02-04

 そこで茉莉ちゃんは話題を変えた。
「涼乃ちゃんはゴールデンウィーク、どこかいくの?」
「うーん、3日間塾でつぶれるからなんとも言えない」
「うわぁ、大変だね」
 うわぁ、丸い目だな。
「まあ、一応一日遊びの予定を入れてるけどね」
「お友達と?」
「うーん、幼馴染」
「高城くんと?」
「えーと、高城は高城でも弟のほうだけど」
「高城くんの弟さん? 小六だって言ってたけど」
「子守だよ子守」
 茉莉ちゃんはくすりと笑った。
「高城くんとこの兄弟と仲いいんだね。いいなぁ」
「あー、良かったら一緒にどう?」
 言っちゃいけないことを言っちゃった気がする。わ、朔良怒るだろうな。しかも子守って言っちゃったし。
 茉莉ちゃんは目を瞬いた。
「いいの?」
「あー、彰は来るかどうか分かんないけど」
「うーん、それじゃあ止めておこうかなぁ」
 あれ、意外と損得勘定する子? 私が目を瞬いていると茉莉ちゃんが笑った。
「冗談だよ、涼乃ちゃん。何日?」
「え、あ、4日」
「あ、ちょうど空いてる。じゃあ、一緒にいいの?」
「うーん、一応朔良に聞いてみないと。あ、朔良って彰の弟ね」
「男の子でさくらっていうの?」
「そう。彰だって男っぽい名前とは言えないじゃない?」
「まあ、そうかも」
 茉莉ちゃんは指を唇の端に当てて小首を傾げた。こういう動作が似合う女の子っているんだなぁ。
「じゃあ、朔良くんに聞いておいてね」
「うん」
 いっそ彰も誘ってダブルデートにしてしまえば、「デート」の意味も薄れるかなと、逃げるような朔良に申し訳ないことを考えながら、私は再び本棚の間を行き来して目的の本探しを再開した。

 案の定、後日朔良に茉莉ちゃんと彰も誘うかと打診してみたらものすごくむっとした顔をされた。
「なにそれ」
 うー、やっぱ怒った。
「あー、うん、嫌ならいいんだけども」
「嫌なんて言えるわけないだろ」
「……声には嫌そうなのが出てるよ」
「それは涼乃が相手だから」
 朔良はむくれた。
「デートだって言ったのに」
「私はデートじゃないって言ったよ」
「すっごい楽しみにしてたのに」
 うー。うーー。
「ごめん……」
 朔良はちらりと私を見た。ちなみに今、私達は自分たちの部屋にいて、窓越しに話をしている。昔はいつもこんなふうに、夜自宅に帰った後、こっそり彰や透子も一緒にこうやって話していたものだが、こういうのにロマンを感じる時代は過ぎてしまった。
 朔良は唇を少し尖らせたまま、呟く。
「涼乃がちょっとは真剣に受け止めてくれればそれでいいけどさ」
 それを言わせる程度には、私はまだまだ朔良の気持ちをどうしても茶化したりしてるということだ。うーん、分かってはいるんだけど。だって年下でしかも小学生なんだもんよー。
「でも朔良、ほら、私は自分が恋するよりも恋のキューピットの方がしっくり来るというかさ、彰が来てくれればあの二人をくっつけるきっかけになるかもしれないし、どうせダブルデートでしょ。時々二人ずつ自由行動とかすればいいんじゃない?」
「うーん……」
 お、ちょっと考えてくれた。
「ね、ほら、一緒にキューピット。愛のキューピット。朔良可愛いしお似合い!」
「可愛いって言われても複雑なんだけど」
「ごめんでもこれはどうにも否定のしようがないんで」
 だって第二次性徴前の男の子だ。かっこいいじゃなくて可愛いのはどうしようもない。
「というかね、涼乃。キューピットって別に他人の恋を取り持つ神様じゃないよ」
「う、知ってるけどさ」
 彰のギリシャ・ローマ神話の本を一緒に読んでたクチだもんね。あの神様はむしろ妙な恋をさせて恋をかき回す神様だ。……小さい頃は本当によくお隣りにお邪魔していたなぁ。
 とりあえず、私は本音を吐き出すことにした。
「ごめん、私やっぱり二人きりでデートとか言われると逃げ出しそうなんだよ。あんまりロマンチックな雰囲気とか、ダメなの。ね、頼むっ!!」
