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リタはよもや彼女が出てくるとは思わず、仰天した。フルーエリンはキットの首筋に乗って、毛を引っ張っていた。結構痛いらしく、キットは喧しい声を上げてジタバタしている。フルーエリンに噛み付こうとしているが、首筋に食らい付かれているので口が届かないのだ。
リタははっと、フルーエリンの他にも妖精たちが何人か、リタとキットの周りを取り囲んでいるのに気が付いた。リタはとっさに杖を握り締めた。妖精には、最上階での一件のせいで苦手意識が付いている。リタの行動に反応して、妖精たちもさっと身構えた。
キットが暴れまわっている。
「おいこら、離せよ!」
「はっ、離したくてもあんたが暴れるからできないのよ!」
フルーエリンも、キットの背が恐ろしく揺れているせいでポンポン跳ねていた。
「お前が毛を引っ張るからだろ! 痛いよ離せよ!」
「なら暴れないでよ!」
「堂々巡りじゃないか!」
「知らないわよ!」
あきれたリタは、とりあえず二人を黙らせようと、フルーエリンに浮遊の術をかけてキットから引き離した。突然中に浮かされたフルーエリンはぎょっとして怯えた。
「ちちちちょっと魔女、何をするのよ!」
リタがフルーエリンに攻撃をしたと解釈したのだろう、周りの妖精たちが一斉にリタに魔法をかけた。対応が遅れたリタは、キットと一緒に魔法をもろに食らい、動けなくなった。フルーエリンは何とか魔法を逃れようともがいた。仲間の妖精たちも、全員でフルーエリンを引っ張るのだが、リタの呪文はしっかりと彼女を固定しているらしい。リタは口が動かせるかどうか試してみた。口だけは動かせるようだ。
「……キットに振り落とされても良かったわけか。助けたのに、こんな扱いとは随分だな」
リタが言うと、浮いたままフルーエリンが叫んだ。
「あんたの自業自得よ。ジェレミーに対して前科があるんだから。あたしたちだって警戒して当然じゃないの」
リタは口をつぐんだ。フルーエリンはフワフワ漂いながら、腰に手を当てた。
「あたし、門の前で張ってたのよ。あんたが自分にやったことの結果を確かめに来ると思ってね、捕まえてやろうって思ってたの。見事に予見が当たったわ。さあ、今すぐ屋敷に入って、あの扉にかけた魔法を解きなさい」
リタはむっとした。命令されるのは嫌だった。
「だったら、取引だ。これからは私に手を出さないでくれまいか。あと、この呪いも解いてくれ」
「あんたが取引なんて言う資格あるわけ? ジェレミーにあんなことをしておいて。あんたたちは妖精が情に薄いって言ってるけど、あたしたちより酷いわね。いいからさっさと行ってよ。早くしないと、今日中にジェレミーがこの世に戻ってこれなくなっちゃうのよ!!」
リタは最後の一言に血の気を抜かれた。
「この世に……なぜなのだ?」
「ばかね! 半妖精だからに決まってるでしょ! 妖精の女王との契約で、1日以上妖精界にいると、ジェレミーは妖精の姿になってしまうの! ジェレミーの部屋は妖精界が混じっているのよ。だからあの部屋では3日なの。しかも純妖精と違って、妖精の姿になったら人間界にいることは許されないのよ。この世界からいなくなってしまうの!」
リタは目を見開いた。3日という期限の謎がやっと解けた。
「そんなの聞いていない」
「ジェレミーは言わなかったの?」
「言わなかった」
むむぅ、とフルーエリンは黙ったが、すぐにまた暴れ始めた。
「むむーっ、とにかく早く、あたしのこの呪文と扉の魔法を解いてよ!」
「……私は助けに行かない」
「なんで?」
「もうジェレミーとは何の関係も無い。リチャード・アベリストウィスから金ももらった。もう終わったことなのだ」
「お金ね、あんたってそればっか。終わったって、まだジェレミーは閉じ込められたままなのよ。何も終わってなんかいないじゃない! 最悪の状況が続いてるのよ!」
「……知ったことでは、無い」
「分かった分かった、取引にしましょ。それなら呑むんでしょ」
「だが、屋敷に入った瞬間にウィルキンズやら女中たちに叩きのめされそうなのだが」
「箒で扉の間の窓まで飛べば良いじゃないの。あんた鍵開けの魔法は使えるんでしょ。窓の鍵を開けて入れば良いわ」
「…………」
リタは少し迷った。けりをつけたはずなのに、自分からまたジェレミーに関わることになってしまうのか。ジェレミーのことは心配だ。とても心配だけれど、これは感情で動いていい時ではない気がするのだ。
