Abandonment and Resolution 
諦めと不屈

 

 レナードは呼び止められて振り返った。ぎくりとしたことは、多分ばれていない。元から極端に表情も口数も少ないと言われているし、その上に表情を出すまいと彼自身の意志が働いていればなおさらだ。
 声をかけて来たのはランドル王子。こちらも表情には出さずとも、きっと内心では眉をひそめているに違いなかった。
「そこは立ち入り禁止だよ」
「……許可をいただいております」
 レナードはそれだけ言った。王か太子だけが入ることを許された書庫である。ランドルは今度こそ、表情に出して眉をひそめた。
「伯父上からの?」
「いいえ」
「では、シェーンか」
 馬鹿正直にいいえと返事をしてしまったことを、レナードは後悔した。王兄でなければシェーンしか、ここへの立ち入り許可を出せる人はいないはずなのだ。ぬかった。
 ランドルは肩をすくめ、言った。
「許可があるならかまわないよ。呼び止めてすまなかったね」
「……いえ」
 ランドルに深く詮索する気がないようだと分かって、レナードは密かに息をついた。しかし、あまりにあっさりと解放されたので少し勘ぐってしまう。ちらりと相手の表情を確認しようと視線を向けたら、もろに目が合った。
「…………」
 双方無言だった。ランドル王子は微かに苦笑を漏らす。言いたいことがあるなら言え、と言われたように思ったので、レナードは口を開くことにした。
「何か御用でも?」
「いや。シェーンの護衛騎士とは友人のようだったけれど、まるでタイプが違うから面白いなと思っていただけだよ」
 そう言われたことが、レナードには意外だった。確かにシェーン王子の護衛騎士とは割と親しいし、友人だと思える数少ない相手だ。けれど、それを誰かに面白いと、興味を持たれるのは意外だった。誰かに興味を抱かれるのが意外だった。原因を頭の中で捜して、この前襲撃者から守ったのが印象に残っているのだろうかと首を傾げる。しかし、護衛は騎士の仕事だ。印象に残すほどのことでもないだろう。
「……そうですか」
 結局レナードはそれしか言えなかった。居心地が悪かった。
「体の調子はもう良いようだね。よかった」
 ランドル王子は曖昧で薄い微笑みを浮かべ、そう言った。この王子はいつもこういう顔をしている、とレナードは気付く。世を儚むような、諦めたような、彼の兄や弟とは正反対の瞳。同じ海色なのに、全く流動のない海の色の瞳だ。
 自分も、とレナードは思う。こんな瞳をしているのだろうか。諦めた、瞳を。
「ランドル王子」
 気が付くとレナードは言葉をかけていた。ランドルは「うん?」と顔を上げ、レナードを見る。レナードは続けるべき言葉を見つけられなくて、結局黙り込んでしまった。聞けない。認められたいと思うか、などと。
 ランドル王子はじっと待っている。レナードから声をかけて来たのを珍しがったのか、続きを話すまで待つつもりのようだ。黙り通せなさそうだと判断し、レナードは適当な話題を選んだ。
「あなたは構わないのですか。ハーストン公爵が仮王になることが」
「今もう仮王陛下だよ」
 ランドルは軽くレナードを咎めると、ふっとその瞳に、はっきりと陰を落とした。
「私は、傍観者だからね。口は挟まない。責任も負わない。手放すことにした」
 そして顔を上げたランドル王子は、小さく微笑んで言った。
「君もなんだろう?」
 レナードはとっさに返事ができなかった。あまりに的確に言い当てられたような気がしてぎくりとした。俯き、レナードは軽く会釈をした。
「……申し訳ありませんでした。仕事に戻ります」
「あ、オーディエン殿」
 呼び止められてもう一度振り返る。ランドル王子はさりげなく言った。
「伯父上はきっと、君に目をつけるよ」
 レナードは目を瞬いた。なぜ、自分などに目をつけるというのだろう。養父から疎まれ、養子とは言え唯一の男児なのに跡取りとしてなど扱われてはいない自分なのに。言ってみればたいした後ろ盾などない孤児に等しい。それに、なぜ忠告をくれるのだろう。
「……分かりました」
 レナードはそれだけ言った。それからランドルは、レナードがもっと驚くようなことを言った。
「いつか君とはちゃんと話をしてみたいな。……同じ世界に住んでいそうだ」
 そしてランドル王子は去って行った。
 レナードは言われたことを思案しながら、許可証を持って書庫の扉番の元へ歩いて行った。


