番外編:お返し 「それはなんだ?」 師匠に指摘されて、リタは胸元を確かめた。襟の端から、ジェレミーにもらったブローチがのぞいていた。……ぬかった。 「坊やからもらったのだね」 まだ何も言っていないのにお見通しだ。リタはアシュレイのからかいモード全開の視線から隠すように、襟を直した。 「照れなくてもよいではないか。それで、リタ、お前たちは一体どこまで進んでいるのだ?」 リタは手元を狂わせて、危うく煮込んでいた薬をひっくり返すところだった。 「何を言うのだ」 半分怒鳴るように言い返す。 「ジェレミーとはそんなんじゃないと何度言ったらわかるのだ。進むも何も、そんな関係ではない」 「ほほーう?」 「……師匠、その目は何ですか」 「別に」 くっ、よく分からないけれども不愉快な目だ。 「しかしリタ、見たところお返しはしていないようだな」 「……お返しというなら、オペラに行くのに付き合った」 「それくらいで、こんなに高級なブローチにつりあうものか」 きっぱり断言されて、ふと不安になる。そうなのだろうか。確かにジェレミーからはいろいろもらっているのに、リタがお返しをしたことはない。 悩み始めたリタを見て、アシュレイが言った。 「お得意様なのだろう? 少しはご愛顧の感謝をした方がよいぞ」 そういう自分はお得意様に感謝などしているのか、とリタはツッコミ返しそうになった。言ってもはぐらかされるか、都合の悪い話題を持ちかけた罰として何か面倒なことを押し付けられそうなので黙っておいたが。 アベリストウィスの屋敷に帰ってからも、リタは悶々と言われたことについて考えていた。 魔女は接客業ではない。しかし、人を相手に仕事をする以上、人として最低限の礼節は守るべきなのだろう。やっぱりお礼とか、お返しとか、するべきなのだろうか。 「…………」 ジェレミーの場合、気にして無さそうだなと思った。むしろお礼かお返しをしたら調子に乗りそうだ。また誤解されるほどの喜びようでリタにベタベタするのだろうと、容易に予想できる。 ……それが嫌なのかと聞かれれば、リタは返事に詰まってしまうのだけれど。 一度悩み始めたらどうにも解決しないと落ち着かなくなってしまい、リタは誰かに相談できないかと考えた。アシュレイは論外。キットは役に立たないだろう。フルーエリンには聞いてもしょうがないどころか、うっかりジェレミーにバラしそうだ。となると、リタにとって頼れる相手はかなり限られてしまった。 まず、リタはシャーリーに相談することを考えたのだが、こちらは大喜びした末に大張りきりでリタを手伝いそうな、嫌な予感がして、相談相手としては保留しておくことにした。 結果。リタは迷いに迷ったあげく、ニールに手紙を書いたのだった。 そして数日後、リタはオペラ会場の前でニールと待ち合わせをした。待ち合わせ場所としては少々不適切な気もするが、リタが知っている有名な場所がひどく限られていたのだ。ニールはラフな格好をしていた。リタを見つけると、気さくに片手を上げて挨拶をした。 「すまない。待たせただろうか」 リタが聞くとニールは首を横に振る。 「あー、でも、リタさん。魔女の格好のままでうろつくのは少々不便だと思うよ」 そんなことを言われても、とリタはいつもの魔女服を見下ろす。これと、昔着ていた魔女服と、オペラに来た時に着ていたドレスしか持っていないのだからしょうがない。 ニールは肩をすくめた。 「まあ、いいでしょう。魔女と相談をしていておかしくない所と言ったら……高級喫茶店ぐらいかな。良い所を知ってるよ。行きましょう」 そう言われ、案内されてリタはニールの馬車に乗り込んだ。 ジェレミーの馬車も豪華だったが、こちらの馬車はまた格別だった。爵位の有る無しでこうも変わるのか、と思うくらいだ。どうりで最近の貴族が金欠になるはずだ。 「馬車には慣れない?」 ニールに聞かれたのでリタは素直に頷いた。 「座り心地はよいのだが、どうも居心地が」 ニールは含み笑いをした。朗らかで親しみやすいジェレミーの笑い方とはまた違う、貴族らしい上品な笑い方。 「そんなものでしょう。僕も、普段関わりのない世界に関わると居心地悪いから」 こうやって見てみると、ジェレミーが特殊な人間だということが良く分かるな、とリタは思った。そもそも人とあまり関わらない魔女なので、リタは大して「普通の人間」がどんなものなのか良く知らないが、上流階級の人間というとほとんどジェレミー一人しか知らない。それでも、ニールと比べてみると、ジェレミーは特殊だった。 ジェレミーは、上品は上品だけれど、堅苦しいところがない。むしろ型破りな部分の方が多いだろう。そして悪く言えば、礼儀に欠けている。他人との間に、良くも悪くも壁を作らない。ニールの、社交辞令をうっすらと感じさせる礼儀作法がない。 「……僕はそんなに珍しい顔をしてるのかい?」 じっと見ていたからか、ニールに不審がられてしまったらしい。言われて、リタは慌てて彼から視線を外して首を横に振った。 「そういうわけではない」 言って口を噤んでから、今のは言葉が少なかったかもしれないと思って口を開いた。 「ジェレミーとは随分違うように思ったのだ。……同じ上流階級なのに」 「そりゃあ、まあ、ジェレミーは変わり者だからね」 やっぱり。 