01-02
「頭、大丈夫?」
私がやっとのことで搾り出した言葉がこれだったから、朔良は傷ついたようだった。
「涼乃、わかってる? それ、一番ショックだよ。断るどころか告白を信じてすらもらえないって」
本気だと思うに十分真剣な声だった。……待て。ちょっとでいいから頭の中身を整理する時間をくれ。
「朔良は小学生でしょ」
「小学生が誰かと付き合っちゃいけない理由でもあるの?」
「ないけどっ……世間一般的にみて早すぎるでしょうが!」
「だって涼乃は誰かと付き合うにはもう早いとはいえないもん。だったら俺が背伸びする」
「せんでいいっ」
昔から兄がのほほんとしている分、ませた子だったが、ここまでだったとは。
「とにかく、年齢的に私が犯罪者になるじゃんっ。そりゃ、気持ちはありがたいけど……」
というか、好きなの? 朔良が、私を? いつも姉と一緒に高城兄弟とは遊んでいたが、ぜんぜん気づかなかった。それだけでも私には寝耳に水で頭がついていかないのだ。これは何のいたずらだ、八百万の神々よ。
朔良はいよいよ傷ついた顔になっていた。
「なんで? ……兄貴のことが好きだから? 涼乃はこのまま付き合いたいと思ってるの?」
その声は痛々しくて、ちょっと動揺した。私だって横恋慕のくちだ、朔良の気持ちは(本気だったとして)よくわかる。
「このまま付き合いたいとは思ってないけど……今朔良の気持ちにオーケーしたら、彰と朔良と私自身と、それにきっと瀬川さんも裏切ることになるから」
すると朔良はふっと苦笑交じりの表情をした。思春期前の、私の同級生よりずっと幼い顔立ちなのに、時々朔良はびっくりするほど大人っぽい表情をする。
「涼乃はそう言うんだよね。知ってたよ」
……そう言うなら告白しないでもらいたかったんだけど。
「でも」
ふと、朔良の瞳がぎくりとするほど真剣になった。
「俺、本気だし、諦めないから」
そう言うと、朔良はじゃあね、と手を上げて走り去ってしまった。呆然とやり取りを見守っていた百合が私の肩を叩いた。
「モテるね、涼乃」
「ひょーっ、涼乃ちゃんモッテモテー」
この上なく楽しそうな声で、姉の透子(とおこ)は言った。私よりふたつ上の透子は恋愛には慣れている。だから相談したというのに、妹をからかうとはなんて姉だ。私はため息をついた。
「透子……張り倒すよ」
「なんで怒るのー」
言いながら透子は頬を膨らます。私より背が低いから、透子は私を見上げる形になった。いかにも可愛らしい表情だったが、瞳はどこまでも悪戯好きな光を宿していた。小悪魔というのは私の姉のために神様がお作りになった単語に違ない。
「好きなほうと付き合っちゃえばいいんだよ。おばかさんだなぁ、涼乃ちゃんは」
私はもう一度ため息をついた。確実に相談相手の人選を誤った。恋愛倫理観が根本的に違う相手を選ぶべきではなかったのだ。
「お姉ちゃん、あのねぇ。私は両方とも無難に断る方法を聞いてるの。できれば傷付けない方法で。付き合っちゃダメでしょ」
「ええーっ、何でよー」
本気でわかってないみたいだ。
「私は瀬川さんと彰をくっつけるつもりで告ったの。付き合っちゃったら惨めなのは私だし、絶対両想いの二人を私は引き裂いちゃったんだよ? それに朔良はまだ小学生だし、付き合えるわけないじゃない」
透子はかなり的外れな返事をくれた。
「透子は今日の朝、幼稚園の子に告られたよ?」
「……オーケーしたとか言ったら警察に通報するよ」
「しないよぉ。君が中学に入ったらね、って言っておいた。そもそも透子の守備範囲の年齢は透子マイナス5からプラス20までだし」
「広すぎでしょ!」
「そんなことないよ。常識的範囲だよ」
「……透子の常識は分からん」
「何よぅ。せっかくかわいい妹の相談に乗ってあげてるのに」
「次からは他をあたるからいいよ」
