02-01

 透子に言われたとおり日曜は本屋に避難し、透子にイチャつく時間をたっぷり与えた週末をはさんで、月曜に登校すると、文子と百合が待ち構えていた。しょうがないので簡単に報告した。
「ほー、じゃあとりあえず振られておいたわけか」
 文子が感心したように言う。
「瀬川さんと高城くんの幸せのために。泣けるねぇ」
「……楽しんでるね」
「めっそうもない」
 絶対嘘だ。私は頬杖をつき、まだ朝練から戻ってきていない彰の机をちらりと見やった。
「結果的に失恋だけどさ、私も朔良に似たような事してるのかなぁと思うと申し訳なくなって」
 文子は腰を手に当てて、今度はまともなことを言った。
「そうは言うけど、振るのが悪いことってわけじゃないじゃん。気持ちがないならごめんなさいするしかないんだから」
「それはそうなんだけど」
 私は溜め息をついた。
「なんかねぇ、私から見るとね、涼乃ってとってもどっちつかず」
「そりゃ、みんながみんなアヤみたいにはっきりしてるわけじゃないんだから」
 百合が言った。私の助け舟。本当にいつもありがとう。
「涼乃はアヤよりずっと思慮深いの。いろいろ思うことがあるんでしょうよ」
「うっわ、百合、シリョブカイなんて普通の中2が使う言葉じゃないから。なんつーか、さすが勉強熱心さん?」
「……いつもみたいにガリ勉って言われないと逆に気持ち悪いなぁ」
「なにさーせっかく気遣ってやったのに」
 話がずれてますよお二人さん。

 そして私は文子の言ったことを考えていた。どっちつかず? どういう意味なんだろう。朔良にはっきりと「ごめんなさい」と言っていないこと? 本気にしてないというのははっきり「ごめんなさい」ということにはならないのかな。
 いやいや、いかん。だって私、真面目に応対しようって決めたばかりなんだから。本気にはしなきゃいけない。じゃあ正面きって「ごめんなさい」と言う? どうせ結果は変わらない。朔良は私がイエスと言わないことを知っているし、それでも諦めないって宣言してるんだから。……これって言い訳、なのかな。
 何の言い訳なんだろう?

「あ、涼乃、高城くんが戻って来たよ」
 百合が声を上げ、私は弾かれたように立ち上がった。ガタンといすが大袈裟な音をたてる。この週末は彰とも朔良とも会っていなかった。まあ私ほとんど家になかったしね。だから話すとしたら今だ。
「ちょっと失礼」
「はいはーい、ごゆっくりー」
 文子がそう返事をくれた。どこまでも気楽な友だ。

 彰は私の姿を見ると、少し気まずそうに笑った。私も笑顔を返したが、気まずそうな顔になったのかもしれない。
「あれから朔良は?」
 他にも聞くべきことはあったのに、まず朔良のことを聞いてしまった。ええい、文子のせいだっ。
「あいかわらず僕に対しては怒ってるみたい。ちょっと態度は軟化したけど。まあ、壱原先生の前だったし」
「そっか……まあとりあえず、私達のお付き合いは終わりってことで。ね?」
「うん、涼乃がいいなら」
 自分のことは二の次なんだね。でももう少しぐらい自己主張してもいいような気がするんだけど。私が言えた義理じゃないか。
「本当に茉莉ちゃんには告白しなくていいの?」
 もう一度聞いてみたら、今度は彰が黙った。お? この前は今のままで心地いいとか言ってたけど?
「やっぱいい」
「えー、彰、それじゃ私が告白した意味がないじゃん」
「だから、今のままでいいんだよ。告白する勇気なんて持ち合わせてないし……涼乃にも申し訳ないし」
「私のことは気にしなくていいって言ってるのに」
 私が苦笑すると、彰がじっと私を見つめた。
「ほら、それだよ。涼乃、僕のこと酷いってののしるべきなんだ。なのに、気にしなくていいときた」
「いや、だって……私も彰を騙してたことになるわけだし。朔良にだって悪い事してるし」
「僕はいいんだよ。涼乃が本気じゃないの知ってたから」
 にぶにぶ。
「でもさ、やっぱり彰のこと応援したいんだよ、私」
「……うん、ありがとう」
 彰ははにかんだように笑ったが、それでも言った。
「でもやっぱりいい」
「やっぱりって事は告白する気になりかけてたんでしょ?」
「それは……壱原先生が」
「は?」
 なぜそこで壱原先生。
「この前、あの後壱原先生と話して、恋愛相談みたいになっちゃって……先生はとりあえず今回の件に区切りをつけるためにも告白しろって」
「壱原先生に話したんだ」
「というか、バレバレだった。しっかり全部聞いてたみたい。心配された」
 あはは。やっぱり。
「でもアドバイスには従わないんだ」
「だってこういうのは他人任せにすることじゃないから」
 彰はきっぱりと言った。
「とりあえず涼乃に話せてよかった。こういう話ができる女の子って、僕には涼乃だけだからね」
 彰はそう言って私に笑った。私って信頼されてるんだなぁ。嬉しいと同時にちょっと惨めだった。信頼と好きとはちょっと違う。……なんか未練たらたらじゃないの、私。いけないいけない。
 私は彰に笑い返して言った。
「まあ、とりあえず茉莉ちゃんに変な虫がつかないように、私が代わりに見張ってるよ」
「あはは、それくらいは僕もできるから大丈夫」
 笑い合った。自然に笑えた。大丈夫。私は二人を応援できる。

