03-02


 また学校が始まった。二日連続で遊びに出ていて、遊び疲れていた私は寝坊しそうになった。寝坊防止に成功したのは、夢うつつに止めてしまったはずの、目覚まし代わりの携帯がまた鳴り始めたから。出てみたら朔良だった。
「七時半ですよー」
 その声に一気に目が覚め、カーテンを開けたら窓の向こうで朔良がすっかり着替えてランドセルも準備万端な格好で手を振っていた。一歩間違えるとストーカー予備軍なんじゃないのこれ。
 私は朔良にお礼を言うと急いで朝の支度を済ませて階段を駆け降りた。透子も眠そうな顔で朝ごはんをつまんでいた。
「おはよー涼乃ちゃん……」
「おはよ」
 朝ごはん、トーストにバターオンリー。目玉焼きぐらいはついていてほしい。お母さんがいないとやっぱり生活の質が落ちるな。
 それでも食べる物があるだけありがたく飲み込んで、透子と一緒に家を出た。
「透子、私と一緒なんて大丈夫なの? いつもは早いじゃん」
 聞いてみたら透子は緊張感のない顔でいいのいいの、と言った。
「遅刻なしの皆勤賞目指してる訳じゃないし。一回ぐらいいいでしょ」
 そう思ってるといつの間にか十回になるよ。

 透子は駅の方へ向かい、私は学校への道を急ぐ。学校に着いて席に着くと、ちょうど予鈴が鳴った。なんだ、割と余裕だった。
「おはよ。遅かったね」
 百合が声をかけて来た。手にはなんと理科の教科書。
「……勉強始めたんだ」
 私が言うと百合は当たり前だ、という態度で教科書を振って見せた。
「もうそろそろ一週間前だからね。さすがに始めなきゃ」
 といっても教室中で勉強してるのなんて百合の他には三、四人しかいないけど。まあ、明日にはまた増えるんだろう。

 すると、まだチャイムが鳴っていないのに担任が入ってきた。
「おーい、席につけー。転校生だぞー」
 教室が一瞬静まり返った。なんですかそのどっきり発言は。次の瞬間、教室中にブーイング。
「はあ? 転校生?」
「聞いてないぞ先生ー」
「嘘、転校生? マジで?」
「男? 女?」
「へえ、こんな時期に」
 皆さん好き勝手叫んでいる。
「静かにしろー、紹介してやらないぞー」
 呑気な担任はのんびりそう叫び、不平をぶつぶつ言いつつ、クラスメイトたちは席に戻っていった。
 先生に続いて入ってきたのは、男の子だった。なんかちょっと不良っぽい雰囲気。怖っ。男子がひそひそと、なんだよ男かよ、と呟いているのが聞こえた。
「えー、今日からうちのクラスに入ることになった久世弘一(くぜ ひろかず)くんだ。出席番号がずれるから、く以降の名前のみんなは注意しろー。では久世くん、一言どうぞー」
 転校生はにこりともせずに頭を下げた。
「久世弘一です。よろしくおねがいします」
 なんという無愛想。新しい環境に入って初っぱながこれでは、この人苦労するだろうな。その時、私はその顔に見覚えがあるような気がした。誰だっけ。

 久世くんの席は百合の隣りに決定した。目があまりよくないので前の方がいいらしい。私の斜め前だ。
 私は斜め四十五度後ろからのその顔をとっくり眺め、どこで会ったのかを必死に思い出そうとしていた。別に見目が悪い訳ではなく、むしろ整っている方かもしれない顔だけど、なにせ特徴のない顔なのだ。不良っぽいという以外は。どこだっけ。
 そんなことをしていたものだから、休み時間になって文子に小突かれた。文子は私よりさらに後ろの席なので、授業中ずっと私を観察していたらしい。
「涼乃ぉー、どうしちゃったの、一目惚れ?」
「……はあ?」
 こういうからかいは、全くその気がない本人としては迷惑以外の何物でもないことが多い。
「想像力豊かですこと……」
 大袈裟に溜め息をついてみせたら文子は頬を膨らませた。
「何さー。新しい恋が古傷を埋めることになったら、っていう親友の気遣いが分からないの?」
「……つい昨日まで朔良のこと言ってたくせに、今度は転校生にのりかえろと」
「いいじゃん誰でも」
「良いわけないでしょ」
 やっぱりちょっと文子の将来が心配だ。
「で、惚れたんじゃないならなんであんなに転校生くんを見つめてたの?」
「いや、ね、どっかで見た顔だと思って」
「そう?」
 文子も、改めてという様子で、積極的なクラスメイトに話しかけられている久世くんに視線を向けた。
「あれ、私も見た気がする」
 文子が呟いた。
「誰だっけ」
「小学校の時に引っ越していって戻って来た子とか」
「えー、久世なんて名前のっていたかなぁ」
 その時、久世くんに話しかけていた男子が声を上げた。
「こらぁ、三井に夏目、じろじろ見てんじゃねーぞー。なんだ、久世に興味あるならこそこそしねぇで正面から当たれー」
 やれやれ、どいつもこいつも色気づいてるね、そんなに恋愛にもっていくのが好きなのか。おかげで久世くんまで振り返って私たちの顔を見た。仏頂面でじっくり見られるのはあまり良い気分じゃない。文子が「ばっかじゃないの」と男子をあしらっている間、私と久世くんはにらめっこをしていた。
 そして、久世くんと私は同時に「あ」と声を上げた。
「男子D!」
「携帯番号の女」
 ……お互いロクな覚え方してないな。文子がやっと気づいたように言った。
「携帯て……あ、昨日の鉄仮面!」
 文子よ、お前もか。本当にロクな覚え方をしてない。
「すごー。同じクラスに転校して来るなんて!」
「なんだよ、知り合いかよ」
 ちゃかして来た男子がつまらなそうな声を上げた。文子が悪乗りする。
「そうそう、私たち、ナンパされたの」
「うげっ、まじかよ。久世くん、こいつはやめとけよ」
「こら、もっぺん言ってみなさいよ!」
 文子が拳を振り上げるまねをすると、クラスメイトはひーと言いながら笑った。
「というか、ナンパは勝手に友達が言い出しただけだからな。俺は嫌だって言ったのに」
 ぶすーっと久世くんはそう言う。あんまり女の子には興味がないんだろうな。

