03-06


 結局、車の中で言い合ってから透子とはちょっと微妙な感じになっていたのだが、私はもう透子に対して怒っていなかったし、透子もあの性格で姉馬鹿なので、すぐにまた「涼乃ちゃーんっ」と語尾にハートマークをつけたような調子で抱きついてくるようになった。ねちっこくない姉でよかった。
「涼乃ちゃんが、本当にあの子を何とも思ってないならいいよ」
 と、条件付ではあったけど。まるで浮気を牽制する彼氏のようだ。
「ちょっと気にし過ぎ」
「だってぇ」
「透子は私の彼氏じゃないでしょ」
「彼氏じゃなくてもお姉ちゃんだもん」
「だから何?」
「涼乃ちゃん冷たーいっ」
 なぜそうなる。
 透子は不満そうに唇を尖らせた。
「小さいころは涼乃ちゃんのほうが透子にべったりだったのに。なんか立場変わっちゃったよねぇ」
「成長したからね。……そういえば透子も昔はもうちょっとクールで大人っぽかったような。退化した?」
「涼乃ちゃんひどいっ!!」
 いつもいじられるほうなので、ちょっと透子をいじれて楽しかった。

 そして、幸い、私の自己申告通り、久世くんとは引き続き何もなかった。6月は祝日も何も無い代わりに淡々と過ぎていくので、ぼんやりすごしていると、気がつかないうちにまた試験だ。
 特に目新しい事件も無く、目新しい出会いも無く、目新しい発見も無い毎日を過ごしていた六月下旬、くっつき行為を自重していた朔良が久々に提案をした。
「涼乃、夏休みの塾の予定はもう分かってる?」
「まだだけど?」
 そう答えたら朔良は「そう」とちょっとだけ残念そうに言った。
「じゃあ、わかったら25日が空いてるかどうか教えてね」
「……なんか用でもあるの?」
「花火大会」
 朔良は短く言った。
「……一緒に行かない?」
 強引に行こうと言われると思っていたのだけれど、しおらしく出た。ちょっと心が揺れた。強引に出ると私に嫌われると思っているみたいだ。正直、可愛い。
「空いてたらね」
「二人で……とかは」
「中学生女子と小学生男子じゃ危険でしょ」
「涼乃ってホント、理性的だよね」
 朔良は苦笑し、それ以上「二人で」を持ち出さなかった。
「じゃあ、この前と同じメンバーとか」
「茉莉ちゃんと彰と、私たち?」
「そう」
 頼れそうな男が一人だけっていうのもちょっと不安だけど、まあいいか。
「透子おねえちゃんは壱原先生と?」
「知らない。透子のことだから、花火大会なんてデートチャンスは絶対逃さないだろうけど」
「どうせなら一緒に行けないかなぁ」
「何、朔良、透子のことそんなに好きだったっけ」
 朔良は唇をとがらせた。
「そういうことじゃないよ。もう、自分のことが好きな男にそういうこと言うかな」
「あんまり好き好き言われてると実感なくなる」
「最近あまり言ってないから、じゃないの?」
 ちょっと、そうかもしれないと思った。
「私としてはこのままの方が精神衛生上ありがたいんだけど……」
「涼乃の弱虫」
「なにそれ」
 苦笑交じりに言ったのだけれど、朔良は冗談でも減らず口でもなく真剣に言ったみたいで、ものすごく真っすぐな瞳で見つめられた。……痛い。
 弱虫か。確かに私は弱虫だ。家庭が平和で人間関係の悩みも少ないから、人との繋がりに変化が起きるのが怖い。恋というのが激しい感情だと知っているからこそ、それを真っすぐぶつけられるのが怖い。朔良から逃げたくなるのは、紛れも無く、朔良が直球過ぎるからだ。思わせ振りにほのめかす程度なら、逃げ腰にならなくても済んだのに。正直なのは好きだけど、恋愛が絡むとちょっと事情が違う。
「……私に、受け止めろって言うのは無理だよ」
「そんな受け身の反応を期待してるんじゃないよ」
「だから、朔良の期待には応えられないって言ってるじゃないの」
 朔良が黙った。子供の膨れっ面というより、討論の席で反論を封じられたという風情。
「私がまだ返事してないみたいに振る舞うのは、どうして? ごめんなさいって言ったじゃない」
「……だって、理由が納得できないよ。小学生だから、って言うなら小学生の属性を取った俺ならどうなの? って聞きたくなるんだもん」
「それは不可能でしょ。中学に上がったら私も、分かるかもしれないけど」
「あと9カ月も待てない!」
「それくらい待てない男の子は、私は却下」
 むう、と朔良は膨れた。こちらは普通に子供の膨れっ面。
「だったら、これくらい察してよ。待ち切れないけど待つから、ちょっとはこういうイベントとか、遊びの誘いを聞いて欲しいって事」
「あー……うん、でも誤解されるほどの頻度になると困るんだけど」
「一月に1回ぐらいしか誘ってないじゃん!」
「えーと、まあ、それくらいならいいけど」
 あまり熱心に頼み込まれると突っぱねられなくなってくる。あーあ、私将来は押し売りに押し切られるタイプだな。
 私の色良い返事を聞いた朔良は目を輝かせ、ついでに調子に乗った。
「んで、できれば二人きりで」
「それはダメ」
 すっぱり。

