03-04


 あれから朔良のくっつき行為は減った。喜ぶべきなんだろうけど、何か複雑だ。押してダメなら引いてみろっていう言葉があるけど、本当に効果あるのかもね。だって煩いほどに好いてくれていた相手が突然消えればやっぱり気になるものだ。日課を突然辞めたりする感覚と似てる。そうさ、慣れの問題さ。慣れてたから違和感あるだけなんだ。
 ……どうにも自分を無理やり納得させてる感じに聞こえてしまうけれど。

 六月は特にといった行事もなく、淡々と過ぎて行く。私はなんでもない日常を送りながら、原因不明のかすかなもやもやを抱えていた。大学生じゃないけど五月病かな。……もう六月なんだけどな。
 そういえば、久世くんは壱原先生の授業を取ることにしたみたいだ。うん、壱原さんは本当に教えるのが上手いからね。そのうち個人塾とか開けるんじゃないかな。……そしたら透子も押しかけなくなるだろうし、いいかも。

 ある日の帰り、私は彰に呼び止められた。久世くんも一緒に、帰りにどこかの喫茶店にでも寄って行かないかと言う。私はちょっと迷った。最近お金を使い過ぎて金欠気味なのだ。
「うーん……ごめん、私今、懐事情がよろしくなくて」
「じゃあ僕がおごるよ」
「え、や、それは」
「いや、俺がおごるよ」
 久世くんが横から口を出した。
「高城、昨日今週の小遣いがなくなりそうだって言ってただろ」
「……そ、そうだけど」
「気にすんな。おごるのは夏目の分だけだよ。お前の分はおごってやんないから」
 彰が苦笑した。
「それなら、お言葉に甘えて。涼乃の分は任せたよ」
「あ、あのあのっ……」
 何勝手におごり合戦してるんですか。悪いから自分で払うよと言いたかったのだけど、これで決まりだと言わんばかりに久世くんは行っちゃうし、彰も私に肩をすくめて見せるとそのまま久世くんを追いかけた。まあいいか、女の子で得したと思っておこう。

 結局、以前壱原先生に紹介してもらったお店に行くことになった。案内してくれたのは彰。この店知ってたんだなぁと思った。壱原さんに教えてもらったのかもしれない。店に入って席に着く。私はカプチーノを注文した。これ一杯で粘ってやる。
 注文の品が来ると、私たちはとりとめのない雑談を開始した。私は二人のどちらかが私に用があるから、私を誘ったんだろうと思っていたのだけど、どうもその用件を切り出す様子がないので聞いてみた。
「ところで、なにか相談でもあるの?」
「え?」
「だって、彰から喫茶店に誘ってくるなんて珍しいなと思って。なにか相談があるんじゃないの?」
「いや、僕は特に。涼乃と話したければいつでも話せるし」
 ……クラスも同じで家もお隣だもんね。
「じゃあ、久世くんが何か私に用でも?」
 彰が久世くんを見た。
「あるの? 喫茶店に行こうって言い出したの久世くんだったし」
 そうだったのか。一瞬、私を誘おうと言い出したのはどちらなのかが気になったけど、聞いたらいろいろと煩悩が増えそうなので黙っておいた。
「いや……」
 話を振られた久世くんは言いよどむ。
「言いにくいこと?」
「……まあ。すげー馬鹿に聞こえるのは分かってるから、言いたくないというか」
「言っちゃえば? すっきりするよ」
 言ったのは彰だった。
「涼乃は聞き上手だし、親身になって一緒に考えてくれるよ」
「あ、彰……」
 恥ずかしいです。さらりと人を褒めるのも彰の特徴だった。目が合わせられないので、自然と視線が久世くんに向かう。久世くんは少しだけ苦笑すると、首を横に振った。
「やめとく。場所が悪いし」
 まあ、公共の場所だものね。

 それならいいけど、と結局そのままとりとめのない話題で話をつないだ。中間が終わったばかりのような気がするのに、もう期末が迫ってきていること、学校の先生の噂、話題になっている芸能人のこと、地元ネタ。
 久世くんはさっきの言いたくないっぷりから打って変わって、結構よくしゃべった。さっきのは相当口にしにくい話題だったんだろうか。まあ、よく考えてみれば、そこまで仲が良いわけでもない、たかがクラスメートの一女子に相談を持ちかけるのも微妙なんだけどね。

