01-07

 朔良がいたので透子は呼び鈴すら鳴らさずに高城家に上がり込んだ。おばさんに可愛らしくあいさつまでした。
「あらぁ、透子ちゃんに涼乃ちゃん、いらっしゃい。遅かったわね、朔良」
 おばさんは愛嬌ある笑顔で向かえてくれた。
「こんにちは、おばさん」
 私もあいさつをする。朔良は肩をすくめていた。
「お隣りにいたんだよ」
「お隣りでも一言ぐらい言ってよねー。心配するから。お兄ちゃんのお勉強もそろそろ終るから、後で先生に一言挨拶しなさい。あんたも中学入ったら教えてもらうかもしれないから」
「えー、俺カテキョなんていらないー」
「自分で勉強できるならつけないよ。いやなら実力をお母さんに見せつけてごらん」
 朔良が黙った。……強いお母様だ。

 私は少し苦笑しながら、朔良に案内されて二階に上がった。私がこの家に上がるもの数カ月ぶりだ。二階に上がるのはもっと久しぶり。小さいころより随分階段が狭く感じられるのが不思議だった。
 ちょうど彰の勉強が終ったところのようで、部屋から彰が出て来るところだった。彰はまず朔良に目を留めたが、透子と私を見て目を見開いた。そりゃそうだよね、ああいう別れ方したんだもんね。気まずいよね。まだ彰は私の気持ちを知らないけれども。
「彰くん? どうしたの?」
 大人の男の人の声がして、背の高い、例の家庭教師らしき人が出てきた。私達を見てその人は頭を下げる。
「あ、こんにちは。壱原敦人(いちはら あつと)です」
「高城朔良です。彰の弟です」
 朔良が頭を下げたので私達も倣った。
「夏目涼乃です。お隣りに住んでるんですが、遊びに来ただけですので」
 まあ目的は遊びじゃないけど。というか彰を絞めるなんてのはこれで忘れてください透子お姉様。
「夏目透子です。涼乃ちゃんの姉です」
 とりあえずおとなしく挨拶してくれた。猫かぶりモード発動だ。学校での透子ってこんな感じなのか。こりゃモテても不思議はないね。
 しかし顔を上げた透子は真っ直ぐに彰を見ていた。
「彰くん、ちょっと今時間ある? 涼乃ちゃんのことで聞きたいことがあるんだけど」
 やばい、やっぱり絞める気だ。彰は敏感に自分の危機を察知したようで、すこし身構えた。まあ相手が透子だしね。
「ええと……それは今すぐ?」
「終ったんでしょ? 壱原先生、終ったんですよね?」
「え? ああ、うん、まあ。でも……」
「じゃあちょっとこっち来て。涼乃ちゃん、朔良くん、早くっ」
 なんと強引な。でも私はついて行かざるを得ない。いざと言う時に透子のストッパーになれるのは私ぐらいだからね。

 私達は彰のお部屋にお邪魔した。前に来た時に比べていろいろすっきりした感じがする。成長して片付けが上手くなったのかな。
 私が振り返って見たら、家庭教師の先生は途方に暮れたようにドアの外に立っていた。まだ用事があるらしい。透子ー、私たちかなりお邪魔だよう。
「そこに座って」
 彰がベッドを指し、自分と朔良は床に座った。彰はすごく落ち着いて見える。茉莉ちゃんと上手く行ったのかどうかの判断はつかなかった。
 透子はベッドに座って両手を膝の上においた。内股も身に染み付いている。中身が小悪魔じゃなかったら本当に可愛いんだけどなぁ。
「さて彰くん、こないだ透子とお話したこと、覚えてるよね?」
 彰は頷いた。
「あの時透子に言ったこと、涼乃ちゃんにも話しなさいな」
「涼乃に?」
 彰は少し驚いた顔をした。
「透子ちゃん、そのためにわざわざ?」
「じゃあいつ言うつもりだったの? 彰くん、早めに言ったほうがいいよ」
 彰は少し考えるような顔をしたが、結局ポツリと言った。
「えーと、見てられなくなったから」
「は?」
「だから、朔良がずっと寂しそうにしてるのが見てられなくなって。妙なところで遠慮する癖があるだろ、朔良。涼乃が中学に上がってから朔良がずっと寂しそうだったから、さっさと言えばいいのにって思ったんだ。だから涼乃に告白された時、挑発になるかなぁと思って」
「俺のため?」
