。
 それでも、まだウィルもその頃は希望を探してあがいていたころで、女神の機嫌を損ねて残酷なお仕置きを受けることに怯えていた。

 変わったきっかけはしかし、その同僚の少年だった。あれほど人を拒絶していた彼が、ある日を境に話しかけてくるようになった。ウィルは不思議でならなかった。どこに希望を見つけたのだろうと思うと、嫉妬すらした。そして謎は、その後赤い髪の少女に会って解けた。
『あの水の子、ちゃんとお城に帰ってる?』
 ああ、この少女なんだと直感した。それはまだ12歳だったウィルですら分かるほどに、刀の刃の上を歩くような危険な希望の抱き方だったのだが、それでも彼は――レインは、変わった。たった一つでも、しがみつける希望を持った。ウィルよりもさらに深い傷を負っていた彼が、ウィルより先に見つけた。

 どうして、僕だけ。

 その思いに貫かれて、ウィルは不条理な世を激しく呪い、絶望で怒った。
 不公平だ。こんなの不公平だ。希望のない自分が、なぜ希望である“光”なのだ。なぜ他人の希望ばかりを敏感に感じ取ってしまうのだ。光りなんていらない。闇が欲しい。いっそ全部を闇に包んで欲しい。誰も光など見ないように――。

 女神はウィルの癇癪に大層腹を立てた。いつも以上の体罰として、眩しい光で一杯の部屋で一週間にもわたり、気絶するほどの痛みを与える呪いをかけられ、無理やり目覚めさせられては再び呪いをかけられることの繰り返しをされた。拷問そのものだった。
 聖者などというのは、心身の健康はどうでもいいのだ。“ただ存在して”いれば、それだけで。だから女神は容赦しない。死んだ方がましだと思いながらも、また生に引き戻される。

 数週間寝込んで目覚めた時、ウィルは怒りに代わって、深く重い倦怠感と絶望感に包まれていた。なにもかも教会のせいだと、うすぼんりと思った。教会がすべて狂わせた。女神が狂わせた。美しい女神なんて、大嫌いだ。

 そして何かの啓示を受けたように、決心したのだ。いつもの微笑みを浮かべてのうのうと見舞いに現れた女神に、ウィルは鋭さを宿した色違いの視線で見て、笑ってやった。好きなだけ追い詰めてくれていい。希望がないなら、なくてもいい。それでも、従うことだけは絶対にしない、と。それを希望にするのだ、と。だから、抗う。勝つことは諦めるけれど、抗うことは諦めない。諦めるけれど、諦めない。絶対に諦めない。
 この暗い希望を諦めない。


「また命令を無視したのね」
 そして少女は明らかにウィルの変化を感じていた。
「最近大胆になったわ」
「そうですか?」
 空惚けて笑って見せることも覚えた。不思議なことに、決して諦めないと決めてからは酷く心が軽くなった。お仕置きすら苦にはならなくなり、女神も目に見えてウィルの扱いを持て余し始めていた。
「でも、とても危なっかしいわ」
 オーリエイトはそう言って不安そうな瞳をした。
「契約不履行になるわよ」
「いいんですよ。クローゼラも殺すなら殺せばいいんです。ただし、従うことだけはしません」
「バカ言わないで。あなたは世界に無くてはならない存在なのよ」
 なくてはならないのはウィリアムではなく、光の聖者だ。そう思い苦笑すると少女は深くため息をついた。
「……ある意味、印象の濃い人にはなったけれど」
 諦めと絶望と、それでも屈さない、がむしゃらでむちゃくちゃとも言えるその足掻き方が、不安げで頼りなさげだった彼の面影を変えたようだ。影に控えて印象の薄い存在だったのが、一気に「光」そのものへと変わった。
 人を引き付ける目の離せないものを、彼は皮肉にも絶望と、あまりにも暗い希望から手にいれたのだ。
「心配してくれるのですか?」
 少し皮肉を織り混ぜて聞けば、オーリエイトは眉をひそめる。
「されたくない?」
「複雑ですね」
「……ウィルったら」
 溜め息は、その敷かれた壁に対してだろうか。受け入れながら、拒否をする、その相反する二面性に対してか。
「あなたがそれだから、クローゼラが放さないのよ」
「……そんなことをいわれても」
 変わってから、女神は妙にウィルに目をつけるようになった。いろいろな意味で。
「分かっているわ。でもこれは、私達の役目上大事なことよ」
 ウィルは頷いた。彼とて黙っているつもりはないし、契約を破る方法を今でも諦めずに捜し続けている。女神の計画を壊す方法も。ただ、逆らうためだけに。
 世界崩壊の危機を食い止めるためというのは小さな理由だった。ただ反抗し抵抗し続けるためだけに、足掻き続けるために……そして、もっと澄んだ希望を抱けるようになるために、役目とやらを真っ当しようと、目の前の少女と手を結んでいる。今ではこの利害関係も空しいとは感じなくなったし、実際仲間意識を感じて悪くなかった。
 それから、同じ時期に、また一人同僚が増えた。今度はウィルも付き合い方を変えた。あくまでも、同僚は同僚。それに彼には、始めから守るべき希望がいたのだ。妹弟のことを聞けば嬉しそうに、誇らしげに語ってくれる、なんとも純な少年だった。面倒見が良い面が手伝い、ウィルは教会に入りたてで戸惑うことの多かった彼とはそれなりに親しく交流することができた。

