30:初恋の人


「そうか、司祭が念押しを」
 オリヴィエ先生に相談すると、彼はそう言って考え込んだ。
「……それは少し、考え物だね」
 人気のないバルコニーで、二人は話していた。夜空には燦々と星が瞬いていて、眩しいくらいだ。ポプリはオリヴィエと並んで空を見上げながら聞いた。
「先生、動きがあるなら今年中だって言っていたわよね。……トラントゥールの専属天文学士とかいっていたけれど、何があったの?」
 トラントゥールは、実はユルバンの実家なのだ。星の一族の血を引く家の専属天文学士。気になる情報だった。オリヴィエは少し微笑む。
「あまり詳しい情報は得られていないんだ。ごめんね、ポプリ姫。ただ……ディルポルティア司祭が彼に色々聞いているらしいんだ。ほら、来年は大事な年だろう」
「惑星直列、ですか」
 惑星と認められている八つの星が直列に並ぶ、天文学的に興味深い現象だ。ついでに日食も起きるらしいから月も並ぶのだろう。けれどポプリはそれを、単なるおもしろい現象としか捉えていなかった。
「……魔術に何か影響が? 重力の影響は微々たるものだから心配ないし、小さな太陽系の中で起きる事象なんて、大事なものなのかしら」
「小さいとは言え地球にとっては近い仲間だからね。それに、実際の力というよりも、惑星直列は目に見えて珍しくて、華やかな現象だ。星自体がどうこうしなくても、人が動く大きなきっかけにはなる」
 確かにそうだ、とポプリも思った。オリヴィエは言葉を続ける。
「人だけでなく、神々も、ね……」
 ポプリは頷いた。懸念すべきだというのはよく分かった。
 ……死刑宣告、のようなものだ。しかし、それは一歩前進でもあった。少なくとも、タイムリミットらしい時間がいつなのかは分かったのだから。
「来年の日食の日、ということね」
「……そう」
 オリヴィエは言って、そっとポプリの髪に触れた。
「……やっぱりいつ見ても、綺麗な色だね」
 ポプリは緊張して体を強ばらせたが、過敏症を発症しないように理性で自分を押さえ付けた。
「先生は昔からそうだったわね。真珠色が好き?」
「うん。この青薔薇の香りも好きだよ。……なんて言うのは、ポプリ姫にとって嫌なことかもしれないけど」
「嫌じゃないわ」
 ポプリは答えた。……初恋の人だ。嫌なわけがなかった。
「……先生、どうしてた? 元気だった? 仕事を見つけるの、大変じゃなかった?」
「そうでもないよ。王女の家庭教師に抜擢された事実と、王家の秘密を嗅ぎ回って追い出された事実の、どちらに相手が重みを置くかの問題だから」
 オリヴィエはポプリを救おうとしたのだ。王家と神々の関係、神殿との関係、ポプリとの関係、それらを探ろうとしてクビになった。はっきりバレていたわけではなかったようだったが。
「ポプリ」
 オリヴィエはポプリを呼ぶ。「姫」や「王女」をつけずに呼んでくれるのは珍しかった。
「聞いてみたかったんだけど……僕のことが、好きだった?」
 ポプリは答えられずに言葉に詰まった。嫌でも一瞬にして体中が火を吹いたように熱を持つ。きっと顔も真っ赤だろう。薄々、気付かれているだろうなと思っていた。彼がくびになった本当の理由は、ポプリが彼を好きになったからだ。彼には知らされていないだろうけれど。
「……ううん、言わなくていい」
 オリヴィエは呟き、子供にするようにポプリの頭をポンポンとなでた。未だに子供扱いだ。十以上年が離れているのだから当然かもしれない。
「そろそろ行くよ。姫に会いたいと思って何度も陛下にお願いして、王妃さまがやっと少しだけならいいじゃない、と言ってくださったんだ。これ以上いると、国外追放になるかもしれない」
 すこしおどけたように言って、彼はその場を離れようとした。ポプリは焦った。行ってしまう。立ち上がって駆け出した拍子にドレスの裾につまずいて、ポプリは盛大に転びそうになった。慌てて腕を差し出したオリヴィエの胸の中に飛び込む格好になる。
「……!!」
 さすがに発作が起きて、ポプリは思いっきりオリヴィエを突き放してしまった。
「あっごめんなさい!! 先生、大丈夫?」
 オリヴィエは苦笑した。
「大丈夫、大丈夫。相変わらずだね」
「すみません……」
「いやいや。その調子だと、彼氏もまだいないのかな?」
「いっいるわけないでしょ!!」
 軽く裏返った声で叫ぶ。オリヴィエは楽しそうでありながら、少し寂しげな表情で笑った。
「こんなことを言うと混乱させてしまうかもしれないけれど」
 彼は言う。
「姫は、僕の初恋の人にとても良く似ているんだ」
 ポプリは目を瞬いた。
「小さい頃に、そんな淡い恋を一度きり。だから、姫は僕にとっても特別な人だったよ。……さようなら」
 ポプリは小さく頷いた。さようなら。
「何か分かったら、また、こっそりメールするよ。……次に会う時には、君の呪いが解けていることを祈る」
 さようなら。

