EVER...
chapter:3-story:07
戦いの小休止
 

 

「気分はどうですか?」
 リディアは出来るだけ気遣わしい声でけが人に声をかけた。たった三日の戦いでも、きっとこれから続く戦争の中でもごくごく小さな戦いなのだろうけれど、リディアの目の前にいる人は、全身に怪我を負い、目も片方なくしていた。それでも、彼は微笑んだ。
「ありがとう、上々だよ」
「痛みは?」
「だいぶ引いたよ。……ねえ君、一人一人に声をかけてくれなくていいんだよ」
「いいえ。……軍は、一人一人を見ません。せめて、私が」
 リディアの声は詰まる。男は笑った。
「ありがとう。……実を言うと、みんな喜んでいるよ」
 リディアは頷いた。しゃがんで、彼の怪我に手をかざす。祈ると手が温かくなった。こうやって、怪我を治すのを手助けするのが、自分の精一杯だ。
「よく、なるかな」
 けが人がそう呟く。ええ、と返事をしたかったが、リディアはいえなかった。嘘にしてしまうのが怖かった。嘘になってしまうのが、怖かった。それが一番怖いのは本人のはずなのに。怖いからこそ聞いたはずなのに、返事が出来なかった。
「ごめん」
 怪我人がそういう。リディアはいいえ、と消え入りそうな声で言った。リオだったらもっと、いい言葉がかけられていたのかな、と思うと情けなかった。
「リディア」
 すると、本人の声が後ろから聞こえた。リディアは顔を上げると、思わずほっとしてリオに抱きついた。
「リオ! どうしたの。オーリィと一緒にいるんじゃなかったの」
「あたしは作戦会議を聞いていても分からないもの」
 苦笑するように言ったリオは、テントの中を見回す。
「……本当に、すごい人数だね」
「ええ……」
 リディアはそう言って俯いた。見ていた怪我人が声をかけてくる。
「お嬢さん、お友達かい?」
 リディアは再びしゃがんだ。
「はい。私の友達です」
「お名前は?」
「リオといいます」
 リオは自分で名乗り、リディアの隣でしゃがんだ。
「あなたは?」
「エギールだよ」
「エギールさん」
 リオは確かめるように呼んだ。
「……ありがとうございます」
「ありがとう?」
 エギールは意外そうにリオを見つめる。リオは言った。
「戦ってくれて」
 エギールは目を瞬いた。
「……軍人なんだから、兵士なんだから、当然だよ」
「それでも、あたしはありがたいと思っているんです」
 リオはそう言って笑った。
「怪我、一日でもはやく良くなるといいですね」
 エギールは一瞬考えるような沈黙をした後、言った。
「なる、かな」
「治してください」
 エギールは目を瞬くと苦笑した。
「そうだね……ああ、でも治ってしまったらまた戦場か。日がな一日寝てはいられなくなるね」
「そうですね」
 軽い笑い声が響いた。リディアはリオの横顔を見つめる。ああ、この子はこういうのね、と思った。

 その後、二人は救護テントを出た。リオは歩きながらリディアに聞く。
「ノアは?」
「ペガサスの世話が担当だもの、厩のほうに行っているわ」
「離れてて不安じゃない?」
「……戦場の真っ只中にいるわけじゃないから、そんなに不安じゃないわ。昔は何をそんなに心配していたんだろう、って思うの。命のやり取りをするほど切羽詰っていなかったのに、あんなに平和だったのに、って」
「そりゃあ、今のほうが異常だもの。……でも、幸せだったって実感できたなら、それはいいことだよ」
 そうね、とリディアは頷いた。
「……あれくらいは、少ないのよね」
 呟くとリオは立ち止まって、リディアを振り返った。今はウィルに魔法をかけてもらって、元の灰色に戻した瞳がリディアを映す。
「オーリィと仲直りした?」
「…………」
 リディアは返事できなかった。反発するようにテントを出て行ってからも寝起きは共にしているし、話もしているが、ぎくしゃくした空気は依然消えてない。正確には、リディアが一方的にぎくしゃくしていた。オーリエイトは変わらない。清々しいほど冷静だ。
「リディアは割り切りたくないんだね」
 リオに言われてリディアは頷いた。
「リオは割り切れるの?」
「切れないよ」
 あっさりとリオは言った。
「でも、他の方法を思いつかないのは事実だもの。それに、あたしたちがここで、こんなの間違ってるって声を張り上げたって、誰にも届かない。みんなに戦ってもらうには、やっぱり、敵だ、殺せ、って言ったほうが分かりやすいのよ」
「分かりやすさなんて……!」
「それにあたし」
 リオは言った。
「みんなが殺されるくらいなら、殺す」
 リディアは言葉を失った。リオは目を伏せていった。
「色々考えたけど、結局そう思ったの。殺して勝利を勝ち取るのは、やっぱり腑に落ちない。でも、それでも悪魔たちは殺しに来るもの。それくらいなら、腑に落ちなくても、殺そうって思った」
「でも……それでも、命なのよ」
 リディアは言った。
「生まれてくるのは奇跡の重なりなのよ。こんなに簡単に消してしまうなんて」
「どちらかが消えてしまうなら、消えて欲しくないほうが残るように、仕向けたいもの」
 リディアは反論しようと思ったけれど、言うリオも苦しそうなのに気付いて言葉を飲み込んだ。顔を上げてリディアに笑いかけたリオの表情は、醜くも神々しくも見えた。
「そう思わないと、あたし、戦えなくなっちゃいそうだし」
「…………」
 リディアは、何も言わないことに決めた。気付いた。自分は戦っていない。殺していない。殺さなくていい場所に、自分はとどまることができた。戦わないものが、殺さないものが、殺すなとは言えないことに。自分は、救うほうの役割を得る事が出来た。だから口先では何とでも言ってしまえるのだ、と。それに初めて気付いて、言わないことに決めた。
 そして、なんだかいたたまれなくなった。リオ。リオ。今は親友とも呼べる、自分よりも年下の少女を見ていると、胸がいっぱいになる。だから、何も言わずに抱きしめた。いつも与えられてばかりだから、大好きだよ、という気持ちしかあげられないけれど。
 リオは抱きしめ返してくれた。


