45


 ――エメラルドは気難しい。よって、手放す事なかれ。


「あ、その箪笥はこっち。そう、それ。そちらのマダムは何をお持ちで? ドレス? それならソファの上に置いといていいよ」
 あまりの人の出入りの激しさに、リタは開いた口がふさがらなかった。一体どういう了見でこんなにたくさんのものを買い込んだんだろう。またいつもの気まぐれか。
「ジェレミー……こんなもの頼んだ覚えはないのだが」
「いいのいいの。ほら、引っ越し祝いみたいなものだよ。それに、ほら」
 ジェレミーはこの上ないほど上機嫌な笑顔で腕を広げた。
「どうせうちの家具には変わりないわけだし。ね?」


 この二週間のうちに、いろいろなことが起きた。まず、ジェレミーは正式に当主になった。女王に拝謁し、きちんとフェイ・ファミリアであるアベリストウィス家の当主、と認定された。
 それからが当主就任パーティーだなんだでジェレミーは忙殺されることになった。いつもはあれだけ静かだった屋敷が人でごった返し、騒々しいくらいだった。パーティーの手伝いをしてくれ、と追加依頼を受けたリタは、荷物を整理してあったにもかかわらず去るに去れなくなり、結局いつもの部屋に居座ったまま、アベリストウィスに居候を続けることになった。

 もちろん、その間にアシュレイとの攻防もあった。リタの独立問題のことである。
「引き分けなどでは判断しかねる。もう一度勝負するか?」
「……嫌だ。ここにはジェレミーもいないし魔法で女になっていることを隠す必要もないではないか。なぜまたその問題を持ち出すのだ」
 するとアシュレイは、またからかいモードを全開にして、にやりと魔女笑いをした。
「普通なら独立独立と騒ぐものだがな。独立したら師匠と一緒にいられないから寂しい、だから独立するかどうか迷ってる、ということか?」
 リタは無言でキットにパンチをいれた。
「痛っ! なんで俺に当たるんだよリタ!」
「手近にいたもので」
「ひどいよ!」
 一方のアシュレイは自分勝手に解釈していた。
「おや、その反応は、リタ、もしかして図星だったのか?」
「そんなわけないっ」
「……可愛くないやつだな」
 悪かったね可愛くなくて。
 アシュレイは机に腰掛け、パイプをふかして言った。
「なんならリタ、半・独立はどうだ」
「半……?」
 リタは首を傾げた。
「それは一体どういう形態をさすのだ?」
「そうだな、一応この小屋を出て、一人前として仕事をすればよい。しかし、私のサポートもこなす」
「……師匠、使い走りが欲しいだけなのでは」
「何を言う。……まあ、それも半分あるがな」
 半分もあるのか。
「だがお前もまだ学ぶことはたくさんあるだろう。私のそばについていることの何が不満なのだ」
「からかわれることが。酷使されることが。家政婦扱いされることが」
「……随分不満を溜めていたのだな」
「今頃気が付いたのですか」
「そうか。ならよい、これは提案ではなく命令ということにしておく」
「なぜそういうことに……」
「考えても見たまえ、リタ。お前が全くここに来なくなったら家はどうなると思う?」
 半壊、だろう。実際リタが来る前は、家のあまりの酷さにアシュレイ自身が「これは住めたものではない」と判断し、専ら女を頼りに外を泊まり歩いていたという噂だ。
「お前も、数年振に帰ってきたらごみ溜めの中から師匠の骸を見つけたりはしたくなかろう?」
「…………」
 それはそうなのだが。リタは深くため息をついた。どうやらしばらくは師匠とは縁が切れそうにない。まあ、この師匠を持った時点で一生縁は切れないのだろうが。