 呪い。
 この身に降りかかったさだめをそう言ってくれるのは、たぶんオリヴィエ先生だけだった。理解し、包んでくれた人。
 彼の後姿を見送って、ポプリはぽつんと廊下にたたずんでいた。急に寂しくなった。惑星直列。華やかな舞台。中央にいる自分。神官。女神。
「……何やってるんだ?」
 ぎょっとして飛び上がり、振り返ると、またロゼットだった。
「あんた私のストーカーしてるんじゃないでしょうね!?」
「……そんなこと言ったって、知り合いがポプリぐらいしかいない」
 言って、ロゼットは辺りを見回した。
「なんだ、てっきり逢引中かと思ったのに、一人か」
「あっ逢引……!?」
「違うのか」
 そこでポプリははたと気付く。
「オリヴィエ先生、戻ってないの?」
「会場に? いなかったな。だから、いい加減陛下がそわそわしてるぞって教えようと思って探しに来てみたんだけど」
 それは、おかしい。おかしいと思って探しに行こうと踵を返しかけたら、ロゼットに腕をつかまれた。
「ポプリは戻った方が良い。遠目でも陛下が不機嫌なのが分かった」
「でもオリヴィエ先生に何かあったら!」
「……あの人のこと好きなんだ?」
「関係無いでしょう!!」
 ロゼットは言い訳を許さない目で、黙ってポプリを見つめた。ポプリは唇を引き結んでロゼットを睨み返す。サファイアと藤色がぶつかって、傷つきそうな藤にサファイアが譲った形となった。目はそらされたけれど、ロゼットは腕を放さない。
「放して」
 ポプリが強い口調で言ってもロゼットは放さなかった。腕をつかむ手を、ポプリは見つめる。貴族とは違う、少し荒れた手。じんわりと熱が伝わってくるが、その温かさは生々しくて、ポプリをいらだたせた。
「あんたも私をそうやってつかむの?」
 ポプリの言葉に、ロゼットははっとしたように顔を上げた。一瞬の隙をついて、ポプリは彼の手を振り解くと駆け出した。

