EVER...
chapter:3-story:08
聖城侵入
 

 

  樹海を駆け抜ける。空気は肌を指すように冷たい。グラティア、と魔法文字で書かれた石碑を通り越して、まっすぐ聖城に向かった。樹海は雪で白に染まっていて、リオの記憶とは随分様相が違っていた。けれども、荘厳な聖地の景色に見とれている余裕はなく、手をかざしてリオは門にかけられた鍵かけの魔法を破っていく。
「本当に便利だな、その力」
 クライドが感心したように言った。

 城内の地理はオーリエイトが知っていた。
「千年もあったもの」
 そのことについて尋ねると、彼女はそう答えた。
「何度か忍び込んで探検するには十分な時間だわ」
 最初にもぐりこんだ場所は生活スペースらしく、聖城というよりは単に豪邸の中を歩いている気分だった。使用人のなりをして変装はしていたが、やはり人目につくとまずそうなので(そもそもオーリエイトもクライドも人目を引く容姿だ)こそこそと動くのは大変だった。
 生活スペースを抜けてリオたちは教会として機能する区域に足を踏み入れる。白の大理石をふんだんに使った室内は荘厳だった。ここで普段ウィルは暮らしているのか、とリオは思った。広いけれど、狭い。彼がそう評していた。閉じられた世界。
「リオ」
 神殿になっているらしい場所の入口を見つめていると、オーリエイトに声をかけられて、リオは慌てて彼女についていった。
「今、あたしたちはどこに向かってるの」
 たずねるとオーリエイトは声をひそめて言った。
「クローゼラの私的な区域」
「…………」
 正直あまり足を踏み入れたくない場所だ。
「レインたちは、自分たちが立ち入りを許可されているところは全部探したと言っていたわ。とすると、契約書は立ち入り禁止の場所にあるはずなの」
「……今日中に見つかるかなぁ」
「あなた、契約書の発する魔法が見えたりしない?」
「あたしの目は壁を見通してまで魔法が見えるわけじゃないわ」
「そう。じゃあ部屋に入ればいいのね。それなら随分と手間が省けるわ」
 自分の力は相当頼りにされているらしい。
「導者、目星はつけてあるのですか」
 クライドがそう聞いた。見た目は若くても事実自分たちよりも長い時を過ごしてきたオーリエイトを、クライドは年上のように扱う、とリオは思った。
「書斎が一番、典型的な隠し場所ね。クローゼラがこういう事態を想定していなければ、十中八九書斎でしょうよ」
「こういう事態?」
「誰かがこんな所まで押し入ることができたという事態」
「想定していたら?」
「肌身離さず持っているのではないかしら。千年かけて練り上げてきた計画よ。そう簡単に手放せないなら、それくらいはする人だわ」
「どっちにしろ、後で聖者祭にいくんだもんね」
 リオは言いながら、目を細めて飛び交う魔法の糸を見た。そこかしこ魔法だらけだ。これだと、契約書の魔法を見つけるのに少し時間がかかるかもしれない。
「クローゼラ本人を捕まえて、契約書を探すのは無理じゃないか?」
 クライドに言われてリオは肩をすくめた。
「わかんないですよ? 力ずくならクライドさんたちが、魔法に対抗するならあたしがいるもの」

