03-07


 考えて見れば、私は学校での朔良を知らないし、朔良も学校での私を知らない。同じ小学校に通っていた時だって、学年間の交流はほとんどなかったし、クラブも違ったし、学年によって下校時間も違うし、一緒にいたのなんて、登校する時ぐらいだった。学校終わった後でよく遊んではいたけど。中学に入ってからも、通学路でばったり、とか彰も一緒の三人で会うことが多かったと思う。
 私の知ってる朔良と、今の朔良ってどれくらい違うんだろう?
 大人っぽくなったとは思う。それは朔良が、自分が感じてることを伝える時の真剣さとか眼差しに、冷静で深い考えを感じるものがあるからだ。
 私の知ってる子供の朔良とは違う一面に、私は本当は気づいていた。幼なじみの変化に戸惑いながらも興味が沸いて、そんな新発見がしたくて、私は朔良に私を諦めてもらいたくないという気持ちになったのかもしれない。あくまで仮説だけれど、それくらいの理由をつけたい。
 私は、朔良に私を好きでい続けてほしかった。べたつくのはやめて欲しいけれど。
 なんて身勝手で都合の良い欲なんだろうと、自分でも思う。好きじゃないくせに、好きでいてほしいなんて。報われない恋の痛みを、私も知ってるのに。
 ――それとも、むしろその痛みで、朔良に彰の面影を見てるだけ?

 私には何も分からない。


 茉莉ちゃんとはあれから、また少しずつ親交を深めていた。多分百合と文子は複雑だと思うけど、大丈夫、あんたたちはあんたたちで私の中には確固たる地位があるから。茉莉ちゃんは恋のお悩み相談的な意味で、別ジャンルの良友だった。カッコつきで、悩み相談を受けるのは専ら私だけど。
 他に変わったことと言えば、帰り道で朔良に会った。ちょうど私の部活も朔良のクラブもない日だったようで、私は朔良が男友達数人と、そして女の子二人と一緒に帰っているところを目撃した。ちょっと意外だった。六年生ってもう男女別々のグループを形成していて、一緒には帰らないものだと思っていたんだけど。
 朔良は男子グループの中心のようだった。笑い、ふざけていて、私の良く知る子供な朔良だ。こうして見て見れば、むしろ朔良の友達の一人の方がずっと大人っぽい。なにせ身長が一七〇センチくらいありそうだし、しゃべっているのを聞くと声も低かった。朔良はまだ私より背が低いし声変わりもしていない。……身体的特徴で、子供だ大人だを決めることはできないっていうのは分かってるんだけどね。
 私は朔良の姿を見つけた瞬間に身を隠したから、朔良が私を見つけることはなかった。何で隠れたのかは自分でもよく分からない。女の子と一緒にいる朔良に私を見られるとまずい気がしただけだ。
「高城くん、花火大会はいくの?」
 女の子の一人がそう聞いていた。
「いくよ」
 朔良がサラッと答えている。さっきの女の子がさらに言った。
「家族で?」
「ううん、兄貴と、お隣さんちのお姉さんと、兄貴の友達と一緒に」
「え、それ、随分と共通点の無さそうなメンバーだね」
「そんなことないよ」
 朔良が言った。
「前にも同じメンバーで一緒に遊びに言ったし。隣のお姉さんとは幼なじみなんだ。俺とも兄貴とも仲良いし」
「へえ」
 なんだかあっさりした語り口に、私はどうしようもなく違和感を感じた。私が「べたべたするな」と本人に言ってしまうくらい、朔良は私にベッタリしていたはずなのに、なに、そのあっさり感。なに、その「ただの仲の良いお隣のお姉さん」感。
 好かれることに怯えて、どうして良いか分からなかったんだから、ほっとしていいはずの場面で、私はなぜか少し傷ついていた。人間て本当に欲張りなんだな、って自分の気持ちで実感するというのも情けない話だけれど。できるだけ多くの人に(まあ度を越さない程度に)大好きだと、特別だ思われたいと思うのは、やっぱりどうしても思ってしまうんだよね。それが、それなりに好意を抱いている相手なら余計に。
 ぐだぐだ考えていると自分の本音すら自分で分からなくなりそうで、私はとりあえずブンブンと頭を振って余計なものを頭の中から振り払った。小学生を尾けて聞き耳立てて、何やってんだ私。
 帰ろうと思って、少し困った。どうしてって、朔良は私のお隣さん。普通に帰ったって構図は「尾けて」いる。うーん、塾あるんだけどなぁ。ここで突っ立って朔良たちが離れるのを待ってるのもなぁ。