透子は頬を膨らませて、少しすねた顔をした。しかしすぐにケロっとして、あ、そうだ、と言った。
「ねえ涼乃ちゃん、今度の日曜、どっか出かけてきてくれない?」
また男の子を家に呼ぶ気か。透子のことだから危なくなっても上手くかわすんだろうけど、まだ高1でそういう行動はいかがなものかと。
「……勉強は? 透子、昨日、来週に英単があるって言ってたじゃないの」
「カレに教えてもらうからいいんだもーん」
そうかい。
私はため息をついた。
「分かった、本屋にでも行ってくる」
「ありがと! 涼乃優しいっ」
本当に嬉しそうに笑って言うものだから、透子は本当に憎めない。何だかんだ我侭を言うものの、透子が私を大好きでいてくれていることは分かるし。私も透子のことは好きだ。ちょっと呆れることも多いけど。本当に、どっちが姉なんだか分からない。
透子は目下の問題が片付いて、元の興味に引き戻されたようだった。
「で? 涼乃ちゃんはどうするの?」
「うーん……」
私も元の問題に悩みを引き戻され、頭を抱えた。透子が身を乗り出して言う。
「なんなら、ここはひとつお姉さんからアドバイスなんだけど」
「……いいよ、今度の相談は他をあたるから」
「ええーっ、涼乃ちゃん、今度は誓って真面目だから。聞くだけ聞いてよー」
捨てられた子犬の「拾って」視線みたいな目で透子は私を見てきた。どうしようもない姉だ。私は去りかけた足を透子に向け直した。我ながら甘い妹だ。
「アドバイス?」
「そう。彰くんに本当の事情を話しちゃうのは気まずいんでしょ。だったら、こんな事情があって困ってるから助けてって、その彰くんの彼女さんに話すのはどう?」
「せ、瀬川さんに?」
私はちょっと動揺した。そんなむちゃな。私は彰を瀬川さんから横取りしたようなものなのに。
「それとも」
透子は小首を傾げて、百戦錬磨の小悪魔スマイルを見せてくれた。
「そのまま横取りしちゃえば? 恋愛って往々にしてそういうものなんだよ?」
「それは私の良心が許さない」
「お父さんもお母さんも許してくれるよぉ、オトナの恋愛もしてるだろうし、理解あると思うよ」
「両親じゃないから! 良心だから!」
「えへへ」
わざとかい。ああもう、透子と話していると疲れる。
透子は楽しそうに笑って私を見上げた。
「いやならやっぱり、その瀬川さんって子に手伝ってもらわないと。涼乃ちゃんはふたりをくっつけてあげたいんでしょ」
私は少し考えた。そこまでする勇気はないけれど、とりあえず瀬川さんと話してみるのはいい考えかもしれない。
「うん……うん、ちょっと考えてみる。ありがとう、透子」
「どういたしまして」
透子はえへへと笑った後、ちょっと呆れた眼差しのこもった目で私を見つめた。
「本当、涼乃ちゃんって欲がないよねぇ。お人よしっていうか。好きな人が告白をOKしてくれたのに諦めるなんて」
確かに欲はないのかもなぁ、と私は思った。なんというか、欲の塊の姉がいる反動なのかもしれないけれど。実際競争欲とか出世欲とか、上昇志向もないし。ある意味つまらない人間かもしれない。朔良、こんな私のどこがいいんだ。
そういえば朔良のことはどうしようかなぁ、と私は宿題と格闘している最中の現実逃避で考えた。けっこう負けず嫌いでしぶといやつなのだ。小さいころからそう。私や彰が年上だからということで、遊ぶときはどうしても、体力勝負だと私たちがゲームに勝ってしまう。頭を使うゲームは結構朔良も強かったけれど、そういうゲームのときは朔良は自分が勝つまで何度でも挑戦してくるようなやつだった。……簡単には諦めてくれそうにない。まあ、のらりくらりとかわし続けるしかないだろう。
明日はいろいろと忙しくなりそうだ、と思いながら、お風呂に入った私は戦闘前にしっかり休息をとろうと、早々にベッドにもぐりこんだ。