「社交界で、あんなでもよいのか」 「まあ、妖精つきの家の当主だからね。そこら辺は大目に見られているんだよ。それに、ジェレミーは最低限の礼儀は心得ているし、あれで結構、大人社会のルールは知ってるから大丈夫」 「…………」 心の底から疑わしそうな顔をしたリタを見て、ニールは苦笑した。 「本当ですよ。子供っぽいのは認めるけど、それはあまりにジェレミーが天真爛漫だからだと思うよ」 「では、寝室に勝手に踏み込んでくるのは?」 「踏み込むの?」 ニールが驚いたように言うのでリタも少し意外で目を瞬いた。 「……ニールのところでは踏み込まないのか」 「そういうことはなかったなぁ。エメリナの部屋に勝手に踏み込むジェレミーなんて想像できないよ」 ジェレミーは以前、ニールの家で暮らしていたことがある。ニールにはエメリナという妹がいるのだが、ジェレミーは彼女の部屋に踏み込んだりしたことはないらしい。 「リタさんの部屋だけなのかな?」 「……それはどういうことなのだ?」 「さあ……」 「それに、いつも強引だ」 「まあ、それは確かに……」 強引なのは誰に対してもらしい。 「でも強引なのは子供っぽいというわけじゃないと思うけど?」 「…………」 それはそうだが、あの真っ白いキラキラオーラが明らかに子供だと思う。まあ、よくよく考えてみれば、妖精の子供なのだから、成長が普通の人間より遅いのは当然なのかもしれないが。 リタは考えた。大人のルール。……それは、一体どういうものなのだろう? ジェレミーがそれをちゃんと心得ているというなら、見た目よりも大人な人なのかもしれない。 その時、喫茶店の前に着いたので、二人は馬車を降りて、リタが尻込みしそうになったほど高級な喫茶店に足を踏み入れた。 依頼の相談でもするのだと思われたらしく、リタの三角帽子と黒装束を見た店員は、二人を二人がけの商談席へ連れて行った。ちらりとニールがリタに苦笑交じりの表情を向けた。 「魔女に対するステレオタイプが染み付いてるよね。僕もそういうところがあるから、人のことは言えないけど」 リタはどういう表情をしていいのかわからなかったので、とりあえず席に着いた。無視したと思われたかもしれない。……ちょっと不安になった。無理して好かれようとは思わないが、やはり嫌われたくはないというのは魔女とて普通の人と同じなのである。 「確か、リタさん、ジェレミーにプレゼントのお返しをしたいとかだったよね」 ニールが言った。そうだった、とリタは思い出して頷く。いつの間にジェレミー分析の話になってしまっていたんだろう。危うく本題を忘れるところだった。 「ジェレミーの趣味なんだけど、まあリタさんがご存知の通り、何にでも興味を示すから、正直何をあげても問題ないと思うよ。……という答えでは、困るんだよね」 困った顔をしかけたリタは、最後の一言に少し驚いて頷いた。ニールは今時の若者、という印象だったのだが、さすが貴族、伊達に社交界を渡っていない。的確にリタの言いたいことを理解してくれている。 「まあ、当然妖精関連のものは見飽きてるだろうし……珍しい物好きだから、魔女関連のものとか、どう?」 リタは少し考え、口を開いた。 「最初に聞いておくべきだったのだが……私はそもそも、お返しをするべきなのだろうか」 「え? あ、そんな根本から悩んでたんだ」 リタは肩をすくめた。魔女の常識しか知らないのだから、これくらい大目に見てほしい。 「そりゃ、簡単だよ。リタさん、ジェレミーにプレゼントをもらって嬉しかった?」 リタは迷わず頷いた。 「じゃあ、買うべきだよ。ジェレミーが喜ぶ顔、見たいでしょう?」 にっこりと言ったニールの顔を見てから、リタはふと財布が心配になった。……嗚呼、余計な失費だ。ここまできてしまったら、もう買うしかないが。 「魔女関連のものと言ったが、私は魔女関連の品物に、贈り物にふさわしい物は無いと思う」 「そう? 魔除けとかは?」 「除けられてしまうのは私や妖精達だ」 「…………」 ニールはなんとも言えなそうな笑みを浮かべた。 「じゃあ……魔女らしく薬なんかは」 リタは少し考えた。ジェレミーには、普段からよく妖精の塗り薬や汚れ落としの薬をせびられている。まるでアベリストウィスつきの魔女ではないかと思いつつ、ジェレミーが高額な料金を提示すると断れなくなってしまうのだ。プレゼントが薬、では少し味気なくはないだろうか。いや、本来は商品なので価値はあるものなのだが。 「ああ、あるいは、普段自分が身に着けているものとか、普段自分が大切にしているものは? そのペンダントとか」 リタは胸に下げた自分の魔女石を見てぎくりとし、大きく首を横に振った。 「絶対ダメ」 「……そ、そう、大事なものなんだね」 うーん、とニールは考える。 「じゃあ、おそろいのものとか」 「……それは、誤解を招かぬか?」 「うーん、周りにおそろいだってバレなければ。ようはジェレミーがおそろいだって知っていればいいわけだし」 考えながら、リタはじっと、目の前にある小瓶を見つめた。正八面体から、側面の角を二つ取ったような形。 「……大事なものと似ているものを、お揃いのつもりで、というのはダメだろうか」 呟いたリタの指差した小瓶を見て、ニールはへぇ、と呟いた。 「いいんじゃないかな」 次へ 戻る |