02:羅針盤の持ち主
「いってぇ!」
少年は呻いた。
「さっさと出て行かないと、魔法を使うわよ」
ポプリはありったけの怒りを込めた声で言った。だが少年は頭を押さえながらポプリをキッと見上げた。
「嫌だね。こっちには切り札があるんだ。君が口利きをしてくれると約束するまで、ここに監禁してやるよ」
ポプリは呆れ返った。
「そんな事したら斬首よ。そしたら魔術学院に入りたくても入れなくなるけど?」
「ならないね。切り札があると言っただろう」
少年は不敵な表情をした。
「絶対に君は俺に協力する」
どうしたらそんなに自信満々になれるんだ。
ポプリが冷めた気持ちで少年を見つめていると、少年は上着を裏返し、裏ポケットから何かを取り出した。
大きめのペンダントだった。ピンポン玉くらいの大きさの真っ黒い石から、突き刺さっているように十字架が出てきている。黒い珠を取り巻くように、十字架には輪が付いていた。そして、黒い珠はぼんやりと中央から輝いていた。ポプリは息を呑んだ。
まさか、そんなずは――。しかし、黒い珠の中に小さな渦巻銀河が閉じ込められいるなんて、こんな代物は魔法でも作り出せない。
――神の至宝。
少年がちらりとそれを掲げる。
「見せるのはこれ一回だけだ。知ってるか?」
「……“星の羅針盤”……本物?」
揃ってしまった、と恐怖を感じる一方で、先手を打てばこれ以上の武器はないことに、突き上げてくるような喜びすら感じた。ポプリの内心など知る由もなく、少年は笑む。
「当たり前だ。王女の君ならこいつの本当の形を知ってるだろう? 一庶民が偽造しようと思ったって、普通“羅針盤”の名前にだまされて盤にするだろうさ。じっくり見て確かめればいい」
王国の至宝である、「星の羅針盤」。確かに、ポプリはその本当の形を知っていた。もともと王家が持っていたものだ。貸して、とポプリは手を出したが、少年は嫌がった。
「その手には乗らない。やすやすと手から離すと思うな」
しかたなく、ポプリは身を屈めてよく見てみた。何度見ても、ぼんやり光った銀河はゆっくりと旋回している。疑いようはなかった。
「本物のようだけど……どうしてあなたがそれを?」
ポプリは我慢できずに尋ねる。少年は羅針盤を再び懐にしまいながら言った。
「教えるとでも? 盗んだのかって言う意味の質問だったら、違うと言っておく」
「盗んだわけじゃないの?」
「出所を教える気はさらさらないよ。どうしてもというなら、こんなもの壊してやる」
「ちょっと……」
「俺にとっては、その程度の価値しかないんだよ。いい餌になる」
王国の至宝を餌扱い。なんてやつ、とポプリは怒りを感じた。しかし、今までの妙に余裕な態度といい、とんでもないものを所持している所といい、この少年が只者ではないことはよく分かった。むしろ危険人物だ。
「あなた、名前は?」
「呼ぶ必要があるならロゼットって呼んで」
そう、とポプリは呟いた。女の子みたいな名前だ。
「ではロゼット、その宝に免じて無礼を許し、ポプリ・シャルパンティエの名においてシュラール王立魔術学院への斡旋を約束します。……叔父さまに相談してみてあげるわ」
それから周りを見渡した。魔方陣から放たれる光は必要以上の明るさで、かえって周りの闇が濃い。さっきの仕掛け扉がどこにあるのかは皆目見当がつかなかった。
「用が済んだならここから出して。編入の手続きの諸々は私から連絡するわ」
ロゼットは頷き、青い目で脅すようにポプリを見つめた。
「約束を破ったら、本当に羅針盤は葬るから」
「分かっているわよ」
そんなことはさせられない。だから今はともかく、不本意ながら少年の言うとおりにするしかなかった。
