初めてウォーレンが彼女を見かけたのは、国王が民間から妃を娶ると宣言して王宮が上へ下への大騒ぎになっていた頃だった。最初に惹かれたのが外見だと言ってしまえば、彼女はきっと平手を食らわせてくるだろう。だが、実際外見が目を引く女性だったのだ。
もちろん、目を引くくらいだから美人ではあった。だが、上中下をさらに上中下に分ければ上の下といったところで、とても美人、というほどではなく、ほどほど美人という程度だった。目を引くのは顔立ちよりも、その肌の白さと、ほとんど白といっていいような薄い金の髪、そして彼女がまとう、ほとばしるような生き生きした雰囲気だった。
伯爵家の長男として、王宮にもちょくちょく顔を出していたウォーレンはその彼女をいつしか目で追っていた。聞けば、正妃の侍女だという。少しがっかりした。未来の伯爵夫人にするには身分が低すぎる。どう考えても両親に許してもらえるわけがなかった。それでも、彼女と話してみたいと思った。
そんな折りに、ウォーレンは正妃に父からの手紙を届ける役を仰せつかった。彼女に会えるかもしれない、とウォーレンは喜々として役目を果たそうと、正妃のもとへ向かった。
果たして、戸を開けたのは彼女だった。緊張のあまり、舌がもつれそうになる。
「ウォーレン・キアソンです。父から正妃さまにお手紙がございまして」
「キアソンさんですね。分かったわ、ギルダ様にお渡ししておきます」
初めて会話が成立した。それだけでばかみたいに喜んでいたウォーレンはしかし、彼女がいきなり睨みつけてきたので凍りついた。鮮やかな緑色の瞳は、激しい炎のような灼けつく鋭さを持っていた。
「あなた、最近私の回りをこそこそしているでしょう」
え、とウォーレンは目を瞬いた。ちらちら彼女を追っていた自分の視線は、180度逆の意味にとられていたらしい。
彼女はドスのきいた声で、ウォーレンに言った。
「あんまり嗅ぎ回るようなら、ぶっ飛ばすわよ」
あまりに強烈なその印象に、いろいろな意味でウォーレンは衝撃を受けた。
家に帰ったウォーレンは、一体あれが何の手紙だったのか、父に尋ねた。理由もなくあんな警戒をされる謂れはないじゃないかと思ったのだ。
「側妃をたてる事に対しての意見書だ」
父はそっけなくそう答えた。
「聞けば庶民出の、しかも国外の庶民を迎えるというではないか。どういうわけか、王妃様は反対なさらず、むしろ陛下を支援し、いろいろ側妃を迎えられるよう手も尽くしておられるご様子。差し出がましいと存じながら、ご意見させていただいた」
そういうことか、とウォーレンは納得した。あの女性も側妃擁立賛成派なのだろう。しかし、別に誰かが嗅ぎ回るほどのことでもないと思うのだが。
あるいは、あるのだろうか、とウォーレンはふと気付いた。あるから、警戒された。それはつまり――側妃候補の女に、何か秘密でもあるのだろうか、と。
とりあえず彼女の誤解は解いて欲しいなとウォーレンは思った。こんな淡い恋でも誤解されて終わるなんて悲しすぎる。それどころかこちらは名前さえ知らないのだ。
しかし、内気なウォーレンは会うきっかけも話すきっかけもどう作れば良いのか分からず、結局いたずらに王宮の王妃の部屋の近くでうろうろするだけだった。我ながら情けない。
そしてそんなある日、うろうろしていたら王妃の部屋から彼女が出て来て飛び上がった。しかもまっすぐこちらへやってくる。その場に突っ立って見ていたら、目の前まで来た彼女はこちらを睨み、予告もなしに拳を繰り出して来た。
あえなく撃沈。文字どおりぶっ飛ばされたわけである。
「警告はしたんだから、自業自得よ」
ふんと鼻を鳴らしてきびすを返そうとした彼女を、ウォーレンは鼻を押さえながら必死に呼び止めた。
「ま、まっで」
鼻声で余計に情けないが仕方ない。
「あの、わたしは別に嗅ぎ回っていたわけじゃないというのをどうしても説明したくて、けれどきっかけがつかめず、この辺をうろうろと、その……と、とりあえずお名前だけ教えていただけませんか」
支離滅裂になってしまったがとりあえず言いたかったことを全部詰め込んだ。彼女は振り向き、目を瞬く。
「それを説明するためだけにずーっとこの近くをうろうろしてたって言うの?」
疑っているらしい。ウォーレンは苦笑しつつ言った。
「……王宮にいる方が皆思いきりの良い人間だとは限りませんよ。わたしなどは極端な例ですが」
彼女は目を瞬いて、それから少し迷う様子を見せた後、手を差し出した。
「立ったら?」
