胡蝶舞 * 弐

 お客さんを拾った、お寺の近くに住んでいたその男の子は、お寺の住職さんに虫だって仏様になるチャンスはあるんだよと教えてもらって、だから余計に、それはもう可愛がってくれたのだとお客さんは言った。その男の子は、徳が高くて素敵な蝶になれるようにと、毎日の新鮮な葉を、お寺の近くの木々から取ってきていたらしい。
『それが結果的に、私に力を溜めることになって、死後にこのような妖になってしまったのですが』
 お客さんはそう言ってはは、と笑った。
『私はその男の子が大好きで、とても感謝しておりました。彼は毎日、綺麗な蝶におなりと言って、期待に目を輝かせて私を見てくれていましたから、私はきっと、天下一綺麗な蝶になって恩返しをしようと思っていたのです』
 けれど、お客さんがやっとサナギになったある夜、付近で火事が起こり、お客さんは焼け死んでしまったのだと言う。火事に気付いた男の子の家族はすぐさま逃げたけれど、お客さんを一緒に連れていこうとする男の子を、両親が無理やり引っ張っていったのだ。

「……それで、天下一綺麗な蝶になるという誓いを、果たせなかったわけですね」
 届くんは静かに言って、手の中のお客さんを見つめた。(たぶん。私には見えないから良く分からないけど)
「それがあなたの未練ですか」
『はい』
「なぜ今まで、どこの妖相談屋へも行かなかったのです。200年も未練を溜め込んだのでは、我々もあちらに返すのが大変になりますよ」
 届くんはやんわりと、ちょっとだけ非難を込めて言った。お客さんはちょっとすまなそうな声色になった。
『哀しみで手一杯だったもので』
 ケンが口を挟んだ。
『この近くの林の中の一角に、蝶がサナギのままずーっと蝶になれなくなっちまう場所があんだよ。聞いた事なかったか』
「ああ……」
 届くんが思い出したように呟いた。
「あそこか。あなたの仕業だったんですね」
『はい……。誓いを果たしたい、あの子の前に、天下一の蝶になって現れたい、それだけで頑張ってきたのに、だめだったのですから』
 その男の子も、と私は言った。
「その男の子も、とっても悲しかっただろうね。あなたが天下一の蝶になるのを楽しみにしていたでしょうに」
『はい』
 お客さんは悲しそうに言った。
『来る日も来る日も、焼け跡に来ては泣いていました』
「なるほど」
 届くんは言った。
「それであなたの哀しみは余計に増した。それで、付近のほかのサナギが蝶になるのを許さなかったということですね」
『はい』
 お客さんが答えた。届くんは頷いて、言った。
「事情は分かりました。つまりあなたを蝶にして、その男の子に見せてあげられれば、あなたの無念は晴れるんですね」
『はい』
『そう簡単な問題でもねぇぜ』
 ケンが口を挟む。届くんは頷いた。
「分かってる、花洛。男の子の念だって影響してると言うんだろう」
『彼の念も……ですか』
 お客さんは困惑したようにいった。届くんは頷いた。
「彼も、自分があなたを連れて逃げられなかったことを悔いているはずです。他のサナギが蝶になるのを止められているのは、彼の念の力もあるはずです。……癒子」
「へっ? はいっ」
 私は慌てて返事をした。
「案内を頼む。現場に行ってみよう」
「現場? お客さんが元いた場所?」
「うん」
 ケンが言った。
『ユコみたいな素人が行って大丈夫か? なんなら俺が案内するぜ。どうせお前の見てるものは、普通の人間より俺たちの見てるものの方が近いんだから』
 私は慌ててケンに向かって(たぶんそこにいるんだと見当をつけて)渋面を作った。届くんが一番誇りに思い、同時に一番辛くて、寂しくて、不安な思いをしている問題を軽々しく言うなんて。ケンもしまったというように、あっと呟いた。
『……わりぃ、イタル』
「いいよ、花洛。それに、君は間違っているし」
『え?』
 ケンが聞き返す。届くんは説明した。
「あのね、花洛。俺と癒子は赤ちゃんの時から一緒に育ったんだ。花洛より癒子の方が、付き合い長いんだよ。だから、癒子に任せて大丈夫だよ」
 ケンからの返事はなかった。私は届くんの言葉に嬉しくなって、付け足した。
「それに、どんなに届くんにに不思議な能力があって、私たちには分からない世界を見ているとしても、届くんは人間だものね」
 届くんが少し笑った。
「ようは俺が半端者だってことなんだけどね。それに、人にとってどんな場所が歩きやすいかは人が一番良く知ってる。だから案内役は癒子が一番なんだ」
『なるほどな』
 ケンは納得したようだ。
『でもまあ、俺もついてくぜ。それは構わねぇだろ?』
「もちろん」
 届くんは答えて、私に言った。
「ああ、癒子、札を何枚かと術に必要なものを幾つか、いつものを頼む」
「はいっ」
 私は元気良く言って、届くんの部屋に駆けていって、必要なものを一揃い、手近な鞄に詰め込んで駆け戻った。
「準備完了です!」
 私が言うと、届くんが頷いた。すっかり更科妖相談房の主人の顔だ。
「じゃ、行こうか」
「はいっ」
 私は届くんの手を取って、私の肩に乗せた。私が歩くと、この肩の上下で届くんには目の前の道の凹凸が分かる。
 私たちは裏庭を出て、目の前の竹林の中に分け入った。



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