03-03

 いまさらながら気付いたことがある。私と朔良の関係って、本当に中途半端だよね。それを再認識したのは、朔良を久世君に紹介しようと思った時に、なんて言えばいいのか一瞬迷ったからだ。――ただの幼なじみ、と言い切るには朔良の態度は露骨すぎるし、お隣りさんは少々他人な感じだ。当然だけれど付き合っていないので彼氏とも言えない。
 一度、はっきり断った方がいいんだろうか。
 そう思いつつ言えなかったのは試験が始まったからだった。私の机の上はプリントで一杯になり、数学のプリントを探せば英語のプリントが雪崩を起こすというありさま。塾も休んで試験に集中した。
 試験の時の常で、私と文子と百合はお互いにメールを送り合い、試験範囲の確認やプリントの埋め損ねた穴の答えを聞き合ったり応援し合ったりした。さすがに文子もちゃんと勉強しているみたい。
 驚いたのは久世くんからもメールがきたこと。まあね、まだメルアド知ってるクラスメイトが少ないだろうから、私しかいなかったのかもしれないけど。
 まともに生活した記憶がないまま、栄養ドリンクを相棒に耐えた試験の3日間は終わりを告げた。期末ならこのまま試験休みとしゃれこむところなんだけど、中間なのでそういうわけにもいかず、翌日から平常授業。殺す気か。
 さすがにクラス中がぐったりしていた。

 そして今度は恐怖の答案返却が始まる。仕事の早い先生は試験が終わった次の日からもう答案を返し始めていた。頑張った成果か、今回は割とよかった。ふぅー。特に英語が上がっていた。壱原さんに集中的に教えてもらったところだ。

 嬉しかったので、答案が帰って来た日、私はまた彰と朔良のところにお邪魔して結果報告をしに行った。
「先生! おかげさまで結果は上々です!」
 答案を見せると、壱原さんは嬉しそうに笑って「おー」と言った。
「92点か。うんうん、上々だね」
「このまま1年半頑張れば、桐ヶ丘行けますかね!?」
「このまま頑張ればね。気を緩めたらだめだよ」
「はい!」
 嬉しかった。
「うわぁ、負けた」
 隣りで聞いていた彰はぽりぽりと頭を掻いていた。
「何点だったの?」
「……悔しいから涼乃には教えない」
「えー、何でよ、いいじゃん」
「だって涼乃は三日間しか先生に教えてもらってなかったのに」
「他の科目は彰の方が点数良いんでしょ」
「……じゃあ数学は?」
 ぎく。
「そ、それは今回悪かったんだ……」
 悪すぎて言いたくない。私があははと苦笑し、今度は彰が逆に私の点数を聞き出そうとニヤニヤし始めた時、朔良が飲み物を持って入って来た。自分と私には麦茶、彰はカルピス、壱原さんにはただの水。最近では私が顔を出すと朔良も必ずくっついて来るようになった。……なんというか、あまりに露骨すぎて恥ずかしい。
 彰は朔良にテストの点数を聞いていた。小学校でもテストがあったらしい。朔良は得意げに笑って「百点」と言った。くそぅ、中学と小学じゃ比べられるものじゃないけど、なんだか悔しい。
 そこで朔良がいきなり言い出した。
「兄貴、兄貴のクラスに転校生が来たって?」
 ……まさかこの前たまたま一緒に帰ったってだけでやきもちを焼いて、彰から久世くんの情報を聞き出そうとしてるんじゃないだろうね。
「ああ、うん、久世弘一っていうんだ」
 彰は全くそんな事情を知らないから普通に答えた。
「何、涼乃から聞いたの?」
「それもあるけど、うちの学年にもね、一組に久世っていうのが転校して来たんだ」
 それは初耳で、私も彰もへぇっと言って目を丸くした。
「久世弘美さん。妹かな」
 朔良が言って小首をかしげる。ちょっとその仕草が可愛かった。彰は頷いて言う。
「じゃないかなぁ。妹がいるって言ってたから。そっか、朔良と同じ学年なのか」
「うん。すっごい明るい子だよ」
「明るい……」
 私と彰は顔を見合わせた。久世くんはお世辞にも明るいとは言えないと思う。似てない兄弟なのか。うちの姉妹もあんまり似てないけど。
「その妹さんとは話したことあるの?」
 彰が聞くと朔良はうんと頷いた。
「うちの近所に住んでるみたいでさ、2回一緒に帰ったよ」
 朔良の発言に私は一瞬、飲んでいたお茶を吹き出したくなった。た、たぶん動揺は顔に出なかったはず。
「涼乃さん、どうかした?」
「うぐっ」
 壱原さんに言われて、二度目、吹き出しそうになった。……顔に出てたか。壱原さんは鋭すぎる。
「いえ、ちょっと喉に飲み物が詰まりかけただけです」
 自分でも何に動揺したのかよくわからなかったけれど、なんというか……それ、深い意味はないんだよね、朔良?
 私はなんとか自然に見えるような笑顔を作って、それから壱原さんに改めて頭を下げた。
「とにかく、本当にありがとうございました。先生のおかげです」
「いえいえ。あの、涼乃さん、先生じゃなくて名前でいいから」
「あ、はい。……いやぁ、透子がいつも先生って呼んでるんで……」
 あれ、言ってはいけない話題だったろうか。彰と朔良がそろって壱原さんに注目した。視線を浴びた壱原さんは、はっとしたような顔をすると、困ったように頭を掻く。
「透子さん、僕の話をしてるんだね」
「はあ……まあ、遊びに行った報告を一方的に」
「えーと、じゃあ、ゲームのこととかは」
「はい? ゲーセンに行ったときの対戦報告とかの話ですか?」
 そんな話は聞いていないが。なんのゲームなんだろうと思って目を瞬いたら、壱原さんはいや、と言って苦笑した。
「別に。大したことじゃないよ」