 朔良も驚いた顔で、戸惑ったように私を見た。
「そんな理由で涼乃の告白にOKしたの?」
「だって涼乃も本気じゃなかっただろ」
 彰はきっぱり断言した。
「涼乃が僕を好きなわけないし、実際本気にしては様子が変だったし」
 私は開いた口が塞がらなかった。なんだそりゃ。私は彰をけしかけようとして告白、彰は朔良をけしかけようと告白OK。どうりでごちゃごちゃになるはずだわ。というか、私が彰を好きだなんて絶対ありえないと思い込んでるのね。なんかむなしい。
 すると脱力した私を見て、透子が猫の皮を脱いだ。
「でもねぇ、彰くん、それを涼乃ちゃんに黙ってるのはいかがなものかと思うんだよね。涼乃ちゃんがどれだけ悩んでたか知ってるの?」
「うん、そろそろ言おうとは思ってたけど、朔良が行動に移す前に言ったら涼乃がぼろを出しそうだし。涼乃、演技ってできないから。朔良が行動に移ったっていうから今日言おうとしたら、あんなことになっちゃったし」
 彰は演技できるのかい。なんか新たな一面を発見してしまった気分。そういえば“付き合って”いた間の言動はすべて演技というわけだ。ひえー。
「なんだか彰くん全然分かってないみたいだけど、それで涼乃ちゃんは傷ついてたんだよ」
 透子がさらに言う。ん、ちょっとこれはまずいんじゃないか。
「傷つく……え? なんで? 色々悩ませちゃったかもしれないけど、本気じゃなかったことぐらい、僕だって分かって……」
「彰くんの天然ボケ。分かってないなぁっ、涼乃ちゃんはね……うがふぐぇっ」
 私は慌てて透子の口をふさぎにかかっていた。勝手に人の恋心をカミングアウトさせるなっ。こちとらふられた後遺症から立ち直ろうとしてるのに、この期に及んでもう一パンチはもらいたくないんですっ。
「彰、気にしなくていいからねっ。私が本気じゃなかったのは確かだしっ」
 そう、私だって、OKして欲しくて告白したわけじゃない。私だってその気が……なかったといえば真っ赤な嘘になるけど、とりあえず本当に付き合うつもりはなかったわけだし、彰の気持ち如何では彰をこっぴどく傷つけていたかもしれないのだ。私の方が傷ついてしまったのは結果論。たまたま。挑発とか試したりとかって軽々しくやるもんじゃないね。
 さて、話題を変えるなら今だ。実際に気になっていることがある。
「それより彰っ、私が気になるのは茉莉ちゃんだよ。上手くいったの?」
「上手くって何が?」
「え、告白しなかったの?」
 彰が固まった。目を瞬き、次の瞬間かなり動揺した表情を見せた。顔まで赤くなっている。照れ屋だな。
「なんで涼乃が知ってるの?」
「見てれば分かるし……裏付け調査済みだし」
「朔良? それとも文子?」
「えーと……朔良からは私が聞き出したというか」
「俺無実だからね兄貴! その人が関わってるなんて知らなかったんだから!」
 朔良が慌てて保身に走った。ちゃっかりしている。
「文子か。明日抗議させてもらうからっ」
 慌てふためくなんて彰のレア顔をしげしげと眺めていたら、朔良が私の代わりに聞いた。
「それで、その茉莉さんとやらとは上手くいったの?」
 彰は視線を泳がせて呟いた。
「何もなかったよ」
「はい?」
「なんだかよく分からないままパニくって事情説明しちゃったけど、瀬川、割りとすぐに泣き止んだし、お互いなんでこんな話してるんだろうって気まずくなってそのまま」
「えーっ、信じられなーい!」
 透子が心底呆れたように叫んだ。お姉様、これが彰なんですよ。彰らしいじゃん。とことんぽやっとしたこの性格。おかげで今まで緊張して入ってしまってた力もことごとく脱力ですよ。和み系め。
「そこ、告白するとこでしょ」
 朔良までが呆れたように言い、透子はさらに身を乗り出した。
「そうだよ彰くん、ほら小学生でも分かってるじゃない」
「でも今のところ涼乃と付き合ってる訳だし」
「あんな理由でのお付き合いは認めませんっ」
