A Deal 
取引

 

 この期に及んでメアリーはセイリアの髪が短くなったことを嘆いていた。セイリアが男だと思っている人達は単純に「髪切ったんですねー」と言っていただけだったが。セイリアは家に帰ると早速またメアリーの嘆きの言葉を聞く羽目になった。正直、よく言い飽きないなと思う。
「飽きるわけがございません! だって、その髪でどうやってお嫁に行くつもりなんですかぁぁ!!」
 なんかもう、わっと泣き出しそうな雰囲気だ。そのときはかつらをつければいいじゃないかと呑気に言うと、メアリーは「かつらをつけた王妃なんて聞いたことありません!」と怒鳴った。どうせあと1年は安泰なんだからその間に髪も伸びるだろうと言ってメアリーをかわした後、セイリアはソファに身体を沈めた。
 それにしても、とセイリアはシェーンが見せた表情を思い出して落ち着かなくなった。本当に、いつの間に、あんな表情を見せるようになったんだろう。少し困ったような、でもいとおしむような目なんて。自分に向けられていたものだと思うときゃーと叫びながら地面を転げ回りたい気分になる。……恋って忙しい。

 一方、王兄が暫時政権を握ったことに対する反発は皆無というわけではなかった。シェーンが認めた上での委任なので規模は小さかったが、ハーストン公爵の握る政府の命など聞かぬ、と反抗した人達がいた。速やかに抑圧されたが。不気味なほど、速やかに。
「これは波風を立てぬ方が良さそうだ」
 知らせを受けた子爵はぶるっを肩を震わせてそう呟いた。

 そして、反発をした貴族の一人が不正をしていたということで、これをきっかけに公爵は他に不正をしている者がいないか調査すると言い出した。いわく、「このような時代だからこそ、内の腐敗要因を取り除き、強い国であらねばならない」らしい。白々しい、とセイリアは思った。あんたが一番不正をしてそうじゃないか。
 とりあえず、この宣言は各部署を慌てさせたことは確かだった。
「軍もそれなりに色々やってきたみたいだからねぇ」
 大尉も溜め息交じりにそう呟く。
「とばっちりは受けたくないけど、上のやったことは下にも響くだろうし」
「……大尉の上司も何かやったんですか?」
「程度を問わなければ、私だってちょっとおこぼれにあずかったことはあるさ。酒の一瓶程度だけど」
「えー……」
「そういうものだよ」
 言われてセイリアは少し、大人の世界が嫌になった。
「とにかく、うちの部署も証拠隠滅に走ってるような感じだよ。騎士隊はどうだい?」
「レンから聞いてないんですか?」
「何も、としか答えないんだ」
 つくづくレナードらしい。無表情でぽつりと言うその表情と声まで想像できてしまってセイリアは苦笑した。
「まあ、実際何もないんですけどね……ただ」
「ただ?」
 セイリアは心を決め、大尉に会いに来た本当の理由、その原因を打ち明けることにした。
「身元検査をするらしいです」
「……身元検査?」
 この話を最初に聞いた時、セイリアはカーティス王子から公爵――今は仮王だが――に話がいったんだな、と確信した。そしてセイリアを嵌めるために、今回の検査を仕組んだのだと。
「……当日だけアースに代わってもらったらどうだい?」
「そんな簡単な方法で騙せるかなぁ」
「だって本人じゃないか」
「でもアースは運動できないし……そういうのも調べられたら」
「今から特訓とか」
「あと一週間もないんですよ?」
 ハウエルは肩をすくめた。
「しょうがないよ、騙すしかない時はどんな不確実な方法でも騙し通さないと」
 それに、と大尉は続けた。
「運動は試されるかどうか分からないよ。体力測定とか弓や剣の実技でボロボロな結果が出たとしても、後日再検査になるだけかもしれない。私なら入れ替わりに賭けるね」
 セイリアは迷い、考えてから、大尉に頭を下げた。
「その方法でやってみます。ありがとう、大尉」
「いえいえ、君のお役に立てるなら」
 大尉はにっこりと笑顔を返してくれた。