「どう?」
 席に戻ると百合が聞いて来た。私はうん、と頷いて答えた。
「背中を押して来た」
「はあ……涼乃ってやっぱりお人好しだよね」
 なんだかしみじみと言われた。いや、私が臆病なだけだと思うんだけど。
「行動してくれそう?」
「どうかなぁ。その気はないみたいだけど、まあ茉莉ちゃんと両想いなのは確か。とりあえず正式に別れたから、あとは彰次第だよ」
 ぽん、と文子が私の肩を叩いた。
「まあ、ドンマイ、涼乃。帰りにどっか寄って慰め会をしてあげるよ」
「……そりゃどうも」

 いつもの冗談かと思ったら、帰りに本当に喫茶店まで連れて行かれた。まあ、今日は塾がないからいいんだけど。……でも宿題はあるんだよ文子、と呟いたが聞く耳を持ってはくれなかった。絶対自分が初夏限定のケーキを食べたいだけだ。
 わいわいはしゃぎながら喫茶店まで行った私達だったが、店内に見慣れた制服を見つけて、私は慌てて文子と百合の襟を引き戻した。
「ぐえっ。何すんの涼乃」
 潰されたカエルのような声を出した文子にしっ、と黙るように合図をして、私はそっと店内を覗いた。見間違えようのない後ろ姿。透子だ。向かいに座っているのは明らかに透子の「彼」。透子の高校の制服を着ている。
「あれ、あれって涼乃のお姉ちゃんじゃないの?」
 百合が言った。よく後ろ姿で分かったな。すごいで賞。
「なんていうか……別れ話?」
 私も同じ推測をしていた。何せ「彼」さんの表情がものすごい深刻そうで、しかも暗い。んでもって、しゃべっているのは一方的に透子。うわ。我が姉ながら、これは小悪魔どころか悪魔だ。
「わー入れないじゃーん」
 文子が不服そうに声を上げた。これで私を連れて強硬突入しないだけの分別はあったのね。
「どうする?」
「うーん、近くのマックにでも行く?」
「慰めに食べるのがハンバーガー?」
「いやいや、フルーリーとかサンデーとかあるでしょ」
 百合と文子が次の行き先を討論し始めた時、私の名前を呼ぶ人がいた。
「夏目さん?」
 男の人の声だったのでびっくりして振り返ったら、壱原先生だった。うわー、なんか妙な場面で出くわしてしまった。
「こんにちは」
 壱原先生はそう言って頭を下げた。私もとりあえず頭を下げる。
「こんにちは。先日はすみませんでした」
「あ、いえ……」
 先生の顔が引きつった。そりゃそうだよなぁ、初めて訪れた家で、いきなりあんな恋愛話を目の前で始められたら誰だって気まずい。
 百合と文子がキョトンとしていたので、私はとりあえず説明した。
「壱原先生。彰の家庭教師さん」
「あ、高城くんの。どうも、こんにちは。涼乃の友人の三井文子です」
「村岡百合です。はじめまして」
「はじめまして」
 壱原先生はそう言って笑った。
「お店、入らないの?」
 私は慌てた。
「あっ、これはっ、あのっ、……壱原先生、入るつもりなんですか?」
「大学のレポートを仕上げようと思って」
 そっか、この人大学生なんだっけ。ひー今透子がいるのにー。
「ちょっとプライベートな事情で入れないんです。すみません、壱原先生もできればここは避けていただきたく」
「え……え?」
 壱原先生は戸惑ったような顔をし、ちらりと店内を見てしまった。そして「あ」と呟いた。続いて「あー……」と気まずそうな呟き。みんな状況把握能力高いな。
「うん、わかりました、どっか他のところ探すよ」
「す、すみません……」
「夏目さんが謝らなくても。……ああ、二人とも夏目さんだね。涼乃さん、でいいかな」
 年上にさん付けで呼ばれるのはくすぐったいが、確かに私も透子も夏目なので私は頷いた。
「それから、なんだか先生と呼ばれるのは変な気分なんだ。壱原さんでいいよ」
「は? はい……」
 家庭教師は始めたばかりなのかもしれない。4月だしね。
「よかったら、近くにもう一軒いい喫茶店を知ってるんだけど、紹介しようか?」
 壱原先生が申し出た。食いついたのは言うまでもなく文子。
「ケーキありますかっ!?」
「ありますよ。絶品」
「じゃあ、お願いします」
 文子が目を輝かせていたので断るわけにもいかず、私はそう言って軽く頭を下げた。まあ、べつに喫茶店でもマックでもよかったんだけど。

 思ったが、隣りの家の家庭教師と一緒に喫茶店なんて結構妙なシチュエーションじゃないのかな。……まあいい。この人人畜無害そうだし。
 やっぱりどこか頼りなげな壱原先……じゃなかった、さんの背中を追いかけながら、私は最後にもう一度喫茶店を覗いた。
 なんと、ちょうど振り返った透子と目が合った。げ。
 私は慌てて目をそらし、逃げるようにみんなを追いかけた。