ウォーレンは少し驚いたが、その手につかまって立ち上がった。彼女はバツが悪そうに言った。
「殴ったりして悪かったわ。あなたが悪い人じゃなさそうだとは思ったから、一応謝っておくわね」
「はあ」
一応か、とウォーレンは苦笑した。変わっているが面白い人だなと思う。とても正直な性分なんだろうなと感じた。変に勘ぐったりしなくても良い相手なのだと思うとますます心引かれた。
「あの、お名前は」
聞くと彼女は真っすぐな目でウォーレンを見た。
「リアンノンよ。あなたはキアソンさんだったかしら」
「はい。どうぞウォーレン、と」
リアンノンと名乗った彼女は目を瞬き、ウォーレンを見つめた。
「珍しいわね。貴族に名前で呼んでいいって言われたの、初めてだわ」
「それをいうなら、こちらが何かを言う前に敬語を使わずに話しかけてくる方はあなたが初めてですよ」
「嫌じゃない?」
「いいえ。正直で堂々としている方の方が好きです」
リアンノンは二回目をぱちぱちと瞬くと、ぷっと吹き出した。ウォーレンは慌てた。変なことを言っただろうか。
「あ、あの……?」
「いいえ、気にしないで。あなたをスパイか何かと間違えた自分がおかしくなってしまって」
それはつまり、てんでそういうのに向いていないと判断されたのだろうか。それはそれで複雑なのだが。ウォーレンが仕方なしに突っ立っていると、笑いが止まったリアンノンが振り返った。笑顔の彼女は、とびきり輝いて見えた。
「私たち、相性が良さそうね」
この瞬間にウォーレンは――完全に、落ちた。
その後、また会おうと誘ってくれたのはリアンノンの方だった。ウォーレンは喜び勇んで出掛け、彼女に自分の家の近くを案内してあげた。始めは浮かれるのと緊張するのとが入り混じって空回ってばかりだったけれど、その自分の空回りすら、彼女は笑い話にして笑い飛ばした。そうやって彼女の笑顔を引き出せるなら、空回りも悪くないと思えた。
徐々に距離が近付くにつれて、ウォーレンは彼女の言葉の端々から、どうやら正妃の密使を務めているらしいことを感じ取った。相手は分からないが、側妃問題の話が出る度にぴりぴりしているところを見ると、かなり妃問題の渦中にいるらしい。そんな彼女の力になりたい一心でウォーレンは色々と調べた。
結果分かったことは、王妃は陛下と同じか、それ以上熱心に側妃を王宮に上げることを望んでいるらしいということ。奇妙だと思う。普通は自分以外の妃など、この世から排除したいものナンバーワンなのではないだろうか。
それで、王妃が嫁いで来た記録も調べた。王妃はクロイツェルの公爵家出身、皇帝とは親戚にあたるらしい。皇室公爵家の出だ。クロイツェルか、とウォーレンは唸った。近年は落ち着いたが、ほんの5年ほど前までは近隣の国を飲み込みながら拡大していた国。同盟国であるはずのオーカストも恐々としていたものだ。情報を売ることで、何とか餌食になることは免れたのだが。
初めて側妃となるかもしれない女性の素性が単なる農民ではないのではないかと疑ったのはこの時。隠し事をしていてもしょうがないので、リアンノンにもこの考えを打ち明けた。彼女は目を真ん丸にしてウォーレンを見つめていた。
「あなたって……抜けていると思っていたら、本当は頭が良かったのね」
割と酷い評価をされていたことが分かってウォーレンは少し落ち込んだ。しかし、ということは。
「やっぱり普通の農民じゃないのか」
「まあね、普通だったらギルダ様もここまでご尽力なさらないわ」
ウォーレンはしばし考えた後、かまをかけてみた。
「クロイツェルを追われた皇族とか」
「だめよ。ヒントはあげられないの」
つんとすました彼女の横顔を見て苦笑する。
「まあいいよ。わたしが知っても仕方ないだろうし」
「そうよ、仕方ないの。知らない方があなたのためよ」
「……心配してくれてるのかい?」
ちょっと聞いてみたら、リアンノンは頬を染めて怒ったように言った。
「ばか」
「え、そんな、なんでばか?」
「確かめなきゃいけないくらい、あなたは私があなたを気にしていないと思っていたの?」
ウォーレンはそれを聞いて目を瞬き、それから微笑み、リアンノンの手をとって、手の甲にキスをした。何が何でも、彼女を守ろうと思ったのはこの時。勘当されることになっても国外逃亡を図ることになっても、この女性と一緒にいようと誓った。
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