 問題は山積しているというのに、シェーンは見事に暇になった。今までの忙しさが嘘のようだ。とはいっても、やはり仕事はあることはあるのだが。セイリアには「半日しか空かないスケジュールのどこが暇よ」と怒鳴られた。
 理由はもちろん、王兄に仕事の権限を持っていかれたから。自他共に認める仕事人間のシェーンにとっては、少々途方に暮れる状況だった。
「……だったら早く王権を奪い返せば?」
「どうやって。僕はまだ十八になるまで十カ月はあるよ」
 言い返したらセイリアはめちゃくちゃなことを言った。
「シェーンなんだからどうにかすればいじゃない。できそうだよ」
「……それってどういう論理」
「私の論理」
「つまり矛盾と通らない理屈の固まりか」
「あんただっていつも屁理屈言ってるでしょうが」
「理論的には通ってる分、君のよりはマシだ」
 少々久々の戦いは結局シェーンの勝利に終わった。セイリアは不満げに頬を膨らませていたが、気持ちを振り払うように首を振ると、妙に真剣な目でシェーンを見つめた。
「それよりシェーン。かっこつけないで正直に答えて。あんた、大丈夫?」
 シェーンは目を瞬いた。かっこつける? 確かにいつも表情を作ってるが、大丈夫か大丈夫でないかでかっこつけた記憶はなかった。
「大丈夫だけど……なにについて大丈夫かどうかをきいてるの?」
「あんたっていっつも、やってみせる、大丈夫の一点張りでしょ。この前もそう。王権が公爵に渡っちゃっても平気そうな顔をして。私にはちゃんと話してほしいよ」
 シェーンは珍しく戸惑った。セイリアの奇行には慣れているつもりだが、こういう行動を取られるのは少し予想外だった。
 ちゃんと話してほしい。そんなに、自分は一人で溜め込むタイプだろうかと思う。セイリアにはかなり、正直なところを話してきたつもりだったのだが。他の誰に話せなくても、セイリアには話したことだってたくさんあるのだ。
「僕は本当に大丈夫だよ。なにがそんなに心配なんだ」
「……今の状況、まずいんでしょ」
「まずいね」
「なんでそんなに平気そうなの!」
 そんなことで怒られてもどうしようもない。
「パニックになれって言いたいのか?」
「そうじゃないけど、でも私の前ぐらいではなってもいいんだよ」
 どこか必死なセイリアに気付いて、シェーンは焦った。まずい。衝動的に抱き締めたくなる。視界の端にルウェリンを映して必死に自分を抑えた。自分が冷静になれないのはセイリアが絡んだ時ぐらいだ、と本人には言えないが内心思う。
 抱き締められない代わりに、シェーンは笑った。相手を安心させるための笑顔なんてめったに浮かべないので少し苦労した。上手く笑えただろうか。彼女みたいに。
「なりたい時はなってる。本当に大丈夫だよ。君の前では素だから」
 セイリアは目を瞬き、じっとシェーンを見つめ、それからあわあわと目をそらした。
「う、ん、それならいいんだけどね。もう少し頼ってほしいというか役に立ちたいというか、その、すごく何もできてないような気がするから、私」
 顔が赤い。ルウェリンからは角度的に見えないのは幸いだが、こんな反応をされてしまっては余計に自制心が崩壊しそうでシェーンは軽く額を押さえた。二人きりなら、と思ってしばらくルウェリンに暇を出したくなるくらいだ。
「いろいろ暴露できる相手になってくれるだけで十分だよ」
 本心を呟く。事実、そんな相手自体がシェーンには貴重なのだ。
「本当に? 本当に全部言ってくれてるの? ……暴露できる相手になれてる?」
「なってる。君は僕が何を暴露しようと勘ぐったり腹を探ろうとしたりしないだろう」
 それを聞いてセイリアは安心したらしく、にこりと笑う。この笑顔に弱いんだよね、とシェーンも苦笑を返した。