 そしてそのまま六月に入ったある日。久世くんはいつの間にかクラスに馴染んでいて、それでも転校生という属性と少々とっつきにくそうな印象によってこっそりクラスの女子の話題に上る男の子になっていた。私は相変わらず変らぬ日々。少し変ったことと言えば、時々帰り道が久世くんと一緒になってしまい、百合や文子と一緒にどうしようかと困ることがあったということくらい。
 朔良は私の帰りが遅いと色々な理由をつけては私の通学路をうろうろしているようだ。私は最近、ちょっと朔良のストーカー属性を疑い始めてる。……いや、陰湿なものじゃないんだけどね。
 とはいえ、私もやっぱり朔良に甘いと思う。つきまとわれても文句言わないし、むしろ高城家にお邪魔することが増えた。これは透子もしかりだけど。最近は一緒に高城家に転がり込んだりもしている。
 透子は本当に壱原さんにターゲットを絞ってるみたいだけれど、どうやら壱原さんは難攻不落のようで、透子は最近はちょっと不満が募っているようだった。それでいいんだけれど。透子、早く諦めないかな。絶対迷惑だって。
「だってしゃくなんだもん。この透子がだよ、一カ月もくっついてて落とせないなんて!」
 おいおい。しかし、態度が明らかだったけれど、透子自身の口から「狙ってます」宣言が出るのは初めてだった。妹としては、ひきつりつつ笑うしかない。

 とりあえずこの日、私は朔良にねだられ、プラス透子のお目付役として高城家におじゃました。そしたら予想外の人と出会った。
「あ」
「え」
 彰の部屋で飲み物を前に座っていたのは久世弘一くんだった。
「久世くん、なんでここに」
「俺はただ……」
 ちょっと戸惑っているような久世くんなんて初めて見たかもしれない。そこへタイミング良く彰が現れた。
「ああ、久世くんは壱原先生に会いに来たんだ」
「壱原さんに?」
 どういう繋がりだ。
「久世くんも家庭教師をつけるのを考えてるんだって。ほら、壱原さんは個人でやってるだけだから授業料もちゃんとしたところより安いでしょ。だから僕が紹介しに」
「ああ、そういうことね」
 私は納得したけれど、なんでこうも奇妙にこの人は私の前に現れるのかなぁと思ってしまった。家が近いからか?
 透子が横から顔を出す。
「涼乃ちゃん、知り合い?」
「うちのクラスの転校生。転校して来たのは2、3週間ぐらい前だけど」
「ふうん。あ、夏目透子っていいます。涼乃ちゃんの姉です。透子たち、隣りに住んでるんだよ」
「……そうなんですか。よろしくお願いします」
 そして極め付けがやって来た。
「涼乃? 来たなら一声かけてよ」
 朔良まで登場。本当にこの家って賑やかだ。……主に私たち姉妹のせいなんだろうけど。
「あ、久世さんこんにちは」
 朔良は久世くんを見てそう言った。顔、覚えてたんだね。多分彰から来るってことを聞いてたんだろう。久世くんは軽く頭を下げた。
「妹がお世話になってます」
 小学生に対しても礼儀は守る人らしい。朔良はいえいえ、と明るい笑顔で返した。
「そんな。転校生なんですから、お世話して当然ですよ」
 お世話って、世話焼いてるのか、朔良。隣りのクラスの子の? しかも、久世くんが朔良の名前を妹さんから聞くくらい、頻繁に? なんかちょっと気になる。

