02-02

 とりあえず、慰め会は普通に親睦会になった。壱原さんとの。高校選びのことを聞いたり、中学時代の話を聞いたり、自分たちの中学のことを話したり。
「土曜が休みだったのって月1回しかなかったんですか!」
 文子が驚いて声を上げたり。
「理系文系なんて、どっちでもない僕のような人間にとってはつらい選択だった」
 という話を聞いたり。
しばらく話した後、壱原さんは苦笑して言っていた。
「5つ6つしか離れてないはずなのに、すごくジェネレーションギャップを感じるなぁ」
「6つも離れてたら、そりゃ別世界ですよ」
「でも、同じ若者って言葉でくくられたグループなのに」
「ハタチ過ぎてるんじゃないんですか先生」
「まだ過ぎたばかりだよ……それに先生はやっぱりちょっと」
 文子の、他人と打ち解けるスピードは恐ろしい。私と百合はほとんど聞き役だった。時々壱原さんが私に質問をしたが。
「彰くんとはずっとお隣りさんなの?」
「はい。生まれた時からずっと」
「じゃあ、もうお互いの事よく知ってるんですねぇ」
 壱原先生は私達に敬語を使うべきかどうか、まだ迷っているようだ。まあ、こちらは年下なのでとりあえずずっと敬語で通すつもりだけど。それから壱原さんは思い出したように言った。
「そういえば彰くん、昨日の彼女のことはどうなったのかな……って僕が聞いていいのかな」
 私は肩をすくめた。
「彰が壱原さんに相談したって言ってましたし、彰が相談を持ちかけたなら、聞く権利があると思いますよ。……ちょっと、まだまだ迷ってる感じです」
「そうかー」
 その頃、隣りの人がおいしそうなケーキを注文しているのを見つけて文子が追加注文をした。
「どう? 絶品だろう」
 壱原さんが聞くと文子は口をもぐもぐ動かしたまま頷いた。
「壱原さんはよく喫茶店にくるんですか?」
 百合が質問する。
「うん、家だとだらけちゃうもんで」
「この近くに住んでるんですか?」
「車で10分ぐらいのところかな」
「車持ってるんですか!」
「親が2台持ってたから1台くれたんだよ」
 私も聞いてみた。
「一人暮らしなんですか」
「まあね」
 ほー。やっぱ大学入ると別世界だ。
「料理とかできるんですか?」
「うーん……目下勉強中。ほとんどコンビニ弁当」
「健康によろしくないですよ?」
 壱原先生は苦笑した。
「涼乃さんって大人びてるね。落ち着いてるし健康のこと気にしたり」
「男の人は気にしなさ過ぎなんです」
「男の人、か……じゃあ、もしかしてお父さんとか」
「ええ、全然気にしてないです。タバコを吸わないのが救いですけど」
 私はちらりと壱原さんを見た。
「壱原さんは吸うんですか?」
「いや、ほとんど。吸えるけど好きじゃない」
「吸わない方がいいですよ」
「り、了解」
 そこで私は気づいた。
「あの、レポートはいいんですか?」
「うん? ああ、提出は来週だし、まあいいよ」
「今日は仕事あるんですか?」
「うん、今日も高城くん……彰くんと」
「うおーっ、じゃあ帰り道一緒じゃん」
 口の中身を飲み込んだ文子が私の腕をつついた。なんだその楽しそうな笑顔は。
「朔良くんに見つかって浮気心配されないようにねー」
「な、なんの話!」
 思わず睨みつける。その言い方じゃまるで私と壱原さんがやましいことしてるみたいじゃないか。相手は大学生。私は中学生。私と朔良と同じくらいには微妙。お分かりっ?
 壱原さんは微妙な笑みを浮かべていた。ものすごく微妙な表情。な、なに。お断りですよ?
「朔良くんね……やっぱり涼乃さんのこと好きなんだね」
 あ、そっちに反応してたのか。というか、知り合ったばかりでこんな話をするのもあれなんだけれど。
 私ははっきり肯定せずに、とりあえずあははと笑いながらテーブルの下で足を駆使して文子が余計なことを言わないように牽制した。ちょうど百合の足も伸びてきて共同戦線になった。文子はちょっと痛そうに首をすくめていた。

 とりあえず、きれいに皿の上の商品が私達のお腹に収まったのでお財布を取り出して支払いの準備をする。
「透子にもケーキ一個買って帰ってあげようかなぁ。ここのは本当においしいし、今日はちょっとメランコリーになってるだろうし」
「あー」
 百合と文子が同時に顔を見合わせて、納得した声を出した。あっちの喫茶店での攻防は終わったんだろうか。
「いいんじゃないの」
「透子さんって何が好きなの?」
「普通のショート。あとレアチーズケーキ。明日はお母さんが帰ってくるから両方買ってって、片方はお母さんへでいいや」
 壱原さんが首を傾げた。
「お母さん、出掛けてたの?」
「出張の多い人なんです。お父さんは海外赴任で」
「え、じゃあ今透子さんと二人暮らし?」
 あ、若い独身男性に教える情報としてはちょっとまずかったかも。……まあ、もう言っちゃったからにはしょうがない。今日からは厳重に戸締まりしなきゃ。
「はい、まあ」
「家事も全部自分たちで?」
「まあ」
「しっかりしてるなぁ」
 そりゃどうも。家庭環境によって子供は変わるものですよ。
 レアチーズとショートのお持ち帰りを注文して、箱に詰めてもらっている間にみんなも精算を済ませていた。

