A Walk in the Garden
散策

 

 あまり集まって話をするのは避けたほうが良さそうだ、と大尉から連絡があった。アースは届いた手紙を手にソファに座って考え込んでいた。目の前にはアリアンロードがいる。忠告されているそのまさに今、彼女と会っているという事実がどうにも後ろめたかった。
「……だ、そうですが」
 手紙を読み聞かせていたので、読み終わって顔を上げてアリアンロードの顔色を伺ったが、彼女はきょとん、と相変わらず焦点の定まらないようなぼんやりした目でアースを見ているだけだった。
 かと思えば、小さく首をかしげてぎくりとするようなことを言う。
「……私、もう帰ったほうがよろしいですか」
 どことなく責めるような、悲しそうな声だったのでアースはあたふたした。
「いえっ別にっそういう意味ではっ……」
 アリアンロードはこちらが否定するしかないような問いを時々投げてくる。わざとなのではないだろうかとアースは時々思ったが、否定すればごく無邪気に、小さく嬉しそうに微笑むので何も言えない。
「私たちのお父様やお母様が動いているならともかく、社交界に出たばかりの若輩者の動きに、過度に敏感になっているとは思えません」
「でも、大尉が警告してくるくらいだし……」
 今度は「私よりも大尉を信じるんですね……」とでも言われるのかと思ったが、そんなことはなかった。
「そうはおっしゃっても、連絡を取り合うことは必要不可欠ですし、かといって伝令に連絡を任せるのは心許ないです」
 結構冷静に状況を見極めているようだ。
「そうなんだよね……時間もかかるし」
 アースも手紙を読み返しながら呟く。
「まあ僕達が直接動くよりも、毎回人を変えるなりして伝令を使ったほうが、連絡しているのを気取られないのも事実なんだけれど」
「出入りする人間さえ見張っていれば、伝令を特定するのはそう難しいことではないですよ」
「ですよねー……」
 アースはため息をついて頭を抱えた。
 がんじがらめだ。王兄は彼らを動けないようにしている。
「具体的にどう動きを封じられているんです?」
 アリアンロードに問われてアースは説明した。
「大尉は軍部の中央に近づけないように邪魔されていて、いつもの情報収集能力が発揮できてない。オーディエンに関してはもっと複雑……領地で色々問題が起きてるみたいで、宮廷闘争に割ける時間があまりないみたい。うちは……まあ元々大きな家じゃないから。修道院とか宮廷で他の貴族に話しかけようとしても話を打ち切られることが多いって父さんは言ってたよ」
 シェーン派であることが明白な家なので、誰にとっても疎外しやすいというわけだ。
「やはり動けるのは私だけのようですね……」
 アリアンロードが呟き、アースもそうだね、と返したが、内心どうしてこんなにうちに頻繁に来るのだろうとひやひやしていた。あんまり入り浸られてはアリアンロードだって王兄に目をつけられかねない。が、それをアリアンロードに言うのも憚られた。
「あのう」
 アースは言ってみた。
「例えばなんですけど、僕と会うの、修道院かどこかにしませんか……? 毎回うちに直接来ていたらさすがに目をつけられますよ」
 アリアンロードは考えるようにぼーっとしていたが、少しして小さく頷いた。
「アース殿が訪れて不自然でない修道院を教えてくださいませ。私はいつもあちこちに参りますので、どこへでも行けます」
「あ、ありがとう……」

 ひと通り話が終わった後、アリアンロードが庭を見たいといったのでアースは彼女を連れて庭に出た。太陽の光が日に日に眩しくなってきている。扇子で扇ぐアリアンロードを見て、思わず声をかけた。
「暑くありませんか? 歩きまわるよりも東屋で涼んだほうが」
「いいえ、歩きたいのです」
 アリアンロードは小さくアースに微笑んでそう言った。アリアンロードが笑うのは割と珍しい、と思ってアースは少し驚いた。
「アース殿は毎日何をなさっているのですか」
 アリアンロードが不意に尋ねた。
「騎士隊からも抜け、護衛騎士の任も解かれ、毎日鍛錬なさっているのかと思えばその様子はございませんし」
 ぎくりとしながらもアースは言った。
「ど、読書ですよ……今まで時間がなくて読めなかった本とかを一気に」
「出過ぎたこととは思いますけど、鍛錬はしておいたほうが良くはありませんか」
「そ、そうですね……」
 そんなことをして誰かに見られてど素人だということがバレたらまずいではないか。
 アリアンロードは一瞬立ち止まってアースを見た。ぼんやりした眼差しではなく、しっかり見ていた。
「……私、あまりつついてはいけない所をつついているのでしょうか」
「えっ!?」
 アリアンロードの言動は読めなさすぎてどうしても咄嗟に対応できない。アースはぱくぱくと口を動かした。それを一体どう解釈したのか、アリアンロードは俯いて言った。
「申し訳ありませんでした。以後鍛錬の話はいたしません」
「あ、いや……」
 探られているわけではなさそうなので少しほっとしたが、アースは内心まだドキドキしていた。
無自覚なのか何なのか、毎回このようでは、いずれアースが世間で認識されているアースとは別人なのだとバレる気がする。今まで彼女と会ってきた時はいつもきちんとアースはアース、セイリアはセイリアとしてだった事に心底良かったと思った。少なくとも偽物と本物を比べるためのサンプルを彼女は持っていない。

