空いた時間に、セイリアは本当に街に出た。目的は美味しい定食屋さん。絶対についてこないと思ったのにシェーンも一緒に来た。珍しいなと思ったが、別に理由は聞かなかった。ルウェリンはもちろん一緒だ。
ヌーヴェルバークの城下町に、「通過するだけ」以外の用事で入ったの初めてだった。
「やっぱり北だからなのかな、ジャガイモ畑ばっかり」
セイリアはキョロキョロしながら言う。
「カボチャとかトウモロコシもあるみたいだけど。……オーカストよりちょっぴり貧弱な感じだね」
「そうでもないさ」
シェーンが言った。
「酪農が盛んだから、もう少し内陸に行けば牧場がいっぱいあるよ」
「へえ、そうなの?」
セイリアが振り返る。
「じゃあ、シチューとかが美味しいのかなあ。クリームシチューあるかな!」
「この辺じゃラグーっていうんだよ。シチューって言っても通じないからね」
それじゃあこのあたりの名物に詳しいのか、と聞いてみたらそうでもないようだった。
「なんだ。オススメ聞こうと思ったのに」
シェーンは呆れたように言った。
「もうちょっと諜報員らしく文化にも気を配ったら? 君の頭の中は美味しい食べ物のことばかりなわけ? 高級品とそうでないものの違いも分からないくせに」
「何その言い方。私にだって好き嫌いぐらいあるんだよ! 好きなもの食べれるなら嬉しいの! あんたの肥えた我侭な舌とは一緒にしないでくださーい」
「いつ僕が質素なものをこき下ろしたって? ローダさんのところの料理は美味しかったよ」
「じゃあさっきのは何の話!」
「君をいじくり回して遊ぶって話」
「何それ!」
楽しそうに笑うとシェーンは先に進んでいった。むくれながらセイリアが続き、ルウェリンもてくてくとついていく。
畑を抜けた先にぽつぽつと掘っ立て小屋が見えてきた。戦争中だとは言うものの、それで劇的にひもじくなったとか、そういう事は無いようだった。ごく平穏に見える。結局戦いは軍人のものであって平民のものではない、ということなのだろう。
お勧めの食堂はセイリアが街人に聞き込みをして教えてもらった。実際入ってみると薄暗くて、どちらかというと夜に酒を飲みに来る場所のようだったが、街人のお墨付きなだけあって料理はなかなかだった。
しかし、店に入った時からセイリアはやたらヴァンサンの顔が脳裏にちらつき始めて、一体どうしたことだろうと考えた。
「どうしたんですか? アー……いえ、アシル殿のフォークの進みが遅いなんて」
気付いたルウェリンが声をかける。セイリアはフォークを置いて腕を組んだ。
「なんか忘れてる気がする」
「忘れてる?」
「そう。あのヴァンサン。私絶対何か大事なこと忘れてる」
「どうしたんだ、急に」
シェーンも驚いた顔をしていたが、すぐにセイリアと同じように、はた、と何か気付いた顔をして黙り込んだ。ルウェリンはえっ、えっ、と呟いて二人の顔を交互に見つめた。
「ヴァンサン……ヌーヴェルバークのヴァンサン……」
セイリアは考えながら店内を見回した。何かが思い出せそうだ。男たちの喧騒、漂う酒の臭い、揺れるろうそくの炎。なんだったっけ。
「オーカストの言葉ではヴァンサンに相当する名前はヴィンセント……違うな」
シェーンもブツブツ言っている。
「そんなんじゃない。ド・リール宰相に関する情報で名前が上がっていた気がする……」
「それだ!」
セイリアが指をぱちんと鳴らして叫んだのでふたりとも驚いた顔でセイリアを見つめた。他の客がセイリアを見つめたのでセイリアは慌てて頭を掻いて、すみません気にしないでください、と曖昧に笑った。客たちの視線がもとに戻ると、セイリアは身を乗り出して二人にささやいた。
「脅し内容はヌーヴェルバーグのド・リール宰相が掴んだ情報であるもよう、ド・リールは頻繁に一人の男と連絡を取っている。相手の名はヴァンサン、素性は不明、神出鬼没のため接触は困難。引き続き調査中!」
頭の中に叩き込んだ文句だ。ルウェリンと二人、情報伝達者を務めた時に。
「あの時の話に出ていたのがヴァンサンだった! ねえ、もしかしてあのヴァンサン、一番のキー・パーソンなんじゃない?」
シェーンは小さく口を開けて目を瞬いた。そしてすぐに思案するように眉をひそめる。
「そうなるとヴェルニ王子と顔がそっくりっていうのも気になるな……本当に本人じゃないのか?」
「だって、本人だったらとっくにシェーンの身元がバレてるんでしょ」
「そうなんだけど」
シェーンの表情が、徐々に真剣味を帯びていく。
「……これは……もしかしたら、本当に当たりくじを引いたのかもしれない」
セイリアはその一言を聞いてにわかにワクワクし始めた。
「ねっ、ねっ、調べる? どうしたらいい?」
「……随分楽しそうだな」
「そりゃあね! 今までの退屈が吹き飛びそう」
呆れたような顔をしながらも、シェーンは腕を組んで考えるような表情をした。