 オーリエイトの元を訪れたのは、彼女にとって意外な人物で、その頼みはさらに意外だった。
「あなたになら、できるのでしょう」
 クライド氏はそういって、ライリスとそっくりな目でオーリエイトを見た。本当によく似ている親子だと、オーリエイトは思う。
「できるけれど」
 薄く唇を開いて、オーリエイトはそう返した。
「なぜ」
「勝利はわたしの願いなのです。万が一に備えることに、何か問題でも」
「あなたの言い方はまるで、私がその頼みを聞かなければならなくなることを前提にしているようだわ」
 クライド氏は口の端を持ち上げて、どこか自嘲的な笑いを漏らした。
「何も考えずに希望にしがみつけるほど、わたしは若くない。……安心してください、あなたが本当に行使することにならぬよう、最善を尽くします」
 オーリエイトは小さくため息をついた。
「……いいわ」
 クライド氏はほっとしたような顔をしたが、少し首を傾げて言った。
「……あなたと話していると変な気分になりますね」
「そう?」
「わたしよりもずっと、長い時間を過ごしているはずなのに、見た目はライリスとそう変わらない。時々、どう接したらいいのか迷います」
 ずっと自分に対して敬語を使うのはそのためか、とオーリエイトは内心納得した。
「こんな願いを負担に思うのでしたら、申し訳ないと思っています」
 クライドがそういうので、オーリエイトはやっと得心した。確かに彼の願いは、年若い少女が負うには負担なことだろう。
「私の願いもあなたと同じよ」
 オーリエイトは言った。
「そうね、迷わないとは言い切れないけれど、少なくとも人の命を平気で秤にかける程度の開き直りはしているわ」
「開き直り……」
「悟ると言うのは驕りだもの。人は何も悟れはしない」
 クライドは黙っていた。オーリエイトは地図に指先で触れて、書き込んだメモを見下ろしながら言った。
「あなた一人が大人だからと言って、あまりに背負い過ぎるとつぶれるわよ」
「……え」
「そうなのでしょう? あなたはライリスを含めて、若いみんなを支えようとしているわ。無意識のうちに人の前に立とうとするのもライリスそっくりね。……だから、自分に何かあった時のことを考えるのよ」
 だからそんな願いをする。
「若い子には若い子なりの力があるのよ。だから、今の守護者のほとんどが二十歳前なのでしょうし」
「……はあ」
「頼りなさい。あの子たちはそれほど脆弱ではないわ。もうすぐ、他の守護者たちも力を出し切れるようになるから」
 クライドは少し考えたようだが、なんらかの結論を自分で出したらしく、はい、と静かな深い声で言った。
「もう迷いませんよ」
 オーリエイトは金色の瞳をクライドに向けた。
「そうね、迷わないのは悪いことではないわ。……あなたの願い、聞き届けましょう」
「ありがとうございます」
 クライドは頭を下げた。そこにオーリエイトの声が降る。
「代わりと言っては何だけれど」 
「……はい」
「聖者城破り、あなたも来てくれないかしら」
 クライドは顔を上げる。真意を問うような木の葉色の視線に、オーリエイトは答えた。
「遠出するなら用事は多めに済ませたいわ。そのためにあなたの力を貸して欲しいの」
「分かりました、応えましょう」
 クライドはそう言って、華やかな笑みを浮かべた。


