02-03

 遊びにおいでって言われたから来たよ、と朔良は笑顔で入ってきた。自分からおいでと言った手前、私も招き入れるしかなく、居間に朔良を通すとキッチンで下ごしらえを再開する。
「涼乃、何やったの?」
 ソファに座った朔良は私にそう聞いてきた。
「透子お姉ちゃん、壱原先生に向かってすごい殺気出してたよ」
「別に。帰り道で壱原先生に会ったから、友達と一緒にみんなで喫茶店に行っただけ」
「壱原先生と?」
「……朔良、妬いてるなんて言わないでね」
「なんで?」
 言うつもりだったのか? あんたにはまだ早い、と言おうと思ったが、ちゃんと応対しようと決めたことを思い出して言葉を飲み込んだ。
 黙っていたら朔良が机の上のケーキの箱に気づいた。
「これ、そこのケーキ?」
「そう。悪いけど、あげられないよ。透子とお母さんのだから」
「あ、おばさん帰ってくるんだ」
「うん。明日」
「ちょうどいいね。ゴールデンウィーク、みんなでどっか出かけられるじゃん」
「でも私、塾が3日あるんだよね」
「えー!」
 朔良が不満そうに声を上げた。
「どっか一緒に遊びに行きたかったのに!」
「友達を誘えばいいでしょ」
「…………」
 ものすごく責める視線で朔良がこちらを見てきた。
「う、ごめん、今のはごめん」
「いいもん」
「というかね、朔良、私達どう見ても姉弟だと思うよ」
「大切なのは本人の気持ちだろ」
「それ、本気で言い切れる?」
 朔良は返事をしなかった。むっとしたように視線をそらして足をぷらぷらさせる。ほら、やっぱりガキ。
「朔良」
 私は言った。これは、私なりに真剣になった結果。
「今のまま、幼なじみでいるのは嫌なの?」
 酷い、言葉だっただろうか。まあね、ごめんなさいも同義だものね。でもやっぱり、年下という設定は私にはどうしても障害だ。障害過ぎて、やっぱり恋愛対象として見ることすら憚られるくらい。これだけはどうしようもない。
 朔良はやっぱり視線をそらし手足をぷらぷらさせながら、言った。
「嫌だ」
 子供のわがままにも、男としての譲れない言葉にも聞こえる声だった。
「もう、嫌だ。嫌になったから告ったんだよ。もう涼乃が中学に上がってから、一年我慢してきたんだ。もう嫌なんだよ。涼乃、分かるだろ。兄貴が好きだったなら分かるだろ」
「私は」
 冷蔵庫の中身をチェックしながら、私は言った。
「幼なじみを選んだもん。私は臆病なの。多分、誰に取られそうになっても告白しようなんて勇気は湧かなかったよ。玉砕確実な方が、結果が見えてて安心できたくらい」
 朔良は顔を上げていた。やっぱり幼い顔立ちだった。
「涼乃がよくても俺が嫌なんだもん」
「…………」
「塾だなんだって言ってまた会ってくれないなんて、告白のしがいがないじゃんか。遊んで」
「そこに帰結するの?」
「キケツってなに」
「……えーと、後で辞書でも引きな」
「それはいいけど、一日でいいからゴールデンウィーク、遊んで」
 うーん、と私はちょっと困った。百合と文子と約束を入れるかもしれないのに。
「俺、先約だから」
 まるで私の考えを読んだように朔良が言った。後から受けた誘いを優先するのも失礼か、と思い、私は溜め息をついて折れることにした。私って甘いかも。
「分かった。その代わりあんたが計画立ててね」
「やった! 任せろっ、初デートだもんね!」
「デ、デートじゃないでしょ! 付き合ってないし!」
「この年になったら男と女二人きりで遊ぶのはデートなんだよ」
「どういう定義なのそれ! じゃあ何、私が彰と二人で出掛けたらそれもデートだってあんたは言うの?」
「その例え、すっごく嫌」
「じゃあ朔良と透子」
「えー」
 不満そうに朔良が唇をとがらせたところで、トルネードが帰ってきた。

「涼乃ちゃーん、夕飯できたー?」
 ドアと開く音とほとんど同時に透子の声が届いた。帰って来て一言目がそれかい。
「早く食べたかったら手伝って」
「えーっ、できてないの? あ、朔良くん来てたんだ」
「そういう透子は勉強終わったの?」
 聞くと透子は、何かあったと私が気付ける程度の「わくわくしてる」表情をまぜて笑った。
「うん、まあねっ」
 そして文句を言いつつ夕飯の準備も手伝ってくれた。朔良は自宅に電話を入れ(直接言いに帰っても手間は大して変わらなかったと思うけど)うちで夕飯を食べていくことにした。これもものすごく久しぶりだ。昔は本当によくお互い行き来していたもんね。

「わー、涼乃の手料理だ!」
 やっぱり子供の喜び方にしか見えない無邪気なはしゃぎ方をして、朔良は肉ジャガにかぶりついた。
「透子も手伝ってるよー」
 透子が負けじと言っている。あんたは野菜の皮を剥いただけでしょ。
「おいしい!」
「でしょでしょー。涼乃ちゃん、絶対いいお嫁さんになるよねー。朔良くんの」
「透子っ。二言ぐらい余計」
「えへへー」
 しかしなんでこの二人はこんなに気が合うんだ。

