EVER...
chapter:1-story:1
出会い
 

 




       神々、自らの力を光、闇と四大元素、
       すなわち火、水、風、地に分かちて六人の人間に封じ、
       もって守護者となす。
       かくして魔源郷を守らせしむ。
                   「創世記」第一巻より




 夕焼けでもないのに、世界が赤い。夏でもないのに、汗が吹き出すほど暑い。
「お前のせいだ」
「おまえのせいで、街は焼かれたんだ」
 灰色の瞳は、目に吹き付けられる前髪を通して赤い炎の色に染まっていた。
 ――知ってる。
「お前のせいだ、何もかも」
 知ってる、と頭の中で答えた。そんなこと、知ってる。
「お前なんか」
 ――呪われてしまえ、異端の子。

 呪う言葉は闇となって、燻りながら自分の中に沈んだ。ぐつぐつと歪んでひびを入れる。修復も、見ないふりも、拒絶もできなくて、ただただ呪いを受け入れて、踵を返して森に入った。

 暗闇がこんなに心地好く、そしてたまらなく悲しい。ぬくもりは欲しかったけれど、欲すのは罪だ。そして罰は恐ろしかった。壊してしまうのだ、自分の手で。だから、闇と冷たさの方がずっといい。
 雨が降っている。どれくらい人里から離れたのだろう。これで、壊さずに済むだろうか。優しい世界を、大切な世界を。

 雨が頬を打った。
 もう動く気力もなくて、銀色の髪が雨で頬に張り付くのも気にならなかった。仰向けに倒れ、灰色の空を見上げていた。土と草の香りが、ひどく胸に染みた。息を吸えば胸が痛い。本当に胸が痛いのか、そう感じるだけだろうか。痛いはずなのに、頭はそれをぼんやりとしか認識しなかった。
 目を閉じて、思う。

 ――死にたい。けど、生きたい。

 神の創ったという世界は、こんなにも矛盾しているのだ。

*********************

「まあ」

 誰かの声がした。
「ねえ、大丈夫? 意識はある?」
 リオは夢うつつに頷いた。
「よかった、生きてる……! ねえ、オーリィ! お願い、来て!」
 ぱたぱた、と足音がする。話し声がして、リオの体を揺さぶった。
「大丈夫?」
 さっきとは、別の声。リオはもう一度頷いた。浅ましいというのは頭のどこかで分かっていたが、ぼんやりした頭は勝手に言葉をつむぐよう唇に伝える。
「……た……けて」
 呟いた声は、果たして音になったかどうか。それきり、リオの意識は絶えた――。



 目を開けた。意識はしなかった。ただ、自分が目を開けられることに気付いた。見覚えのない天井が、視界を占めていた。
「…………」
 リオは数回瞬いて、むくりと起き上がった。力がうまく入らないので、自分がひどく衰弱しているのが分かる。
 助かったんだ。リオはぼんやりと思った。そっか。助かったんだ。まあ、いいや、と思った。助かったなら助かったで、その命を大切にしてあげよう。意識がはっきりした今では投げやりに考えて、何気なく周りを見渡した。

 ベッドの隣に小さな男の子がいた。きょとんとした顔で、リオを見つめている。くるくるした黄土色の巻き毛に、青い目をしていた。不思議な青だった。青紫から青、青緑へとグラデーションのようになっている。まだ七、八歳ぐらいのその少年は、透けるように白い肌とくりくりした目をしていて、抱き締めたくなるほどに、この上なく可愛らしかった。天使みたい、と、天使の容姿など知らないのに思った。
 しばらく見詰め合っていたのだが、少年は動かない。そのままでは気まずく、リオは何か話しかけなくては、と思った。
「あ……えっと……」
 じっと見つめてくる男の子に、リオはどうしたらいいか分からなくなった。彼は一言も喋らない。
「……あなたが、あたしを助けてくれたの?」
 すると、少年はふるふると首を横に振って、ぱっと部屋から駆け出していってしまった。
「あ……」
 どうしようもなくて、リオは溜め息をつき、ベッドから降りた。
 自分の荷物が部屋に一つだけある机の上に置いてあって、リオは自分が倒れたことを思い出した。途端にギクリとする。――まさが、ここ、敵方のところじゃないよね?
 慌てて窓辺に駆け寄って、外を確認した。何の変哲もない、小さな町のようだ。高さからしてここは二階らしい。夕暮れ時で、人の姿はまばらだった。それ以上でもそれ以下でもない。
 ほっと胸をなでおろす。どう考えても、殺そうと狙う相手を閉じ込めておくには不適切な場所だ。

 リオは安心して、机の上の自分の荷物を確認した。全部揃ってる。そのことに更に安心して、リオは荷物を包みなおし、大事に腕に抱えると、母の形見であるお守りを首から提げ、部屋を出た。

 階段を下りると、すぐに喧騒が聞こえてきた。バイオリンと笛の音、それに男達の笑い声。足を踏み鳴らし、音楽に合わせて机を叩く音。階段を降りてみると、そこは酒屋だった。
 ほとんどの席が埋まっていて、大した賑わいだった。リオは男達の視線の先を見た。カウンターの横の壇上で、少女が踊っている。リオより年上で、十七ぐらいの少女だ。胸の下あたりまである、くるくるした真紅の髪が、彼女の着ている漆黒のドレスによく映えた。目を引く美少女だった。リズムに合わせて軽やかにステップを踏む一方で、息はまったく乱していない上に顔は無表情なのが印象に残る。

