胡蝶舞 * 肆

 さらに10分ほど歩いて、届くんは止まった。
「ここだね」
『ああ、ここだな。すげー念が残ってら』
 ケンも相づちを打つ。私にもそれは感じることができた。というかその前に、その場所の光景はあまりに異質だったのだ。万を越えるんじゃないかってくらい、どの木にも草にもサナギがくっついていた。茶色いのや緑色のや、とにかくたくさん。さすがの私も固まった。見えないお客さんだけならともかく、苦手な虫が目の前にびっしり。
「い、届くん……私、ちょっと怖いかも」
「確かにね……」
「届くんには何が見えてるの?」
「サナギがたくさん宙に浮かんで光ってる」
 ……私の見てる光景より酷い。
「ここにあなたとその男の子の家があったのですか?」
 届くんが聞くと、お客さんが返事をした。
『はい。間違いありません。そこの木の傍です』
『どうだ、イタル?』
 ケンがきくと、届くんは少し険しい顔をした。
「例の男の子の念をどれだけ呼べるかだね。どうやってお客さんに会わせるかが問題だ」
「それと、もう死んじゃってるお客さんをどうやって蝶にするか、考えないと」
 私も言ってみる。届くんはちょっと考え込んだ。
「……一つ方法がある。あの世とこの世を混ぜるんだ」
『混ぜる?』
『混ぜるだぁ!?』
 お客さんはきょとんとした声を出し、ケンは絶叫した。
『またんな危ないことを。イタル、お前はまだ駆け出しなんだぞ! いくら力が強いったって経験の浅いお前にあっちとこっちを混ぜるなんて、できてもバランスを保てなくて潰されるぞ』
「やってみなきゃわからないだろう」
 こういう時の届くんは頑固だ。
「ただし、花洛、お前の協力が必要だ」
 ケンはものすごく嫌そうな顔をした。
『な、何をやるつもりなんだ?』
「召霊」
 届くんはごく簡潔に言った。
「今考えてる作戦はこうだ。まず男の子の霊を呼び出して、お前に憑依させる。そしたらあの世とこの世を混ぜて、死んだお客さんでも成長できるような環境を作り出す。羽化して蝶になるところを男の子が見る。俺はそれと同時にこの藁人形の封印を解く。束縛がとれたこのサナギたちも蝶になれる。で、一件落着」
『ちぇっ、簡単に言うぜ。確かに良い方法だけどな、一度に召霊と、あっちとこっちを混ぜんのと、封印を解くだなんて大変だぞ。それに俺はやりたくない。俺だって一応、妖なんだ。死霊に取り付かれるのは嫌なんだぞ』
「あの」
 私は言ってみた。
「届くん、私がやるよ。私に男の子の霊を憑依させればいいよ」
 届くんはぎょっとしたようだった。
「癒子が……? いや、危ないからダメだよ」
『俺がよくてユコがダメなのか』
 ケンは妬いたようにむっつりした。
「だって」
 届くんは困ったようにケンを見る。
「癒子にはそういう目にあってもらいたくないんだ……」
 その心遣いが嬉しかったけど、私も届くんの役に立ちたかった。
「私、やれるよ。ずっと届くんの助手をしてきたんだし、大丈夫だよ。男の子の幽霊さんだって、ケンより私のほうが取り憑きやすそうだし」
『花洛だ、ユコ』
 届くんは考え込んだ。
「……でも……」
「お願い、届くん。私に届くんと同じ世界を共有させて」
 届くんはこの一言でぐらりときたみたいだった。
「分かった。ただし花洛、お前は癒子を守っていろよ。粗相があったら許さないから」
『……過保護なことで』
 だけど、ケンもそれ以上は言わなかった。

『すみません、ユコさま。あなたまで駆り出してしまうことになって』
 お客さんが申し訳なさそうに言った。
「いいえ。だって私、更科妖相談房の一員だもん」
 言うとお客さんが少し含み笑いをするのが聞こえた。

『あの、それで、イタルさま、お代はいかほどになりましょうか』
 お客さんが届くんに尋ねた。届くんは考えるような表情をする。
「どうしようかな……」
『何でも、私にできることなら』
「……そうだ、皆同時に封印を解かれるから、一気にたくさんの蝶が乱れ舞うことになるんだな?」
『ああ、そうですね』
「じゃあ、それ全部が、俺と癒子、どちらにも見えるように」
 これにはちょっと驚いた。確かに私は、妖が自分から望まない限り彼らの姿が見えないけれど。
「え? 届くん、それをお代にしちゃうの?」
「癒子だって、そういう場面は見たことないだろう? ……俺のわがままなんだから、見てって。俺も癒子と共有するものを、もっと持ちたいんだ」
 私は赤くなった。届くんには申し訳ないけど、届くんにこれが見えてなくてよかった。
「届くん、ありがとう」
 こう言うのが精一杯だった。恥ずかしい時って本当に言葉が出ない。もっと気の利いたことが言えたらいいのに。

 そして、術が始まった。届くんは私の手を握ってまず呪を唱えて、私にぺたぺたとお札を貼った。それから私の足元に五芒星を描いた。届くんはケンの案内で私の正面に立つと、息を落ち着けた。
「始めるよ、癒子」
 私は頷いた。届くんが、和歌を詠むように抑揚をつけながら呪を唱え始める。始まったとたんに風景が変わった。
 風が吹いて、私の髪をなびかせて、息をさらっていく。あたりが暗くなって、サナギのたくさんついた竹林が歪んだように見えた。そして、届くんの背中の後ろの方に、暗い穴が出てきた。穴の向こうでは何かが蠢いている。届くんはまるで私が見えているかのように私をしっかり見つめながら、すっと指を動かして宙を切った。何かが穴の中から飛び出してきて、私の頭の上からすっと入り込んできた。

 そして、私の意識は半分こになった。



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