 そして、少女と出会った。誰もがそうするようにウィルの色違いの瞳を見て息をのみ、聖者だと知って始めは距離を置こうとした彼女。
 けれど、ウィルは彼女にどことなく求めていたものを感じた。静かに包み、ただそこにいてくれるという空気が、どうしようもなく安らいだ。彼女自身が自分の身の上に不安を感じて俯いている時ですら、彼女の空気は闇のように静かで、同時に闇のように鋭くて。

「泣かないで。あたしがそばにいるから」

 泣いたのは、本当に何年振りだっただろう。自分でも動揺した。久々に「光」の持つ性質を解き放って、花園で悲痛な表情を浮かべていた彼女に手を差し伸べたのも、きっと既に彼女にひかれ始めていたからだろう。
 光と闇は、お互いを見つけて依存を始めていた。それはしかし、ウィルにとって、初めての澄んだ希望を見つけた瞬間だったのだ。


*****


「ウィル」
 声をかけられてウィルは振り返った。
「どうかしたの」
「いいえ……」
 苦笑が浮かぶ。
「今までの人生を振り返っていました」
「人生って……たかだか十九年ぐらいでしょう」
「あなたにとってはたかだかかもしれませんが」
 オーリエイトは目を瞬いた。何か悟ったらしい。
「リオのことを想っていたのね」
 ウィルは笑っただけだった。
「いつから好きだったの? 私、最近まで気づかなかったわ」
「さあ。自分でもはっきり自覚した瞬間というのがありませんでしたから。でも、私の雰囲気が変わりませんでしたか? 多分変わった時期、だと思いますよ」
 遠くの山の向こうに見える戦火の炎が雲に映す赤い光を見ながら、ウィルはそう答えた。
「だとしたら、初めて会った瞬間ね」
 オーリエイトは短く言い、同じく空を見上げた。
「幼女趣味ね」
「……オーリエイト」
「リオはしっかりしてるからあなたより精神年齢が高いかもしれないけれど」
「……悲しいことを言わないでくださいよ」
 苦笑と共に言い、すっかり焚火のそばで寝入ってしまっている少女に目を向けた。
 天使と人間の子。おとなしく控えめな彼女が、溺愛する弟以外で唯一、こんなにも大胆で行動的になったのもリオが絡んだ今回の件が初めてだった。
「……闇が求められる時代なのでしょうね。魔王の姪なのに、天使の子をもこうやって味方にしてしまうとは」
 彼女のもうひとつの秘密を知っているウィルにとっては、実際は納得できることなのだが、彼はオーリエイトにそれを明かすのはもう少し先にしようと思っていた。迎えに行く際に、大勢の前でバラされたりしたらまずい。オーリエイトは何も言わなかった。薪を一つつかんで火に投げ入れ、揺らいだ炎を見つめる。
「リオ、カートラルトの方に向かっているようね」」
 ぽつりとそう呟いて、再び山を見上げる。
「あの子に戻れと説得する自信はある?」
「絶対ある、と言い切るなら嘘になりますが」
 ウィルは正直に言った。元から言葉で本音を飾るのは好きではない。
「頑張れるだけ頑張りますよ」
「クローゼラもいるかもしれないわ」
「そしたらそれはそれです。見つからないようにすればいいことです」
「死ぬかもしれないわよ」
「いまさらです」
「リオと生きていきたいとは思わないの?」
 ウィルは黙った。リオなら、一緒に生きたいと言ってくれるだろう。相手を犠牲にして助かることも、自分を犠牲にして相手を助けることもせず、共に生きようとするだろう。
「……思います」
 そしてウィルには、その思いが眩しくて、愛しいから、守りたい。
「一緒に、生きたいです。だからこそ、リオを連れ戻したい」
 ウィルは笑んだ。
「女神に見つかったら、大至急危険を承知で契約書を捜し出して、どうにかして契約解除する方法を見つけるしかないですね。まあ、拷問やお仕置き程度なら耐えられますから、生きていればなんとかなります。もっとも、そう簡単に女神が私を殺すとも思えませんが」
「……強いのね」
 オーリエイトは呟き、目を閉じた。
「あなたたち、お似合いだわ」
「それはどうも、ありがとうございます」
 心の底から嬉しかったので、にっこり笑ってそう言った。オーリエイトがぼそりと呟いた。
「あなたって時々子供みたい」
 薪がはぜる音がした。

 ウィルは空を見上げた。空が赤い方向、あそこが目指す場所。悪魔たちの基地にリオは向かったと、ノアの小鳥が運んできた手紙に書いてあった。
 山は近い。三日もあれば越えられるだろう。そしたら、彼女に会えるのだ。

「……会いたいです、リオ」
 今は届かない言葉を、必ず届けたい。
「会って話したいことが、伝えたいことがたくさんあります」
 “ウィルに会いに来ただけ”と言った彼女。
「そばにいてくれると言った言葉を、違えないでください」
 だって、こんなにも。
「好きなんです」

 この穢れていながらも美しい世界を
 ―― 一緒に、生きたいから。





最終改訂 2008/09/11