 そのままなんと壱原さんの車で送ってもらってしまった。文子と百合は別れ道の交差点まで、私は自宅まで。
「ど、どうもすみませんでした。ありがとうございます」
 なんとなく申し訳なくなって頭を下げたらいえいえ、と壱原さんは笑った。
「ちょうど行き先が同じだったわけだし。それじゃあ、また、涼乃さん」
「はい。お仕事頑張ってください。彰にも勉強頑張って、と」
「伝えておくよ。朔良くんには何かある?」
「え」
 私は少し戸惑ったが、とりあえず何か言わなきゃいけないような気がして言った。
「また遊びにおいで、と」
 なんか他人行儀な台詞だな。まあいいや。
「了解」
 そして壱原さんは私に手を振り、高城家のインターホンを押しにいった。

 私は高城のおばさんの「はーい」といういつもより少し高い声を聞きながら、玄関を開けた。あ、鍵あいてる。透子はもう帰宅済みのようだ。
「ただいまー」
 言ったら奥から「おかえりー」という声が返ってきた。いつかのようにとたとたと駆けてくるわけじゃないけど、それでも玄関まで透子は出てきた。うん、言いたいことあるよね。分かってるよ。
「涼乃ちゃん」
「は、はい」
「見てたよね?」
「は、はい」
 透子は溜め息をついた。
「そういうわけだから、英単間に合わない……」
「は?」
 そっちの心配ですか。というか日曜に彼と一緒に勉強したんじゃなかったのか。家で何してたんだ透子。ひたすらビデオとかDVDとかを見ておしゃべりしていちゃついてただけ?
「透子……他に言いたいことないの?」
「あるよ? 聞きたいの?」
「う、い、言いたいなら」
 これが間違いだった。透子は私の肩をしっかりつかまえてまくし立てた。
「聞いてよ涼乃ちゃん。信じられないの。透子の携帯覗き見したんだよ? しかも男の子としゃべるのどころか、目を合わせるのすら禁止するんだから! どっかおかしいよ」
「へ、へぇ……随分と心配性な彼なんだね」
 というか相手が透子なら心配したくなる気持ちも分かるけど。しかし、言いたいことって私の覗き見のことじゃないんだね。別れ話を覗き見られたことは全然気にしてないらしい。携帯よりかはプライベートじゃないって位置づけなのか。
「でもプライベートまで踏み込むのってよくないと思うのっ! 金曜、彰くんを絞めにいったでしょ。その間に何回か電話かけてきたみたいで、透子が出ないからってあの時はどこにいってたんだ、だって! もう我慢できなくなったからさよならしちゃった」
 そ、そうですか。うーん、どっちの気持ちも分からなくはない。
 気持ちを吐き出してすっきりしたらしい透子はふう、と息を吐いて私を見た。
「まあ、透子もちょっと見る目がなかったかな。あの人は外れだったな」
 当たりと外れを考えて付き合ってるんですか。小悪魔め。

 そこで透子は私に、にこりと笑いかけた。あ、なんか嫌な予感。
「ところで涼乃ちゃん。壱原先生とどこ行ってたの?」
「見えてたんだ」
「当たり前だよ」
「文子と百合と一緒に別の喫茶店に。あ、これお土産。一つはお母さんに残しといてね」
「そんなんじゃないってば。こないだも壱原先生、涼乃ちゃんのこと見てたんだもん」
 えー。なんですぐそこに飛びつきたがるの。
「いやー、まさか中学生を相手にはしないでしょ」
「ロリコンかもしれないじゃん! だって中学生の家庭教師なんだよ?」
 ロリコンと中学生の家庭教師に関連性が見えないんですが。というかそれは偏見だよ透子。
「あー涼乃ちゃん、また本気にしてないー!」
 私の表情を見て、透子が不満そうに声を上げた。いや、だって飛躍し過ぎだと思うんだ。
「透子、そういうのにこだわるところ、透子の彼が透子に取ってた態度と似てる気がするよ」
 透子は一瞬ショックを受けたような顔をして固まり、私は一瞬言ったことを後悔したが、透子はすぐに立ち直った。
「透子は別に涼乃ちゃんを束縛してないもん。朔良くんだったら涼乃ちゃんの相手としてOKだよ」
「おいおい……。もう透子、英単の勉強始めたら?」
「涼乃ちゃん、つれないっ」
「いつものことでしょ」

 透子は頬を膨らませていたが、突然思いついたように手をポンと打った。あ、なんか嫌な予感。
「じゃあお隣りに突撃して教えてもらいに行ってくる!」
「は?」
「英単だよ。壱原先生に話も聞けるし、勉強もできて一石二鳥!」
「え、透子、タダでカテキョしてもらうつもり……」
「デートでも謝礼にすればいいよ」
「うわ、すごい台詞」
「じゃ行ってきまーす」
「ちょ、透子、夕飯の準備は!」
「ごめんねぇ、涼乃ちゃんに任せたっ。どうせいつもほとんど涼乃ちゃんがやってるじゃん。じゃあね」
 閉まった玄関の扉を見つめて、私は呆然と立ち尽くしていた。そして心の中でとりあえず謝っておいた。ごめん、彰、壱原さん。透子トルネードがまたそちらに向かった模様です。予報できなくてすみません。頑張ってください。

 そして5分後、壱原さんの私からの伝言を受け取ったこともあり、トルネードから逃げてきた朔良がうちに避難してきた。