 クローゼラの私的な生活区域の入り口には、さすがに門番がいた。どうするべきか話し合った結果、クライドに任せることにした。クライドは門番の前まで歩いていくと、呪文も唱えずに何かの魔法を使った。門番は一瞬苦しそうな顔をしたかと思うとくたっと倒れこんだ。強い。
「……随分と手際がいいのね」
 オーリエイトが言うとクライドは肩をすくめた。
「呪文無しで使えるようになるまでに結構頑張ったんだぞ」
「あたし、魔法の糸を見てなかった。何の魔法?」
 リオが聞くとクライドは少しだけ得意げな顔をした。
「酸欠にさせた。風って要は空気だからな。空気を扱うのは得意だぞ」
 なるほど。うっかりすると生死に直結するわけだ。……なんとも怖い属性だ、とリオは少し身震いした。
 少々緊張しながら、かぎかけの魔法を破って扉を開くと、予想外にメルヘンチックな廊下が広がっていた。
「……少女趣味なんだな」
 クライドがぼそりと呟くのが聞こえた。少女よ、とオーリエイトが言う。
「あの子は少女よ。恋に恋する子。ちやほやされて、お姫様でないと気がすまないのよ」
「随分えげつないお姫様だね……」
 血の契約を強要された際のことを思い出して、リオは顔をしかめた。クライドも言う。
「ちやほやされてないと気がすまない、という割には報われなさそうな恋をしているみたいですが?」
「ちやほやしてくれるなら誰でもいいってわけではないでしょうよ。それに、あの子、逃げる相手は追いかけたくなるタイプだもの」
 ちらりとオーリエイトはリオを見た。
「だから、ウィルみたいな、表面下では全然屈さないような人を見ると無理にでも屈させたくなるのよ」
「……よ、よく分かった」
 今度ウィルに会ったら、一応この千年の知恵を伝授しておこうと思った。しかしオーリエイトは本当に良くクローゼラのことを知っているみたいだ。二人の、姉妹弟子の関係を思ってリオは少しだけ悲しくなった。
 廊下を、三人は慎重に進んで行く。リオは扉にかけられた魔法を見分けてオーリエイトとクライドに伝えた。
「ここは鍵かけの魔法しかかかってない」
「じゃあ違うわね。そっちは?」
「誰かが入ったら分かるようにする魔法がかかってる。あ、でも人物特定の魔法まではかかってない」
「そう……保留にしておきましょう。他に怪しい所がなければ後で戻ってくれば良いわ」
 そのとき、遠くで物音がした。酸欠で倒れた門番たちが起きたのかもしれない。ちらっと視線を交わし合って、三人は同時に駆け出した。
 横目でリオが扉にかかっている魔法を確認し、オーリエイトに伝えて判断してもらった。それらしい扉はなかなか見つからない。しかし、普通だったらうっかり見過ごしそうな地味な扉の前で、リオは足を止めた。
「……蜘蛛の巣」
 魔法の糸は蜘蛛の巣の形をしていた。編み込まれているのは鍵かけの魔法に侵入者通知魔法、人物特定の魔法、そして呼び出しの魔法。
「それだわ」
 オーリエイトが断言した。
「呼び出しの魔法ということは、押し入った瞬間に女神が召喚されてくるということでは」
 クライドが眉を寄せて言った隣で、リオは更に伝えた。
「しかも、ひとつじゃないよ。呼び出しの魔法、三つかかってる」
「……クローゼラに協力的な悪魔あたりを二人ほど巻き込むことになりそうね。消せそう?」
 リオは鍵かけの魔法を破らないように気をつけながら、まず一本を切ろうとしてみた。
「ちょっと時間かかるかも……」
「できるだけ急いで」
 足音が近い。リオは一本切ることに成功した。もう一本……。
「もういいわ、リオ、鍵かけの魔法を解いて!」
 いよいよ足音が近くなり、オーリエイトが低く囁いた。まだ一本残っていたけれど、リオは急いで鍵かけの魔法を切る。と同時に、オーリエイトがノブに飛びついて解錠魔法をかけ、三人は扉の向こうになだれ込んだ。

 どうやら、切った糸の中にはクローゼラを呼び出すものが含まれていたらしい、呼び出しの魔法で現れたのはクローゼラではなかった。かえってやっかいだったかもしれない。契約書の場所はリオにしか見つけられず、そちらに集中しないといけないから、召喚されて出て来た悪魔の相手はクライドとオーリエイトがしないといけなかった。
「やっぱりお前か、賢者の弟子めが」
 悪魔はオーリエイトを見るとそう呟き、何も唱えずにいきなり攻撃して来た。部屋の中には高い棚が所狭しと並んでいたが、クライドとオーリエイトが魔法を避けたせいで棚が破壊される。思わず悲鳴をあげて、頭をかばいながらしゃがみこんだリオを、オーリエイトが叱咤した。
「リオ、はやく!」
 杖を持って庇ってくれたオーリエイトの声に、弾かれたようにリオは立ち上がって棚を見上げた。強い魔法が見える。三つ。リオは駆け出した。 一つはすぐにひったくることに成功した。誰の契約書なのかを確認する暇は無い。次のは棚の上の方にあった。リオはちらりとオーリエイトの方を見る。悪魔には翼がある。棚を登っている暇は無さそうだ。
「オーリィ!」
 リオが叫ぶと彼女は振り返った。リオは棚を指さす。
「取って!」
 オーリエイトは頷いた。悪魔が邪魔をしようと、オーリエイトと同時に魔法を放ったのが見えた。リオはすかさずその魔法を打ち消す。オーリエイトの魔法が棚に当たり、棚にあったものが根こそぎ引き出されて降って来た。リオは落ちて来た物の中から契約書を拾い上げた。残りひとつ。
 その時、リオがただ者ではないことに気づいたらしい、悪魔がターゲットをリオに変えた。自分を目がけて放たれた魔法を打ち消すと、悪魔は驚いて呟いた。
「闇……」
 しかしオーリエイトがすぐさま、悪魔がリオに気を取られないように気を引いてくれた。横からの攻撃に応戦するしかなくなった悪魔の脇を通り抜けて、リオは三つ目に向かう。手を伸ばしてとろうとしたところで、オーリエイトのものか悪魔のものかは分からないが、飛んできた魔法に弾き飛ばされた。リオは急いで追う。手を伸ばし、指が契約書に触れる。掴んだ。
「オーリィ、揃った!」
 叫ぶとオーリエイトは先頭をやめて、まっすぐに、本棚の影にいたクライドの所へ走った。リオもクライドの元へ向かう。彼は隠れて、時間のかかる移動呪符の詠唱をしていたのだ。既に風が彼を囲んでいる。悪魔が初めてクライドのやっていることに気付いて、しまった、という顔をした。オーリエイトトリオは同時に風の渦に飛び込んで、クライドに捕まった。詠唱が終わる。ぐらりと世界が揺らいだ。