 そういうわけで、知り合い扱いされた私と文子、そして百合までもが久世くん歓迎のお昼のランチタイムには久世くんの近くに配置された。久世くんは嫌がりはしなかったけど、興味も無さそうな感じ。でも、態度やつまらなそうな表情に見える割に、人付き合いはいいみたいだ。携帯の番号だってすぐに交換に応じたし、無口な訳でもない。
 すぐにクラスに馴染むだろうなという印象は受けたけれど、やっぱり少々他人に対する興味は薄い感じだ。まず愛想はやっぱりない。その代わり媚びるようなようすがなくて、誠実そうな人だった。以上が私の転校生分析。

「それにしても、昨日たまたま会った子が転校して来るなんてねぇ」
 帰り道で百合が感慨深そうに言った。
「しかもそれがナンパしてきた子って所が微妙なんだけどね」
「あの子はナンパを止めた方でしょ」
 久世くんの名誉のためにも私は弁解してみた。まあねぇ、と百合が呟く。えーっと文子が声を上げた。
「止めたのは私でしょ」
「なんで」
「私が偽の番号を渡したおかげだからだよ」
「アヤが渡したのは偽の番号じゃなくて涼乃の番号でしょ」
 百合がすかさず突っ込んだ。そうそう。まあね、ちょっと申し訳無さそうな顔をしていたから反省したんだって信じてあげるけど。
 そのとき、私の携帯が鳴った。メッセージみたいだ。開いてみたけど、知らない番号から。迷惑メールかもしれないけど、一応確認してみる。

 塾の道具置き忘れてる 久世

「げ」
 私は思わず鞄の中を確かめた。確かに学校の休み時間にやった塾の道具がない。しまった、明日塾のテストなのに。
「どうしたの?」
 文子が聞いてきたので、私は手短に説明した。
「忘れ物したみたい。ごめん、先帰って」
 学校に戻りながらふと思った。なんで久世くんが私の番号知ってるんだ。……あ、文子の嘘を暴いた時に私にかけたんだっけ。それで番号が残ってたのか。

 校門まで戻ると、久世くんは校門で待っていた。私の姿を見つけると、無言でずいっとノートとテキストを差し出す。
「あ、ありがとう……わざわざここで待ってなくても、教室に置いといて放っといてくれてても良かったのに」
「教室、演劇部が使ってる。劇の練習の中に入るのは気まずいだろ」
「そ、そう……」
 私は走ってきたせいで乱れた息を整えた。
「ごめんね。助かった、本当にありがとう」
 久世くんは頷いただけ。そして短く言った。
「また明日」
「うん。また明日」
 私も言って、本日二度目の帰り道を辿る。
 ……あれ、久世くん同じ方面じゃないの。気まずいなぁ。
 何を話そうかぐだぐだ考えていると、正面から自転車の上で手を振ってる誰かがくるのが見えた。
「すーずーのー!」
 朔良だ。私は目を瞬く。朔良はあっという間に私の正面まで来て、自転車を止めた。
「どうしたの」
 私が聞くと朔良はカゴ付自転車を指差して言った。
「見たまんま。おつかい。で、涼乃がまだ帰ってないみたいだったから、ちょっと回り道して中学まで行こうと思って」
「……それはどうも」
「で、そちらさんは?」
 朔良は笑顔で久世くんを指した。……目ざといな朔良。表情は笑っているけど、かなり目が久世くんを警戒しているのが分かった。
「久世くん。今日転校してきた子」
「へえ。どうも、こんにちは。高城朔良です。涼乃のお隣りさんです」
「こんにちは」
 久世くんも少し頭を下げ、表情を緩めた。年下にしかめっ面するのはやめたらしい。まあ、それに朔良がにこにこしてるからね、つられたのかも。
 そして久世くんが私に聞いた。
「高城、ってうちのクラスの……」
「あ、うん、そう、高城彰の弟。久世くんすごいね、もうクラスメイトの名前覚えてるんだ」
「高城くんは最初に話しかけてくれたから」
 そして久世くんは朔良を見た。
「お兄さんに似てますね」
「よく言われます」
 朔良は、まあ表面上は屈託のない笑顔を浮かべ、そして私の腕を引いた。
「ねえ涼乃、30分で済むからおつかい手伝ってよ」
「えー……制服で買い物行くのは好きじゃないんだけど」
「いいじゃん、どうせ涼乃も帰った後に買出しに行くんでしょ。自転車の後ろ、乗っけてくから」
 またそれか。
「買い物袋がプラスだと、余計に重くなるよ?」
「乗ってるのが涼乃ならなんでも平気」
 こらー! 知り合ったばかりの子の前でそういうこと言うな!
 ここで粘ってもたぶん朔良は諦めないだろう。よけいに恥ずかしい思いをするだけなら、さっさと折れることにした。
「わ、わかった。じゃあお邪魔します」
「そうこなくっちゃ!」
 自転車の後ろにまたがると、私は少し申し訳ない気分になりながら久世くんに手を振った。
「じゃあ、ごめん、今度こそまた明日ね」
 久世くんは少々面食らった顔をしながら、頷き、私と朔良に手を振った。

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