 透子が決めることじゃありません。っていうか透子の方が不純な理由で男の子を取っ替え引っ替えしてるじゃないの。それでも、私も言った。さすがにこれだけ鈍いとはっきり言いたくなってくるのだ。
「彰、私が何のために追いかけろって言ったのか、分かってる?」
「今思えば分かるけど……あの時はそんなことを気にしてられなかったよ」
「あのね彰、私が告白したのだって挑発するつもりだったんだよ。彰が朔良にしたのと同じように」
 彰は沈黙し、私の目を5秒ほど見つめて、困ったように言った。
「僕たち……もしかしなくても同じことを考えて堂々巡りしてた?」
「みたいだね……」
 二人で揃ってため息をついた。多分私の方がいろいろ心労は多かっただろうし、傷ついたのだって私の方だろう。それはもういいんだ。勝ったって嬉しくない比べっこだからね。とりあえず私達はお互い遠慮し過ぎたということだ。回り道をとりすぎて、結局同じところでぐるぐる回って出口を見つけられなかっただけのこと。
「じゃあ彰はなんで私が告白したと思ってたの?」
「事情は聞かないつもりだったんだよ。涼乃ならとんでもないことはしでかさないだろうし」
 その信頼はありがたいけど、おかげで余計にこじれましたよ。……まあ半分私の責任か。
「とりあえず彰、茉莉ちゃんの誤解は解けたってことでいいの? 私、茉莉ちゃんの敵にはなりたくないんだけど」
「それは大丈夫。涼乃とはなんでもないんだって言っておいたから」
 それはそれで、はっきり言われると複雑なんだけどね。
 そこで朔良が口出しをした。
「俺のこと見てられなかったって言うくらいなら、兄貴も告白すればいいのに」
「いや、僕は今のままで心地いいから」
 いいのか彰。両思いなのに? ……茉莉ちゃんには悪いけど、茉莉ちゃんの気持ちをバラしたくなってくる。
 しばらく様子を見守っていた透子が腕を組んで言った。
「二人とも、自分たちのことはもういいの? まあ、本人たちがこの結果で良いなら良いけど。ねえ涼乃ちゃん、本当にいいの?」
「いいのっ」
 透子の言いたいことが分かって私は即座に叫び返した。私の気持ちは、きっと封じていれば時が風化してくれる。いい思い出になってくれる。だから掘り返すな透子。
 透子は朔良に目を向けた。
「朔良くーん、なんかすっきりしなくない?」
「俺はこのままで好都合なんですが」
「裏切り者ー!」
 透子は不満そうに声を上げた。私は透子の首根っこを捕まえて言った。
「はいはい、そこらへんにしてよ。……壱原先生が困ってるよ」
 私の一言に、みんな面白いほどにギョッとした。今のは良い。辛気臭さが一気に吹っ飛んだ。
 壱原先生は戸口で去るに去れず、かといって割り込めず、かなーり居心地悪そうに立って一部始終を全部聞いてしまっていた。なんというか、私達全員かなりプライベートまでしゃべってたから、事情はかなり推測できてしまっているだろうな。私たちのプライベートが漏れたのは自業自得。壱原先生、お見苦しい物を本当にすみませんでした。
「あ、いや、うん……」
 彼は困ったように頭をかく。私のことをじっと見つめていた。
「すみません」
「先生が謝らなくていいんですよ」
 私は慌ててとりなした。
「すみません、もう帰りますから。行こう、透子。彰、またね。もう朝に私のこと待ってなくていいから。バイバイ朔良」
 早口に言うと透子の手を引いてあたふたと階段を降りた。朔良が後を追いかけてくる。
「涼乃っ、塾は何曜?」
「火・木だけど?」
「俺が駅まで送ってく!」
「子供に夜道を歩かせるわけにはいきませんっ! 自転車もしかり!」
「子供も小学生も禁句!」
 怒ったように怒鳴る朔良の声を聞きながら、私はひらひらと彼に手を振って高城家を後にした。

 家の門をくぐる時に、透子に言われた。
「涼乃ちゃん、好きでいてくれる子に子供扱いって結構酷いよ?」
 私はちょっと考えた。そうかもしれない。まるで本気にしてないって事だものね。……彰と同じだ。
 それに気付いて朔良に申し訳なくなった。少しは……真面目に応対するべきかな。