「そうだな……まずはあいつの行動範囲を調べてほしい。仮に本当に当たりだったとすれば、こんなことをすべて一人でやってるとは思えないから、仲間がいるはず。それならこっそり会って話し合いをすることもあるはずだ。書状のやりとりもしているかもしれないから、そっちも調べて。ああ、でもあいつ自身が伝令の仕事中って場合もあるか……とにかく、人間関係を中心に洗ってくれ。よく行く場所があるなら、いつ頃から出入りしてるのかとか。頻繁に会う相手がいるなら、その相手にも話を聞いてみてほしい」
「了解」
「さりげなくね」
「わかってるってば。どこで仕事してたと思ってるの」
「……君の専門は諜報じゃなくて護衛だっただろう」
「なにそれ。じゃあ諜報に関しては私の仕事ぶりは信用してないってこと?」
「微妙」
「……そこはフォローしてよ」
「正直な性分なもので」
「口車でいろんな人を転がしてきたくせに、どの口先が物を言うかっ」
「ふうん、君は嘘をつかなきゃ口車で人を転がせない程度の口しか持ってないわけだ」
「ぬぁにをーう」
口喧嘩をしながら、なんだかセイリアはほっとしていた。退屈だったのもそうなのだが、最近なんとなく気分が塞いでいたのだ。シェーンと言い合いをしていたら元気が出た。やることもできたし、外に出てきて正解だったと言えるだろう。
食事を終えて三人で元来た道を戻っていたときだった。セイリアは自分たちを尾けてきている人たちがいるのに気付いた。どうにもつけ方が下手で、あーこれはそんなに心配するほどの相手でもないなと思ったのだが、一応シェーンに報告しておく。
「ねえ、あんまり怪しくない人たちが尾けてきてるみたい」
シェーンは少しだけ眉をひそめて目を細め、セイリアに話しかけるのを装って顔を横に向け、横目で後ろを確認した。
「怪しくないって何で分かるの」
「なんていうか、下手。目立ってる。あと、正直あまり隠れようっていう気がなさそうだし」
「ふつうの村人に見えるけど」
「ふつうの村人なんじゃない?」
シェーンはまったく、と少しあきれたような視線をセイリアに投げかけた。言いたいことは何となく分かった。さっきまで話題にしていたのだ、例の極秘情報のことを。あの情報を運んでいたのは、一見どこにでもいる村人風のおばさんだった。
「……いやでも、あの方の場合外見は一般人でも中身はプロフェッショナルだったわけで」
ルウェリンもそっとセイリアの味方をする。
「後ろの人たちは本当に素人というか」
「ていうか複数人数で尾行とか、本当に尾行してるつもりなのかな、あれ」
なんとなく腹立たしくなって、セイリアはくるっと振り向いた。遠目にも後ろの彼らがビクッとしたのが見て取れた。この反応の素直さも、どう見ても素人臭い。
「もしもし、何かご用ですか?」
「あのね、アシル」
シェーンがいよいよ呆れたように呟く。気付かない振りをして様子を探る、というのがこういう時の一般的な対処法だという気がするのだが、「一般的」を説くべき相手でもなかったな、と一人でため息をついて諦めていた。ルウェリンもそんなシェーンとセイリアを見て、あはは、と苦笑いをする。
後ろにいたのは男性二人と女性一人、いずれもまだ中年と言うには若いが、それなりの歳にはなっていそうな者たちだった。彼らは軽く一言二言相談するように交わして、頷き合った後、意を決したように近付いてきた。
「わりぃな、用と言うほどでもないんだ、ちょっと確かめたかっただけで……」
「なんですか」
促された男性は、少し迷った後、できるだけセイリアを刺激しないように気を遣っているのが聞いて取れる声色で言った。
「おまえさんたちはどこから来たんだ? ここの少し南の森か?」
「はい?」
思わず聞き返す。なんだか訳の分からない誤解をされているようだ、とセイリアは思った。
「住んでる場所ならこの村の北の方ですけども」
「そうじゃなくて、出身は」
「えーと、少しと言わず、がっつり南ですけども」
「そうか、いや、それならいいんだ。悪かったな、急に」
「ちょっとこら待ってよ」
そのまま去ろうとした彼らの裾を捕まえて、セイリアは彼らをにらみつけた。
「聞くだけ聞いといてそれはなくない?」
「誤解だったんだ、すまん」
セイリアが捕まえた相手はもうこれでいいだろうと言いたげにそのまま話を切り上げようとしたが、セイリアは裾を離さなかった。
「だから、なにを誤解したのって聞いてるの!」
「この辺最近多いんだよ! 南の方の森から来た奴らがこそこそと……そいつらにお前さんたちがちょっと似てたんだ。それだけだ!」
セイリアが口を開く前に、シェーンが割り込んだ。
「こそこそ?」
「ああ、別に襲ってくるわけでもなく、とにかく村人には近付かないで離れたところからこっちを見てるだけなんだが、気味が悪くて……なんだよ、やっぱり関係あるのかお前さんたち」
「僕らはデュルヴィルの奥方に仕えてるんです」