 そういうわけでアースとは念入りに計画を立てた。またアースを引っ張り込むのはセイリアも少々申し訳なく思ったが、世間での双子への認識が男女入れ替わった状態に、アースだって甘んじていたのだから、一役買うべきだろう。メアリーもはりきって協力してくれた。
「いですか、若様。お嬢様のふりですからね。がさつに、ですよ。ばれそうになったら腹減ったー、って叫ぶんですからね」
「メアリー……それはどうかと」
「というかメアリー、あんた本当にねちっこく覚えてるのね」
「姉さんはそこよりもがさつって言われたことに少し危機感を覚えない?」
 セイリアはしれっと言った。
「いまさら直そうとしたって無理だし」
 若君は溜め息をついてうなだれた。

 ところが、その日がやってくる前に、今度はセイリア本人がお呼び出しを受けた。仕事を終えて家に帰ろうと思っていたら、使者らしき人に呼び止められた。
「ヴェルハント殿、仮王陛下がお呼びにございます」
 セイリアはぽかんとし、それからすぐに身構えた。
「どんな御用でしょう」
「申し訳ございません。ただ、来ていただきたいとのことです」
 一緒にいたルウェリンはセイリアを見上げ、指示を仰ぐ表情をした。セイリアはその視線に対し、好きにして、と視線を送る。ルウェリンは小さく頷き、その場にとどまった。セイリアが去ってから動く気らしい。
 セイリアは意を決し、使者について行った。まさか断れない。国王に相当する人物からのお呼び立てである。セイリアの心臓は鼓動を速めていた。

 着いたのは、先日までシェーンが使っていた執務室。この間まではここが仕事場だったんだけどなぁと少々不機嫌な気分を覚えつつ、セイリアは「入れ」と中から聞こえた声が命じる通りに、部屋の中に足を踏み入れた。
「久しぶりだね、ヴェルハント殿」
「……はい」
 王兄はにんまりと顔中に笑みを広げた。友好的なのが余計に警戒心を増幅させられる。
「何か御用でしょうか」
「近々行われる騎士隊と軍部の身元検査だが……」
 王兄はゆったりと足を組んで言った。
「特に怪しい者については期日を早めて抜き打ち調査ということになったのだ」
「……それで自ら一人一人お呼び立てなさってるんですか?」
 随分暇なことだ。声色にそういう色を含ませて言うと、王兄は落ち着いた様子で言った。
「内部の腐敗は外敵を迎えた際に一気に進んで国を滅ぼすものだ。今の時代、いつ隣国に襲われかねない状況で、これは重要なことだとは思わないか?」
 彼の言う腐敗とは自分の反対勢力ではないだろうか。思わずセイリアは口を開いた。
「その腐敗の定義は人それぞれみたいですけどね」
 ぼそりと呟いたのに王兄にはしっかり聞こえていたみたいだ。さすがに面白くなさそうな顔をしている。セイリアは少し後悔し、無駄口は叩かないようにしようと思った。
「大した口の利き方だ。シェーンに教わったか」
 どちらかというと真似たという方が正しいが。
「君はシェーン派だ。そう言いたい心理は理解できるがね、わたしのもとに届いている密告状の罪状が本物だとすれば、君はわたし側だろうとシェーン側だろうと関係なく、欺君の大罪を犯していることになる」
 セイリアは動けず、ごくりと唾を飲んだ。
「……冤罪です」
「ほう。では女中に隣りの部屋で、お前を検査してもらうがよいのか」
 ……まずい。拒否したら完全にバレる。いや。待て、とセイリアは必死に頭を回転させた。はったりかもしれない。王兄はセイリアの罪状をはっきり示していない。自分からそれを口にしてボロを出してはまずい。
「何を検査するというのです?」
 こちらからかまをかけてみる。王兄は肩をすくめた。
「決まっているではないか。君が性別を偽っているかどうかを、だ」
 ……はったりじゃなかった。いよいよまずい。
「……ど、どうぞご勝手になさってください。そもそも、騎士隊に女性を拒む規定はありませんけどね」
「そんなはずはないだろう」
「本当ですよ。ちゃんと調べましたか?」
 王兄はむう、と難しい顔をして黙り、側にいた男に何かを囁いた。男は軽く頷いて退出する。調べに行ったのだろう。王兄はセイリアに向き直り、話を続けた。
「それはつまり、お前は自分が女だと認めるのだな」
「そんなことは言っていません。ただ、騎士隊の規定を誤解なさっていたようなので訂正したまでです」
 勝った。ありがとう、シェーン。あんたといつも口喧嘩してたお蔭だわ。しかし王兄もこんな形では引き下がってくれなかった。
「しかし、だからといって騎士隊が女を容認している訳でもなかろう。君の性別が疑わしいことには変わりはないからな、やはり検査はさせてもらう」
 難は去っていなかった。表情には動揺を出すまいとしていたセイリアだが、さすがに反論に詰まる。バレたら、規則破りはしていないのだから罰則は受けないにしても、騎士隊を除隊になるくらいはするだろう。半永久的護衛騎士就任の許可状をもらっているから確率は五分五分くらいには減るかもしれないが、今許可状のことを言ったら不自然だ。
 王兄は笑う。勝った、というように。
「拒みはしないな?」
「……仮にも騎士であり貴族である私に、屈辱を与えるおつもりですか」
「たとえ王族であろうと屈辱は受けるものだ」
 王兄は言って、女中を呼ぼうと鈴の方に手を伸ばした。
 死刑宣告の鐘の音が鳴る、とセイリアがごくりと唾を飲んだその時。

