29:帰京


 アステリア祭はつつがなく終わったものの、ポプリと父の攻防は出発ギリギリまで続いた。ポプリはユルバンやコレットと一緒に帰ることを主張し、父は自分でポプリを連れて帰りたがった。結局そちらは父が折れたものの、次の一言でポプリは呆然とした。
「ロゼット……だったか。あの子も招きなさい」
 一瞬固まったポプリは、やっとのことで「はい?」と聞き返した。
「お前を説得してくれたのはあの子だろう。聞けばわたしの弟の推薦を受けてシュラールに入ったそうじゃないか。興味がある。連れて来なさい」
「お父様、あの子は一般人です」
「だからなんだというのだ。シュラールが受け入れる者は国が受け入れる者だ」
 父はポプリの肩を叩いた。
「それほど嫌がるような相手ではないだろう? 少しは父の頼みも聞かぬか」
 というか、説得されたのではなくて挑発されたのだし、それもポプリが天の邪鬼だっただけで、ロゼットはむしろ逃げろと言ったのだ。だがそれを言ったら余計こじれそうだったし、ロゼットを断固拒否すれば理由を聞かれる。ポプリは渋々了承した。

「俺も? 王宮に?」
 ロゼットも意外そうな顔をした。
「そういえば前に、取引しようとかいって、俺が羅針盤を貸す代わりに王宮に呼ぶとか言ってたな。俺は断ったはずなんだけど」
「だから、私じゃないわよ。お父様があんたを呼べって言ったの」
 それを聞いたロゼットは、ふうん、と呟いて思案した。
「断りなさいよ」
 ポプリが言うと、ロゼットは目を瞬いてポプリを見つめた。
「なんで」
「あんた王宮に来たいの? 大嫌いなお貴族様の巣窟よ」
「あのな。第一に俺は平民だ。国王の招待を断ったらどうなる。第二に、あんたは俺との取引で、人脈をくれると言った。今回のはそれに当たるんじゃないか」
 にやり、とロゼットは笑った。
「約束を果たしてもらうよ。俺も行く」
「……知らないわよ。私、あんたのフォローなんかしないわよ。笑われたって助けないから」
「それくらい承知さ」
 ポプリはそれ以上言い返せずに黙った。貴族の巣窟に一人だけ平民がいたら、例え表面上ではどうあろうと、貴族達が彼を馬鹿にするのは目に見えている。確かにロゼットはそれを一笑に付しそうだけれど、それで平気なのだろうかと思った。と同時に、相手はロゼットであって、そんな気をまわす必要なんかないことを思い出す。頭を振って、ポプリは考えを追い払った。自分で自分の首を絞めたいなら勝手にすればいい。
 そんなことを考えていると、ロゼットが、ポツリと呟いた。
「王宮か……」
「何よ」
「いや。孤児院のことを考えてただけ」
 そういえば、孤児院は王宮のすぐ近くにあるのだ。随分昔から、自分はロゼットの近くにいたんだな、とポプリは思い、近くにいながら決して出会う事がなかったはずなのだと思うとなんだか不思議だった。同時にポプリはまた、罪悪感にも似た何かがちくりと心を刺すのを感じた。それを認めることは、やはり出来なかったけれど。