ようやく解放された時には、同行してきた者たちがポプリを探し回っていた。道に迷ったと嘘をついて何とか切り抜け、守護獣の姿をやっと見つけて捕まえた。
「まったく、どこに行っていたのよ、パルファン。この裏切り者。おかげで私、大変だったのよ」
『ち、ちょっと、ポプリ、下ろして。掴むなら首筋! 尻尾は痛いんだやめて!』
じたばたしても主人であるポプリを傷つけることはできない。
ポプリはパルファンの尻尾を掴んだまま、何が起きたのかを話した。パルファンは驚き、尻尾を掴まれているせいで逆さまなのも忘れたように、逆バンザイをしたまま言った。
『星の羅針盤? 本物なの?』
「本物みたいよ」
『あーあ、何でポプリがそんなものを見つけてしまうことになるんだ』
「あら、絶好のチャンスじゃない」
『……そういうと思ったから嫌なんだ。お前は無茶ばっかりするんだもん』
どうみても子猫とそう変わらない小さなライオンは勿体らしく溜め息をつく。
『で、ポプリは要求を呑むの?』
「そうね。でも、それは単なる始まり」
ポプリは笑んだ。
「勝負はこれからよ」
一方のロゼットは鐘撞き塔に戻って、強張った表情をしながら、『星の羅針盤』をためつすがめつしていた。
「……芳し姫……王女……王の娘か」
そこへ、ロゼットの守護獣の白いワシが舞い降り、くゎっと鳴いた。
『なにをぼーっとしているの? 作戦は成功したけど、まだまだこれからだよぅ』
そう言っているのが分かった。
「分かってるよ、ヴァン」
『大丈夫ぅ? 王女様を目の前にして、つい手が出ちゃったりしなかった?』
「ターゲットはあの子じゃないし。それくらいの自制心は持ち合わせてるよ」
ワシはどうだか、というようなバカにしたような目をした。
『まだ始まったばかりだからねぇ。足をとられないように頑張って』
「言われるまでもない」
ロゼットは言って、ぎゅっと羅針盤を握り締めた。
「……ヘマなんかしないさ。勝つのは俺だ」
ポプリもまた、ようやく王宮に戻り、叔父である公爵に、大筋の顛末を話して協力を仰いだ。芳し姫として特殊な立場にあるポプリにとって数少ない協力者だ。
公爵はおおいに驚き、事を隠密に運びたいと言うポプリに、戸惑いながらも協力すると言ってくれた。
「しかし、その子の素性は一体……どうして取引をする気になったのだね? そんなにすごい見返りでもあるのか」
誰にも羅針盤のことを言う気はなかったポプリはにっこり笑ってみせた。それは明らかに何かをたくらんでいる笑顔だっただろうが、その方が効果があることを知っていた。
「叔父様も驚くわ。楽しみにしていて」
「それは……今は教えてもらえないということか」
「ええ、ごめんなさい。楽しみは後に取っておいたほうがいいでしょう? 叔父様は推薦状にサインしてくれるだけでいいの。後は私に任せて」
「心配だな。……お父上には言わなくていいのか?」
ポプリはきっぱりと言った。
「叔父さま、私の目的をお分かりになっていないの? そもそも、運命は自分で切り開くものですよ」
部屋を出ると、パルファンがとことことついてくる。
『ったく、ポプリはなんでも一人でやろうとするんだね。知らないよ、羅針盤の傍ではどんなことだって起こりうるんだから』
「お黙り、パルファン」
ポプリはバシッと言った。
「とにかく、何とかしてあれを手に入れないと。私はポプリの名前の通り、置物になってしまうわ」
『星の羅針盤なんて、ポプリに扱える代物じゃないと思うんだけど……』
「シュラール王立魔術学院の主席をなめないで」
ポプリはふわりと裾を翻す。バラの芳香が香った。
「見てなさい。必ず王国に星の羅針盤を取り戻して見せるわ」
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