すると、リタの迷いを感じたのだろう、フルーエリンが真顔で言った。
「フェイ・ファミリアに守護されてる妖精は人間と仲良くするものだけれど、もうそんなにかまってられないみたいね。あのね、魔女、これは取引なのよ。呑まなければ、あたしの仲間をこれからずっとあんたにつけさせて、使う薬草を片っ端からダメにする」
う、とリタは呻き、内心白旗を振った。これは魔女にとって強烈な脅しだった。フルーエリンは花の妖精、花や草木をいじる魔法は良く知っているに違いない。リタは折れた。
「……分かった、呑む」
「それでいいのよ」
フルーエリンが合図をすると、リタとキットの拘束の魔法は解かれた。リタもフルーエリンの浮遊術を解きにかかる。
キットがやれやれと口を開いた。
「おい、妖精。リタの口だけ動くようにしたろう。俺のは何で動かないようにしたんだよ」
フルーエリンはべぇっと舌を出した。
「あんたとは交渉してなかったもの」
「……聞くが」
リタはフルーエリンに言った。
「なぜいつも、あなたはジェレミーのことになるとそんなに必死なのだ? 屋敷から出て門の前で私が来るのを待っていたり、あんなに苦手にしていたキットに食らいついたり」
「当たり前でしょ、母親だもの」
リタは一瞬何も言わず、一拍おいてキットと同時に「はい?」と言った。フルーエリンはやれやれとリタの手の上で腰に手を当てた。
それは確かに、子供に何かを言い聞かせる母のようだ。
「だから、母親だからよ」
「誰の?」
「ジェレミーのに決まってるでしょ。何を今さら。ジェレミーから聞いたんじゃなかったの?」
聞いてません。
「母親にしちゃ若すぎないか?」
どうみても愛らしい少女の顔をしたフルーエリンにキットが言った。フルーエリンがすぐに答えた。
「妖精が長生きだって知らないの? これでも500年以上生きてるわよ。妖精では若い方だけれど」
リタは、それはもうびっくりして、口を一の字に結んだまましばらく動けなかった。フルーエリンはフルーエリンで驚いたようだ。
「あらまあ、あの子ったらそのことも言ってなかったの。だから問題だったのよ、守護妖精の子供が当主なんだもの」
聞いていた以上のスキャンダルのようだ。
「……やっぱりやめた方がよいのだろうか」
「何? 取引破棄? じゃああんたは二度と魔法薬が作れないわね」
「やります」
背に腹はかえられない。ここはとりあえず、名誉よりも魔女業を続ける未来を選ぶことにした。
フルーエリンはやれ走れ走れとリタを急かしながら掃除用具入れに案内し、リタは箒を取り出すとまたがって、人に見られないように慎重に飛び上がった。
「ああ、久しぶりだわ、飛ぶ気分を味わえるなんて!」
息子のピンチだというのにフルーエリンは嬉しそうだ。
リタにとっては久々の飛行だったから少し緊張したが、片手乗りも何とか成功し、開けた窓から扉の間に入った。石で固められた扉は、とても頑丈そうに見えた。使用人たちが一応は壊そうとしてみたのだろう、いろんな道具や工具で傷つけようとした努力の跡が見られるのだが、残念ながらいくらか石をえぐるのには成功しても、扉の向こうまで貫通させるか破壊させるのは無理だったようだ。
リタは部屋の風景を懐かしい、と思い、そう思う自分が嫌で、今すぐ箒に乗って逃げてしまおうかとも思っていた。でも、フルーエリンとの取引がある、と自分を奮い立たせる。それに、ジェレミーを助けたい気持ちが根底にあることは否定のしようがなかった。
リタが扉の前でなにやら杖を構えたので、フルーエリンは不安そうに言った。
「魔女、石化を解く薬は?」
「まだできていない。魔法で砕く」
「ええっ、そんな荒っぽい!」
「では薬の完成まで待つか?」
今度はリタの勝ちだったようで、フルーエリンは膨れた。
「分かったわよ。あたしたちは花と草木の妖精だものね、そういう魔法は使えないから任せるわ」
リタは集中し、渾身の魔力をこめて呪文を唱えた。見事な威力で、入ったひびに沿って石ががらりと崩れる。部屋の中の魔法が溢れたのが感じられたし、もうもうと埃が立って、リタたちは激しく咳き込んだ。
すると、どこか聞き覚えのある子供の声がした。
「リタ?」
幼い声だ。
「フルー?来てくれたんだ」
しかしそれは少し、弱弱しい声だ。
「ありがたいけど、時間切れだよ」
――ジェレミーだ。