「……何やってんだ、夏目」

 声をかけられてびっくりした。
「あ、久世くん」
「あ、じゃねぇよ。何やってんだ」
「立ち聞きを……」
 うっかり正直に言ってしまった。久世くんは変な顔をする。まあ当たり前。なんか変に言い訳できない気がして、私は説明した。
「自分のことを話してるのって、聞きたくても聞くもんじゃないね」
 本音だったから、久世くんも少し深刻そうな顔になった。
「悪口か。あれ、高城の弟だろ。それとも、弘美が何か言ったか?」
「ヒロミ?」
「妹」
 言われて、あ、と気づいた。そういえば、しきりに朔良に話しかけていた女の子、久世くんと似てるな。そうか妹だったのか。あーなるほど、だから花火大会のことを話していたのか。
「一緒に行きたかったのかー、花火大会」
「は?」
「いやね、妹さんがそのことを朔良に聞いてたから。なんか申し訳ないな。私、朔良をとっちゃった」
 うーん、でも朔良の方が私を誘ったんだから、とったことにはならないのかな? そういえば最初に誘われた時、私の脳裏には久世くんの妹さんのことなんてこれっぽちも浮かんでこなかった。朔良のことを気にしてるって久世くんから聞いていたのに。うわ、私って酷いかも。
「悩むな。俺にはその方がありがたい」
 久世くんがさらっと言ったから、私は一瞬目を丸くした。それからちょっと吹き出した。
「……お兄ちゃんは女になりつつある妹に心情フクザツ」
「うるせぇ」
 ちょっとむっとされた。いや、でも、わかるよ。私もお姉ちゃんが「女」になっていくのを見てたし、彰が男っぽくなっていくのにびびってたからね。わかるよ。まあ逃避したってしょうがないことだよ。変わる時には人間変わる。
「昔はお兄ちゃんお兄ちゃん、だったのが、今は冷たくて寂しい?」
 なんとなく透子の言葉を思い出して言ったら、久世くんは傍から見ても面白いくらい露骨にギョッとした。あ、図星か。人間割と構造が同じなのね。
 半分冗談だったのに言い当ててしまって、ちょっと気まずかった。どうやって話題逸らそう。

「……お前、どんだけ色々考えて生きてんだ」

 言われて、私はえ、と久世くんを見返した。
「なんで?」
「一瞬でよくそこまで考えるな、って」
「……なんだ、私の読心術に驚いた訳じゃないの」
「は? 使えんの」
「なわけないでしょう」
 一瞬本気で驚いた久世くんの表情が面白くて、笑ってやった。笑いながら、一方でさっきの光景がちらつく。兄が寂しく思うほどに、久世くんの妹さんの変化は顕著だって事だ。その変化が、朔良によるものだとしたら。
 お隣のお姉さん、フクザツです。
 ああ、振り払ったのにまた元に戻っちゃ意味がないじゃないか。

「そういえば」
 久世くんが私を軽く振り返りながら歩きだし、そう言ったので、ああ一緒に帰るのね、と特に深い考えもなしについていった。その次の一言が気になったからでもある。
「人間、家での顔と外での顔って、やっぱずいぶん違うよな。妹から聞いた話だと、高城弟は学校じゃかなり大人びてるんだって。俺には高城んちにいたあいつは、結構ガキに見えたけど」
 夏目に思いっきり甘えてたしな、と続けた久世くんの言葉に、私はあははと苦笑するしか術がなかった。
「朔良って、私達の中でも一番下だったもん。朔良が甘えてるって言うより私達が甘やかしたのかも」
「なるほど」
「でも朔良がませてるってのは大当たりだと思うよ。朔良から見れば、周りは年上だらけだったわけだし」
「兄貴と張り合ってたりとか?」
「え、なんで?」
 意外な返し方をされたので聞き返すと、久世くんは肩をすくめた。
「うちの妹がそうだし。同じ話をしたら、高城もうんうんって頷いてた」
「彰が?」
 分からなくもないけど。私だって透子に張り合おうと思ってた時期がある。意味もなく負けるもんか、って。結局、透子と張り合おうと思ったら色恋沙汰方面に足を向けなきゃいけないことに気づいてやめたんだけどね。そうか朔良もか。まあ、朔良の場合、私が彰を好きなのを知ってたから余計にライバル意識があったのかもね。
 あれ。そうすると。
 朔良を変えたのは、私?
「それにしても、久世くんって本当に妹さんを心配してるんだね」
 落ち着かない気分になってきたのをどうにかしたくて、私はそう言った。久世くんはすこし不機嫌な顔になる。
「あいつが危なっかしいだけだよ」
 それから、少し不安そうな顔になる。
「……悪口言ってたの、弘美か?」
「へ? ああ、いや、妹さんのことを言ったのは別にそういうことじゃないよ。っていうか、悪口じゃなかったから」
「あ、そう?」
「うん。むしろ朔良にちょっと不満だったって言うか……」
 何言ってんだ私。慌てて口をつぐむ。けど、そのまま黙ってしまえば変に勘ぐられそうな気がして、言葉を濁しつつ、話題転換することにした。
「……花火大会のこと、話してたから」
「花火大会」
「うん。ほら、私、彰や朔良や茉莉ちゃんと一緒に行くから」
「……夏目」
「はい?」
「言いたくないことなら、直で言いにくいって言ってくれりゃいいんだぜ?」
 ぎくりとした。ハイすみません。ありがとうございます。

 区切り悪いことに、ここで別れ道。苦笑いを浮かべつつ私は手を振って、自宅へ続く道を行く。塾に行く前に色々支度があるから速足に歩きながら、私はずっと先に見えてきた高城家に、朔良が入って行くところなのを見た。
 久世くんの妹さんが一緒だ。私はちょっと立ち止まった。赤いランドセルが先に門の中に入る。朔良がちゃんとお客さん優先していたからだ。こういう礼儀はきちんとしている子だ。
 子供子供って言うのやめようかな。
 ふとそう考えて、なんで自分はそう思ったんだろうとまた悶々としつつ、私はできるだけ高城の表札を視線に移さないように通り過ぎて、自分の家の門をくぐった。