 風が収まったときには、リオもオーリエイトも息を切らしていた。
「せ、成功ね」
 オーリエイトが呟く。
「やっぱりウィルのは、見つからなかったみたいだけれど」
「とりあえずアーカデルフィアに向かいますか?」
 クライドが聞く。
「悪魔から女神に連絡が行くかもしれません。急いだほうが。聖者の契約書はもう取りに戻っている余裕はありません」
「そうね。……リオ? 大丈夫?」
 聞かれてリオは頷いた。きちんと三つ、奪い取る事が出来た。けれど、やっぱりウィルのが見つからなかったことが悔しかった。
「大丈夫……」
 これはリオ個人の感情の問題だから、しかたがない。ここで士気を落してはいけない。リオは顔を上げた。
「……先に血の契約、解いたほうがいい?」
「そうね」
 オーリエイトは頷く。リオは腕に大事に抱えていた契約書を一つ一つ開いていった。アーウィン・カウベル、エリオット・グレイフィールド、レイン・オースティン。
 複雑な魔法が絡み合っていて、解くのは一苦労だった。リオはまだ十分に魔法の絡み合いの仕組みを理解していないので、どこを切ったら何か別の魔法が働いてしまうのではないかと怖かったのだ。
「……一気に全部といていいと思う? 結構荒っぽい解き方だから、もしかしたら契約者のほうになにか影響出ちゃうかもしれないけど」
「一気にやってちょうだい。解放のほうが先決よ」
 リオは頷いた。一番新しい契約者であるアーウィンのから手をつけることにする。まだ魔法が完全に染み込んでいないのか、力いっぱい念をこめると、思ったよりも簡単に魔法が千切れた。妙な魔法が残っていないかどうか心配だが、少なくともリオが見える範囲の魔法は全て消えた。
「上手くいった?」
 聞かれてリオは、笑うのを抑えられなかった。よかった。成功だ。
「上手くいったよ」
 答えて、次のに取り掛かる。アーウィンのよりてこずりはしたが、結局三つすべての契約を解くことに成功した。力任せに消したので、リオは相当体力を消費することになったが。これからクローゼラのところへいって戦える自信がちょっとなかった。
「休むかい?」
 クライドが心配そうに聞いてくれたが、リオは首を横に振った。
「もうこんなに時間使っちゃったもの。はやくみんなを迎えに行こう。もう悪魔から連絡がいっちゃったかもしれない」
「そうね」
 オーリエイトは言って杖を持ち直した。
「急ぎましょう」

 まえもってライリスに借りておいたケムエルとレミエルのところまで戻り、リオたちはその背にまたがった。空に舞うと、樹海の向こうに白い街が見える。王宮の前の大通りを目指して飛ぶと、雪がきれいに除かれた大通りは黒く浮き上がって見えていて、ひどく見つけやすかった。
 二本の線を作っている人だかりの中央を、通って行く隊列があった。
「あれだ!」
 クライドの声と同時にペガサスたちの降下が始まる。刺すように冷たい空気が肌に痛い。目を閉じてしまいそうだったが、リオの目は今大きな武器なので我慢した。
 人の一人一人の区別ができるほど近くまで切ると、下で騒いでいるのが分かった。と同時に衛兵たちかた攻撃を受ける。消せるものは消して他は逸らし、二頭のペガサスはほとんど障害なく進んでいった。
 予想した通りに、パレードを率いていた護衛の頭が叫ぶ。
「聖者と守護者たちに指一本触れさせるな!!」
 見物客の多くが逃げ出したが、一部勇敢にも乗り込んできて、守護者たちを守ろうとする人もいた。
 飛んで来る魔法の攻撃を処理しながら、リオはさほど遠くない場所にある車の上を見た。ウィル。
「ウィル!」
 リオは声を張り上げた。喧噪で届くかどうかは分からないけれど。
「ウィル!!」
 ちゃんと気付いていた。ウィルはリオに向かって大きく手を振った。それだけでリオの士気は一気に高まる。
 早く触れたい。手をつなぎたい。抱き締めたい、抱き締めてもらいたい。ケムエルの脚が地面に着くのと同時にリオはその背を滑り降り、駆け出していた。
 同時に、存在さえ明かされていなかったはずの女神が――クローゼラが、姿を現した。




最終改訂 2011.04.18