シェーンが言うと彼らはぽかんと口を開けた。
「領主様の!?」
「だから領地で何か起きているなら知っておきたいんです」
シェーンが腹の内で何か別のことを考えているのを察して、セイリアは横目でシェーンの表情を確認した。なにを、までは分からないのだけれども。
「そういうことだったのか。なんかそこらの子じゃなさそうだとは思った」
村人たちは一様に納得した顔をして、ずっと見せていた緊張を解いた。
「いや、ね、気にし過ぎだって言うやつらもいるんだけどね、どうにも気になっちゃって。この辺に余所者が来ることってあまりないものだから」
「ただの農村だしな。別に大きな街へ行く通り道になってるわけでもなし、なんでわざわざここでこそこそしてるのかが不気味で」
村人たちは口々に言った。緊張が解けた途端に随分と協力的になったものだ。
「具体的に、どんな人たちなんですか?」
シェーンが聞くと、彼らはうーんと悩むような顔をした。
「……やたら色々担いでるよな」
「そうそう。色々持ち歩いてるね。あと、ベルトに色々吊り下げて。何に使うのかわからないような道具とか色々」
「ヌーヴェルバーグらしくない服を着てて……細かい刺繍のしてあるやつ。変な模様だったなあ」
「そういえば肌の色の薄い奴が多いよ。でも、顔立ちは南の人っぽいかな。そんなに私たちと違う訳じゃないんだけど」
シェーンはそれを聞きながら思案しているようだった。
一通り思いついた特徴を挙げた後、彼らはそろって不安そうな顔をした。
「なあ、あんた、何か聞いてないのか。まさかあれはクロイツェルのやつらで、戦争がこの辺まで……」
「あ、いや、それはないから大丈夫」
セイリアは慌てて言った。海辺からここまではそれなりに距離があるし、まずヌーヴェルバーグの海域が突破されたという知らせは入っていない。
奇妙なものだ、とセイリアは感じた。今、戦争が起きている。その参戦国の一つに今自分たちはいる。なのに、戦争がこんなに遠くに感じられるというのはとても奇妙な気分で、そして目の前の村人たちでさえ不安そうなのに、自分がこんなに気楽にしているのが奇妙だった。ちょっと村人たちに同情した。
戦場になっているのがオーカストだったら、と想像する。いてもたってもいられなくて何かをせずにはいられないだろうと予想がついた。この地で、ぼけっとしている自分がなんだか恥ずかしくなってきた。
「大丈夫、きっと将軍たちが何とかしてくれるから!」
口をついて出てきた言葉に熱がこもった。
「いや、他人任せでこんなこと言っても説得力がないのは分かってるんだけども……でも、頭の良さそうな人だっていうのは確かだし。こういう時を乗り切る秘訣は、大丈夫って信じながら、大丈夫になるように頑張るってこと。だいたいのことはそれで乗り切れるんだから、ねっ?」
村人たちはぽかんとし、それから一人がぷっと吹き出し、残りの人たちもこらえきれずに吹き出した。
なんだなんだ、また変なことを言ったのか自分は。セイリアが目を瞬いていると、一人が笑い含みに言った。
「あんただってかなり南から来た余所者だって言う割に、随分親身なんだな」
これは親身って言うのかなと思いつつセイリアは首を傾げた。
「元気が出たよ、ありがとさん。領主様によろしく」
村人たちはそういって、来た道を戻っていった。
「……本当にすぐに適応するよね、君って」
シェーンが苦笑混じりにそういった。まだ首をひねりながら村人たちを見送っていたセイリアは、そのつぶやきを聞いてシェーンを振り返った。
「何? あの人たちが言ってたのって悪い情報?」
声色に、別の心配事がある、という響きが含まれていた。シェーンは更に苦笑を深くした。
「最近の君はやけに鋭いな」
「どれだけシェーンと一緒にいたと思ってるの? さあさあ、白状する」
シェーンの目がちらりと周囲に走った。誰かに聞かれてはまずい話のようだ。だが、広がっているのは畑ばかり、視界良好で誰か隠れているはずはない。それでもシェーンは声を落とした。
「彼らが言っていたのは少数民族の特長だと思う」
またですか、とセイリアは思った。少数民族がここに来てやけに絡んでくるようになった気がする。いや、事の始まりが既に少数民族だったのかもしれないが。王兄の陰謀の中心にいたのが彼らなのだから。
「調べるリストに追加?」
「そりゃ、もちろんだけど」
こんなに慎重になっているシェーンを、セイリアは久々に見た気がした。
「藪をつついて蛇を出しそうな気がしてきたよ」
何がそんなに不安なのかは分からなかったが、シェーンの不安はセイリアにもじわじわと染み入るように波及してきた。目だけ動かしてルウェリンを見やると、彼も同じらしく、目があった二人はそろって眉をひそめた。
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