 オリヴィエ先生。彼はつかまなかった。つかんで欲しかった時ですら、ポプリをつかまなかった。ポプリを、捕まえたらいけない小鳥のように扱った。手放したようなその距離が、ポプリは好きだったのだ。選ぶことを許してくれた。好きになっても拒絶をしなかった。ポプリが、好きになることを選んだのを、許してくれたのだ。
 息を切らしながら走って、どこにいったのだろうと考える。そもそも突然、彼が王宮を訪れようと思ったわけを考えていなかったことにポプリは気付いた。
 どうして来たのだろう。なぜポプリに顔を合わせに来たのだろう。初恋の少女にポプリは似ていたという。特別だったという。彼はポプリのために王家の意図を探ろうとしていた。
 ……もしかして、パーティーをわざわざ選んで。守衛たちが広間に集まっている時に。
(……神殿!)
 そう気付いて、闇雲に走っていたのを方向転換する。王宮は広い。王宮に隣接するとは言え神殿は遠かった。走って行くには遠すぎる。学園都市のように、いたるところに水路が走っている訳でもないから、ゴンドラに乗っていったということはない。
 しかし、そもそも城から出ようとしたところで衛兵の姿を見つけてポプリは我に返った。自分はパーティー用のドレスを着ている。しかもこれでもかと見せつけるような、青バラをあしらったドレスで、月の光に照らされた髪は青白く真珠色を放っていて、誰がみても芳し姫で間違いのない格好だった。
 門から出た瞬間に、衛兵に追いかけられるのは間違いがなく、そのまま神殿まで逃げ切っても、ただ単に衛兵をオリヴィエ先生のところまで案内するようなものだ。
 ポプリは立ち止まり、唇を噛んで、足元を隠すドレスの裾を見つめた。ほどなくして背後からぱたぱたと足音が追いかけてきた。振り返らなくても父と衛兵だと分かっていた。
「ポプリ!」
 父の叫びが聞こえる。苛立っているのがよくわかった。
「勝手にこんな遠くまで……! 何かあったらどう……」
「聞きたくないわ」
 ポプリはさえぎり、くるりときびすを返すとパーティー会場に戻る道を行き始めた。ラザールがそのポプリの腕をつかむ。
「待て。……オリヴィエはどうした」
「帰ったわ」
「挨拶もなしに?」
「急用ですって。あまり追及しないでくださらない、お父様? 私、もう落ち込んでいるんです」
「ポプリ」
 先手を打ったにもかかわらず、ラザールはポプリに言い逃れを許さなかった。
「誤魔化すな。彼がどういう経緯でお前の家庭教師をクビになったのか、皆知っている。お前が彼の味方をするであろうこともな」
「そんなに先生を追い詰めて楽しいですか?」
「追い詰められているのはわたしの方なのだぞ」
 ポプリは口をつぐんだ。ちらりと視線をそらすと、母の複雑な表情に出会う。ポプリのことを可哀相に、と思いながらも決して口は出すつもりのない表情だ。
「どこへ行った」
「私は口を割りません。どっちにしろ知りません。今も探しにいこうと思ってやめたところです」
 父の問いにポプリははっきりとそう答えた。
 父はじっとポプリを見つめる。ポプリはまっすぐ睨み返した。少しでもそらしたら負けるような気がしていた。
 しばらくして父が口を開いた。

「衛兵、神殿を探せ」

 ポプリは目を見開いた。既に衛兵はは、と返事をしてまっすぐ出口を出て行く。待って。待って。ポプリは焦り、父に詰め寄った。
「お父様! オリヴィエ先生を捕まえる気!? どうしてそんなことするんですか!! 先生が何をしたって言うの!!」
「王女を、国の宝を国から奪おうとするやつだ、当たり前だろう」
「先生は私を奪おうだなんて思っていません!! つかんでもくれなかったのに!!」
「会場に戻れ!」
 父はいつになく高圧的に叫んだ。「国王」命令だ。
「お前は自分の立場をわかっていない!」
 ポプリは怒りで体が震えた。頭に血が上って正常にものが考えられない。どうしたら父を一番怒らせることができるか、自分と同じくらいやるせない、自分と同じ気持ちにさせてやることができるか、それで頭が一杯になった。
 髪に飾ってあった青バラを、ポプリは掴んだ。むしり取るようにして、手の中で握りつぶす。自分のと同じ香りが立ち込め、ポプリはぐしゃぐしゃになった花を床に叩きつけた。
「この国なんてアステリアに呪われればいいわ」
 怒りに震える声で言い捨てると、仕上げに床の上の無惨な青バラをとどめとばかりに踏みつけて、ポプリは肩をいからせながら会場に大股で歩いて戻った。