 そして、それはつまり彼女こそが自分の弱みだということで。シェーンとセイリアの仲が良いことは周囲も承知だ。少なくとも信頼関係にあることはきっと、誰の目にも明らか。王兄も第一王子も突っぱねるくらい、セイリアがシェーンに忠誠を誓っていることも。シェーンを陥れるにあたって、まずは国王が狙われた。次は――彼女か、シェーン派筆頭であるオーディエン公爵家だろう。
 そのセイリア自身はシェーンの心配しか頭にないようで、帰る時にもシェーンに釘をさしていった。
「溜め込み禁止! かっこつけなくたってあんたはあんただからね。正直に言ってよね」
 シェーンははいはいと頷いておくしかなかった。

 夜間の護衛は最近変わったばかりだ。セイリアも親しいキンバリー男爵家の三男らしい。今度は信用がおけそうだとシェーンは思っていた。そして、護衛が交替してから十分も立たない間にレナードが訪ねてきた。
「ご所望の品です」
 レナードは短くそう言って紙束を差し出す。シェーンは顔を上げ、レナードを見た。
「礼を言う。……レナード、どうかしたのか」
 僅かだが考え事をしているような表情があった。レナードは不意を突かれたように瞳を揺らすと、いえ、と答える。
「途中でランドル王子に会ったもので」
「ランドル兄上? 何か聞かれたか?」
「……俺も、手放したのだろう、と」
「は?」
「責任を、認められることを、手放したのだろうと」
 シェーンは黙っていた。二番目の兄がその心境を誰かに語ったという話を初めて聞いた。「手放す」か、とシェーンは思いを巡らせた。幼いころ、まだシェーンが幽閉されていた頃は時折訪ねてきてくれていた兄。あの頃から既に、兄は諦めた瞳をしていた。そして第一王子の兄と太子の弟に挟まれた今、肩書だけの「王子」ににはもう何も見いだせないのだろう。レナードが「公爵家の長男」に何も見いだせないのと同じように。
「君や兄上が手放そうと掴もうと、それは君達の問題だ」
 シェーンはそう言ってレナードを突き放した。諦めた者同士、近づいても良い。だがそんな慰め合いは無益だと思った。
「僕はもったいないことをすると思いながら見物するだけだよ」
 レナードはシェーンを見つめ返した。感情の薄い朱色の瞳。失くしたのか、抑えているのか、もとから薄いのか、どれなのだろうと思う。そして彼は、軽く礼をするとそのままきびすを返す。何を思ったのかを確かめる暇は無かった。

 シェーンは手中の書類に目を落とした。――二十年前に母が嫁いできた時の記録だ。「表向き」の内容しか書かれてはいないと知っていたが、安全のために手元においておきたかった。王兄の次の一手、それはシェーンの信用の完全失墜に違いない。最も有効な手は、彼が未だに探ろうとしているシェーンの出生の謎を明かすことだろうと読んだのだ。シェーン自身、自分の出生にこれ以上何が関わっているのか知らないのだが。
(母上に、会いに行ってみようか……)
 父の失踪と死亡の知らせで少なからずショックを受けているはずだ。慰安訪問を兼ねても良いかもしれない。でも、その前に……。
(つっつきやすいのは、やっぱりセイリアの件だな……)
 何せ簡単に調べられるし、シェーンに護衛がいなくなれば色々事が運びやすいだろう。それより何より、シェーンにとっては彼女と引き離されることの方が恐怖だった。彼女がどれだけ騎士の仕事を好いているかも知っている。
(いつも襲撃から守ってくれた。今度は僕だ)
 秤にかければそちらの方がシェーンにとっては重いのだ。起死回生のチャンスならあるだろうし、いざとなったら最終手段を行使してでも彼女を守りたい。
 一緒に生きる未来のために。
 シェーンは書類を丁寧にたたむと、彼しか知らない隠し場所に書類をしまった。そして王宮に吹き荒れる嵐の音を聞きながら、どうやってこれを凌ぐかに考えをめぐらせた。



最終改訂 2008.07.24