 そうしているうちに、元々怪しかった雲行きが完全に「怪しい」から「完全に雨雲」になり、ついにはぽつぽつと水滴が店の窓ガラスを叩き始めた。
「あ、降り出した」
 彰の呟きが合図で、私たちは立ち上がった。これはまずい。大降りにならないうちに家にたどり着かなきゃ。
「彰、傘持ってる?」
 聞いてみたら、彰は言いにくそうに言った。
「ごめん、忘れた。学校出るときは、降らないかなーって思ったし、涼乃が持ってるかなって思ったから……でも、聞くってことは持ってないってことだよね」
「うん……ごめん」
「いや、涼乃が謝ることじゃないし」
 これは困った。お隣りさんだから家まで傘に入っていけると思って期待してたんだけど。そして相合傘にもちょっと期待してたんだけど。
 久世くんが店の外を覗いて言う。
「すぐそこにコンビニがあるし、俺が傘買うから、入ってくか? 家、途中まで一緒だろ」
 たが、さすがにそこまでお金を使わせてしまうのは悪いし、一つの傘に三人は無理だろう。
「無理でも入るしかないだろ。濡れて帰るよりはマシだ」
 久世君は言って、それに、と付け足した。
「遠慮ならする必要ない。今度何かおごってくれたらチャラにするよ。それに、どうせ傘を持つ俺が中央だから、俺は濡れない」
 ははは、と彰と私は笑った。確かにね。これは久世くん流の気の遣い方なんだろうなと思った。
「私は大丈夫だよ。透子が家にいるかも。私、迎えに着てくれないかどうか頼んでみるよ」
「ああ、その手があったか」
 彰もほっとしたように言った。
「僕も、母さんか朔良が家にいないかどうか電話してみるよ」
「……いいのか。ここから家、結構遠いだろ。迎えに来るほうも大変だぜ」
「三人で傘におさまるよりはマシだよ」
 彰がいうと、久世くんは肩をすくめた。
「二人がそういうなら別にいいけど」
「久世くんは? 妹さんに電話とか」
 私が聞いてみたら、久世くんは溜息をつきつつ言った。
「うちの妹はわざわざ兄貴を迎えに来てくれるような妹じゃない。ちなみに両親は共働き」
「そ、そうですか……なんだったら、うちのお姉ちゃんに一本多く持ってきてもらうから、傘貸そうか?」
 え、と久世くんは目を瞬いた。
「や……でも」
「待ち時間20分でよければだけどね」
 久世くんは少し考えたが、微笑んでうなずいた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」

 そういうわけで、私たちはもう20分待つことになった。彰のお母さんはどうやら近くの店でちょうど買い物をしていたらしく、5分くらいで彰を連れて行ってしまったけれど。おばさんも1本しか傘を持っていなかったので、私は久世くんと二人で待ちぼうけになった。
 正直気まずい。彰がいる時は、彰が私と久世君の間でクッションになっていたけれど、私は特別久世くんと仲がいいわけじゃないのだ。何を話したらいいものやら。
 目の前を、長靴を履いて水溜りで跳ねながら、傘を危なっかしく振り回している子供たちがいた。家族連れだろう、お母さんたちらしい人たちが後ろから付いていっている。年下と思われる男の子が、年上のほうの女の子に向かって叫んでいた。
「ゆみちゃん、しょうらいはぼくのおよめさんね!」
 女の子のほうは、本気にしているのかしていないのか、うんわかったと即答していた。見ていてちょっと笑みがもれた。
「ああいうのって可愛いよね」
 なんとなく、言ってみる。
「でもあの子は、将来自分か相手の気が変わるって言う残酷さも学ばなきゃいけないわけだよねぇ」
「子供の時の口約束なんて、所詮ごっこ遊びだよ」
 久世くんが、予想よりなんだか冷めた口調でそう返事してきたので、私は思わず隣の彼を見上げた。久世くんは地面を見つめてぽつんと言った。
「……小さいころ、そう約束した再従姉はその翌年結婚した」
 えええぇぇぇ。
「そ、そうなんだ……」
 経験者だったのね。っていうか、1年後に結婚するような年齢のお姉さんが好きだったんですか。まあ、子供のくせにそういうことを言うのは、朔良も似たようなものか。私はその類の約束なんてした記憶はないけど。
「何気にショックだったんだね……久世くん、けっこう純情?」
「ほっとけ」
 私はちょっと笑った。
「恥ずかしがらなくても良いんじゃないの。笑い話にできるなら、もう平気なんでしょ」
 久世くんは少し意外そうに私をちらりと見て、何も言わずに雨に視線を戻した。私も雨を眺めていた。そう、笑い話にできるようになれば大丈夫。彰のことも、いつか笑って、本人にも冗談として話せるようになれると良いんだけど。

 ちょうどその時、透子の声がした。
「涼乃ちゃーん!」
「あ、透子だ」
 私は手を振り返そうとして、一瞬固まった。後ろにいるのは壱原さんですよね? 透子?
 ……………………。
 …………。
「何やったの」
「いやだなぁ涼乃ちゃんっ。仕事もないし授業も午前で終わりだって言うから、透子のお迎えに来てもらっただけだよ」
「……高校まで?」
「そっ。そのついでにうちでお茶のおもてなし」
 てへっ、と効果音がつきそうな仕草で透子は舌を出した。……ななななんということをしてるんだ透子。大学生を運転手扱い! もう壱原さんには百回ぐらい謝っておかないと。そういえば久世くんが目を点にしている。ほらぁぁ、壱原さんは久世くんの先生なのに、透子が先生の威厳を台無しにしちゃったじゃないの! 名誉毀損もいいところだ。
 透子の小悪魔っぷりに動揺していたところで、私はその透子の「小悪魔」ではなく「悪魔」な視線が久世くんに向けられているのに気付いた。
「ねえキミ、この前彰くんと朔良くんちにいたコだよね?」
 透子が目の笑っていない笑顔で久世くんに聞いた。あ、これはまずったと私は悟った。
「久世くんだっけ? 雨の中でお待たせしちゃってごめんね?」
 ごめんねの目じゃない。私が透子ストッパーを発揮しようとした時、透子が私のほうを向いた。ギクッとした。矛先が私に変わったか。
「涼乃ちゃん」
「は、はい」
「どれくらい待ってたの?」
「15分くらい……?」
「涼乃ちゃん」
「は、はい」
 透子は結構真剣に、言った。
「朔良くんにこのこと教えちゃだめだよ?」
 私は、目を瞬くしかなかった。