「え、公爵のしわざ?」
アースは目を丸くしたが、すぐ納得したようにはー、と呟いた。
「なるほど。全部仕組まれてたんだって王子様は思ってるんだ」
「そう。あたしイマイチ理解できてない気がするからさ、アース、手短に解説よろしく」
セイリアが言うと、アースは一瞬目を瞬いた。
「なんかちょっと嬉しいな、姉さんが頼ってくれるの」
にこにこと嬉しそうな片割れの頭を、セイリアはポンと軽く叩いた。
「まあね。あんたの頭は使えるわ。重宝させてもらうわよ」
「はいはい。ええと、つまりハーストン公爵がヌーヴェルバーグになんらかの連絡を取って、オーカストに援軍要請をさせた。で、世論はゴタゴタするけどとりあえず陛下が自らお出ましに。そしてこれはチャンス、ということで少数民族が陛下を攫った」
「ふうん。でも納得できない点がいくつかあるのよ。まず、本当に少数民族が陛下を攫ったとして、動機は? それと、公爵はそれを見越してたの? むしろ指示したのは公爵? それと、援軍派兵の時に陛下が自分から出て行くことにしたのはたまたまよ。都合良すぎない?」
アースは少し考え、それから答えた。
「まず、少数民族の動機だけど、リキニ事件の復讐って線があげられるね。処刑された乱の首謀者、ヘルネイの王族だったんだって。目には目を、歯には歯を、王族には王族をってことじゃない?」
「はーなるほど。怖いわねぇ」
「……姉さん他人事……。それと、公爵のことだけど、そっちはまだ良く分からない。でもね、偶然に見えて実は必然だったっていうのはよくあることだから」
「そう?」
「うん。他人から見ればたくさんの選択肢があったとしても、その人にとって取れる選択肢が一つしかなかったら、そこをうまく操って必然を偶然に見せることはできる」
なんだかえらく複雑だ。
「でも今のところは、僕たちどうしようもないと思うよ。隊長への直談判が成功したならもうそれだけで十分だよ。後々政権交代なんてことになっちゃうと効果のほどは分からないけど、まあ現状それが精一杯だろうしね。姉さん、その約束は文書にしてもらった? あとであれは無効だったとか言われたら終りだよ?」
セイリアは隊長のサインつきの紙を引っ張り出してアースに見せた。
「その辺は抜かりなしよ」
「さすが騎士!」
「えっへん」
今日は妙に仲のいい双子である。
「文書にしてくださいって言ったらちょっと変な顔をされたけど、普段の行いが良いからあんまり怪しまれなかったわ。しかもほら、あたしは側にいることを許してくれれば良いって言っただけなんだけど、それがシェーンを守りたいって意味なら護衛騎士の任を半永久的に確保する、の方が良いっておっしゃってくれて、そう書いてくれたの」
「へえ。これであとはこの文書が誰かに反故にされないことを祈るばかりだね。……でも、ないよりは十倍良いと思う」
「うん。ありがと」
セイリアは文書を大切にしまった。盗まれたら終わりだ。
「ねえアース、カーティス王子はこのことには無関係かしら?」
セイリアはもう一つ聞いてみた。うーん、と首を傾げたアースの顔が少し引きつる。この前のことは少なからずトラウマになったらしい。
「あっても利用されただけじゃないの。カーティス王子は陛下を嵌めたりしないよ。ほら、アリアンロードさんいわく単純だし」
「そっか。……そういえば最近アリアンと会ってないなぁ」
まあ、色々あり過ぎたので当然なのだが。
「まだ文通してるの?」
「してるよ。この前なんか、勝負はどうでしたかって聞かれた」
「勝負? ああ、カーティス王子との?」
「そう」
「あんたはどう答えたの」
「……うやむやになって終りました、って」
「ばか正直ね」
まあ、誠実なのはいいことだが。
「まあいいわ。なんかどんどんヤバい感じになっていってる気がするけど、当たって砕けろ、よ」
「……砕けちゃダメだよ姉さん?」
アースが遠慮がちにツッコミを入れた。
それから数日はシェーンもかなり参り始めていたようだった。責任追及されているのかと聞いたら、遠回しにね、と返された。
「……どうするの?」
「さてね。まさか位を降りろとまでは言われないだろうけど」
「じゃあ、何を……?」
「気味が悪いんだ。今は特にという要求がないんだよ。事が起きるのを待ってから、ってところかな」
「こ、事、って?」
「さあね。いくつかは候補があるけど」
「言ってみて」
セイリアが真剣に言うと、シェーンがちらりとセイリアをみた。
「あくまで憶測だよ」
「あんたの憶測は気味が悪いほどよく当たるからバカにはできないわ」
シェーンは苦笑した。
「今回は外れてほしいね。……父上が亡くなった証拠を出されると思う」