 そして時間通りにやって来た壱原さんは、大所帯をみて目を瞬いた。
「今日はまた随分と賑やかだね」
 すみません。
「先生、こちらが今日見学に来た久世くん」
 彰が紹介すると、壱原さんはにっこり笑って挨拶した。
「こんにちは、壱原敦人です。よろしく」
「久世弘一です」
 久世くんも言って握手に応じた。そして、ちらりと私と透子を見る。
「……夏目はもう知り合いなのか」
「え? あ、うん、よく遊びに来るから」
「ふうん……」
 私たちが壱原さんに挨拶しないので不思議に思ったのだろう。

 彰たちが勉強している間、私はお邪魔だといけないので朔良の部屋に待機していた。朔良は私について来た。透子は壱原さんについていった。自分も教師のまねごとをするとか言っていたけど、透子、普段勉強してないくせに務まるのかなぁ。それに壱原さんの誘惑にかまけて営業妨害をするんじゃないかと心配だったので、彰には透子が何か問題を起こしそうになったら私を呼ぶように頼んでおいた。
 朔良の部屋で二人きりになると、随分静かになった。
 朔良は宿題を持ち出して来て、私に聞く。私も宿題を持って来ていたのでやりながら時々朔良の質問に答えていた。
「朔良、久世くんの妹さんとは仲良いんだ?」
 特に深い意味で聞いた訳ではなかったのに、朔良はにやっと笑った。
「やきもち?」
「自惚れなさんな」
「えーじゃあなんで気にするの?」
「意外だっただけ」
「ふうん」
 そして朔良はずいっと身を乗り出して来た。
「そういう涼乃は? お兄さんの方と仲良さそうだったけど?」
「……朔良のは完璧にやきもちだね」
「そりゃあやきもちくらい焼くよ。それにあの人は急に出て来たし、その分危険度が未知数で嫌だ」
 きっぱり言ったな。
「嫌だとか言わないの、他の人のこと」
「ちょっと警戒してるだけだよ」
 本当に正直なやつ。まあ、私は下手に思わせ振りに遠回しに何かを言われるより、ずばりはっきり正直に物を言われる方が好きなんだけどね。……自分ではできないけど。
「そもそも久世くんとは、別に特別仲がいいわけでもないし、あちらさんだってそんな素振りはないでしょうが」
「……あるんじゃないの」
「え?」
 朔良が真顔でそう言ったので私は面食らった。
「あ、あるって?」
「少なくとも涼乃に興味は持ってるみたいだったよ」
「まさか」
「ほら、涼乃はそうやって逃げて、見ようとしてないんだ」
 ちょっとむっとした。
 朔良の正直さは好きだ。素直に感情を表すところも好きだ。言いにくいこともずばっと言ってくれるから、はっとすることも多い。けれどやっぱり、こんなに好きだと言われ続けるのは、後ろめたいような。申し訳ないような気分になる。それだけならよかったけど、ここまで敏感に嫉妬されるのはちょっと怖いし嫌だった。
「だったら逃げないで言うけど」
 私はシャーペンを置き、朔良を正面から見つめた。私が少し不機嫌になったのを感じたんだろう、朔良がぴくりと震える。
「悪いけど、私は朔良の彼女じゃないし、今のところなる気もないよ。朔良のこと、好きだけど、恋愛の好きじゃない。だから」
 朔良の表情が硬くなっていくのが、少し悲しかった。
「あんまり大っぴらに付きまとわないで。それと、あんまりそうやって勘ぐらないでくれると嬉しい」
 隣りの部屋から聞こえてきた透子の笑い声が、ひどく場違いだった。

 朔良がポツンと言った。
「ごめん」
 その声で少し、ぎくりとした。……謝ってほしい訳じゃなかったんだけどな。
 言わせたのは自分なのに、私はなんだか自分が悪者みたいに感じてしまった。

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