 そして、翌日ポプリたちは寮を出た。ユルバンとコレットは一緒に王都まで帰ったが、彼らは家族のいる実家に先に顔を出すことになった。ポプリは、帰る家のないロゼットとともに、二人で王宮に行く羽目になった。馬車に二人きりだ。
「失念してたわ……あの二人は王宮より先に行くところがあったのよね」
 落ち込んでいるとロゼットが苦笑した。
「どうせすぐ会えるんだろう。星女神讃祭なんだ、パーティーとかいっぱいあるじゃないのか」
「それはそうだけど」
 ポプリは唇を尖らせる。
「すっごい憂鬱だわ」
「……どれだけ王宮嫌いなんだよ」
「欲しくもないのに与えられるのは迷惑なのよ」
 ポプリは言って、膝の上で寝ているパルファンの耳の後ろをカリカリと掻いてやった。馬車の中にロゼットと取り残されているにしては、自分がそんなに嫌な気分になっていないし、会話もそんなにとげとげしいものではないことに、少し意外だと感じていた。まあ、ロゼットも腹探りモードを控えているせいもあるだろうが。
 そういえば、とポプリは言った。
「ロゼットの鷲って真っ白ね。アルビノ?」
「そうなんじゃないか」
「日の下で飛び回らせて大丈夫なの?」
「一応羽で覆われてるから、直接肌に日光は当たってないんだろ。こいつが平気なんだから大丈夫さ。……まあ、大丈夫じゃなくても正直に言うようなやつじゃないんだけどさ」
「……そうね、パルファンの話を聞いていると、その子、すごく嫌味な口調で煙に巻くような話し方をするみたいだし」
 ロゼットは苦笑した。
「……まあ、その通りだな」
「主人そっくり」
「おい」
 ロゼットはひくりと頬を引きつらせた。
「ヴァンはもっと嫌味だぞ。『大丈夫ぅ?』とか、語尾を延ばした話し方をするんだ。俺がそういう話し方をしてみろ、あんた十秒ごとに拳を繰り出してるぞ」
「……あんた私を何だと思ってるの」
「暴力女。……初対面から傘で頭を殴られたしな。立派な傷害罪だぞ」
「あんたは王女誘拐犯よ」
 暴力女といわれたことにポプリは腹を立ててロゼットを睨んだ。
「物理的な攻撃より精神のほうがキリキリ来るのよ。そういう意味であんたは最悪」
「それは人によるだろう。精神のほうがダメージが大きいと思ってるなら、あんたは精神のほうが弱いってことだな」
 なんだかすごくグサッときた。怒りで顔が熱くなる。だけれど、本当に何も言い返せなくて、ポプリは口をパクパクするしかなかった。ロゼットが意外そうにポプリを見る。
「……言い返さないのか? 図星か?」
 ポプリは無言で拳を繰り出した。
 後ろで騒ぎ始めた王女を心配して、ポプリたちは御者に大丈夫ですかと問われるはめになった。

 着いてすぐ、ポプリはロゼットと引き離されることになった。そのことに一瞬、ポプリは心細さを感じた。またあとで、と少し皮肉気なロゼットの笑みがまぶたの裏に焼きつく。トランクやらの荷物は召使に任せ、ポプリは両親に挨拶に行くことにした。
「ただいま帰りました」
 ポプリが頭を下げると、父は満足そうに頷いた。
「道中何もなかったか。乗り物酔いはしなかったか。疲れていないか」
 早速、ポプリへの溺愛ぶりを発揮する。過剰な関心にポプリは唇を引き結んだ。
「何も。乗り物酔いはしませんでした。シュラールとここの距離です、そんなに疲れてはいませんわ」
「それはよかった。……ミシュリーヌ」
 父が母に声をかける。母はポプリに目を向け、微笑んだ。
「お帰りなさい、ポプリ。久しぶりね」
「……はい」
 会話の歪さがぎしぎしと音を立てている気がした。
「今回はあなたに、ささやかなプレゼントがあるの。楽しみにしていてね」
「はい、ありがとうございます」
 母との会話はそれくらいだった。ポプリは母を父ほどは嫌っていなかったが、それは彼女の、ポプリに対する関心度に比例するように思う。彼女は夫のように過度にポプリに関心を向けるようなことはなかった。むしろ、普通の親としては関心は薄いだろう。冷たいというほどでもないのだが。至極微妙な距離感だ。