「伯父上、いらっしゃらないのですか」

 救い主が現れた。シェーンだ。セイリアは思わず助かったと狂喜しそうになったが、まだ助かったと決まった訳じゃない、シェーンに迷惑がかかる、と必死に自分を抑えた。
 部屋に入ってきたシェーンはセイリアと自分の伯父を交互に見て、ごく冷静に言った。
「何があったのですか」
「随分タイミングよく現れたじゃないか、シェーン」
 王兄はふっ、と怖い笑みを浮かべてシェーンを睨んだ。
「駆けつけてきたのだろう? ならば何があったかぐらいは知っておろう」
「随分と自信ありげのようですが、残念ながら何のことか分かりかねます」
 シェーンはしれっと言い、ちらりとセイリアを見た。大丈夫だ、とその海色の瞳が言っている。やはり駆けつけてきたに違いなかった。ルウェリンから知らせがいったのだろう。
 シェーンは王兄に向き直ると、静かに言った。
「最近、僕の護衛に興味があるようですが、彼にちょっかいを出すのはやめていただけませんか」
 え、とセイリアは目を瞬いた。随分と直球に言う。大丈夫なのだろうか。王兄は、まあ予想どおりだが、断った。
「そうはいかない。騎士隊は我が国の礎とも言えるべき組織、規律を乱す者には厳罰を処さねば」
「騎士隊にいるのが問題だとおっしゃるのでしたら、彼の騎士の任を解いてくださってもかまいませんが、僕は彼以外の護衛を信用できませんので、引き続き護衛として側に置くことを許していただきます」
 シェーンは宣言した。頼みじゃない、交換条件だ。一歩も引いていない。王兄はさすがにこめかみの辺りをピクリとさせた。
「王に対等の立場で条件を出すとは、良いご身分ではないか」
「お忘れのようですが、仮王ですよ」
 さらに王兄のこめかみがぴくりとする。そろそろ生意気はやめた方が良いんじゃないかとセイリアが思っていると、王兄が笑い出した。シェーンはそれを黙って見つめている。その横顔に覚悟のようなものがあることに、セイリアは気づいた。
 ……何かが。
 何かが、起きる。

 唐突に笑い止んだ王兄はしかし、笑みを口元から消さずに言った。
「今のお前に、わたしと対等に交渉する力はない。支持はわたしに傾いている上、お前派の者が暴走を起こした。それだというのに、護衛一人にこだわって、そこまで強気にわたしにたてつくのか」
「譲れないものは譲りません」
 シェーンはきっぱり言った。ふん、と王兄は鼻を鳴らした。
「しかし、そやつの騎士の身分を解く代わりに見過ごせと言うのはいささか交換条件としては弱いぞ。それに、騎士でもない者が太子の護衛をするのは認められぬ」
 太子の、を強調した王兄の言葉に嫌な予感がし、セイリアが眉をひそめた時、シェーンが口を開いた。
「つまり……」
 シェーンは眉ひとつ動かさず、静かに言い切った。

「……交換条件に、伯父上は僕の太子位が欲しいのですね」


最終改訂 2008.08.07