「アリアンは普段どこで本を?」
 話をそらそうとして咄嗟に浮かんできた疑問を投げてみる。アリアンは言った。
「お義姉さまのご実家……アース殿もご出席いただいた、先日お兄様とご結婚なさった人のご実家の商家とは昔から親交があったのです。その伝で入手した本をいつもいただいておりました」
「へぇ……じゃあ外国の本とかも手に入ってりするんですか?」
「ええ」
 アリアンロードはアースを見上げて微笑んだ。
「いつかお見せいたしましょうか」
「いいんですか?」
 アリアンロードが頷いたのでアースは大喜びだった。国外から持ち込まれた本だなんて珍しい。その様子を見ていたアリアンロードが呟いた。
「アース殿は本より武芸のほうがお好きなのかと……あ、いいえ、なんでもありません」
 さっきので禁句として認識したらしく、アリアンロードは途中で言うのをやめた。そのほうがありがたいので、そういうことにしておいた。
「学者が似合いそうですね」
「えっ?」
 唐突に言われてアースが振り返ると、アリアンはもう一度言った。
「アース殿には学者が似合いそうです」
 なんと言って良いのか分からなかった。長男だからアースには家を継ぐしか選択肢がない。学者に心惹かれたことがないといえば嘘になるので、そう言われて嬉しかったことは確かだが、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
「私も男だったら学者になりたかったと思います」
 アースは答えずにいたが、アリアンは構わずにそう続けた。アースの答えは必要としない、一方的な話のようだったのでアースは黙っていた。男だったら。……姉が男だったら。そしてちょっぴりアリアンロードが男だったらと想像して、それはちょっとやだな、と思った。
「……アリアンは女の子がいいと思うけど」
 ぽつんと呟いただけだったが、アリアンロードはさっと振り向き、アースの目をまともに見た。アースは驚いて、おそらく失礼になるほど、アリアンロードにも分かるほどのけぞった。アリアンロードは気にしないようで、ぱちぱちと目を瞬いてアースを見つめ、それからおそらく初めて、とても嬉しそうに、はっきりと、にっこりと笑った。わずかに頬が上気しているようにさえ見えた。
「……ありがとうございます」
「あれ、い、今の僕褒めたことになるんですか?」
「褒めていらっしゃらなかったのですか?」
「あっいやっ、そういうことじゃなくてっ……僕は単に感想を言ったまでで……アリアン自身は男がよかったみたいだから……」
「考えが変わりました」
 アリアンロードは微笑んだまま言った。
「女がいいです」
「そ、そう……」
 よくわからん。

 彼女が馬車に乗って帰るのを見送ってアースは大きく息をついた。彼女といるとどうにもハラハラさせられる。疲れるほどではないし、別に帰ってくれてほっとしたというほど困っていたわけでもないので構わないのだが。
「若様ぁー」
 メアリーがなにやらにやにや笑いながら小走りでやってきた。アースは反射的に警戒心を敷いた。あの顔はなにか楽しんでいる。
「な、なに」
「なんですかその反応は。私に何をされると思っているんです?」
「じゃあなんでそんなに楽しそうなの」
「まあ、私が楽しそうだと悪いことでもあるんですか?」
「経験上では……」
 失礼しちゃいますわ、と言いながらもメアリーはアースをつつくことを忘れなかった。
「あのお嬢様、若様にお気があるんじゃございません?」
 それはアースにとっては青天の霹靂だった。
「…………は、……はい?」
「報告報告って言いながらこんなに頻繁にいらっしゃるじゃないですかぁ。下女たちはもうあの方のお茶の好みやお菓子の好みから、お残しになったものでご機嫌が良かったかどうかまで分かるようになってしまいましたよ」
 そんなことを言われても。
「ひ、飛躍しすぎじゃないのかな……僕はアリアンより年下だし……」
「たったひとつの差でしょう」
 メアリーは仁王立ちで言った。自信満々といった様子で満面の笑みなのだが、怖い。
「姉さんがいなくなったからってキューピットする標的を僕に変えないでね!?」
 アースが完全に逃げ腰で言うと、あら、とメアリーは呟いてアースをじろりと睨んだ。目がらんらんと光っている。
「お嬢様に聞きましたよ。若様の女性の好みは、おとなしくて控えめで、そっと支えてくれるような方なんですよね?」
 アースは口をぱくぱくさせた。何で知っているんだとか、姉さんの馬鹿とか心の中で叫んでいたが、話がまるで見えない。
「だ、だから?」
「アリアンロードお嬢様、ぴったりじゃないですか!」
 アースは口を半開きにしたままきょとんと目を瞬いた。
「……そう?」
「おとなしい方ですよ。控えめですよ。相手に都合が悪いと見ればそっと引いてなにも聞かずにいてくださる方ですよ。しかも聡明でいらっしゃいます!」
 これでどうだと言わんばかりにメアリーがびしっと指を突きつける。
 アースはというと、アリアンロードをプッシュされることよりも、アリアンロードをそういう目で見たことがなかったので、とてつもない新発見をした気がしてぽかんとした。
 そう言われれば否定出来ない程度には説得力があるような気がする。
「……メアリーの馬鹿」
 ぽつりと呟くと、メアリーが眉を釣り上げた。 「若様!!」
「なんでもないよ」
 暴言だったことに気がついてアースは慌てて言うと、早足に部屋まで逃げ帰った。
 メアリーの馬鹿。

 その気がなくても、そんなふうに言われると意識してしまうではないか。



最終改訂 2011.07.02