 そんなわけで、リタは正式にベッセマーの名を引き継ぎ、リタ・ベッセマーとして半・独立することになった。実は魔女が正式に活動するにも女王の認可がいるので、リタも師匠であるアシュレイに連れられて女王に拝謁することになった。ティターニアよりかはよっぽど親しみやすそうな人だった。
 女王はアシュレイの弟子と聞いて、期待していますよ、と言った笑った。そしてリタに尋ねた。
「所属は?」
 リタは精一杯胸を張り、宣言した。
「無所属です」
 
 最初の問題はどこに住むか、だった。リタは小屋からそう遠くない街で貸家を探したのだが、こんな田舎に貸家の需要などないので全く見つからない。見ず知らずの土地に引っ越すのは不安だから、近場にしたかったのだが、見事に今のリタの懐では手の届かない物件しか残っていなかった。
 田舎がだめなら、少しは道が分かるジェレミーの屋敷付近、と考えたのだが、なにせ王都、家賃は半端ではない。借りれそうな物件はたくさんあったが、それこそ妙な客ばかりが来そうな、条件は最悪の物件ばかりだった。

 そこでまた、ジェレミーの思いつきが登場した。
 まだ追加依頼を遂行している時期だったのでリタはまだアベリストウィスの屋敷に居候していて、相変わらず食事の時間はジェレミーと一緒だったのだ。それで半・独立の話と家が見つからないことを話したら、あっさりとこう言われた。
「ずっといればいいじゃないか」
 リタはデザートを口にしながら聞き返した。
「どこに?」
「この屋敷に」
「…………」
 リタが目を瞬いて、無言でジェレミーを見つめていると、ジェレミーは首を傾げて言った。
「そもそも、なんで外で部屋を探すんだい? 出て行く気満々だったのか」
「……私が出て行かないと思っていたのか」
「だって、なんかもうすっかりここの住人じゃないか」
「それはここで仕事をしているからだ。仕事が終わったら出て行くと言ってあったではないか」
「じゃあこれからもここで仕事をすればいい。昔この家にいた魔女みたいにさ。あの魔女部屋も今まで通り好きに使っていいよ」
 ものすごく魅力的な誘いだったが、リタはそれでも断った。
「私は無所属の魔女だ。どこかの家に雇われたりはしない」
「知ってる。だから、部屋だけ貸すよ。三食ついて部屋代なし、食事代のみ。時々僕の依頼も聞いてくれればオッケー。どう?」
「……何か企んでいるのか?」
「なんでそんなに信用してくれないのかなぁ」
「気前がよすぎる」
「僕はリタみたいにけちじゃないからね」
「……言ってくれるではないか。というか、フルーエリンには相談しないのか」
「うーん、まあ、僕にはフルーが見えなくなったんだし、これをきっかけにフルーにはそろそろ子離れしてもらわないとね。相談しなくてもいいんじゃない? 魔女は人間より妖精に近い人たちなんだし、問題ないと思うよ」
「なんだか頼りない根拠なのだが……」
「それに、リタが言ったんじゃないか」
 ジェレミーは笑った。その胸元には、琥珀とエメラルドのネクタイ・ピンが留められていた。
「一度手にいれたエメラルドは、他人に渡したりしちゃいけないって」

 真っ赤になった後に、誰もジェレミーのものになった覚えなどない、と抗議したのだが、結局条件の良さといつものジェレミーの強引さに押し切られ、居候続行が決定してしまった。帰って師匠に報告したらさんざんからかわれたのは言うまでもない。
 そしてなぜか、ジェレミーはリタが魔女事務所を開くにあたって家具一式までそろえてくれた。明らかに彼の独断と偏見でドレスまで注文してしまった。それに抗議をしたら、「どうせうちの品物だし」と言って微笑まれたのだった。
「いいんじゃないの? リタだってお別れを寂しがってたじゃないか。一緒に暮らせて嬉しいだろ」
 キットがピカピカに整った部屋を見渡しながら言った。ジェレミーの部屋が王子様の部屋ならこれは王女様の部屋というべきか。魔女がこんな部屋に住むだなんて、身の程知らずにも程があると言われそうだ。
「しかし……未婚の女が未婚の男とひとつ屋根の下というのは」
「大丈夫、この家の屋根はバカでかいから」
 キットがそう言った。
「そういう問題では」
「素直になれ、リタ」
「……家賃が安いのは嬉しい」
「そっちの素直かよ……」
 キットが肩を落とした時、背後から艶やかな声がした。

