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――琥珀は、人を結び付け楽しくさせる蜜の色。
答えが間違っていたら、分かったと断言していたジェレミーの格好が付かないなぁと思っていたのだが、ちゃんと合っていたみたいだ。リタが瞬きをする間に、また妖精界に舞い戻って来ていた。
「ジェレミー! やったわ、勝ったのね! さすがあたしの息子!」
フルーエリンが大喜びで飛び跳ねている隣りで、ティターニア女王はゆるりと寝そべっていた。数人の美しい妖精の侍女たちが、彼女のために木の葉で彼女を扇いでいて、人には到底出せそうにない風の吹くような声で歌っている妖精もいる。待ち時間をなんとも優雅に楽しんでくれたようだ。
「ただ今戻りました、女王。……あー、リタ? ちょっと降ろしてくれるかい?」
はっとして手元を見たら、また妖精サイズになったジェレミーがぶら下がっているところだった。リタは慌ててジェレミーを地面に降ろした。
間を置かずに、すぐそばで風が起こり、一瞬光ったかと思うとリチャードとアシュレイが出現した。出口が何を指すのか知ったから、すぐ後を追って戻って来たのだろう。
「やれやれ、我々を別々に飛ばしたのはそういう意味か。自分が出口などとは思わぬよ」
アシュレイが疲れたように言う。隣りのリチャードは、切羽詰まったものが抜けて酷く落ち着いて見えた。ついに家督争いが終わって一息ついたのだろう。それが例え、自分自身の敗北という結果で終わったものだとしても、元来争いが好きでは無さそうな人なのだし。そこら辺は親戚だなぁ、とジェレミーと見比べてみて思った。
ティターニア女王が身を起こした。ゆっくりと、優雅に。煙るように揺れる髪が淡く月の光をはじいたようにも見えた。
「……では」
すっと音もなく立ち上がり、試験を終えた一同を淡い色の瞳で見つめる。
「ジェレミー、あなたの勝ちですね。約束通り、あなたの加護と、我々の一員である証を全ていただきましょう」
ジェレミーが頷いた。覚悟はできている、という意思表示だった。リタはからはジェレミーの表情は見えなかったが、果たして本当のところ、どんな気持ちなのだろうと考える。決めたことには何の迷いもないように見えるジェレミーだけれど、やぱり辛いのだろうなと思った。生まれ持った自分の一部を切り捨てるのだから。けれど、だからこそジェレミーの覚悟は揺らぎのないものなのだということなのだろう。
ティターニアが口を開き、ジェレミーに尋ねた。
「して、追加の贈り物は決めましたか」
「あ」
そういえば、あれだけでは足りないと言われていたのだった。ジェレミーが困り顔でリタを振り向いた。そりゃそうだ、ジェレミーは身一つで来た。その身に宿った能力以外、差し出せるものはない。かといって命を差し出す訳にもいかないだろう。
なんとか助けてあげられないかとリタは懐を探った。薬なんて妖精は欲しがるだろうか。一番妖精受けが良さそうなのは惚れ薬だが、何に使われるかちょっと恐ろしい。他に何かないだろうか。
焦った時、ポケットに突っ込んだ手が丸いものに触れた。取り出して見ると、それは琥珀だった。いつかジェレミーと一緒にオペラに行った帰りに、寄った魔法薬材料店で買ったものだ。これならいけるかも、とリタは進み出て、それをティターニアに差し出した。
「これはいかがですか」
ティターニアはじっと、その蜜色の石を見つめていた。何も言わないところを見ると思案しているらしい。リタは、ここぞ魔女の知識の見せ所だ、といわんばかりにまくし立てた。
「ジェレミーの石です。ジェレミーの瞳と同じ、密色の。私が持っていましたから、少しは魔力も強くなっているはずです。宝石言葉は家族の繁栄、長寿。対人関係をよくする働きに加えて、財運をも向上させてくれる働きもあります」
まるで宝石商みたいな台詞だ、と我ながら思った。でも、繁栄と財運は妖精にとっても魅力的な文句に違いない。不安と期待を抱えたまま待っていると、ティターニアが手を伸ばした。
「よいでしょう。ジェレミーが約束を破ったことは許しましょう」
リタはほっと一息つき、ティターニアに琥珀を渡すと後ろに下がった。ジェレミーがリタを見上げて、感謝に満ちた笑みを向けてくれた。
「ジェレミー、フルーエリン、こちらへ」
「ハイ」
ティターニアの呼びかけに、フルーエリンは嬉しそうに言って、女王のそばに駆け寄り、頭を垂れた。ジェレミーも厳粛な面持ちでその隣りに並ぶ。
ティターニアが腕を広げると、二人が光に包まれた。その光の中で、ジェレミーの背中に羽根が光っているのが見えた。その羽根が光の粉になり、ぱっと散る。そして再度フルーエリンの背中に集まり、再び羽根の形になった。なんとも不思議で、美しい光景だった。
二人を包んでいた光が霧散した時、そこにはちゃんと人間大のジェレミーがいた。その隣りで、光の粉を撒き散らしながらフルーエリンが飛び回っていた。
「ああ、生き返ったわ!ありがとうございました、女王様」