 頭まで下げるのは卑怯かもしれないが、私だってちょっと必死だったのだ。しかも本音をさらしたんだからそれに免じてください朔良。要は恥ずかしいというか、そういうことなんです。自分から好きな人を諦めたくらいです。挑発っていう建前がないと告白すらできなかった人間です。……察してください。
「う、いや、涼乃がそこまでしなくてもいいんだけど……」
 朔良は少し困った顔をしていた。そうだよねぇ、好きな人に頭を下げられたらどうしようもないよねぇ。この場合の好きな人に自分が当てはまるのがなんとも複雑だけど。それに、分かってて頭を下げる私ってやっぱりちょっと卑怯だ。
「別に俺もそこまで嫌ってわけじゃないから。兄貴には俺が掛け合うから、話がついたら瀬川さんに伝えといて」
 私はぱっと顔を上げた。
「朔良優しい!」
「……なんか自己嫌悪になりそ」
「えーっ、褒めてるのに」
 朔良は苦笑した。
「涼乃って時々透子お姉ちゃんの妹だよね」
 彰と同じことを言った。あんなに小悪魔じゃないぞ私は。


「ふうん、ダブルデートになっちゃったんだぁ」
 夕食の席で先ほどのことを話したら、透子は不満そうだった。お母さんがすかさず首を突っ込んで来た。
「え、なに、すずちゃんがデート?」
「そうなんだよお母さん。涼乃ちゃんモテモテなのっ」
「透子ー?」
「なにー?」
 姉妹して黒い笑顔の送り合い。やっぱり血はつながってるな私たち。
「そっかー、すずちゃんもそういうお年頃かー」
 一方のお母さんは一人で納得して頷いている。お母さんの助けは期待しないでおこう。透子の性格はお母さん譲りだからね。
「お相手はどんな子? カッコイイ? お父さんぐらい良い男?」
「朔良だよ。お相手じゃないから」
 透子が咎めるように涼乃ちゃん、と言ったが無視してやった。実際違うでしょうが。私の気持ちを無視するな。
「ええ、朔良くん? 朔良くんって今いくつだっけ?」
「もうすぐ誕生日だからそろそろ12歳。小学生だよ」
「うわー、年下のオ・ト・コ・ノ・コ!」
 期待しなくて正解だった。お母さん、何でそんなに嬉しそうなの。
「すずちゃんは頼りになるからねー。年下から好かれるんだねー」
 別に嬉しくも何ともない。
「お母さん、娘は本気で悩んでるんです」
「なんで?」
「お母さんまで小学生と付き合えって言うの?」
「何か問題でもあるの?」
「小学生だよ!! 年2コ離れてるんだよ!!」
「えー、8歳と10歳でも18歳と20歳でも58歳と60歳でも大して変わらないじゃない」
 変わるでしょ。というかその年齢のピックアップの仕方、謎。……私の周りには常識人がいないとみえる。溜め息をついて、私は言った。
「大体、今度のもデートじゃないし。茉莉ちゃんと彰も誘うんだから」
「彰くんも誘うの? じゃあやっぱりデートじゃない」
 お母さんがさらりと言った。くっ、失恋のことを言わなきゃいけないのか。生傷が痛い。ええいっ。
「彰のお相手は茉莉ちゃんだから」
 お母さんが沈黙した。えーと、茶化して盛り上げるべきなのは今ですよ。
「……あらー」
 本気で残念そうな声を出されても複雑なんですが。
「そっかー、すずちゃん恋には積極的じゃなさそうだもんねぇ。……まあ、大丈夫だよ、お母さんだってお父さんは5人目の恋人だもの」
「あれ、付き合った人数、そんなに少なかったの?」
「もーすずちゃんったら。お母さんは別に男の子を取っ替え引っ替えしたりはしなかったよ」
 意外だ。私はちらりと透子を見た。透子は視線をそらしていた。逃げたな。
「でも朔良くんかー。顔は合格圏だね。性格も悪くないし、いいんじゃない?」
「そんな簡単に決めて良いものじゃないでしょ」
「なぁに言ってるの、そんなに慎重に選ぶほど将来かかってないでしょう?」
 それはそうだけど。
「……でも恋愛感情は抱いてないもん」
「大丈夫、大丈夫。恋なんて思い込みなんだから、自己暗示かけてればいつの間にか落ちれるって」
 なんつー強引な恋なんだそれは。お母さんいつもそんなにロマンのない恋してたの?