 クライドと入れ替わりに天幕に入ってきたのはリオだった。
「今、クライドさんが出て行くのが見えたけど、何かあったの?」
 入ってくるなりそう尋ねる。いつもながら敏感に気付く子だ、とオーリエイトは微笑んだ。一番弱そうに見えるこの少女が、実は一番強いのではないかと思う。
「個人的なお願いだそうよ」
「個人的な? ……ふうん」
 はっきり言わなければ彼女は察してそれ以上追求しなかったが、灰色の目は疑わしそうな色が混じっていた。オーリエイトは彼女がその話題を引っ張ることを許さず、すぐに口を開く。
「リオ、聖者祭に決行しましょう」
 リオはそれで完全に気がそれたようだった。目をぱちぱちと瞬いてオーリエイトを見つめていたが、すぐに納得した表情に変わる。
「……うん。わかった」
「クライドにも同行してもらうことにしたわ」
「うん。その方が良さそうだね。……あの人はちょっと目立ちそうだけど、守護者だし。その話もさっきしていたの?」
「ええ。契約を解くのに成功したら、そのまま皆を連れて来ようと思ってるの」
 おお、とリオは声を上げた。
「聖者祭に殴り込み?」
「そうね」
「わあ。みんなびっくりしそう。でも、いいかもね。教会が敵なんだって事を、街のみんなに見せつけるチャンスかも」
 オーリエイトは静かに返した。
「教会への不信感が私達の思うほどに浸透していなかったら、私達誘拐犯だわ」
 リオは苦笑いした。
「それ、すごく嫌だわ。もし民衆があたしたちに襲いかかったとしたら、さすがに民衆相手に戦ったらまずいんじゃない?」
「リオ」
 オーリエイトは思わず言った。
「先に言っておくわね。私はあなたを見捨てるかもしれないわ」
 リオは何も言わずにオーリエイトを見つめた。どきりとした様子も恨む様子も、何もない。彼女は口を開いて言った。
「その時は憎んでもいい? って聞いたら、オーリィは頷くんだろうね」
 今度はオーリエイトが黙る方だった。
「それとも、先に許してほしい? ……あたしは多分、最初から恨まないし、憎まないよ。だから許すなんてことはできないけれど、言葉だけならあげる」
 ……身も蓋も無い。オーリエイトは少しだけ苦笑した。
「まだ、欲しいとも言っていないのに、あなたは与えようとするのね」
 リオは目を瞬いた。やっと得心したようだ。
「ただの忠告?」
「そうよ」
「なんだ。それなら大丈夫だよ。あたしは一人でも何とか逃げられると思う」
「そう。それは心強いわ」
 それからリオは少し迷ったような沈黙を挟んで言った。
「はやとちりしてごめんなさい」
 オーリエイトは少しだけ笑みを漏らした。
「謝る必要はないわ。不快だとは思わなかったもの」
「そ、そう? よかった」
 はにかんだように笑って、リオは聞いた。
「何か、準備は必要?」
「城内の地図だけは忘れないように」
「うん」
 リオは頷いた。
「それだけ?」
「ええ」
「みんなから手紙は届いた?」
「ええ、今朝。ウィルの契約書だけ、在り処が分からなかったそうよ」
 リオの表情が一瞬かげったが、すぐに彼女は笑みを取り戻した。
「じゃあ、他の皆のは見つかったんだ」
「現物を確認した訳ではないけれど、そこに在るのは間違いないそうよ。消去法ですって」
「はあ」
 リオは不安そうな顔をした。
「随分奥の部屋よ。心してね」
「……ウィルは、どうするの」
 やはり一番気にかかるのだろう、オーリエイトはリオの頭をポンポンと撫でた。
「契約書が同じ場所にあれば儲け物。見つからなかったなら、とりあえず本人だけでも攫って来ましょう」
「……それ、危なくない?」
 眉を寄せてリオはオーリエイトを見上げる。オーリエイトは言った。
「契約書が自分の手にある状態なら、クローゼラは泳がせてくれる可能性が高いわ。今はサタンのことで頭が一杯でしょうし、そばに置きたければ、クローゼラはいつでもウィルを呼び寄せることができるもの」
「脅して?」
「脅して」
 リオは少し考えるように沈黙して、再び顔を上げた。
「じゃあ契約を解かなくても、とりあえず連れて帰ってくることはできるんだね」
「一人残して行くよりは良いのではないかしら、と思うのだけれど。……残してきたら、ウィルが、他の子が逃げたとばっちりを食いそうだわ」
「あー……」
 リオはためらいがちに言った。
「……ウィルは、残るって言い出しそう」
「なぜ?」
「残って情報収集するって言いそう。そのほうが効率的だ、って」
「……まあ、言いかねないわね」
 オーリエイトは認めた。ウィリアム・チェスターも群れるのが好きな性質(たち)というわけではないし、個人的な話でない時は客観的な、一歩引いたところから意見を言うことが多い。
「あなたで釣ったら、くいついてきてくれるかしら」
 自分では冗談めかしたつもりだったが、リオは真面目に捉えたらしく顔を真っ赤にした。
「ど、どうだろう。頼み込んだら、無下にはしないと思うけど」
「じゃあ、頼み込んで」
「……本人の意思を無視して?」
「あなたの頼みに応じたら、それは彼の意思だわ」
 リオは目を瞬き、微笑んだ。
「そっか。そうね」
「頑張りましょう」
 リオは力強く頷いてくれた。
「うん」




最終改訂 2010/09/29