ティターニアは無言かつ無表情で頷いた。そしてジェレミーに向き直る。
「これからもフェイ・ファミリアとして、妖精族をよろしくお願いしますね」
「はい。お任せください」
ジェレミーとフルーエリンが深々と頭を下げた。はっとしてアシュレイとリタも倣い、リチャードも慌てて頭を下げる。再び頭を上げた時には、妖精女王の姿はその侍女たちと共に忽然と消え去っていた。
リタがぼうっと女王のいたところを眺めていると、突然ジェレミーが抱きついてきた。リタは小さく悲鳴を上げ、抗議した。
「何をするのだ」
「んーっ、やっぱり人間でいる方がいいな。小さくちゃリタが抱き締められないし」
「抱き締めるなっ」
少なくとも婚前の少女にすることではない。紳士なのかそうでないのか、本当によく分からない人だ。
「おい、リタ。それより俺を元に戻してくれないか」
リタの足元でキットがそう言った。女王がジャッジを下す間、おとなしく待っていたのでもうそろそろ我慢の限界なのだろう。リタはちらりと自分の師匠を見たが、自分でやれ、という視線を送り返されたので、不安ながらも気合をいれて腕まくりをした。
一方のキットは一歩下がった。
「おい待て、お前がやるのか? 師匠さんの方が安心なんだけど」
「あの通り、独立試験の結果が不服らしいからご機嫌を取らねばならないのだよ」
「師匠の機嫌のために相棒を犠牲にするのか!?」
「私をやぶ魔女みたいに言うな。これでも、赤の魔女が唯一弟子にとった魔女なのだよ」
それを聞いたアシュレイが少し満足そうに笑った。
リタは杖を振り上げて言った。
「我がエメラルドの精よ、魔法解除を命ずる。元の姿に戻れ」
なんとかうまくいった。ぽーんとネズミが宙に浮き、着地した時には、金色の瞳の黒猫に戻っていた。
「……俺、生きてる?」
成功したのが信じられないふうに、自信無さそうに首を傾げている。そんなに相棒が信じられないのか、とリタは肩を落とした。隣りでジェレミーが笑いながら言った。
「少なくとも幽霊には見えないよ。大丈夫。なんてったって、リチャードの依頼も僕の依頼もこなした魔女だからね」
リタはキットをつついた。
「聞いたかキット」
「調子に乗ると次は失敗するぞリタ」
それからリタはジェレミーを見上げた。
「それでジェレミー、これからどうするつもりだ?」
「帰ったら、早速女王陛下に謁見のお願いの手紙を書くよ。フルーを連れて、フェイ・ファミリア新当主の認定をもらいに行く。リチャードもついて来る?」
「……お前じゃあるまいし。見せつけるなら世間だけにしておいてくれたまえ。私は見たくない」
「つれないなぁ」
言いながらもジェレミーは相変わらず笑っていた。
リタはジェレミーを見上げて言った。
「……いよいよ夢が叶うのだな」
ジェレミーは、それは嬉しそうににっこりと笑った。
「リタのお陰だ。本当にありがとう」
「契約履行だ」
「うん。あ、帰ったらお代の話もしようか。アシュレイさんも」
アシュレイは意外そうな顔をして笑った。
「おや、私にも礼をするというのか」
「結局かなり巻き込んでしまいましたから。なに、美しい女性にお礼をするんだったら本望ですよ」
「ああ、そうだ、ジェレミー、それなのだが、師匠はお……」
「リタ、我々の勝負は一体どういうことになったのだ?」
また華麗かつ爽やかに遮られた。リタはアシュレイを上目使いに睨んだ。
「師匠……なぜいつもいつも」
「もちろん、お前の独立がかかっているからな」
嘘つけ。
「言ったであろう、引き分けでよいと」
「引き分けか。ならばお前は独立するのかしないのか」
「えーと……」
そうか、そっちの方が問題だった。
「あの」
再びリチャードが焦れたように言う。
「こんな気味の悪い場所は早く出ましょう。私は約束をしていた友人に会いに行く途中で連れてこられたのです。早く戻らないと」
「そうだったのかい? どうだろう、向こうではどれくらい経ったのかな。向こうとこっちじゃ時間の流れ方が違うんだよ、リチャード」
「な、なに!?」
大いに慌てたリチャードが騒ぎだしたため、ジェレミーは慌ててフルーエリンに道案内を頼んだ。そして彼女の姿が見えないことに気付いて、悲しそうな顔をした。フルーエリンは相変わらず彼の肩にいたのだが、ジェレミーは気付いていなかった。フルーエリンも悲しそうだった。
戻ってみれば、リタたちは十分前に出発したばかりだという事になっていた。リチャードは大急ぎでジェレミーの馬車を借りて屋敷を出て、ジェレミーは宣言どおり早速手紙を書いた。アシュレイは戻って来るなり、協会から呼び出しのカラス便を受け取ったため、やはり出て行った。
依頼を遂行したリタは部屋に戻って荷物を整理し、帰り支度をした。薬を整理し、鉱物を整理し、トランクに服を詰め、蓋を閉めてため息をついた。
終わった。今度こそ終わったのだ。
窓の外を見れば高くて真っ青な空が広がっている。
そこに流れる雲を見ながら、リタは別れの時が近づいていることに気づいて、一人寂しさを感じていた――。