胡蝶舞 * 終章

「んーっ、良い風だねぇ」
 私がのんびりと言うと、届くんも頷いた。私は届くんのお気に入りの縁側に座って、お茶を淹れていた。
「届くん、当ててみて。今日のおやつは何でしょう?」
 届くんは深く息を吸い込んだ。
「……お饅頭?」
「当たり! やっぱりすごいねぇ、匂いだけで分かっちゃうんだもんね」
 届くんは笑っただけだった。

 届くんの分を分けて、お茶と一緒に差し出す。二人で縁側に並んで食べていたら、ケンの声がした。
『旨そうだな。俺にもくれ』
「いいよ。ただしトキやユズリハも一緒にね」
 私が、うちに居ついてる他の妖たちの名前も挙げると、ケンは不満そうな声を出した。
『そりゃねぇだろ。俺が今回の依頼にどれだけ貢献したことか。“サナギ区域”から転がり出たあいつをここまで連れてきたのだって俺なんだぞ?』
「えぇ、そうなの?」
 私が驚いて言うと、ふふんとケンが鼻を鳴らしたのが聞こえた。

 届くんがぽつりと言った。
「そういえば、ずっと不思議だったんだけど、あのお客さん、どうやってサナギ区域から出てきたんだろう。ニ百年間ずっと悲しみに浸かっていて、他のことには目もくれてなかったはずなのに」
『さあな。悲しむのに疲れてたんじゃねぇのか』
 私が見ている前で、ふわりとお饅頭が宙に浮いて消えた。私は慌てて叱った。
「あ、こら、盗み食いはダメだよ、ケン」
『花洛だっつの』
 口に何かを入れたままみたいなくぐもった声で、ケンは言った。
『そんでその後イタルのことを聞いてちょっと希望が湧いたんだろ』
「でもあのお客さん、自力で動けないみたいだったよ」
『うーん……ああ、俺があいつを運ぶのを極端に嫌がってたところを見ると、犬にでも運ばせたんじゃねぇか? ……俺たち狐はどうやら犬っころと似て見えるらしいし』
 届くんは声をたてて笑った。
「似てるんだよ」
『いいや、似てないね。お狐さまってのはもっと崇高なんだ』
「こだわってるんだね」
『そりゃあな』

 風が吹き抜けた。さわさわと竹の葉が鳴る。

「あ、蝶々」
 生け垣の上を飛んでいくものを見つけて、私は声を上げた。
 届くんがふわりと笑った。
「あの時の蝶は本当に綺麗だったね、癒子」
「うん。あんなにたくさんの蝶々が一斉に舞う場面が見れるなんて、誰にでもできる経験じゃないよね」
 届くんは頷いた。私は届くんには見えないと知りながら、届くんに微笑みかけた。
「届くんがいて良かった。あんなに素敵なものが見れたんだもの」
「…………」
 届くんは照れたように俯く。それから届くんは言った。
「俺も、更科家に拾われて、癒子たちと暮らせて良かった。届、だなんていい名前ももらったし」
『名前負けさえしなけりゃな』
「うるさいよ、花洛」
 私は笑った。
「届くんは大丈夫だよ。全然名前負けしてないもん」
 私もお饅頭を頬張って、飲み込んで言った。

「届くんは、誰かの気持ちを届けるお手伝いをしてるもんね」

 届くんが微笑んだのが、見なくても分かった。届くんにも私が微笑んでいるのが、見えなくても分かっているのだ。

 風はそよいで、空は綺麗に晴れていた。蝶々はひらひらとその蒼い空に消えていった。



 竹林の中の石畳の奥に、私たち更科家の家がある。その裏手の離れの一角が、お困りの妖たちと人間たちのための、

 更科妖相談房。


胡蝶舞 * 完

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