 そして着いて早々、ポプリは色んな人からの挨拶を受けることになった。普段着からドレスに着替え、大広間で神殿の司祭達やら貴族達からの挨拶を受ける。仮面の笑顔を振りまきながら、ポプリは早くも疲れ始めていた。特に神殿関係者の一挙一動には肝を冷やされた。いつ両腕を抱えられて連行されるのかと戦々恐々としていたのだ。これは多分、気にしすぎなのだろうけれど。
 星女神讃のパーティーはその晩からあった。ロゼットも着替えて出席した。どうしても気になってしまって、ポプリは彼の姿を目で追っていたが、どうやらポプリの手助けははなから必要としていないようだ。そういえば、むかつくほど何でもこなすやつなのだ。いつもポプリに向けている嫌味な表情や言葉は引っ込め、学園でそうしているように愛想のいい笑顔を振りまいている。最初は心配していたのに、それを見ているとポプリはだんだん腹が立ってきた。もう知らない、と自分の事に集中することにした。
「ポプリ王女」
 声に振り向くと、アステリア神殿の司祭だった。
「ごきげんよう、ディルポルティア司祭」
 最大級の警戒心を笑顔でくるんで、ポプリは優雅にお辞儀をした。
「お久しぶりでございますわ」
「ええ、お久しぶりでございます。シュラールはいかがでしたか」
「変わりありませんわ。神殿はいかがです?」
「こちらも、変わりなく」
 司祭はちらりとロゼットに目をやった。
「……うちの鐘撞きは……ロゼットは、いかがですか。聞けば寮が一緒だそうですが、失礼を働いていませんか」
 鐘撞き、と呼ぶのか、とポプリは思った。初めてロゼットを見かけたのが、彼がちょうど鐘をつきに行くところだったのだから、変ではないのだが、ポプリは見下したようなその呼称に、少し司祭を軽蔑した。それにしても、誰から寮が一緒だと聞いたのだろう。
「失礼はございませんわ。むしろとても助けていただいております。司祭のお人柄がよろしいからかしら、孤児院で育った彼も、司祭の影響でとても良い人なのですね」
 美辞麗句を並べ立ててやると、司祭は照れたように微笑む。
「王女にそう言っていただけるとは、光栄の極みです」
 そして彼は、確かめるようにポプリに言った。
「お休みの間、神殿に来ていただけるそうですが」
 やはり訪問の予定が立てられているのか、とポプリは遠くにある父の背中を睨みつけた。
「ええ……父がそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。楽しみにしていますわ」
「わたしもでございます」
「詳しい日程はお聞きになっています?」
「来週ではございませんでしたか。今日からちょうど一週間です」
 思ったより早い。口調からして、さすがにすぐに「その時」が来る様子ではなかったが、ポプリは焦りで冷や汗が滲んだのを感じた。これは、早急に対策を考えなければ。

 一瞬にして暗雲が立ち込めたように感じたポプリだったが、程なくして母に呼ばれて、母と一緒にいた人物を見て驚いた。
「ポプリ、こっちへいらっしゃい」
 呼ばれて、司祭に失礼します、と言って、ポプリは人ごみをかき分けた。こちらに向かって微笑んでいる男を見て息を呑む。
「オリヴィエ先生……!」
「お久しぶりです、ポプリ姫」
 幾分やせたような気がするが、優しげな笑顔は変わらない。ポプリは全身が熱くなった。思いもよらない「プレゼント」だった。
「信じられないわ! 本当にオリヴィエ先生? いつまでここにいるの? 話す時間はあるかしら」
「ポプリ。少しは落ち着きなさい。衆目の前よ」
 母がかすかに苦笑を浮かべながら、ポプリをとがめる。それでもポプリの興奮は冷めやらなかった。
「お母様、お願いします。先生がお辞めになってから初めて会うのですもの、少し時間をいただきたいわ。お話しする時間をいただいてもいいでしょう?」
「ええ。そうね、お父様がいいとおっしゃるなら、今夜一晩でも泊まっていただいたら?」
 ポプリはおずおずと、父の顔色を伺った。良いとは言ってくれない気がしていた。の、だが。
「……まあ、よかろう。帰ってきてくれた娘に、これくらいの贈り物はするべきだろう」
 いつもだったら色々と深読みして、不快になっていただろう父の言葉でさえ、ポプリにはこの上なく嬉しい言葉に聞こえた。嬉しさを抑えられなくて、オリヴィエの隣に立つ。
「オリヴィエ先生、そうしてくれる?」
「ええ。陛下がいいとおっしゃってくださるなら、喜んで。僕も姫と久々にたくさん話しがしたいのですよ」
 ポプリはガッツポーズしたくなるのを押さえ込むのに必死だった。うきうきした気分で周りを見渡したとき、ロゼットと目が合った。
(……うっ)
 小さな衝撃が胸に走る。なんだかものすごく気まずかった。彼は表情のない目でこっちを見ている。ポプリは目を逸らした。まともに彼の目が見られなかった。