「えっ?」
セイリアはギョッとした。
「じゃ、じゃあ陛下は……」
「いや、証拠は捏造できる。そしたら一気に“十八歳戴冠規定”を盾にクーデターだ」
「物騒な」
「物騒だよ。それができなければ、前回の件、それとセイリアの件で責任追及。そしてクーデター。またはそれが全部襲って来る、結局クーデター」
セイリアは絶句した。八方塞がりではないか。
「……起死回生の見込みは?」
恐る恐る聞いたら、シェーンはふっと笑った。
「先回りしかないね。証拠隠滅又はもみ消し。でなきゃこちらも同じくらいの攻撃をしなきゃ」
「できそう?」
「攻撃材料がまだ不十分。もみ消しはまだ先が長い」
沈黙。セイリアはシェーンを上目遣いに見上げた。
「シェーン、疲れてるでしょ」
シェーンは何も言わなかった。
「もうひと月も毎日徹夜状態だもん……そろそろ壊れるよ?」
「壊れないよ。限界は承知してるつもりだ」
「じゃあ限界点まで後どれくらい?」
「20%かな」
「……迫ってるじゃん」
「振り切れたこともあるから、これくらいは大丈夫」
「大丈夫じゃないじゃないの! 振り切れるって、本当に自分の限界把握してるの?」
「本当に大丈夫だって。……心配性だな、セイリアは」
セイリアは頬を膨らませた。
「あんたがもうちょっと無茶を控えてくれれば私も口出ししないのに」
「そっくりお返しする」
「私がいつ無茶した?」
「いつも力づくで突破しようとするくせに」
言い返す言葉がなくてセイリアはむくれた。
「大丈夫」
シェーンは言って笑う。
「死にはしないから」
死なれてたまるか、とセイリアは思った。置いて行ったらいつか天国で再会した時に承知しない。膝かっくん百回はお見舞いしないと。
そして数日後、セイリアはアースとレナードと一緒にセレスの所に遊びに行った。セレスは結構政治の話にも興味があるようだった。実はとっても王妃向きなんじゃないかと思ったが、頭から振り払う。悪いが譲れない。アリアンロードは良くも悪くも無感動だった。ときどき例のぼんやりとした目でセイリアを見つめてはいたが。
「まだ何か起きるというのですか」
セレスはいつになく真剣な顔をして身を乗り出した。
「そんな、もう十分に色々起きたではありませんか」
「次の一手が決め手になるんじゃないかって」
「そ、その一手とは?」
あんまりセイリアばかりしゃべると不自然なのでアースの腕をつつくと、彼はピクリと緊張したように震えて、なんとかしゃべり出した。
「まっ、まだ分からないそうです……だ、だよ」
語尾もセイリアの教育中である。まだまだ対人恐怖症の完全克服はしてなさそうだった。
そこでアリアンロードがふと顔を上げてレナードを見た。
「大尉は?」
レナードは少し不意を突かれたような顔をしたが、すぐに言った。
「目下情報収集中です」
なんと短い会話だ。この二人を二人きりにさせてもきっと会話がないんだろうな、とセイリアは思った。
セイリアはセレスに聞いた。
「オーディエン公爵はどう考えているの?」
セレスは少し考え、自信無さそうに言った。
「この前の襲撃事件に関しては、きちんと王子様にけじめをつけていただかねば、とおっしゃっていましたわ。でなければハーストン公爵派も納得しないだろう、と。でも、陛下の失踪にハーストン公爵が関わっているかどうかについては特におっしゃっていませんでしたわ。娘に聞かせるような話ではございませんし」
「そっかー。あたしは情報源がいるからやたら詳しくなっちゃったんだけどね」
実は自分の方がアースの情報源だが言っておく。アリアンがいるので仕方ない。
それにしてもこういう政治の話が大半のお茶会は初めてだな、ととセイリアはカップの中身を見つめた。(ちなみに今回はちゃんとセレスがいれたのでアースもカップを手に変な顔をしてはいなかった)状況が状況だからなぁ、と考える。みんな緊張しているのだ。国王の存在の大きさを、セイリアは初めて実感した。
「もし」
そう、言ってみる。
「陛下が本当にお亡くなりになるようなことがあったら、どうなると思う?」
セレスはぱちくりと目を瞬くと、ぽつんと言った。
「大混乱、ですわね」
「そりゃそうだけど」
「まず間違いなくハーストン公爵かカーティス王子が動きますわ。ハーストン公爵の線の方が強いですね。今のところ、シェーン王子は十八歳を迎えておりませんから、ハーストン公爵に王権が委ねられます。そしたらその権利を一時的なものではなく、確固たるものにしようと画策なさるでしょうね」
言ってセレスは隣りのアリアンロードに向かって振り向いた。
「アリアンさん、シェーン王子に勝ち目はあると思います?」