 花火大会のことは、茉莉ちゃんにも言った。私がお誘いをかけたら、すごく喜んでいた。
「行く行く!」
 ああ、男ならイチコロですね、この笑顔。
「朔良くんも来るんだね。高城くんも?」
 高城兄の方だよね。
「彰ならこれから誘いに行くよ。屋台とかも出てるだろうし、二人になれる時間、作ってあげるから心配しないで」
 茉莉ちゃんはぽっと顔を染めてはにかんだ。
「涼乃ちゃんたら……うん、ありがとう。頼りにしてるね」
 ふふ、と笑った私の背後で、久世くんの声がした。
「花火大会、行くのか、夏目」
 茉莉ちゃんが少し驚いた顔をした。突然でびっくりしたみたいだ。
「あ、うん。彰とか朔良も誘って。ああ、この子は瀬川茉莉ちゃん」
「よろしく」
 かなーりぎこちない笑みで、久世君は頭を下げた。女の子との人付き合いは苦手と見た。私としゃべる時も、時々緊張してるっぽいしね。
「ところで夏目、次の時間音楽になったぞ。もう行かないと遅刻するぜ」
「へ!?」
「じゃあな」
 スタスタと歩き去る久世くんの背中を見送りながら私はわたわたしていた。
「ごめ、茉莉ちゃん、昼休みまた来るねっ。それじゃ!」
「ああ、うん……ねえ、どうせなら一緒にお弁当食べない?」
「え? あ、うん、いいよ。じゃ!」