 その時、誰かがリオの肩をぽんと叩いた。思わず敏感に反応して、リオは勢いよく身を引いた。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまって」
 自身も少し驚いたように言ったのは、リオと同じ年頃、十四か十五ぐらいの少女だった。真っ黒い髪は腰にも届くほど長い。彼女はリオの視線を受け止めるとおっとりと微笑んだ。その腕に、さっきの男の子がしがみついている。少女も男の子と同じく、透けるように白い肌と、グラデーション色の瞳を有していた。思い当たって、リオは少女に声をかけた。うまく舌が回らない気がした。
「あ、すみません。あの、あなたがあたしを助けてくれたの?」
 リオが聞くと、少女ははにかんだように笑う。
「何もしてあげられなくて、ごめんなさいね」
 肯定の言葉だった。
 彼女は人差し指を階段のほうに向ける。
「オーリィの仕事が終わるのは、もうちょっと経ってからなの。それまで上で待ちましょう?」
 オーリィ、とリオは反芻した。意識を失う間際、誰かがその名を口にしていた気がする。
少女はふとリオの腕にある荷物に目を向けた。
「……もしかして、もう出て行く気なの? いくらなんでも無茶だわ。ね、とにかく、二階に行きましょ? こんなにうるさくっちや、病み上がりの体に障るわ」
 少女はそう言うと、そっとリオの手を引いて階段を上がった。抵抗する必要がない気がして、リオは引かれるままについていくことにした。

 もとの部屋に戻って、リオはベッドに腰掛けた。少女は自分の荷物をいじりながら、リオに尋ねる。
「荷物は平気? 欠けた物はない?」
「……大丈夫です」
 何故こんなに親切にしてくれるのだろう、と少し不思議に思った。金目のものは確かに持っていないけれど、猫ババしたければ、するチャンスは幾らでもあったのに。
 少女は小瓶を持ってリオの傍に歩いてきた。それだけでリオは身を硬くする。しゃがんだ少女はリオの反応には気付かず、優しく微笑んで聞いた。
「痛いところはない?」
「あの、いえ……」
「無理はしないで。私たち、数日後には発つ予定なの。私たちがいる間に、治せる傷を治したほうがいいわ」
 心配そうに聞いてくるので、リオは少し警戒を解いて、傷口を見せた。すると、少女は素早く薬を塗って、自分の手のひらを当てる。傷口がぽうっと光って、次の瞬間にはかさぶたができていた。
 リオは驚いて目を見開く。少女の目の色を見てまさかとは思ったが、やはりそうなのだと思った。
「魔法使いなの?」
 聞くと、少女は首を傾げる。
「ちょっと違うけど……そう思っていいと思うわ。やっぱり、すぐ分かってしまうわね」
「不思議な目の色をしているから……」
 魔力を有するものは、そのほとんどが、目や髪の毛が異色に変じる。魔力を持っていても普通の色になることがあるが、その逆はない。

 その時、部屋の扉が開いた。入ってきたのは先程下で踊っていた踊り子だ。
「オーリィ」
 黒髪の少女が彼女に呼び掛ける。踊り子はちらりとリオとリオの傷口、それから少女を見て、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「リディア、あまりむやみに力を使わないでって言ったでしょう」
「だってオーリィ、怪我してたのよ」
 怪我を治してくれた少女はリディアという名らしい。オーリィと呼ばれた少女はリオを見つめた。金色の瞳がキラリと光る。この子も魔法使いね、とリオは思った。十七か十八ぐらいに見えたが、年に似合わず、冷静で静かな瞳だった。
「気がついたのね」
 言われて、リオは慌てて会釈した。
「あ、はい。……助けてくれて、ありがとう」
 オーリィはわずかに頷いた。
「私はオーリエイト・カーマイン。あなたは?」
「リオです」
 オーリィというのは愛称か、とリオは考えた。
「リオ……? 異国風ね」
「大陸の東の果てから来たので」
 オーリエイトはそれを聞いて納得したようだった。
「あなた、森の随分奥で倒れていたのよ。怪我もしていたし、すごく弱っていたみたいだから、こんなところに連れてきてしまったけど、構わなかったかしら?」
 リディアに問われ、リオは少し迷ったが頷いた。構いはしない。ついに死ぬと思っていたら助かってしまっただけだ。うっかり人里に下りてきてしまったけれど、彼女たちが数日で去るなら、リオもすぐにまた森に身を潜めれば問題ないだろう。
「あなた、お金は?」
「……え?」
 今度はオーリエイトに聞かれて、リオは首を傾げた。
「まあ、森で行き倒れるなら、大して持ってないでしょうね」
 リオが答える前にオーリエイトは自分でそう結論付けた。まあ、正しいのだが。
「もう一部屋頼む余裕は私にも無いの。ベッドが狭くなるけど、私たちと一緒に泊まると良いわ」
 オーリエイトがそういったので、リオは目を見開いた。
「でも」
「その体で出て行く気? 無茶よ」
 きっぱり断言されてリオは言葉を失う。心配されているとか、親切で言われているとか、そういう声色ではないように聞こえる言い方だった。それで少しほっとする。
「ありがとう」
 オーリエイトは頷いただけだった。
「その子はリディアよ。私は昼間は外に出ているから、何かあったらリディアに言って頂戴」
「あの」
「何?」
 リオはためらいがちに、相変わらず一言も喋らず、じっとしている男の子を見た。
「この子の、名前は?」
 ああ、とリディアが笑う。
「ノアよ」
 その笑顔は温かくて、リオの心は疼いた。
 懐かしく、そして恐怖が全身を覆う。いけない。だめだ。

 こんな温かいものに、あたしが触れちゃいけない――。




最終改訂 2005.10.02