 テレビもつけないのに、おしゃべりだけで随分にぎやかな夕食になった。帰り際、朔良は私にゴールデンウィークの一日を空けるようにしっかり釘を刺していった。
「デート?」
 後ろでしっかり透子が聞いてたから言われるとは思っていたけど、やっぱり言った。
「ただの子守っ」
「照れなくてもいいんだよー」
「照れてませんっ」
 それから、私は透子の方を向いた。さっきから気になってたことだ。
「透子、壱原さんとなんかあったの?」
 透子は一瞬目をパチパチさせた。うん、これは文句なしに可愛い表情。すぐあとに小悪魔の笑みが続いちゃったのが玉に瑕。
「へえ、心配してくれるんだぁ」
「そりゃあ」
 私は頬を膨らませた。一応妹ですからね。
「人畜無害そうな人だけど、一応大人の男の人だし」
「涼乃ちゃん、それ自分にも言い聞かせた方がいいよ?」
「私は騙されたりしないもん」
「透子の方が騙されないよー」
 まあ透子は騙す方だからね。
「それに涼乃ちゃんは失恋直後だし? 寂しい心を埋めるようにーってことになったりしちゃうかもしれないんだよ」
「慰めてくれる人間なら朔良がいるから」
 いっぱいいるから、と言わずに朔良の名前だけを挙げた自分に、自分で驚いた。なんか朔良の好き好きコールに洗脳されてる? いや、うん、べつに好き好きって言われまくってるわけじゃないけど。
 透子はふふ、と満足そうに笑って片目をつぶって見せた。男どもが騙されるのが分かる気がする。
「大丈夫。ちょっと先生と遊ぶ約束しただけだよ」
 何の遊びですか。
 妙な想像が働きそうになるのを必死に抑えて、私は透子がもしや壱原さんにターゲットを定めたのではないかと思い当たった。
「……火傷しないでね。そして火傷させないであげてね」
「さて、それはどうかなぁ」
 どうにも、私の悩みは恋愛ごとよりも姉のことの方が多い気がする。


 さて、試験前3週間を切った。お母さんも帰って来た。あまりお母さんが留守にしていた感じがないんだけど、でも家は賑やかになったし、私も透子も一気に家事を怠け始めた。さて、これで空き時間が多くなったことだし、しっかり勉強するべき、なんだろうけど。
 ……正直、まだ勉強する気はゼロだ。
「いやー、やらなきゃなぁって思えるだけでも涼乃は偉いよ」
 百合がポンポンと私の肩を叩く。
「アヤを見てごらんよ。試験前日にならないと試験のしの字も頭にないんだから」
「わーっ、百合ひどい!」
 文子が抗議をしている。百合が反論した。
「塾に行った方が良さそうなのは涼乃じゃなくてアヤだよ絶対」
「えー、それより私も高城くんみたいに家庭教師がいいなぁ」
「……文子が期待してるのはカッコイイ年上の男の人とのめくるめくロマンスなんじゃないの」
「おわっ、涼乃鋭いっ!」
 ツッコんでみたら当たった。というか文子、私は時々あんたの将来が心配だわ。

 そしてこの日、私は図書室でばったり茉莉ちゃんに会った。最初目が合った時はすかさず目を逸らして逃げたが、私はもう彰とは別れてるんだ、やましいことないんだと自分に言い聞かせてもう一度近寄ってみた。
「茉莉ちゃん」
 茉莉ちゃんはぴくりと肩を震わせてこちらを振り向いた。
「あ、涼乃ちゃん」
「ええ、と、その……」
 なんと言ったらいいのだろう。ああ、声をかける前に何を話すかきちんと考えておけばよかった。ぎゃー余計に気まずいよー。
「ええとその、彰との誤解は解けた?」
 もう一週間ぐらい経つのに今更な質問だ。私はそもそも透子ぐらいとしか喧嘩をしないから、気まずくなった関係の修復はものすごい下手くそなのだ。
「誤解?」
 しかし、茉莉ちゃんは特に今更だとかは思わないらしい。首を傾げ、すぐに思い出したように「あ」と呟いた。
「あ、うん、ええと……大丈夫。ごめんね、この前はいきなり泣き出しちゃったりして」
「いや、うん、ショックだったのは分かるし」
「その」
「うん?」
 茉莉ちゃんは口を開いたが、言葉を出さないまままた閉じ、視線をさまよわせた。なになに。
「涼乃ちゃんは、私の好きな人が……」
 はい? 好きな人が好きかってこと? 墓穴を掘りたくないので、早とちりは避けようと聞いてみた。
「え? 好きな人が?」
「誰なのか、」
「ああ、えーと、うん、知ってるよ。今は」
 前に一緒に帰った時も知ってたという設定だと都合が悪いので、時制ごまかしてみる。あ、でも認めちゃってよかったのかな。
 茉莉ちゃんは見る見るうちに赤くなった。この子も赤面症とみた。
「その、涼乃ちゃんて高城くんとは」
「ただの幼なじみです。それ以上でもそれ以下でもありませんっ」
 思わず早口になった。これだけは絶対バレてなるものか。苦労したのも泣いたのも朔良に慰めてもらったのも透子や文子と百合のおせっかいも全部無駄になってしまう。
 茉莉ちゃんは目を瞬き、私の口調がおかしかったように笑った。あ、やっぱり可愛いな。
「そうだよね。ごめんね、変なこと聞いて」
「いや、いいけど」
 ちょっと空しくなってしまったのはどうしてだろう。戦わず逃げた負け犬の気分。自分で負け犬を選んだのに。
「でもよかった。せっかく仲良くなれそうだったのに台なしになるかと思った」
 私が言うと茉莉ちゃんは少しの間きょとんとし、それからくすくすと笑った。
「私だって涼乃ちゃんに嫌な気持ち、持ちたくなかったもん」
 ふう、よかった。誤解は解いた。仲直り成功だ。