「随分豪勢な部屋になったな」
「……師匠!?」
 なぜか背後にアシュレイが出現していた。
「どうしてここに」
「協会の会議のついでに様子を見に来ただけだが?」
「……からかいに来たのか」
「何を人聞きの悪い」
「女に変身している時点で目的はそうに決まっている」
 しかしアシュレイは聞かずに、勝手に部屋の中に入ってあちこちを眺め回していた。リタの隣りに、こちらもいつの間にかやってきたジェレミーが並ぶ。
「様子を見に来たって言うから案内して来たんだ」
 リタはチャンスだと思い、今度こそ真実を伝えようと試みた。
「言っておくが、師匠はおと……」
「リタ、しばらくここに泊まって行くぞ」
 三度、華麗かつ爽やかに遮られた。そこまでして弟子をからかう要素を手放したくないのか、とリタは無言の抗議をした。アシュレイは知らんぷりを続けている。
「魔女が活動するための道具は一通りそろっているし、ここは居心地が良さそうだ。しばらくいさせてもらおう」
「師匠、気紛れが過ぎますよ。第一独立した弟子のところに押しかける師匠など聞いたことがない」
「まだ半・独立だろう。心配だからついていてやると言っているのだ」
 嘘つけ。
「しかしここはジェレミーの屋敷であって……」
「僕は構わないけど? 客室だってたくさん空いてるし」
「ジェレミー!?」
「さすがは坊や、親切だねぇ」
 アシュレイがにっこり笑うと、ジェレミーも華やかな笑顔を返した。
「いえいえ、お役に立てることがあれば何なりと」
 リタは頭を抱えた。ジェレミーと師匠、二人に囲まれるなんて、振り回されっぱなしの頭の痛い日々になりそうだ。

 その上さらに、シャーリーまでやってきてリタを呼んだ。
「リタさんリタさん、なんだかお客様みたいですよ。腕利きの魔女がうちにいると聞き付けて依頼をしたいんだそうです」
 どこからもれた噂だ。リタがジェレミーを見ると、彼はにこにこ笑っていた。どうやら勝手に宣伝をしてくれたらしい。リタは立ち上がり、ちょっと行ってくる、と言った。ジェレミーアシュレイはそろって笑顔で手を振った。
「いってらっしゃい、リタ。がんばってね」
「こっちのことは心配するでない、私は坊やとじっくり会話を楽しんでいるからね」
 ものすごーく含みのある師匠の言葉にリタは足を止めかけたが、客を放っておくわけにもいかないので、頑張って足を部屋の外に向けた。全く、先が思いやられる。
 まあ、口ではいろいろ言ったものの、たしかに二人が自分のそばにいるというのは心強いのだが。これは口が裂けても本人たちには言えない。

 依頼人は客間にいた。お茶を出されてひどく落ち着かない様子の、30歳前後の農民風の女性だった。リタの姿を見てあわてて立ち上がり、礼をして問う。
「こちらの魔女さまですか」
「はい」
 リタも会釈を返した。本格的な仕事としては、初仕事と言っていい。緊張と不安とともに、誇らしかった。
 振り回されたり巻き込まれたり、からかわれたりいいように扱われたり、いろいろなことがあったが、支えてくれた人達がいる。だから今の自分があることに感謝の念を覚えた。ちょっと迷惑な時もあるけれど。
 リタは気を引き締めて、依頼人第一号に告げた。

「リタ・ベッセマー、無所属の魔女です。こちらは相棒のキット。早速ご用件を伺いましょう」


- 完 -