アリアンロードはぼんやりとセレスを見つめると、あっさり首を縦に振った。意外だったのでセイリアは身を乗り出した。
「本当?」
アリアンロードはまた頷く。
「あくまでも一時的な王権に過ぎません。確固たるものにするならそれ相応の根拠が必要です」
「根拠……」
アリアンはもう一度頷いた。
「スキャンダルなら王兄にもあります。足を引っ張った所でシェーン王子なら同じ程度の王兄のスキャンダルを引っ張り出してくるでしょう」
シェーンが言ってた攻撃材料ってスキャンダルのことか、とセイリアはようやく納得した。……でも足りないとか言っていた気がする。ダメだこりゃとセイリアは肩を落とした。アリアンは続ける。
「シェーン王子の出生が一番効果的」
「え?」
「血筋に問題あるなら、誰も反論できないです。それで王位はハーストン公爵の元に」
言うとアリアンロードはカップを手に取ってずずっと飲み、また黙り込んでしまった。頭いいなぁ、とセイリアは感心してしまった。ぼやっとした表情に騙されてはいけない。この子はかなり考えている。アースもほうっと感心したように溜め息をついた。
「すごい」
アリアンロードはそう評価されたのが意外だったように、目を少し丸くして瞬きをした。アースは気付かないのか、軽く顎に指を沿える。
「でもそうすると、シェーン王子の出生は公認の秘密だから、もう王子様には始めから勝ち目はないってことにならないかな」
「公認だからこそ、これ以上叩いても何も出ないのです」
アリアンロードは言った。
「王子様への冷遇は根強いですが、それを理由に王位継承だ何だ騒いでも、何をいまさら、と言われるでしょう」
「じゃあ……」
アースが眉をひそめると、アリアンロードは小首を傾げて鋭いことを言った。
「公爵は他にも側妃様の出自に何かあると疑っているのではありませんか」
ギクリとしたのはセイリアとアースだけではなかった。レナードもアリアンロードを凝視した。セレスだけが一人、目をパチパチさせていたが。
「なぜそう思うのですの?」
「王子様の周りを嗅ぎ回っておいでのようでしたから。表立って嗅ぎ回れないことと言ったらそれくらいです」
どこまで観察力がすごいんだろう。ある意味怖い。
セイリアはふと思いついて言った。
「じゃあシェーンの出生に他の問題がなければ、起死回生のチャンスはあるってこと?」
アリアンロードが小首を傾げた。
「それは分かりませんが」
がっくり。
やっぱりそう簡単にはいかないのか、と思うと悔しかった。いざとなったら本当にシェーンを連れて国外逃亡になるかもしれない。……正直、オーカストの情報網をくぐり抜けて逃げおおせる確率は低い気がするが。
その時、コンコン、とドアを叩く音がした。セレスが気付き、「お入りなさいませ」という。
来たのは大尉だった。レナードが立ち上がる。
「大尉。何か……」
「レナード、緊急だ。王宮に直行して情報を集めて来てくれ。アース、君も行った方がいい。シェーン王子関係だ」
思わず立ち上がってしまったのはセイリアの方だった。
「何があったんですか?」
「王子の睨んだ通りだよ。相手の用意した筋書きは読めるのに対策が取れないなんて、きっと悔しがっていなさることだろう」
皮肉っぽい言葉だが、口調には大尉自身、悔しそうな響きが交じっていた。
「いまさらだが、陛下の襲撃を目撃したという兵が現れた。そいつの証言によると、陛下はお亡くなりらしい」
ひっ、とセレスティアは悲鳴を上げたが、さっと立ち上がった。
「お父様には」
「もう伝えました。あなたが行かなくて結構ですよ、セレスティアさん」
「は、はい……」
「私の父には?」
アリアンロードも聞く。大尉は肩をすくめた。
「ノースロップ伯爵には話がいっているでしょうが、キンバリー男爵の方は分かりません。お帰りになりますか」
アリアンロードは頷き、立ち上がると外套を羽織って足早に部屋を出て行った。
大尉がセイリアとアースに声をかける。
「とにかく、アースは王宮に」
「はい」
アースが返事をし、セイリアの手を引いて馬車に駆けていった。馬車に乗り込んでカーテンを閉め、急いで二人の衣装を交換する。着替えが終わるとアースがセイリアの手を握った。
「姉さん、パニック厳禁だよ。絶対つけこんでくる気だからね。冷静に、今はシェーン王子の判断に任せて」
「分かってるわ」
どうしようもなく緊張しながらもそう返事をし、「アース」となったセイリアは、王宮に着くと馬車の戸を開け、正面玄関に続く階段を駆け上がった。
――ついに、始まった。
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