 透子が首を傾げ、私を見つめて聞いた。
「涼乃ちゃんはそんなに恋するのが嫌?」
「なんで。ついこの間までしてたよ」
「そうだけど。それとも両想いになるのが怖い?」
「そしたらあんなに落ち込みませんでした」
「じゃあなんでそんなに嫌がるの?」
 私は箸を持つ手を止めた。
「嫌がってないよ」
「嫌がってるように見えるよ。だって涼乃ちゃんずっと逃げ腰なんだもん」
 するとお母さんが口を挟んだ。
「お父さんもそうだったのよー。お母さんが好き好きって言っても、本気にしてない感じで、たまにお母さんの本気を感じるとたじたじになっちゃうの。すずちゃんもきっと同じだよ、ちょっと恋に臆病なの。普段冷静な分、恋をした自分がどうなるか怖いんじゃないかな」
「えーっ、いいじゃん、恋する涼乃ちゃん。透子が涼乃ちゃんの一番じゃなくなっちゃうのは寂しいけど、でもきっと恋をしたら涼乃ちゃんはとっても可愛くなるから大歓迎なのに。涼乃ちゃん、怖がらなくていいんだよ?」
「お二人さん。勝手に他人の性格分析始めないでくださいな」
 ちょっとぎくっとしたけどさ。
「そんな複雑なことじゃなくて。そもそも年齢がネックなんだってば」
「今時、年下の男の子はむしろ流行だよー?」
「そりゃ、シチュエーションとしては騒がれるかもしれないけど、自分の身に降りかかってくると話は別」
「保守的だなー涼乃ちゃん」
 悪かったですね、若いのに古い人間で。言いたきゃどうぞババくさいとでもいいなさい。私はもう開き直ってますから。……本当に言われたらむかつくけどさ。
「とにかく」
 透子がお箸を私に突き付けた。危ないよ。
「朔良くんをあまり軽く見ちゃだめだよ。小学生でも気持ちは本気なんだから」
「……子供の本気なんて一時の気まぐれでしょ」
 お母さんが声を上げた。
「あらぁ、すずちゃんてば、自分だってちびっこのくせにー」
「ちびっこはないでしょう。お母さんはもう大人だからあまり覚えてないかもしれないけど、私達の年頃って、一年歳が違うと全然違うんだから」
「あんまりそうは見えないけどねー」
 そりゃお母さんが鈍いからじゃないですか。
「でも朔良くんはずーっと涼乃ちゃんが好きだったって言ってたでしょ」
 透子に指摘されて私はお箸を口に咥えたまま下を向き、黙っていた。
「一時の気まぐれって感じじゃないと思うよ」
 それでも、朔良はこれからが思春期。子供の恋を忘れて本気になる時だというなら、それこそ朔良は私じゃなくもっといい女の子を見つけると思うんだよね。あの子の想いは、小さい男の子がよく抱く、年上のお姉さんに対する憧れみたいなものだと、そうとしか私には思えない。
 これも、逃げなのかな。なにから逃げてるのかな。でも、全部が逃げじゃない。私の本心からの思いは五割以上入ってる。
「でも、やっぱり子供なんだもん」
 それが大人になり始めている子でも、やっぱり子供だもん。純粋で真っすぐで、私のようなすれた人間には――もったいない。