 その昼休み。茉莉ちゃんは久世くんのことを口にした。
「あの時の男の子、涼乃ちゃんのクラスの転校生だよね?」
「そうだよ。彰と仲良いんだ。それで私も色々話すようになって」
 正確にはその前にナンパつながりで面識があるんだけど、まあそこは省いても構わないだろう。
「うちのクラスでも噂になってるよ」
「そうなの?」
 私はちょっと驚いて茉莉ちゃんをみた。そんなに有名なのか、久世くん。
「転校生だし、けっこうカッコイイじゃない?」
「そうかな」
「ちょっと不良そうな所が」
「ああ……俗に言うチョイ悪ね」
 茉莉ちゃんはちょっと吹き出した。
「そうそう。でも女の子とはあまり話さないって聞いてたから、ちょっとびっくりしちゃった。涼乃ちゃん、久世くんと仲良いの?」
「うーん……仲良いってほどじゃないと思うけど。普通のクラスメイトだよ」
「そっか」
「うん」
 そんなに気にされるほど仲良く見えたんだろうか。それなら透子の言うとおり、ちょっと距離を置いた方が良いのかも。誤解は招きたくない……色んな意味で。
「久世くんは花火大会に誘わないの?」
 茉莉ちゃんに言われて私は目を瞬いた。
「え、誘って欲しい? 浮気したいの?」
「ちっ、違うよ!」
 本当に慌ててるのが可愛い。からかっただけだよ。
「分かってるよ」
 笑って言った後、ふと私の心を、久世くんの妹さんのことがかすめた。朔良のこと、好きなんだよね。……花火大会に誘わないのかな。誘われたら朔良はどうするだろう。まあ、多分私との約束を優先するんだろうけど、そういうお誘いを無下にしない子だから、後日約束し直すとか、するかもしれない。ちょっと複雑。
「涼乃ちゃん?」
 茉莉ちゃんが私の顔を覗き込んで来た。目の前で手を振られる。
「どうかした?」
「あ、ううん、ちょっと考え事してただけ……」
「悩みとかあるなら、聞くよ?」
 茉莉ちゃんが身を乗り出した。
「いつも私は聞いてもらっているんだし。彰くんとのことでいっぱい手伝ってもらってるし」
 私は慌てて笑い、手を振った。
「気にしなくて良いよ。彰は幼なじみだし……正直、私のためでもあるから」
 完全にふっ切るための、ね。どうせ臆病者なくせに、逃げてばかりのくせに、私はまだやっぱり、ちょっと心が痛む。だから、こうやって茉莉ちゃんと仲良くなってしまうことで、ちょっとは痛みを軽減しようというわけなのだ。
「涼乃ちゃんの、ため……になるの? 私と彰くんが上手くいくことが」
「そう」
 普通は好きな人の好きな人なんて、遠ざかりたい相手かもしれないけれど、だって、その相手とも仲良くなれれば、どちらの友情も大切なものになるなら、応援しようって気になれるでしょう? こういうところが「お人好し」と言われちゃうのかもしれないけど、だってそういう考え方なんだから仕方ない。
「へんなの」
 茉莉ちゃんは言って目を瞬いた。はい、変かも知れませんね、確かに。
「じゃあ朔良くんは?」
「はい?」
「涼乃ちゃん自身のことはどうなるの? 朔良くんとはどうなの?」
「いや、そっちは……来年まで保留かな」
「来年?」
「朔良が中学に入るまで。さすがに小学生はちょっとね」
「そっか。そうだね。小学生はね」
「でしょ!?」
 初めて賛同者に出会ったかもしれない。そうだよね。小学生はまずいよね。はーよかった、常識の通じる子がここにいた!
「じゃあ、朔良くんが中学に入ったら、付き合うの?」
 けれど会話はこう続いてしまったので、私は固まった。……ええと。
「それはまだ分からないってば」
 今はどうあっても無理だって断言できるけど、将来については確実なことなんて一つもないから、なんともいえない。苦笑交じりにそう言ったら、茉莉ちゃんは目を瞬いて、ふうんと呟いた。
「分からないんだ」
「ど、どうして?」
「本当に好きなら、分からないも何もないと思うの。間違えようがないよ。分からないほど曖昧な気持ちなら、涼乃ちゃんはやっぱり朔良くんには恋愛感情なんて無いと思うな」
 私は少し驚いた。こういう風に言って来たのは、茉莉ちゃんが初めてだ。みんななぜか私と朔良をくっつけたがっていたからね。……もしかしたら、私もその空気に流されていたのかもしれない。
「これからどうなるか分からないっていうのは本当だと思うけど。でも、中学になるまで保留にしないで、はっきり言ってあげた方が良いんじゃないかな。期待を捨て切れない朔良くんがかわいそうだもん」
「そう……かな」
「そうだよ。考えてみて」
「うん……」
 そう言いながら、私は一つのことに気づいていた。
 保留は取り消したくない。
 これからも好きにならない、と朔良に断言はできないということに。

 ――これは、どういうことだろう。