01:出会いは神殿

 海に臨む天気のよい気候のおかげで、その日も快晴だった。
 ポプリは、バラ窓からさんさんと降ってくる陽光を避けた場所にいて、半分魂を宙にさまよわせていた。王女という身分は本当に厄介だと思う。公務として、行きたくもないところへ、こ うして出かけなければならないのだから。
 真っ白いオリュンポス十二神の像はすべての陽光を受けていて、目が痛いほどに白く輝いている。そして主神でないにもかかわらず、人々が崇め奉ってやまない、星の女神アステリアが、最も慈悲深く威厳に満ちた、それでいて悲しそうな表情で広間に並ぶ参列者を見つめていた。
 それらに見おろされながら、ポプリは、まあ、そもそも王宮から離れられるチャンスなら何でもいいと飛びついたのは自分なんだし、と思い直した。

 ポプリ・シャルパンティエ。一応、これでもサンクチュエール連合王国の第一王女である。うっすらと多彩な色を放つ、真珠のような色の不思議な白髪は背中の中ほどまで真っ直ぐに 伸びていて、すみれ色の瞳は静かだった。いや、死にそうなほど退屈そうだった。税金を食いつぶして、必要かどうかも怪しい、改装を終えたこのアステリア女神殿は、今日は新装祝いの式典で、朝からずっとポプリはここにいたのだ。もう、じじい司祭が読み上げる棒読みの訪問謝礼にほとほとうんざりしていたのである。ポプリ自身はとっととこんな旅行から引き上げて、通っている王立の魔術学院に戻りたかった。うっとうしい、王女云々からはおさらばしたい。

 退屈のあまり半目を閉じていたら、じじい司祭の話に飽きて自分を見ていた貴族たちが囁く声が耳に入った。
「ああ、王女様のお綺麗なこと……」
「うつむき加減で目を伏せていらっしゃって、奥ゆかしいですわねぇ」
「横顔にかかる髪の、あの色をご覧になって」
「まあ……まるでお人形のようですわね」
 うつむいているのは眠いから、人形みたいなのは退屈のあまり無表情だからです。心の中でそう突っ込み、そしておなじみの褒め言葉を聞く事を予想した。

「それに、この香り。さすがは“芳し姫”ね」

 ポプリは溜め息をつき、漂うバラの香りに顔をしかめた。生まれついた時から、ポプリは全身にバラの香りをまとっていた。この生まれつきの香りのせいでこの名前になり、ポプリは“芳し姫(かんばしひめ)”として有名になったのだ。名前の付け方が安直過ぎだろう、とポプリ自身は両親のセンスに呆れていたが。しかも香りのいいものならフルール(花)とか色々あるだろうに、よりによって置物である。

 眠気と戦いながらじじいの話をやり過ごし、ポプリが覚醒したのは司祭が鐘撞き塔をご案内しましょうと言った時だった。はっとして、「お願いします」と言った。


 途中で孤児院や広場も見かけた。司祭はいちいち立ち止まって説明をする。別に初めてこの神殿に来たわけでもないのに、ご丁寧なことだ。丁寧過ぎてうるさいくらいだ。
 やっと鐘撞き塔にたどり着き、じじいは長ったらしい説明を始める。ポプリはそっちよりもむしろ、孤児院から聞こえてくる、子供たちの上げる声を聞いていた。……楽しそうだなぁ、と思った。自分があれくらい小さかったころは、たった一つの部屋だけが自分の世界のすべてだったのに。

 ふと視線を黄土色のものが掠め、ポプリが目を戻すと、薄い黄土色の髪をした少年が塔に入っていくところだった。司祭がポプリの視線に気付いて言った。
「ああ、今のは鐘撞きを任せている子ですよ、王女さま」
 へえ、と今日始めて何かに興味を持った表情で、ポプリは塔を見上げた。

 ほどなくして、鐘が鳴り始めた。

 カランコーン、
 ガランゴーン。

 清々とした音が響く。ポプリは晴れた青空を見上げてその音に聞き入った。この一瞬だけ、退屈が吹き飛んでいた。白いハトが塔の上を羽ばたいて飛んでいく。ああ、この鐘の音を聞いている間だけは、神殿が神聖な場所だと実感できる、と感じた。
 だが、いつまでも鐘が鳴り続けてくれるはずもなく、やがて鐘の音はやんだ。奇妙にもの悲しい気分になりながら、ポプリ次に、神殿付属の病院に連れて行かれた。慈善事業の一環で、病人たちに声をかけるのだ。
 ああ、また笑顔を貼り付けるのね、と考えながらついていき、ベッドの並ぶ部屋に入る。末期の患者ばかりで、部屋は静かで薬のにおいがした。患者たちは王女の訪問に沸いた。 生きる希望が出ました、など涙を流しながら言う者もいる。誰もが「王女様にバラの祝福を」と言った。笑って返しながら、呪いの間違いでしょう、と心の中で毒づいた。

 すべての慈善事業を終え、ポプリは一息ついた。息苦しくてたまらない。外の空気を吸いたくて、ポプリは一人で中庭に忍び出た。太陽を見上げて、息を吸い込む。今日もよく晴れている。夜には星がよく見えるだろう。星々の力がよく届くということだから、魔法を研究している先生も学者たちも喜ぶ。

 ふと、ポプリは背後に気配を感じた。うすい黄土色の髪が目に入る。よく見ると、さっきの鐘撞き少年だ。歳はポプリと同い年くらい。宝石がはまっているのではないかと思うほどに、鮮やかで濃い青の瞳をしていた。

 ポプリはぽかんとし、忽然と現れた彼をまじまじと見つめた。声をかけようかと思ったが、王族が先に口を開くのはよくないことだ。それで黙っていると、少年はようやく聞いた。
「一人?」
「え、ええ」
「芳し姫だね?」
「何か御用?」
「君、偉いんだろう?」
「え?」
 聞き返すと、少年はずいっと詰め寄ってきた。
「こっちに来て」
 手をつかまれ、少年に引っ張られて、ポプリはつんのめった。とっさに危機感を感じて抵抗したが、しっ、と張り詰めた表情で制される。何事かと思いながらも、仕方なくついていった。

 少年は神殿の裏に回り、ずんずん進んでいく。ポプリは自分の守護獣がちゃんとついてきているだろうかと後ろを振り返ったが、あいにくあの仔ライオンは、さっき祭典の退屈さに耐えかねて飛び出していっていた。ポプリが今おかれている状況には気付いていないのだろう。少年は突然立ち止まって、ポプリの手を引いて、神殿の壁をぐいと押した。視界が突然暗転し、ポプリは状況を把握するのに少し時間を要した。
 仕掛け扉だ。秘密の扉の向こうに連れ去られたらしい。
「ちょっと」
 いい加減腹が立ってきた。
「何するの。ここから出して! 王女に何をしているのか、自覚はあるの?」
 少年から返事はなく、ただ自分のそばで彼がかがんだ気配がした。間をおかず、真っ暗な闇に明かりがともった。
 足元に魔方陣がある。少年が描いたもののようで、その魔方陣の真ん中に明かりが灯っていた。彼には魔法の心得があるらしい。
「さて、誰も入ってこれないところに来たわけだし」
 少年はにっこり笑って、ポプリに詰め寄った。
「取引を、しよう。この中にずっと閉じ込められていたくなければ」
 拉致、という言葉がぽんと言う音とともにポプリの頭に沸いて出た。
「俺を、君の口利きで王立魔法学院に入れてほしい」

 ポプリは目を瞬き、手に持っていた飾り傘を握り締め、振り上げ。

 ――思い切り、相手の頭をぶった。